2017/10/31

独りきりの祝祭

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← 富山市の中心部にある桜橋。歩いて、あるいは車で何度も渡るこの橋が、国指定文化財だと、今日、初めて知った。鋼アーチ橋。

 拙稿(「馬橋パレード…オートバイとの別れ」参照)にも書いたように、もう十年近く前、バイクは降りたつもりだったのが、突然のライダー復活。
 いろいろ事情や思いがあるが、今日は、初めてオートバイでのロングツーリングの思い出の一場面をつづった文章を再掲する。もう、40年以上も昔の話である。

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2017/02/21

早生まれの意味、生きることのなつかしさ

「早生まれの意味、生きることのなつかしさ」(02/05/24)

 小生がガキの頃、お袋がよく近所の人とかに「この子は早生まれだから…」と言うのを聞いた覚えがある。
 同時に、その言い方の中にかすかに言い訳がましいニュアンスが含まれていることを、幼いながらに感じていた。 
 鈍感な小生は、思春期も大分過ぎてから、ようやく「早生まれ」の意味が理解できるようになった。そして、何故にお袋が弁解口調で語っていたかの訳も。
 早生まれというのは、「1月1日から4月1日までに生まれた人のこと」である。この4月1日というのには、微妙な意味合いがある。「法律上で1歳年をとるのはいつかという区切りについては、民法第143条の《暦による計算》がその根拠となってい」るという。詳しくはこのサイトを参照してほしい。

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2017/02/09

蕩尽あるいはエロティシズムへの欲望

 エロティシズムへの欲望は、死をも渇望するほどに、それとも絶望をこそ焦がれるほどに人間の度量を圧倒する凄まじさを持つ。快楽を追っているはずなのに、また、快楽の園は目の前にある、それどころか己は既に悦楽の園にドップリと浸っているはずなのに、禁断の木の実ははるかに遠いことを思い知らされる。

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← ジョルジュ・バタイユ著『宗教の理論』(湯浅博雄訳、ちくま学芸文庫)

 快楽を切望し、性に、水に餓えている。すると、目の前の太平洋より巨大な悦楽の園という海の水が打ち寄せている。手を伸ばせば届く、足を一歩、踏み出せば波打ち際くらいには辿り着ける。

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2017/01/21

今はなきホームページより

 この頃、コインランドリー通いが定番になってきた。洗濯は家でやって、ドライをコインランドリーで。冬になると、やることが増えて面倒だな。仕方ないけど。

 パソコンのサポート店に行ってきた。フェイスブックやツイッターのアカウントが乗っ取られたか、侵入されているという警告があったので。専門家に対処してもらって、一安心です。

 博物館へ行こうと思っていたけど、雨、霰がちょっと振り出してきたのであきらめた(自転車で行くつもりだたので)。ところが、諦めてPCサポート店へ車で行った。すると、青空が! クソ、天気に騙された。

 車で外出する機会があったので、昨日、衝動買いした村田英雄のCDを聴けたよ。やはり、あんな歌手は不世出だなー。

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2017/01/12

わけのわからないものの噴出

 明日……じゃなく、今日の朝には雪になりそう。雪のない年末年始でありがたかったけど、全く降らないのも(スキー場関係者でなくても)困るというか、富山らしくなくて心配になる。まあ、一月の半ばからが冬の本番だから、そろそろ雪が降るのが自然なんだろうけど。

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→ 画像は、「小林たかゆき お絵かきチャンピオン」より。どこかデカルコマニー(décalcomanie)風なタッチが面白い。「デカルコマニーで制作された模様には制作者のコントロールが(少なくとも完全には)効いていない。つまり、完成した模様に制作者の「無意識」が表出していると考えることが可能になり、それこそがデカルコマニー最大の特徴と言える。また見る者によっても模様の見え方は様々であり、それが見る側の「無意識」をも示す可能性も指摘されている」という(「デカルコマニー - Wikipedia」より)。お絵かきチャンピオンさんの絵には、作家本人にも制御が及ばない無意識という名の溶岩の噴出を感じてしまう。

 ……といいつつ、やはり、雪が降るのは辛いなー。子供の頃は待ち遠しくて、降ると嬉しくて嬉しくて、普段は家の手伝いなんて命令されないとしなかったのが、雪搔きや雪下ろしだけは、せっせとやっていたっけなー。今は、除雪なんて、シジフォスの神話のように不毛に感じるだけ。

