2008/05/13

お地蔵さん……ん?(後篇)

 それにしても、富山は文化圏としては、関西のような関東のような曖昧な領域である。富山平野の真ん中に呉羽山(小高い山の連なり)があり、その西側が関西圏であり、東側は関東圏(少なくとも関西圏からは外れがち。というより見放されがち)だったりすることが多い。

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→ 一昨年の五月下旬、大田区の某所にて撮影。ある商店の軒下。お地蔵さんでもお堂でもなくて、可愛いので撮ってみた。

 小生の住むのは呉羽の東側(これを呉東=ごとう、と称する)であり、関西圏には入らない(但しお袋は高岡の出身で関西圏。父は生粋の呉東の人間である)。呉羽山を境に文化圏が富山でも分かれるのは、呉羽山の西側は加賀・前田家の領地であり、東側は前田家でも支流の家の領地で、(加賀藩に搾取され)文化的にも経済的にも困窮し、そもそも文化的な僻地だった。それゆえに実利的な気風が育まれた(なのに小生が能天気なのは、何故なのだ!)

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2008/05/12

お地蔵さん……ん?(前篇)

お地蔵さん

 田舎の我が家の前には地蔵堂があり、その中には記憶では33体のお地蔵様が祀られてある。33体という数は曖昧である。子供の頃に父か母に、それだけの数の地蔵さんが安置されてあると聞いただけで、その頃は、ふん、そう、で終わっていた。
 お地蔵さんの数がこれだけ揃っているのは珍しいのだ、とも、その時に聞いたような気がするが、関心のないガキの耳は素通りするばかりだった。

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← 地蔵堂と思い込んでいたが、その実…。

 もう、十年以上の昔になるが、古い木造の地蔵堂は改築されてコンクリート製の立派なものになった。その際、地蔵堂の向きも、それまでは我が家に直面していたのがA家に正対する向きに変わった。
 老朽化の故に改築するのは分かるとして、何故、向きまで変わったのだろうか。地元の富豪で、蔵が三つあるA家の威光なのだろうか。
 それとも、単に、我が家と地蔵堂の間の道が狭く(車は擦れ違えない)、それに対し、A家と現行の地蔵堂の間の道のほうが、やや広く、車の通行量も人通りも多いからなのだろうか。

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2008/05/02

「今年は海中探検!」アップ

今年は海中探検!」をアップしました。
 サンバ・エスコーラ(チーム)であるリベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の「2008年浅草サンバカーニバル」に向けてのパレードテーマ(Enredo)は、「海中探検(仮題)」だそうな。

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2008/04/30

帰郷して待っていたのは草むしり

 今年も草むしりの季節(?)がやってきた。
 転機もやや安定しているし日中は日差しがさほどきつくない。鍔(つば)付きの帽子を被ってなら、直射日光下でもできる。
 雑草も日差しにつれて一斉に生え始め育ち、あっという間に生い茂る。

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← ネコの額の広さの畑。

 実際には陽気がどうこうではなく、つい先日までは目立たなかった雑草の旺盛な繁殖力に急き立てられるようにして庭や畑に向わせられる、という状態である。
 草むしりはささやかなりともこれまでもやってきた。
 小生の草むしりや雑草への思い入れの深さは、それらの周辺を巡る雑文の多さでも証し立てることができる。
草むしり」(2006/05/06)、「黄砂に抱かれて草むしり!」(2007/04/02)、「狐の牡丹…雑草のこと」(2005/04/27、「雑草のこと」の執筆は04/08/17)、「野原のことなど」(03/06/15)、「雑草をめぐる雑想」(2008/04/04)などなど、毎年一つか二つはあれこれ書き散らしている。
 終いには、ズバリ「草 む し り」という題名の、若干の思い出話を土台にして、虚構とエッセイの中間のような作品を仕立ててみたほどである。

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2008/04/25

帰郷して火事しました!

[以下は、先月初め頃、引っ越して三日目の<事件…事故?>の顛末です。そろそろほとぼりが冷めたようなので某所の日記(メモ書き)を転記します。自戒の念を籠めて! それにしても我ながら感心するのは、「ほとぼりが冷める」という表題で駄文を綴っていること。ホント、何に付いても書く奴なんだなー、我輩って!]

