2009/11/05

月影のワルツ?

 昨夜…というべきか今朝未明といったほうがいいのか、丑三つ時を少し回った頃、仕事のため台所にある勝手口から外に出た。
 出た瞬間、気付いたのはこの時間にしてはただならぬ明るさである。

 空には星がいっぱい見える。

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→ 悲しいかな、今朝未明の月影を撮ることは叶わなかった。これは、昨日の夜の月影。この雲が一掃されて、晴れ渡った空になった。ただ、寒波がきつかった。

 が、星明りでこんなに明るいわけがない。

 きっと、月のせいだ!

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2009/10/28

ポストに悩む日々?

 過日より、手の甲(特に左手の甲の指の根元付近)に妙な擦り傷が出来てきて、それが一向に直らない。
 最初は、草むしりや庭木の剪定で虫か何かにかぶれたのだろうと思っていた。
 以前(春先)にも、そんなかぶれたような症状があったし。

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→ ゴーヤはすっかり涸れ果てているから、あとはいつ、根っ子から引っこ抜くかだけ、考えている。ヘチマのほうは、まだまだ元気。葉っぱも青々としているし、花だってこんなに立派。

 でも、その時は、薬を塗らなくとも一週間ほどで直ったのだが、今回は一ヶ月も経つのに、<かぶれ>の状態のまま。その<かぶれ>が擦り傷のようになり、しかも、逆に日々傷が少しずつ深くなるし、しかも生々しい。

 一昨日だったか、はたと気が付いた。
 新聞配達のせいだ!

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2009/10/18

木原光知子さんの命日にちなんで

 今日10月18日は元水泳選手の木原光知子さんの命日だという。
 木原光知子(1948年4月5日 - 2007年10月18日)さんについては、「木原光知子 - Wikipedia」などで見ていただくとして、小生としては木原光知子さんに絡む(というのもおこがましいのだが)個人的な思い出の記を紹介しておく。

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→ 九月の上旬、病院のエントランスで見かけた「ヘデラ カナリエンシス(Hedera canariensis)」だが、生憎、お花屋さんにその苗の在庫がなく、代わりに入手したのは、似て非なるものだが、「ヘデラ(アイビー)」の苗。我が家の庭が、雑草で占領されつつあるので、どうせ緑の野になるなら、もう少し見栄えのする植物を、ということで、とりあえず畑(ここも、雑草の天下)に植えてみた。が、さすがに畑は、今後、何か野菜を植えるかもしれない、ということで、表の車どおりに面する花壇に植え替え。今まで、ゴーヤやヘチマ、朝顔が育ってきたところの並びの位置。が、植物の説明を読むと、直射日光はダメで、「薄日が当たるくらいの明るい日陰が最適です」とある。明日にも再度、植え替えしないといけない。さて、何処で育てるか、それが問題だ。

 詳しくは、拙ブログ記事「泳げたぞ!」を読んでいただくとして、ここには関連する件(くだり)だけ、転記して示したい。
 同氏の元気だった頃を偲びつつ、そしてやや自堕落でもあった頃の自分を思い出しつつ。

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2009/10/10

バイクとて風が友とは限らない!(後篇)

 雨の日、まして風が吹いているとなると、普段以上に気を使う。
 雨がしっかり降っているときは、新聞を一部一部、ポリエチレン(ビニール)の袋に詰める。
 これなら、少々の雨なら、濡れても平気。

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→ 今朝(9日)の「クレオメ(西洋風蝶草)」。台風の風になぎ倒されて、花々は千切られ、見るも無惨な光景。我が家の庭の多くの草花が哀れな末路を辿ってしまった。…それでも別の、何かしらの草花が咲いてくれることだろう。
 ところで、台風の風で我が家にとんでもない<事件>が発生していた。
 もう少しで大惨事になるところだった。
 樹高が十メートル以上もある、樹齢数十年の杉の木が倒れたのだ。
 杉の木は防風林の役目を担ってきた。つまり、すぐ脇には我が家の台所、細い道路を挟んでは隣家の居間。事故の一歩手前だったのだ。
 その詳細は、画像も含め翌日、報告したい。

 とはいっても、雨で困ることもある。

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2009/10/09

バイクとて風が友とは限らない!(前篇)

