2016/07/08

L.ウィトゲンシュタイン著の「ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』」を読了

  L.ウィトゲンシュタイン著の『ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』 第一次世界大戦と『論理哲学論考』』を読了した。

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→ クリムト画「世界の名画より ≪マルガレーテ・ストンボロー=ヴィトゲンシュタインの肖像≫1905年 180×90cm」(ミュンヘンバイエルン州立絵画コレクション ノイエ・ピナコテーク蔵)

 ちゃんとした感想など書けそうにない。某SNSサイトには、次のような呟きを投じた:
 高校時代からずっと畏敬の念を抱いてきた哲学者。従軍の最中の生々しい記述。その戦いの中で、『論理哲学論考』を書いてきたという事実。傑出した哲学者と粗暴な軍人たちとの息詰まる日々。戦争だからこその光景。ようやく公表された日記の意義は大きい。

 以下、ウィトゲンシュタインに絡む拙稿からの抜粋集である。

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2014/08/17

哲学的考察でここまで考えられるものなのか!

 今日は、スヴェーデンボリからカント、そしてラプラスに至る宇宙論の流れを少し辿ってみる。
 推論で、哲学的考察で、18世紀の時点で、ここまで考えられるものなのか! という感動を素直に表現する一環である。

「エマーヌエル・スヴェーデンボーリ(Emanuel Swedenborg, 1688年1月29日 - 1772年3月29日)はスウェーデン王国出身の科学者・神学者・神秘主義思想家」である(以下、「エマヌエル・スヴェーデンボリ - Wikipedia」など参照)。

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← 『霊界と哲学の対話 カントとスヴェーデンボリ』(金森誠也編訳 論創社) 「人間は霊界を知り得るか? 18世紀中葉、ヨーロッパを賑わした視霊者スヴェーデンボリ。その評判に触発されたカントが、鋭い舌鋒で論争を挑む」だって。 

「スヴェーデンボリは当時、ヨーロッパ有数の学者として知られ、彼が精通した学問は、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・冶金学・解剖学・生理学・地質学・自然史学・結晶学などである。結晶学についてはスヴェーデンボリが開拓者の一人である」。

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2014/05/04

宇宙像の大変貌

 ジョン・D.バロウ著の『宇宙論大全―相対性理論から、ビッグバン、インフレーション、マルチバースへ』(林 一/林 大【訳】 青土社)を読了した。
 念のため、断っておくと、「宇宙論大全」である。決して、「宇宙大全」ではない。

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→ レオナルド・サスキンド著『宇宙のランドスケープ  宇宙の謎にひも理論が答えを出す』(林田陽子/訳 日経BP社)

 アインシュタインの相対性理論以後、示されてきた宇宙論(像)を縷々語ってくれている本。古代インドや中国の宇宙像以来の宇宙観の変遷を辿ろうという趣旨ではない。
 暗黒エネルギーや暗黒物質の存在が宇宙論学者の間で共通認識となり、いよいよその存在の一端に触れるという今日、宇宙像の大変貌が始まろうとしている。先般のヒッグス粒子の存在の確定は、そのほんの予兆、幕開けの合図に過ぎない。

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2012/01/04

「祈り」を巡って(その3)

 年の瀬も押し詰まった12月30日、たまたま遭遇した「ゆく年くる年」の中継準備作業。
 本年は、富山県にある「真言密宗大本山 大岩山 日石寺」(富山県上市町)からの中継もあると知る。

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→ 実際のNHK「ゆく年くる年」のテレビ中継画像から。

 タクシー稼業に勤しむ身となっては、就寝の時間は、遅くても夜十一時である。
 なので、リアルタイムでは、「ゆく年くる年」を観ることは叶わない。
 なので、録画しておいて、後日、ゆっくり鑑賞。
 スタッフの方が仰っておられたように、(計ったわけではないが)実際、放送は1分前後だった。でも、さすがに滝行など緊迫感に溢れていて、身の引き締まる思いをさせられる絵となっていた。

 さて、以下、本文へ(「祈り」を巡って(その3))!


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2012/01/02

「祈り」を巡って(その1)

 そうした小生ではあるが、祈る気持ちだけは持っている。たとえ、わが寓居に仏壇も神棚もなくても、目を閉じて瞑目する中に、この先の人生が闇の果ての崖があるばかりと予感するばかりと、何か暗澹たる思いが沸き立ち、誰かに縋りたくなる時があったりする。

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← 「六本滝」 「六大(地、水、火、風、空、識)を型どった6つの蛇口から流れる滝に打たれることにより、六欲煩悩を洗い落とすことができ」るという。六根清浄。「ゆく年くる年」のテレビ中継では、この滝での滝業のようすが映し出されていた。