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→ 何年か前、仕事の途中で遭遇した火事。ほぼ全焼だった。へたするとこうなっていたかもしれない…。

帰郷して火事しました! 」

帰郷して火事してる…。

火事じゃなくって家事だろって、違うの、ホンマ、火事!

昼食後、両親が寝所で休んでいる間に、居間の灯油ストーブに給油しようとして失敗。

灯油缶からストーブに給油するホースの中の灯油が、熱を帯びて熱かった箇所に掛かり、発火!

灯油ストーブが真っ赤な焔に包まれた。

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2008/04/17

飛越地震から150年

 今年は、「飛越地震(ひえつじしん)」があった年から150年目に当たる。
 発生したのは、1858年4月9日(旧暦:安政5年2月26日)で、「跡津川断層(富山県~岐阜県)を震源に発生した大地震」である。
「安政5年に発生したことから、「安政飛越地震(あんせいひえつじしん)」と呼ぶこともある」という。

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→ 「立山大鳶山抜図」(画像は、「日本地震学会:なゐふる:vol.29 (5-8) 絵図から情報を汲む 第4回 飛越地震と大鳶崩れ」より)

飛越地震 - Wikipedia」によると:

北陸地方(福井県、石川県、富山県)を中心に、中部地方北部の広域で甚大な被害を齎した。マグニチュードはM6~7を記録したとされている。家屋の倒壊も著しく、200~300人もの死者が出る大惨事となった。また、富山県の立山連峰では、日本三大山岳崩壊ともいわれている鳶山崩れが発生し、鳶山の一部だった大鳶山と小鳶山が消滅、立山カルデラに大量の土砂が流れ込むこととなった。現在でも、大量の土砂が立山カルデラに残っており、流出してしまうと富山平野が土砂で埋没するという(砂防工事が行われているため、すぐに土砂が流出することはない)。

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2008/04/14

サルガオセモドキに遭遇!

 過日、家族らで「富山県中央植物園」へ行ってきた。
 そのレポート(日記)は時間があれば別個に書く(かもしれない)が、ここでは番外編的にあることについてメモしておきたい。
 富山県中央植物園でちょっと自分には驚きの出会いがあったのである。

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→ 「富山県中央植物園」で遭遇した「サルガオセモドキ」

 出会いといっても、人との遭遇という意味ではない。
 ある植物との思いがけない、しかし場所が亜熱帯の植物も鑑賞できる植物園であれば意想外と感じるほうが無知にすぎない、そんな出会いがあったのだ。
 それは、別名を「スパニッシュ・モス」時に「フロリダ・モス」とも呼ばれる「サルガオセモドキ」というエア・プラントの一種との思いがけない対面なのである。

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2008/04/08

白熱電球製造中止…

 過日、「12年までに白熱電球製造中止 経産相、温暖化対策で表明」(「goo ニュース」より)といったニュースを小耳にはさんだ。
「電力消費が多い白熱電球を4年後の2012年までに国内での製造・販売を中止し、消費電力が白熱電球の約5分の1で、寿命も長く省エネ効果が高い電球形蛍光灯に全面切り替えを完了させる方針」という。
「地球温暖化問題をテーマに、北海道洞爺湖町で開かれた関係閣僚と市民の対話集会で明らかにした」というから、発表のタイミングを計っていたということか。

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→ 4月6日、チンドンコンクールの見物に行った際、せっかくだからと、コンクールの会場に程近い富山城を散策。

 白熱電球への思い入れは、特に昭和世代の人間には一入(ひとしお)なものがあったりする。
 そういえば、以前、関連する記事を書いたことがあったはずと探したみたら、「蝋燭…ランプ…電球…蛍光灯」という恰好の小文があった(他に、「蝋燭の周辺」もあるが)。
 但し、小生のこと、本分も長いが、プログが日記という性格もあって、前置きがやたらと長い。
 以下、関連する部分を抜粋転記する。


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2008/04/05

花びらをめぐる雑念

 富山市も桜が昨日辺り一気に満開となった。
 金曜日に前夜祭のあったチンドンコンクールや週末の行楽に合わせてくれた?