 富山は台風の直撃は受けなかったものの、それでも今朝未明から風雨の洗礼を受け続けた。
 昨日、夕方、予報通りに雨が降り出し、やがて本降りに。
 やれやれやはり翌朝は雨の中で仕事なのか。

 まあ、雨の中の作業は少しは馴れてきた…。
 未だ雨対策は万全とは言えないものの、それなりに工夫もしている。
 新聞が雨に濡らされないよう、営業所で貸与されるビニール(ゴム引き)のカバーだけでは心許ないので、たまたま母の入院でケアシーツを買う機会があったので、そのビニールのシーツを適当に折り曲げて、新聞を覆うように(貸与されたゴム引きシートで覆いきれない部分を補うように)、新聞の束の上に被せる。

 ほとんど気休めだが、それでも大分、違う。

 しかし、台風の進路からは外れると思えたものの、風雨の襲来を避けるわけにはいかないだろうと見込まれたし、実際、猛烈な風(雨)に見舞われての仕事となった。

 小生、バイクを駆っていて、何が怖いって、雨より何より風が怖い。

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2009/10/07

愚人薄明

 最近、携わっている仕事の性格上、夜明け前から夜明けに至る時の流れ、光景の移り変わりを日々、目にしている。
 実際には仕事のため家を出るのは、丑三つ時を少々過ぎた頃で、バイクを仕事のエリアへと走らせ始めるのは、三時十分前から三時過ぎである。

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← 仕事が順調に終わったなら、薄明のもと、家路に着く。

 現場のエリアで活動を始めるのは、早くても三時過ぎということになる。
 未明前の一番暗い時間帯の住宅街や工場などをバイクで駆けずり回っているわけだ。
 天候にも依るが、家を出て真っ先に気づかされるのは、星の多寡であり、月の出方、月の月齢(満ち欠け)の様子、そして、何より足元の確かさだ。

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2009/09/20

今日は鈴鹿サーキットが完成した日

今日は何の日~毎日が記念日~」によると、1962年の今日(9月20日)、鈴鹿サーキットが完成したのだという。
 鈴鹿サーキットという名を目に、あるいは耳にすると懐かしい記憶が蘇ってくる。

 二十歳前後から三十代の半ば頃まではオートバイに夢中で、通学や通勤に毎日のようにバイクを駆っていた。
 土日などの休みの際には、時に朝早く起きて、オートバイに跨り、郊外へと向かう。
 読書が趣味なので、バッグにはお気に入りの本を忍ばせて。
 何処か眺めのいい、休憩するに相応しい場所を見つけると、バイクを止め、木陰などに腰掛けて、読書を楽しみ、読み疲れたら風景を愛で、あるいは風光明媚の残像を追いつつ、目を閉じ、居眠り…。

 読書とバイクを両立させる、苦肉の策のツーリングだった。

 温暖な時期になって陽光に恵まれたら、上半身裸になって、日光浴も楽しむ。
 若かったこともあり、体が日に焼けて黒くないと、ひ弱に見えるようだし、とにかく、天気がいいのに、家の中に居るなんて我慢がならなかったのだ。
 雨でもツーリング欲は鎮まらない。何処かの木立か、作業小屋の庇の下で雨宿りする…ただそれだけが、到着地ですることだった。
 要は、ただひたすら淡々と走れたら、それでよかったのだ。
 ランナーズハイの感覚を追い求めていた…というと、気どりすぎか。

 ツーリングだけじゃ飽き足らず、バイクブームの真っ最中から余熱が燻っていた時期でもあり、テレビでもバイクのF1レースが放映されることも珍しくなかった。
 読書のメニューにも、オートバイ(ツーリング)関係の本の割合が多くなっていたりする。
 サーキットで実際にレースを観たい、そんな欲求が高まるのも自然な成り行きだった。
 仙台の菅生サーキットを皮切りに、筑波サーキット、富士スピードウエー、やがて、東京からはかなり遠い、三重県は鈴鹿サーキットへ。
 さすがに、鈴鹿へは日帰では、無理なので、夏の八時間耐久レースの日程に合わせて、有給を取って、向かうことが多かった。

 以下は、そんなバイク熱が昂まっていた頃の思い出話である。
 バイク熱の昂進の時期と入れ替わるように、小生は創作熱の高まりを迎えるのだ。

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2009/09/19

身も細る思いも甲斐がなく

 体重70キロ、ウエスト94センチが限界なのかな。
 バイクを使ってのバイトだけど、かなりの運動になっているはずなのに、体重計に登っても、メモリは70キロで頑固に留まっている。

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→ 今朝のヘチマの花!