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2016/12/27

原聖著『興亡の世界史 ケルトの水脈』に冷や水を浴びせられる

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← 原聖著『興亡の世界史 ケルトの水脈』(講談社学術文庫) 「ローマ文明やキリスト教以前の「最初のヨーロッパ人」はどこへ消えたのか? ストーンヘンジに代表される巨石文化、渦巻きや植物の華麗な装飾文様、妖精や小人などの伝説…「もうひとつのヨーロッパの起源」として、近年注目されている「ケルト文化」。EUなど欧州統合のアイデンティティとして、また近代西欧文明への批判として復興の気運をみせている「ケルト」の実像を、古代から現代にヨーロッパ史の中で明らかにする」というもの。けれど、「大陸からブリテン諸島へ移住した古代ケルト人は、ローマ人やキリスト教徒に追われてアイルランド島にのみしぶとく生き残った――と思われているからだが、最近の研究では、この「常識」が否定されつつあるという」残念な研究成果などが示されている。アイルランドの作家たちに何処かしらケルト(の末裔)の匂いを嗅ぎ取ろうとしていた、自分の勝手な思いがあっさり覆されて、ちょっと残念に感じた。その意味で、ケルトというより、ヨーロッパに最初にやってきた人々の、キリスト教やギリシャ・ローマの思想や文化に影響され、呑み込まれる前の古層の文化の残響を辺縁の地などに見出そうというのが本書など、最新のケルト研究の意義なのだろう。いずれにしても、脈々たるケルトの水脈なんて、まして、ケルトの末裔なんて、夢の夢ってこと。

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2016/08/15

出会いからはあまりに遠くて

 雨上がりの小道を歩くと、何かが私の頭に落ちた。数知れない細かな透明な粒を 目にした。それは、近所のブロック塀越しの木の葉を伝って、私の頭に落ちた一滴 の水の雫だったのだ。ちょっとした衝撃の波が私の心に走った。
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 それは、まずは外で冷たい何かの直撃を受けるという予想外の出来事への驚き。
 でも、すぐにそれは私が決して孤立してはいないということの直観へと転化した。

 人は年を取るごとに、意外性への素朴で新鮮な感動を忘れていく。それは、生きることに慣れてしまったことを意味している。

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2016/07/14

山本 じん……化粧以前あるいは少女幻想

 女と化粧は、一生、切っても切れない関係を結ぶ。

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← Satoshowによる呟き:「Satoshowさんのツイート その昔、一緒に暮らしていた女性から、怖いから片付けて欲しい、と懇願され、以後押入れで眠り続けていた、山本じん氏のドールを発掘する。 1980年代末期に作者御本人から購入させていただいた一品。 改めて(マ・クベ風に)これ」 「山本じん - Wikipedia」など参照。
 
 現代では、化粧は女性の専売特許ではなくなりつつあるが、それでも、依然として女の特権であり続けているし、これからは一層、特権を享受し、執心していくに違いない。

 少女とは、化粧を施すことを覚える、化粧の魔力を知る間際の、そう、おんなの世界への瀬戸際の、ほんの一時期にのみ成立する、魔法の具現という奇跡の一瞬なのではないか。

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2016/07/08

L.ウィトゲンシュタイン著の「ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』」を読了

  L.ウィトゲンシュタイン著の『ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』 第一次世界大戦と『論理哲学論考』』を読了した。

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→ クリムト画「世界の名画より ≪マルガレーテ・ストンボロー=ヴィトゲンシュタインの肖像≫1905年 180×90cm」(ミュンヘンバイエルン州立絵画コレクション ノイエ・ピナコテーク蔵)

 ちゃんとした感想など書けそうにない。某SNSサイトには、次のような呟きを投じた:
 高校時代からずっと畏敬の念を抱いてきた哲学者。従軍の最中の生々しい記述。その戦いの中で、『論理哲学論考』を書いてきたという事実。傑出した哲学者と粗暴な軍人たちとの息詰まる日々。戦争だからこその光景。ようやく公表された日記の意義は大きい。

 以下、ウィトゲンシュタインに絡む拙稿からの抜粋集である。

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2016/07/04

昔はよかった…式の発想に潜むもの

 たまーにだが、家の中を掃除することがある。時にはモップを使って、時には掃除機を使って。
 
 少々、掃除を怠ったりしても、一人には広い家なので、ちょっと見るとゴミが少ないし、乱雑な様にも見えない。片づけや掃除は、後日にしようと思ってしまうし、それほど汚れが気にならない。
 だが、実は、方々にモノを置きっ放しにする。怠惰なのである。片づけが苦手なのだ。
 家の中で、比較的頻繁に掃除するのは、玄関回りだけである。人の目が気になるのである!

 そうしているうちに、ふと、昔書いた、雑文を思い出した。縄文人は自然にやさしい暮らしをしていた。森の至る所に神を見ていた、というありがちな考え方への反論めいた小文である。

[以下、「環境考古学…勘違い ! ?」(2005/07/30)より抜粋してみる。]

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