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← 「全日本チンドンコンクール」:

 富山の春の風物詩として、今回で54回目を迎える「全日本チンドンコンクール」は、富山市が戦災の焼け跡から立ち直り復興した昭和30年に、市民の心に明るさを取り戻そうと、富山商工会議所や富山市などが中心となり誕生しました。
 このイベントは、プロのチンドンマンがその技とアイデアを競い合う全国唯一のユニークなコンクールです。

 桜をめぐってはこれまであれこれ綴ってきたが、旧稿から一部転記しておきたい。
 ややひねくれているようだが、こういう考え方もあるということと思ってもらえたらそれでいい。

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→ 夫婦のスズメ? 言い寄ってる?

 その上で、扱うのはツツジで時期は違うのだが、花びらの潔いというか鮮烈でもある咲き方・魅せ方・散り方をめぐっての、これまた小生なりの異見を旧稿から転記する。
 花や花びらを強烈に意識する時期(但し刹那的なものに終始しがちだが)だから、敢えてこんな試みをするわけである。
 
 尚、挿入する画像は本文とは関係ない。最近、小生が撮った写真の一部を紹介するだけのこと。


1)「坂口安吾著『桜の森の満開の下』」より

2)「日の下の花の時」より

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2008/03/30

「野原のことなど」再び

帰郷して初めて散歩した(1)」の中で、「富山県富岩運河環水公園」となっている場所は以前は木場だったと書いている。
 じっくりゆっくり時間を掛けて歩いてみないと断言はできないが、今となっては、木場の名残りなど微塵もないようだ。

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← ここが以前は木場だったとは思えないほどに<綺麗な>環水公園への変貌ぶりである。

 この環水公園も含め富山駅の北口側は、俗に駅裏(側)と呼称され、南側、つまり表側は早くからデパートなどの商店が建ち並び、市役所や県庁、大手の企業の本支店などがある。
 まあ、何と言っても駅の南側は城下町でもあり、富山城そして城を巡る堀があるわけで、早くから開けてきたのも当然なことではある。

 一方、北口側は、小生が子供の頃は、駅の間近には放送局も含め幾つか大きなビルが建っていたものの、せいぜい二階建ての民家が密集ということなく街道近辺を中心に続いているだけだった。
 駅を十分も離れると田圃や畑が広がり、集落のように数軒あるいは十数軒の農家(大抵が兼業農家)が固まって散在していた。

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2008/03/08

雪女郎怖くて怖くて会いたくて

 東京での30年ほどの滞在の間に買い求めた本の大半は帰郷の折に処分した。
 それでも数十冊ほどは、処分の手の透き間から漏れ、今、郷里の部屋にある。
 まとめて業者に本を出した際には、机の裏側や積み重なっていた荷物に覆われていた押入れなどに隠れていて、生きながらえた。

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→ 3年前の帰省の折に撮ったもの。居間(茶の間)からの眺め。

 でも、中には敢えて残した本もある。
 寺田寅彦の随筆集であり中谷宇吉郎集である。
 相変わらず荷解き作業が続いていて、家事もあるし、その上、昨日からはアルバイトの形だが、仕事にありついたこともあり、じっくり読書という時間は取れない。

 そんな中でも、時間を掻き削るようにして、ちびりちびりと本を読んでいる。

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2008/03/01

久しぶりの雪の正月に思う

 帰郷して五日目になる。
 朝方には晴れていた空が、午後になると俄かに空模様が一転して掻き曇り雪になる…。あるいは、日中も夜も冷たいながらになんとか雨だったものが、夜半近くになって、あれ、雨音が聞こえなくなっている、さてはと、カーテンを開き窓の外の様子を窺ってみると、案の定、深々と雪が降っている、そんな経験を早くもこの数日の間に何度となく経験した。

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← 三年前の雪景色

 冬の富山にあっては珍しくもなんともないこと。
 当然のことだが、雪掻きも三度やった。
 まあ雪掻きというほど大して降り積もっているわけではなかった。スコップを使う必要もなく、スノーダンプを何度か往復させれば十分な程度のもの。
 それでもガキの頃にせっせと雪掻きした経験やスコップを握った感覚は蘇ってくる。