 35歳まではウエストが78センチ、体重は60キロをキープしていたのに(身長は172センチ。ヒップとバストは秘密)。

 一時は、喰っちゃ寝の生活で(タクシードライバー時代は特に)、体重が82キロにまで行ってしまったが、今は、日々、慌しく、体も動かしている…つもりなのだが。

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2009/09/17

星影と月影とのジレンマ?

 未明…というより真夜中過ぎの時間帯に仕事をしている。
 旧い表現をすると、丑三つ時過ぎから夜明け前(五時半頃)までの、真暗な、一番闇の深い時から、やや光明の見え始める時間帯ということになろうか。
 闇が深ければ、それだけ光が恋しかったり頼もしく感じられたりする。

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→ 仕事を終え、事務所を後にして、帰宅の途に付くころ、ようやく朝日が登り始める。

 やや郊外の住宅街や工場の建ち並ぶ地域をバイクで駆け巡る。
 バイクのヘッドライトが闇を照らし、道を浮かび上がらせる。
 スーパーカブという、生活に密着したバイクが我が愛車である(事務所の所有だが)。

 エンジンをスタートさせても、ヘッドライトの照射する光は弱々しい。

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2009/08/19

バイクとの再会?

 3年前の今日、小生は二十歳から(約3年のブランクはあるが)29年ほど乗り続けてきたオートバイ(バイク)と別れた日である。
 その間、ずっとオートバイを所有し、ほぼ毎日、乗っていた。
 3年前の今日、最後に所有していた600ccのスクーターを売り払い、バイクには乗らなくなった。

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← 紫露草 (むらさきつゆくさ)が、また、庭先で咲き出していた。大概の花は、とっくに咲き、萎れ、涸れているというのに。
 
 そのバイクと何の因果か分からないが、今月からまた仕事(バイト)上の都合(生活苦!)とはいえ、また縁を持つことになった。
 縁りを戻したわけである。
 といって、別にバイクを買ったわけじゃなく、会社のバイクを使って仕事をしているだけなのだが。

 自分にとっては、オートバイ(バイク)との別れは辛いものがあったが、小生の周りには誰一人、ライダーは居らず、気持ちを通じ合えることもなかった。
 一人、好きなピザなどを自棄食いして、別れの宴を張ったものだ。

 ついでながら書いておくと、今日8月19日は、本当に公式に「バイクの日」でもある。
 別にこの日を期してバイクを降りたわけではないのだが、駄洒落好きな小生らしい、偶然と言えるのかもしれない。

 以下、せっかくなので(?)、3年前のオートバイとの別れを綴った一文を転記しておく。

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2008/08/23

「08馬橋パレード情報!」アップ

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← 一昨年の「馬橋パレード(坂川清流灯篭まつり)」の一幕。

08馬橋パレード情報!」アップしました。

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2008/06/11

マンディアルグ "オートバイ " の周囲を舐めてみる

 ピエール・ド・マンディアルグ著『オートバイ』(生田 耕作訳、白水社)を恐らくは四半世紀ぶりに読んだ。
 一昨年の暮れ、「マンディアルグ形而上下の愛に生き」なる拙文を書いたことがある。
 但し、これはマンディアルグの忌日を契機にしてのもの。
 今更、感想文を書くという気にはなれない。

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→ 「ハーレーダビッドソンFLH1200・エレクトラグライド ショベルヘッド」 映画や小説に登場するバイクと全く同一タイプかどうか不明。色合いも、さて。ショベルヘッドの「ショベル」とは、「ロッカーアームのカバーが「ショベル」に似ているところからニックネーム的に付けられてい」るとか。詳しくは、「ハーレーダビッドソン ショベルヘッドとは?」にて。

 以下、マンディアルグ『オートバイ』の、あくまで周辺をウロウロするので、本文(駄文)に進む前に、参考になるサイトを示しておく。
 例えば、下記など:
異端者の哀しみ ~マンディアルグ『オートバイ』論~  松浦綾夫
 映画の『あの胸にもういちど』に事寄せて:
883R :blog [パパサンアール・ブログ] 峰 不二子と、ハーレーダビッドソン