 友の、あるいは友の近親の、あるいは小生自身の近親の不幸を、それとも、己自身の蒙昧なる心性の闇を、天なのか、それとも地にあるのか知れない何ものかに祈るしかない思いに満ちる時があったりするのだ。
 祈るのは、何もお寺へ、あるいは神社に足を向けなくても、禊でもして、それとも水垢離をし、裃か白無垢の姿になっていなくても、祈る気持ちが深甚であれば、それはそれでいいはずだと思う。

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2012/01/01

「真言密宗大本山 大岩山 日石寺」へ(後編)

 さて、「真言密宗大本山 大岩山 日石寺」では、大きな仕事が展開されていた。
 NHKの総合テレビで放送される「ゆく年くる年」の、本年度の中継地の一つとしてこの「大岩山 日石寺」が選ばれており、前日の30日は、大勢のスタッフたちが中継の準備に大童だったのである。
 小生は、ただ傍観するのみだったが、準備の大変さのほんの一端を眺めただけでも、身の引き締まる思いを抱かされたのだった。

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→ 「大日堂

 スタッフの方に、少々間抜けな問いと思いつつ、伺ってみた。
「放送は、何分ほどなんですか?」
「せいぜい1分ほどです。全国放送ですから」
「えー、(それだけ) ? !」
(それだけ)の文言は呑み込んだつもりだが、もしかしたら呟いてしまったかもしれない。

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2011/12/10

報恩講の意味も知らず

 今日は満月、そして月食が全国的に観測できる(条件が整っている)日だそうな。
 でも、北陸など日本海側には、整っていない。
 曇天なのである。

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← 準備万端。あとは仏飯を供えるだけ。

 さて、月つながり、というわけではないが、月命日のお勤めを果たして、ホッとしている。

 報恩講の件も、一月遅れで片が付いた。

長年、郷里にはいなかったので、お寺にとっても、我が家にとっても大事な節目の行事である、報恩講の意味もしらなかったし、何をどうすればいいのかも知らなかった。

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2011/10/07

「葬式仏教の誕生」をめぐって(前編)

 帰郷して、自身の生活で変化したことは多々ある。
 父母が亡くなったことで、家の当主(世帯主)になったこと、当然ながら、家の内外のことに自ら関わる必要に迫られている。
 葬儀も喪主としての役目を果たすことになったことは昨年の日記にも書いた。

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← 松尾 剛次【著】『葬式仏教の誕生』(副題:「中世の仏教革命」 平凡社新書) 日本では中世まで、亡くなった人は、河原や浜、道路わきの溝などに捨てられていた。死は穢れとして、忌み避けられていたからだ。そんななか、人々が弔いを託したのが仏教である。葬式と、墓石を建てる習俗の起源を探りながら、日本人が仏教に求めたことと、仏教が果たした意義を探る」といった本。

 極力、最小限の関わりに止めているが、町内会のことにも、多少なりとも関心を抱かざるを得ない。

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2011/09/29

死海文書と陰謀説と(2)

 さて、真打の待望の書が、田川建三氏著の『書物としての新約聖書』(けい草書房刊)である(けい草の「けい」が漢字表記できない、情ないパソコンじゃ。違うサイトからのコピーを試みると「勁草書房」となる。サーバーによっては文字化けするかもしれない...、そのときは御免なさい)。

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← 田川建三 著『書物としての新約聖書』(勁草書房 1997年1月刊) 「死海文書」を巡っての書籍については、97年当時は、本書がピカイチだった。小生は、『立ちつくす思想』(同社刊)以来の田川建三ファン(? !)

 但し、待望と書いたが、出版されることを知っていたわけではない。記憶では立ち寄った書店でたまたま見つけたと記憶する。ただ、時宜が叶っていた、つまり小生の中のモヤモヤを吹き払うに相応しい時期に現れてくれた、という意味である。その意味で、小生には待望の書だったし、そう見なすに値する本でもあった。

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2011/09/28

死海文書と陰謀説と(1)

 世の中に曰く、ユダヤ陰謀説、フリーメイソン、etc.と、陰謀説のタネは尽きないようである。なぜにそんな陰謀説の類いというのは人気があるのだろうか。また、隠然と語り継がれたりするのだろうか。

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← 「死海文書」画像。 「死海文書5巻をネットで公開 グーグルで検索・翻訳が可能に」といったニュースを今朝未明(28日未明)、知った。せっかくなので、関連の旧稿をブログにアップする。

 新しいところでは、かの9・11同時多発テロの際、世界貿易センタービルがテロリストに乗っ取られた旅客機の直撃を受けたとき、同センタービルで働いていたユダヤ人4,000人が、直前にいなくなっていた。もしかしたら、このテロは、ユダヤ人によってテロリストたるアラブ人に対する悪感情を掻き立てる為に仕組まれた陰謀なのではないか云々。
 無論、これは完全なデマで、実際にはユダヤ人の方も数百人という多くの方が犠牲になられている。

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