 六年ほど前の小文に、「久しぶりの雪の正月に思う」がある。近年の年始にしてはやや多めの雪が正月早々に降って雪掻きを余儀なくされた時の体験や感懐を綴ったものである。
 ちょっと懐かしいので旧稿を温める意味もあり、再掲する。

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2008/02/24

祈りでもなく

 無難ながら、それなりの歳月を生きて、若い頃とは違う意味で肉体を感じ、自然を感じ、世界を感じる。物質とは、究極の心なのだと今は考えている。別に根拠はない。直感的なものに過ぎない。
 心というものがあって、肉体にも物質にも経済にも制度にも世界の終わりにも関わらず永遠に存在する……。それは魂という呼び方しか出来ない何ものか……。

Unga

 そんな風に思った時期もある。そう思いたかったのだろう。
 この世への、あるいはあの世への憧れ。満たされない魂。叶えられない夢。果たされない願望。理解されない望み。誤解と曲解と無理解の泥沼。無慙にも奪われた命。生まれいずることもないままに闇から闇へ消え行った命。芽吹いたその日から岩の下で呻吟するだけの命。どうしてこの世はこうであって、このようではない風ではありえないのか。理不尽極まるじゃないか。

 だからこそ、心とか、魂とか、情念とか、怨念とか、幽霊とか、とにかくこの世ならぬ存在を希(こいねが)う。永遠の命。永遠の魂。穢れなき心。


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2008/02/09

DASEIN…そこにある

[気分は昨日と同じなので、やはり旧稿から。題名だけ変えました。]
Unga
 だだっ広い世界にポツンと一人、放り出されている。
 一人って、自分で言っているけど、自分が一人なのかさえも分からない。
 自分では自分の姿が見えないから。
 迷子になった心が疼いている、ただ、それだけのことなのかもしれない。
 誰かに触れたい。誰かに触れて欲しい。
 何の拘りもなく、ただ、触れ欲しい。触れてみたい。
 たった、それだけのことが、どうしようもなく難しい。

 誰のせいでもなく、私は、やはり、独り、闇の中でポツンと、いる。
 通り過ぎた電信柱に貼られたチラシ、それとも白い壁にペイントされた落書き。
ガード下の薄暗い壁の剥がれ切れないでいる広告。
 私は、そういったものほどにさえ、確かに生きているとは感じられない。

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2008/02/08

想いは消えない

 一体、この世に何が残るのだろうか。そもそも何か残したいのだろうか。
 あるいは残さないほうが潔い?

 この掛け替えのない自分。確かに自分というのは一人しかいないし、段々自分のことを気遣うのは自分しかこの世にないのだと、しみじみと感じてきている。
 だから、その意味で世間に迷惑を掛けないよう自分のことは自分で始末をつけたいとは思うけれど、さて、それも生きている間のことで、その後のことは、どう思えばいいのだろう。

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← 『Blue Myth』 (from 「La Moon」)

 ここで思うのは、一頃流行ったカオス理論でのバタフライ効果って奴である。
 まあ、正確さなど一切、度外視して説明すると、逐一の些細な差異が、継続して加算・加重されると、後に至っては非常に大きな違う結果に到る、という理屈である。

 で、敢えて卑近にも自分のことを思うなら、ここ、この世の片隅に一個の平凡なる人間がいる、それは極小の小宇宙に過ぎない。
 その取るに足りない人間のささやかな思いや願いや祈りや期待など、それこそ蝋燭の焔であって、気紛れな風の一吹きで掻き消されるような、存在自体があやうい、あれどもなきが如きものでもある。

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2008/02/07

冬に幽霊考?