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2007/11/09

雪の関越道あわや遭難事件(7)

[以下は、「雪の関越道あわや遭難事件」のあった翌日の夜に書いた日記である。
 小生の記憶とは違う部分が結構ある。また、読み返して、ああ、そんなこともあったっけと思い出したことも。思えば随分、いろんな方に迷惑を掛け、あるいはお世話になっていたのだった。
 文中の太字部分はこれまで書いた回想レポート(ドキュメント)とは事実関係が違う部分、あるいは記憶に全くない部分である。
 今回は、予定では「雪の関越自動車道遭難未遂事件(7):これでエピローグにしたい!篇」をお送りするはずだった。
 が、つい先日、当時の手書きの日記が見つかったため、当該の日の日記を転記した文を「完結篇:これが全貌でした篇」に代わるものとして提供する。

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→ 手書きの日記の冒頭部分。レポート用紙だと6枚に渡って書いているのだが、活字にするとこんなものなんだね。当人が大騒ぎしていても、終ってみたら呆気ないエピソードに過ぎないってことなのか。

 無論、その日の日記に「雪の関越道あわや遭難事件(7:完結篇)」なんて題名など付すはずもない!
 実際、ほとんどが(7)として、期せずして「これでエピローグにしたい!篇」に相応しい総集編的記述になっているとも思える。

 なお、思いつくままに思い出すままに熱に浮かされるようにして書いたものなので、文章的に変な部分もある。改行も原文のままである(まさに日記なので改行などする必要もない。というか、正直なところ、改行するもなにも、溢れ出る言葉を書き記すのに懸命だったのだ)。読みづらいことは重々承知の上で、できるだけ原文の雰囲気を残すためもあって、改行その他も読み手への配慮を欠いたままにアップする。

 事情をご理解願い、寛恕を請うものである。
 翌日の31日には、何ゆえこんな暴挙に走ったかや、こうして命からがらの旅から生還し(ちょっと大袈裟?)、自分の限界や愚かしさに否応なく向き合ったが故に心が剥き出しになり、恋話など赤裸々に延々と書き連ねている。
 個人的には懐かしいが、野暮になるので手書きの日記のまま闇に埋めておく。 (転記の日に記す)]

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2007/11/05

雪の関越自動車道遭難未遂事件(6)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(6):番外篇:捜していた日記が見つかりました篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(5):高速道路のほうがましでした篇」より続く)

 今回は、「これでエピローグにしたい!篇」をアップしてこの回想ドキュメント(レポート)は終わりにするつもりだったが、予想外の事態が発生し、急遽「番外篇」を提供する。
 一つ報告がある。
 ある意味、嬉しい発見があった。
 なんと、この「雪の関越道であわや遭難事件」当時の日記が見つかったのである!

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← 見つかった日記の冒頭付近。文字の乱れは線路の軋みでも愛の迷いでもなく、もともと乱筆(乱文)なのである!

 小生は手書きの日記を15歳の頃より今日に至るまで書いてきたのだが、二十歳までの日記は焼却してこの世にはない。
 が、それ以降の日記は多分、捨てていないので家の何処かしらにあるはず。だが、数ヶ月ごとにファイルに挟んだりビニールの袋に突っ込んで、溜まると他の古い書籍類などとともにダンボール箱に詰め込み田舎に送ったり(多分、納屋行き!)我が部屋の何処かダンボール箱の山の中に埋れていく。
 当然ながら91年頃の日記類など、古いからとっくの昔に田舎行きの憂き目に遭っているものと思い込んでいた。

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2007/10/31

雪の関越自動車道遭難未遂事件(5)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(5):高速道路のほうがましでした篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(4):料金所通過が難関でした篇」より続く)

 ああ、やっと、一般道だ。きっと、GSもあるに違いない。宿もあるだろう。炬燵に入れる。飯も食える。
  けれど、そんな期待がいかに甘いかをまたまた嫌というほど思い知らされることになるのだった。

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→ 05年末、郷里にて。

 やっとのことで料金所を通過したはいいが、そこから一般道へは緩やかにカーブしており、さらに普段だと下りだとは分からないようなスロープ状になっている。
 怖い! 下りだと動かすのは楽だけれど、一旦、動き始めると今度は止まらない!
 ブレーキを下手に掛けられないので、可能な限りゆるゆる降りようとする。
 とにかく、下りは凍結した路面だし、怖い!

