無生物か非生物か
← 富山の郊外をドライブ… 画像は、拙稿「ニューヨークの振動(前編)」参照。
スーパーへ行ったりして、セキやクシャミしたくなると、困る。マスクはしてるんだが。自粛警察に追い出されるんじゃないかと、ヒヤヒヤする。別に卑屈になる必要はないのだが。
本夕、銭湯へ。一週間ぶり。汗もだが、垢も落とした。ただ、背中の一角がどうやっても手が届かず、垢すりできない。長年の課題である。
今日は、ほとんどウグイスの鳴き声を聞かなかった。曇天だから?
← 富山の郊外をドライブ… 画像は、拙稿「ニューヨークの振動(前編)」参照。
スーパーへ行ったりして、セキやクシャミしたくなると、困る。マスクはしてるんだが。自粛警察に追い出されるんじゃないかと、ヒヤヒヤする。別に卑屈になる必要はないのだが。
本夕、銭湯へ。一週間ぶり。汗もだが、垢も落とした。ただ、背中の一角がどうやっても手が届かず、垢すりできない。長年の課題である。
今日は、ほとんどウグイスの鳴き声を聞かなかった。曇天だから?
← プルースト 作『失われた時を求めて 14 見出された時II』(吉川 一義訳 岩波文庫)「最も正確で読みやすい本訳,十年をかけて完結.全巻の人名・地名・作品名を網羅した索引を付す」
プルースト 作の『失われた時を求めて 14 見出された時II』を読了した。
余談となるが、本文の末尾にて呼び鈴が出てくる。何かの符合じゃないが、我が家のインターフォンも故障で何処に修理を依頼すればいいか迷っているところ(というか、面倒で放置中)。老いを感じて、何かを書く覚悟を持つ。老いとは、一寸先は健康も寿命も闇であり、そして時間も残り少ないと自覚すること。
とうとう全巻が出て、全巻ともに読了した。第一巻は、2013年に読みだしている。訳業は9年のようだが、吾輩は足掛け6年余りで読んだことになる。
→ アンフォルメルの画家ジャン・フォートリエの「人質の頭部」 (画像は、「ジャン・フォートリエの「人質の頭部」:Autoportrait:So-netブログ」より)
何だか知れない闇の圧力に圧し掛かられて、顔が心が歪んでしまっている人がいる。闇の中の手は、その人の親の姿をしているのかもしれないし、もっと形の抽象的な、表現に窮するような何かの形をしているかもしれない。
あまりに早く生きる上での重石を感じ、打ちひしがれてしまった人は、気力と胆力があれば、人生そのものに反抗するかもしれない。あるいは自尊心の高すぎる人なら、人生を拒否するかもしれない。生きることを忌避するのだ。
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今日は雨の予報。なので、前夜のうちに洗濯。外干ししたんだけど、やはり夜だと生乾き。嫌な臭いが漂ってくる。我慢して着るか。自分はともかく、こんなシャツを着ていると、顰蹙を買うかな。
雨は降らなかったので、読書は我慢して、今日もハードな庭仕事。その前に野菜などの収穫。これも、親族に提供。さて、内庭の落ち葉や笹の原退治。鋏を手に、出来るだけ根っ子から切るように。ポリ袋に5袋。週に2度の作業で、半年ほどで剪定した枝葉などを撤去する。
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← 富山県水水墨美術館にて、「名都美術館名品展」が開催されている。副題がいい! 「恋する日本画」だって。伝統、様式美のはずの日本画を「恋する日本画」とするセンスが面白い:「名都美術館名品展 恋する日本画| 富山県水水墨美術館」 画像は、会場である「富山県水水墨美術館」の庭園。
昨日、冷凍庫の材料でシチューを作った……作ろうとしたが、失敗。水加減を間違えたのか、ドロドロの妙なものができた。勿体ないので、完食したけど、先日のカレーといい失敗続きで嫌になる。
恐らく、水分が足りなかったんだろう。いつも、水加減で失敗する。
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← ジル・ドゥルーズ 著『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』(宇野 邦一 訳 河出書房新社) 「ドゥルーズが美術を論じた唯一の書にして80年代で最も重要な著作のひとつが新訳で復活。「器官なき身体」の画家としてのベーコンとともに新たな哲学をつくりあげる名著」とか。
ジル・ドゥルーズ著の『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』を読了。ほとんど理解できなかった。
フランシス・ベーコンを巡ってではないが、生皮が剥がされ、剥き出しの感覚が無慈悲なる現実に、一切の緩衝帯もなく晒されている、そんな類のアートを巡って、あれこれ書きなぐったことがある:
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一人きりの空間。くしゃみでもしない限り、無音の世界。静か過ぎて時計の秒針の音ばかりが心に障る。
もっと耳を澄ませると、蛍光灯スタンドの灯りの源から、微細な振動音が聞こえるような気がする。気のせいなのかもしれない。でも、一旦、響いてくると感じてしまうと、そう思えてならないのである。
心とも触れ合えず、肌とも疎遠になり、心臓の鼓動ばかりが友の囁きである。
机の上のスタンドの灯りは、何も語らず、ただ空虚な心を露わにする。
そんな時、十数年も以前に書いた音を巡る夢想風なエッセイを思い出してしまう。
何も変わってはいない自分。少しも心を豊かにすることなく、ただ眼も耳も肌も嗅覚も衰えていることを思い知るのだ。
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今日も午後、庭仕事。風邪を引いていて、咳が止まらないのだが、庭の状態がひどいし、この先、雨が続くようなので、今日のうちに少しだけでもと。
← 莫 言【著】『豊乳肥臀〈上〉』(吉田 富夫【訳】 平凡社ライブラリー)
動いている最中はあまり咳が出ないのだが、作業を終え、シャワーを浴び、椅子にどっかり腰かけると、途端に咳が止まらなくなる。
外出は最小限に控え、読書三昧。とはいかず、外仕事と風邪での体調不良で、読む気力が萎えている。
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久しぶりに、最高気温、零下じゃなかった。1度。これじゃ、雪、融けない。今夜も、帰宅したら、除雪、決まりだな。
明日(28日)は雨かもしれない。だったら、除雪はしなくても……と、思い掛けて、今夜半過ぎの帰宅の時に、車が積雪で庭に入らないとしたら、明日は雨でも、除雪必至かも。
← 春日武彦 著『顔面考』(河出文庫)
……やはり、夜中の1時20分頃に帰宅し、一時間半、雪搔き・樹木や屋根や庇からの雪下ろし。まあ、やり切ったという満足感と、日中、晴れたら、雪、溶けるんだろうなーという徒労感と。
……案の定というべきか、期待した通りではあるのだが、日中は気温が4度か5度ほどに。一気にというわけにはいかないが、それでも、茶の間の窓から外を窺うと、次第に分厚いふかふかの真綿のような雪原が、古びた布団綿へと薄くなっていくのを眺めることができた。
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もう、7年の昔になるが、私には苦い思い出がある。
苦いというべきか、憤懣やるかたない思いというべきか、受忍し難い扱いを受けたという体験である。
→ 何処まで載せていいのか、分からないけど、心の叫びを聞いてほしい…。
2010年の秋、手術を要する治療のため、京都の大学病院に入院した。
その年の夏七月、父母が相次いで亡くなり、四十九日も済んだ秋、長年耐えてきたある症状の治療のため、前にも治療を受けた京都の大学病院に向かったのだ。
(その際、また親の金を浪費して治療を受けるがやね、と姉に皮肉を言われたのも苦い記憶だが、これは別の話)
症状については当時のブログなどに縷々書いたので、ここでは省略する。
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