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→ 丸山応挙『幽霊画』(バークレー美術館蔵) (画像は、「第126話落語「応挙の幽霊」の舞台を歩く」(ホームページ:「落語の舞台を歩く」)から)

 幽霊に付いて、当り障りのない考察を試みよう。
 小生、怖がりなので、幽霊の気の障るような考察はしないつもりである。幽霊さんに気が付かれないよう、こっそりと、そして不意に幽霊さんが現れて絡まれないよう、辺りの気配を十分に探りつつ、あれこれ意味のない探求を試みたい。

 それにしても、まず幽霊について先ず気づくことは、幽霊には足のないとされること。

 幽霊は、江戸時代の怪談ものだと、柳の枝の垂れる薄暗いお堀端で不意に現れる。牡丹燈篭は別として、そうした状況で現れる幽霊さんというのは、決まって足がない。というか、下のほうが曖昧模糊としている。

 よく、幽霊には、足がないって言うけど、何処までがないんだろう。

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2008/02/06

たまゆら考?

(前略)
 さて、ちょっと前置きが長くなった。やっと本題に入る。
 ちょっと入りづらいが、以下の一文は、「たまゆら」という言葉から、昨夜、小生が真っ先に浮かんだことなので、逸するわけにはいかないのである。
 人によっては、余談だ、冗談だという人もいるかもしれないが、小生の話は、もともと全てが余談なのだ! と開き直るというか、居直ることで、そんな揶揄を遣り過すことにする。
 小生、ぶっちゃけた話、ラジオで最初に「たまゆら」という言葉を聞いた時、実は、恥ずかしながら、「たまずら」のように聞こえた。

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 小生にしても、「たまゆら」という言葉は知らないわけではなかったのだが、そう聞こえたので、聞きとがめたというか、ついつい、リッスン ツーしてしまったのである。
 玉ずらとは、何か、どういう意味なのか、と聞かれても困る。そんな言葉は恐らくは、ないはずである。別に広辞苑を引いて調べたわけではないのだが… (でも、調べて、あったら、どうしよう)。

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2008/01/30

『老人と子供のポルカ』の頃

[ あるところで、『老人と子供のポルカ』に関連する話題を見かけた。懐かしい! 懐かしいし、5年弱前にも、あるメルマガでこの歌のことが話題になっていて、気になると何か書きたくなる小生、下記のような雑文を綴っていた。せっかくなので(?)、ここに再掲しておく。なお、掲げた画像は本文と全く関係ない。過日、上京する列車の車中から撮ったもの。当時も今も不思議というか尋ねてみたいのは、本人はどういうつもりでこの歌を歌ったのか、何ゆえ引き受けたのかということ…。 (08/01/30 記)]

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『老人と子供のポルカ』余談

 Sさんのメルマガで『老人と子供のポルカ』(早川博二作詞・作曲 歌:左卜全とひまわりキティーズ)のことが話題になっていた。
 誰か、実際に聞いた人がいないでしょうか、だって。そんなことなら我輩に聞いてくれればいいのに…なんてのは嘘だぴょーん。

 そのSさんは小生よりずっと若い。
 その点、小生は、『老人と子どものポルカ』を高校生になりたての頃に聞いたのだ。歌謡曲や演歌が全盛で歌番組はクイズ番組と並んで庶民がテレビで楽しむ大きな娯楽源になっていた。

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2008/01/26

三途の川と賽の河原と

 前回に引き続き、「さいたま川の博物館」での、「平成11年度第2回特別展「三途の川」」を道案内に、三途の川のこと、そしてできれば、賽の河原について幾分かでも学んでおきたい。

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← 陸信忠(りくしんちゅう)筆本『十王図』(絹本着色 各縦83.2 横47.0(cm) 中国・南宋時代) (画像は、「奈良国立博物館」より) 「人が死後に赴く冥土(めいど)には、亡者の罪業の審判者として閻羅王(えんらおう)(閻魔王)など十人の王が」いる。「十図はいずれも王が冥官たちを伴い、椅子に掛けて机に向かい罪状を調べており、前には裁きを受ける亡者や、あるいはすでに有罪とされた亡者が様々の刑罰を受ける様子などが獄卒の鬼たちと共に描かれる」。個人的には、「壺中水明庵」を舞台に風景画をテーマにブログ記事を綴っている小生、「なお王の背後の衝立(ついたて)にはどれも水墨山水図が描かれ、日本への水墨画導入にこれら画中画が一つの役割を果たしたと考えられる」という点が関心の的。「奈良国立博物館」に所蔵されるという「騎象奏楽図」を見てみたい。