 幸い、同じ塩沢・石打の料金所で降りる車が少なかった。確か、一台だけ、脇を通り越して行ったように思う。路肩の街灯が降り頻る雪の路面や積もった雪をオレンジ色に染めている。
 水銀灯ではない、オレンジの暖かな光。
 でも、自分の心や体を温めてくれるわけでは、一向にない。

[ここで、「舞子ライブカメラ」を見てみよう。小生がやっとの思いで高速道路を脱出した関越自動車道の塩沢石打I.C直近の交差点の様子をライブカメラで眺めることができる。できれば、画面をクリックするといい。この交差点に辿り着いた時は、きっと間もなくGSかオートバイの店が見つかるものと思っていた…宿だって見つかる…飯にありつける…炬燵に体ごと突っ込める…眠れる…そう思っていたのだが…。]

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2007/10/27

雪の関越自動車道遭難未遂事件(4)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(4):料金所通過が難関でした篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇」より続く)

 さて、話を戻そう。
 ワイヤー錠の威力は自分でも驚くほどのものだった。
 ワイヤー錠のお蔭で、一キロでの転倒は数回程度に減った。
 次のインターチェンジで降りるまでの十数キロの間での転倒も、今までの何キロかの間の転倒回数の数百回よりは減ること、請け合いである!

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← 「雪の関越自動車道遭難未遂事件」のあった翌年、つまり92年に色鉛筆で描いたもの。絵を描くことを試みたのは、子供の頃以来ではなかろうか。91年の年末のことが時折、悪夢のように脳裏に浮んでいた頃、気持ちを落ち着かせるため、ありあわせの色鉛筆でスケッチブックに、何かの写真を見ながら描いたのだった。 ← 大間違いだった。手元の絵をよく観たら、描いた日は72年の秋口となっていた! つまり、小生が大学に入学した年である。お詫びして訂正します。

 あまりに単調な時間が過ぎていていく。でも、濃密な時の連なり。
 雪は止む気配がない。
 前年に買った防寒具の性能がよかったのか、ヘルメットの下に目出し帽を被っているせいか、防寒着の上にさらに薄いビニールの合羽を羽織っている御蔭なのか、それとも下手すると五百回に達しようという転倒・引き起こしという作業の故なのか、体は寒いどころか、カッカしている。
 火照っていると言って過言ではない。

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2007/10/24

雪の関越自動車道遭難未遂事件(3)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(2:高速道路の真ん中にも側溝がありました篇)」より続く)

 そんな時だった。ふと、閃いたことがあった。
 紐はもうない!
 みんな使って切れ果ててしまった。
 でも、ワイヤーチェーンがあったことを思い出した。

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← 「ホンダ ベンリイ CB125T-I」(但し、小生が乗ったのはこれより前の世代の「ホンダベンリイCB125T」だった。残念ながら我が愛車と同じタイプのバイクの画像は見つからなかった。詳しくは後記する。画像は、「Hondaホームページ 本田技研工業株式会社」より)

 ワイヤーチェーンといっても、雪道走行用のタイヤに巻くチェーンではなく、盗難防止のためのワイヤーロックである。
 そう、ワイヤー錠(ワイヤーロック)である。しかも、装備重量が300キロに達しようという大型バイク用の、がっちりした、1メートル余りのワイヤーロックなのだ。
 それが標準装備されていたのである!

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2007/10/20

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2):高速道路の真ん中にも側溝がありました篇
ノリック追悼記念レポート:本稿は、「雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇」より続く)

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← 掲げた写真は、04年7月25日、スクーターを駆り中央高速を使っての帰京途上、某SAの施設で小生が偶然、目にし、撮った燕の巣。燕の子供たちへ親燕が懸命に餌を運んでいた(「鳥雲に入る」参照)。

 その場を取り仕切る係員のような人が居たが、何を相談する知恵も浮ばない。

 間もなく、タイヤはボウズのままに、つまりノーマルタイヤそのままに、チェーン装着場をそろそろと…恐々と抜け出し、本線へ参入。
 そう、戦線復帰。

 だが、戦意はまるでなかった。
 戦意喪失していた。
 でも、走るしかない。誰も助けては呉れない。

 雪は止む気配がまるでない。少なくともその日一杯は降り続けるに違いない。
 雪国育ちの経験からして、止みそうにない空模様だと、痛いほど分かるのである。

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2007/10/14

雪の関越自動車道遭難未遂事件(1)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇
(本稿は、「ノリック追悼記念レポート:雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)」より続く)

 確か91年だったと思う。
(「趣味 オートバイ」にバイク乗りとしての大雑把な履歴を書いている。参照するも良し。)

Toyamaumi

← ありし日の富山の海。電車であるいはオートバイで帰省する折、富山の海を見ると、ホッとする。帰ってきたという感覚が胸の底から湧いてくる。なんて透明度の高い海だろう!

 当該部分を転記する(太字部分に注目):

1991年8月 7代目のオートバイ入手   パシフィックコーストPC800本田技研工業株式会社
ツーリングに行かなくなり荷物を積めるという利便性に走る。入手したその日は8 月5日。つまり本田総一郎氏の逝去の日。それ故か8年以上乗った。91年の12 月29日に東京から富山へ関越自動車道を走った。関越トンネルを抜けるとそこは雪国だった。あやうく関越自動車道で遭難しかけた。深い雪の中を数十キロも転んでは起こしを百回以上も繰り返してやっと塩沢・石打ICを降りた時、命のありがたみを知った。そのICを降りるだけに一時間以上を費やしたものである。その夜、やっと見つけた宿で凍て切った心身を炬燵で一晩中癒し続けたけれど、体の震えは止まらなかった。さすがにバイクはオートバイの店に置かせてもらい、列車で帰省。春3月になって引き取りに出向いた

 91年の12 月29日は、東京は快晴だった。だけど、やたらと寒かった。

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2007/10/12

雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)

ノリックが交通事故死、トラックと衝突」(モータースポーツニュース nikkansports.com)といったニュースがあったのはつい最近のこと。

Kanetu

← 列車で、時にオートバイで眺めた雪原の関越道。<事件>のあった日は降る雪も激しく…。

 一部、転記させてもらう:

 7日午後6時20分ごろ、神奈川県川崎市の市道で、2輪ロードレースの人気ライダー、阿部典史(のりふみ)さんが乗ったバイクがトラックと衝突、阿部さんは病院に運ばれたが間もなく死亡した。32歳だった。93年に全日本ロードレースにデビューすると、いきなり史上最年少の18歳で総合優勝を達成。世界選手権(WGP)でも通算3勝を挙げるなど「ノリック」の愛称でファンに愛され、日本に2輪ブームを再来させた立役者だった。
 世界を舞台に活躍したライダーが非業の死を遂げた。川崎署によると、阿部さんは同市川崎区大島1丁目の片側2車線の市道の右車線をスクーター型の500CCバイクで北上中、前方の左車線からUターンしようとした4トントラックを避けようとしたが、衝突して対向車線に放り出された。当初は意識があったものの、午後8時52分、搬送された市内の病院で死亡が確認された。阿部さんは胸を強打し、ろっ骨骨折や臓器の損傷などもみられたもようだ。

 阿部典史さんの事故に付いてはひたすら痛ましく思うばかりである。

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2007/03/10

三宅島で公道レースだって?!

 一昨年だったか、三宅島で公道レースを行なうという構想があると、ラジオで聴いた。またしても、石原都知事の発案のようだった。
 この話題は、オートバイレース好き、イベント好き、都政ウオッチャーの間を即座に駆け巡ったようだ。
 発表当時、マスコミを賑わし、いろんな方がいろんな意見を、あるいは期待を持たれていた。
 例えば、「“村おこし”三宅島の公道オートバイレース:中島:コラム:スポーツ報知」という昨年六月の記事が今も読める。

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← 88年から91年まで乗っていた「CBR750F スーパーエアロ