 こんなことを学んでどうなるというのか、どんな意味があるのか、少なくとも小生にはさっぱり分からないのだが、何故か惹かれるものがあるので(そろそろ呼ばれている?)、ひたすらに好奇心に駆られるままに、かといって、あまりに深入りして、それでは、自分で訪ねてみようとばかりに、往って(逝って)還らぬ人にならぬよう、浅瀬を選び、できれば、三途の川の中に足を浸さないだけではなく、飛沫さえ浴びないように、用心を重ね、不摂生なる日頃の生活をほんの少しは慎みながら、まあ、表面的なこと、触りのところだけを、無論、差し障りに至らぬ程度に、触れてみよう。

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三途の川のこと

 あるサイトの掲示板で、千葉県には、三途の川という名の川があるという書き込みを見つけた。まさか、という気持ちと、でも、あっても可笑しくはないという気持ちとが相半ばしていたが、とりあえず、ネット検索。キーワードは、勿論、「千葉県 三途の川」である。
 すると、検索結果リストの筆頭に、「特別展点描  発見!「三途の川」」という表題のサイトが登場するではないか。

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→ 錦絵『三途川老婆』 (画像は、「特別展点描  発見!「三途の川」」より)

 その冒頭には、「さいたま川の博物館では、今年度第2回の特別展「日本人の他界観を探る-三途の川-」を開催しましす。」とある。
 続いて、「「三途の川」は、皆さんも知ってると思いますが、人が死んでからあの世に行くときに、必ず渡らなければならないとされた想像上の川です。しかし、特別展の開催を準備していた私は、ふと、「三途の川」という川は、実際にこの日本にあるのだろうかという素朴な疑問がわきました」とあるではないか。小生と同じような疑問を持たれる方がいらっしゃるわけだ。

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銀嶺メモ

 真冬の月というのは、何か凄まじいものを感じさせる。
 空気が澄んでいるせいか、地上の全てが輪郭も鮮やかに浮き彫りにされてしまう。未明の頃に、人気もない公園の脇に車を止めて、月の影を求める。月の大きさなど、いつもそれほど変わらないはずなのに、目に痛いほどに輝いていて、大きさの感覚を微妙に狂わせてしまう。

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 真冬の、それも深更の月の影を愛でるようになったのは、東京に暮らし始めてからだと思う。
 郷里(富山)に居る時も陸奥(みちのく)に学生時代を過ごしていた時も、今ほどには冬の夜に月を眺め上げることはなかった。

 別に自分が若い頃より風流な人間になったというわけではない。
 まずは、東京(太平洋側)に暮らしているので、ほぼ毎日のように快晴の夜空に恵まれるという条件がある。
 同時に、ほんの数年前は真冬だろうがいつだろうが、いつも忙しかったので、真夜中であってもゆっくり休憩時間を取ることなど考えられなかったのである。

 東京に住んで働いているということ、そして不況が月への思い、あるいは月に刺激されてのあれこれの想いが募るというわけである。
 皮肉な現実。でも、せっかくだから、たっぷりじっくりゆっくり堪能させてもらうとしよう。

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2008/01/11

芝浦のこと、再び

[本稿は、風景絵画探訪の小文「ピエト・モンドリアン(後篇:抽象性に宇宙を見る)」からエッセイ風な部分を抜粋したものである。会社があった海岸地区や最寄のJR駅から会社へ到る地区である芝浦近辺についてはまとまった形で文を綴ったことはない(はずな)ので、断片的なものだが、志賀直哉の代表作の一つ「城の崎にて」を巡ってのこぼれ話的なあれこれを綴った「芝浦のこと、「城の崎にて」のこと」から芝浦辺りの思い出を綴ったくだりを併せて載せておく。]

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→ ネット仲間の方からもらった画像です。本文とは関係ありません。とある地方の民家の電飾。地元では有名らしい。拡大してみると、一層、見事さが実感できます。

ピエト・モンドリアン(後篇:抽象性に宇宙を見る)」から
芝浦のこと、「城の崎にて」のこと」から

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2008/01/05

不入斗のこと

[本稿は、4年余り前に書いた旧稿だが、「太田神社は市野倉にあります」で市野倉という大きくは入新井(いりあらい)も含む武蔵野台地の話題を書いたので、関連する記事ということでブログにアップする。本文に追記の形で書いておいたが、今回のアップに際し、本稿を書いた当時には生きていた頁が消滅していたという悲しい事実に気づかされたが、代わりに、後出する充実した頁を発見することができた。悲喜こもごもというところか。(08/01/05 アップに際し付記)]

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→ 川瀬巴水『東京20景 「池上市之倉 夕景」』(昭和3年(1928) 版権所有・渡邊庄三郎 大田区立郷土博物館蔵) (画像は、「江戸時代の入新井町略図と川瀬巴水の新版画」より。後出する)

 不入斗を「いりやまず」と、すんなり読める方というのは少ないのではなかろうか。
 小生にしても、ともすると「ふにゅうと」と読みそうである。ただ、多分、この読み方では違うだろうとは思うので、喉まで「ふにゅうと」が出かかっても、なんとか出さないで我慢するとは思うのだが。
「斗」が厄介で、俗な表記での闘争の「闘」の代わりに使われることがあるので、「と」と読むのだろうと憶測はする。で「はいらずと」などと無理矢理な読み方も試みるが、やがて諦めて、ダンマリを決め込むしかなくなるのだろう。

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2007/12/31

出来たばかりの郷里の公園を散歩した

トールのひとりごと」というブログを折々覗いている。サブタイトルに「富山の街・建築マップ&トールの日記」と。
 富山生まれで、東京在住の小生には願ったり適ったりのサイトである。
 その最新の記事「クリスマス・イヴ」の冒頭に「富岩運河環水公園」の話題、そして「富岩運河環水公園」の夜景画像が載っている。
 富山関連のサイトをこの「富岩運河環水公園」の画像や情報を求めて、ネットサーフィンしていったら、素敵なブログを見つけた。画像も素晴らしい。

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→ 残念ながら「富岩運河環水公園」を写した自前の画像が所在不明。なので、富山市内を横切る松川の画像を。06年9月に撮影したもの。この川も「水の都・富山」のシンボルの一つ。遊覧船も走っている。

 せっかくなので(?)、5年以上前というHP所載の旧稿だが関連する記事ということで「我が家のマイブーム」などをブログにアップする。
 その素敵なブログとは:
Under the Blue Sky 別館 夜の富岩運河環水公園
 こういう写真を撮りたいもの。拝借したい!

 前置きはこれくらいにしておこう。旧稿をどうぞ。

目次:
我が家のマイブーム
出来たばかりの郷里の公園を散歩した

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2007/11/18

「ケプラーの夢(ソムニウム)」再び

 昨年の秋口、「ケプラーの夢(ソムニウム)」と題した記事を書いた。
 題名にあるとおり、「ケプラーの夢(ソムニウム)」が話の焦点なのだが、いかんせん、小生のこと、例によって例の如しで前置きが長い。
 肝心の話に入るまでの導入部が本文の半分を占めている。
 なので、ここに肝心の部分のみを若干の加筆の上、転記する。
 何を今更と思われるかもしれないが、拙稿「月探査機「かぐや」 打ち上げ迫る」のコメント欄に記したように、「「かぐや」ハイビジョンカメラによる映像「地球の入り(Earth-set)」」といったニュースが最近、ちょっと話題になったからである。

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→ 『ケプラーあこがれの星海航路』(平成16年 「カナリーホール」にての公演のチラシ画像) 詳しくは本稿の末尾近くを参照のこと。

ケプラーの夢(ソムニウム)

 渡辺正雄著の『文化としての近代科学』(講談社学術文庫)から話題を一つ。
 日曜日、列車中で読んでいて興味を引いたので、是非ともメモしておきたかったのだ。
 それは、表題にあるごとく、「ケプラーの夢」である。
 ケプラーとは、ヨハネス・ケプラーのこと。ソムニウムとは「夢)」の意。

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2007/11/11

「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」 ! !

 とあるサイトで「横須賀美術館」にて下記の展覧会が催されることを知った:
清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人
期間 11月23日(金・祝)~12月16日(日) (休館日:12月3日 )

 清宮質文は小生の大好きな木版画家である。
 知っている人は多いとは言えないのだろうか。

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→ 清宮質文 【深夜の蝋燭】1974年 (画像は、「駒井哲郎・清宮質文」より(ホームページ:「大川美術館」))

 上掲の頁には下記のように紹介されている:

清宮質文(せいみや・なおぶみ、1917-1991)は、近世版画の研究でも知られる画家・清宮彬(Seimiya Hitoshi,1886-1960)の長男として東京に生まれました。東京美術学校を卒業後、1953年ごろから画業に専念し、主な表現手段となる木版画の制作を始めます。木版画といっても、摺りの仕上がりに精力を注ぎ込んだその作品は、限りなく1点制作に近く、同じ版からまったく異なった表情の作品が生み出されることも少なくありませんでした。 心の中にあらわれるうつろいやすいイメージを、平明なかたちと抑制された色彩をつかって写しとった作品は、豊かな詩情に満ちています。 本展では、横須賀美術館の所蔵する90点の清宮作品のほか、初期の油彩画や絶筆となったガラス絵なども交えた約110点の作品によって、その独特の世界に迫ります。

 清宮質文(敬愛の念を込めて敬称は略させてもらう)の存在を知ったのは、練馬区立美術館で1994年秋に開催された「「駒井哲郎」・「清宮質文」二人展」を見た際だった。その時は、駒井哲郎の作品に会いに行くためだったのだが、ついでに見るつもりだった清宮質文の諸作品に深く感銘を受けたのである

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2007/11/09

雪の関越道あわや遭難事件(7)

[以下は、「雪の関越道あわや遭難事件」のあった翌日の夜に書いた日記である。
 小生の記憶とは違う部分が結構ある。また、読み返して、ああ、そんなこともあったっけと思い出したことも。思えば随分、いろんな方に迷惑を掛け、あるいはお世話になっていたのだった。
 文中の太字部分はこれまで書いた回想レポート(ドキュメント)とは事実関係が違う部分、あるいは記憶に全くない部分である。
 今回は、予定では「雪の関越自動車道遭難未遂事件(7):これでエピローグにしたい!篇」をお送りするはずだった。
 が、つい先日、当時の手書きの日記が見つかったため、当該の日の日記を転記した文を「完結篇:これが全貌でした篇」に代わるものとして提供する。

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→ 手書きの日記の冒頭部分。レポート用紙だと6枚に渡って書いているのだが、活字にするとこんなものなんだね。当人が大騒ぎしていても、終ってみたら呆気ないエピソードに過ぎないってことなのか。

 無論、その日の日記に「雪の関越道あわや遭難事件(7:完結篇)」なんて題名など付すはずもない!
 実際、ほとんどが(7)として、期せずして「これでエピローグにしたい!篇」に相応しい総集編的記述になっているとも思える。

 なお、思いつくままに思い出すままに熱に浮かされるようにして書いたものなので、文章的に変な部分もある。改行も原文のままである(まさに日記なので改行などする必要もない。というか、正直なところ、改行するもなにも、溢れ出る言葉を書き記すのに懸命だったのだ)。読みづらいことは重々承知の上で、できるだけ原文の雰囲気を残すためもあって、改行その他も読み手への配慮を欠いたままにアップする。

 事情をご理解願い、寛恕を請うものである。
 翌日の31日には、何ゆえこんな暴挙に走ったかや、こうして命からがらの旅から生還し(ちょっと大袈裟?)、自分の限界や愚かしさに否応なく向き合ったが故に心が剥き出しになり、恋話など赤裸々に延々と書き連ねている。
 個人的には懐かしいが、野暮になるので手書きの日記のまま闇に埋めておく。 (転記の日に記す)]

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2007/11/03

体重計は見ていた!

[月初め恒例の目次の記事です。先月10月一ヶ月