 冒頭に、「東京都の石原慎太郎知事が、三宅島でオートバイレースを来年にも開催したいと話している。噴火の“後遺症”で観光客誘致もままならず、復興に苦しんでいる島に、何とか活気を取り戻したいとの考えからのようだ。」とあり、さらに続けて、「この考えは思いつきではないようで、(石原都知事は)公道を使ったオートバイレースとして最も長い伝統を持つマン島TTレースを、三宅村の平野祐康村長らと共に5月29日に視察している。マン島TTは5月から6月にかけて2週間がレースウイークとなっていて、昨年は狂牛病騒ぎで中止になったが、今年は2年ぶりの開催で大賑わいだ。」とある(カッコ内は小生が補った)。

 マン島TTレースについては、この頁に大よそのことが書いてある(文末サイト参照)。


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2006/12/11

オートバイ我が唯一のパートナー

 小生は今年、辛い別れを経験した。
 といっても、人との別れ、ではない。
 オートバイとの別れ。
 おおよその経緯は、「馬橋パレード…オートバイとの別れ」にメモしておいた。
 まさに、メモ書きに終わっている。
 たまたま、上掲の記事を書いた日、つまり、8月19日は、819ということでバイクの日なのである。
 その日に合わせたわけではないのだが、偶然、8月19日にバイクを手放したのだった。

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→ 「ホンダ シルバーウイング<600>」。我が最後のバイクは、このスクーターだった。

 その記事から、一部だけ転記する:

 小生がバイクの免許を取ったのは、1974年の夏。学生生活を送っていた仙台でのこと。当時、宮城県では(多分、全国共通だろうが)オートバイの免許は小型・中型・大型に分けられていて、小生はまずは小型に挑戦した。
 イタズラでも乗ったことの無い小生、少々苦労はしたが晴れて免許を取得。
 即座に中古の125ccバイクを買った。半年後の冬、大型に挑戦、一発合格!
 以来、上京した78年の春から81年の春までの3年間の中断を覗くと、ずっとバイクと生活を共にしてきた。共に歩いてくれる人生のパートナーには一度も巡り合えなかっただけに、オートバイは小生の人生のパートナーといって過言ではない。
 ずっと苦楽を共にしてきたのだ。
 免許を取って今年で32年。乗った期間は29年間だ。

 ということで、表題は、「オートバイ我が唯一のパートナー」としたが、実際は、「オートバイ我が唯一の人生のパートナーだった」ということになる。
 読み返してみたら、一部、間違いのあることに気づいた。

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2005/12/28

国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた

 事情がありクリスマスイブの日から昨日まで帰省していた。田舎でのことはともかくとして、いつもながら感じるのは、列島の太平洋側と日本海側との気候風土のまるで違うこと。北海道と九州・沖縄と違うのは、緯度の違いもあって多少は想像が付くけれど。
 特に変化を強烈に感じるのは、なんといってもあの長い関越トンネルの前後において、である。
 今年の年末は例年になく雪が多かった。帰郷する時も寒いが雪のない関東側から上越側へ抜けた途端、雪国になっていて、ああ、日本海側が雪が多いって、テレビなどの報道の中の話だけじゃなく、本当だったんだ、なんて間抜けな感想というか感動のようなものを覚えてしまった。
 その雪のために列車のダイヤが乱れて、乗り換え・代行運転など面倒もあったけど、あとで振り返ってみると、それはそれで印象的な場面もあり、楽しい旅だったような気もする。
 当然ながら帰京(上京という表現は採りたくない)の折も関越トンネルを列車で通る。郷里も含め雪の降りやまない北陸。塩沢や越後湯沢の深い雪。駅のホームも雪がなぶるように降っている。まして、列車が走るとそれこそ叩きつけるような雪になる。
 そうして幾度となく潜るトンネル。最後に列車で走っても長く感じる関越トンネル。車内の明かりだけで外は当然ながら真っ暗である。
 それが、トンネルを抜けた途端、眩しいというか強烈な日差しが車内を光の洪水にしてしまう。時間にして三時ごろだったろうか。
 雪は? 何処かに雪は? あれほどの雪は何処へ消えた? 目を凝らして遠くを眺めると、山間に転々と雪があることはあるが、黒っぽい山肌に小さく点々と斑模様となっているだけである。開けた平野部には、雪などまるで他所の世界の話、さっきまでの深い雪が夢のようなのだ。

[別窓に移る前に、「折り句」の中の「短歌 二首  弥一&瑠奈」を見て欲しいのです。瑠奈さんが小生の寄せた歌などを使って素敵な絵柄を光の部屋に作ってくれました。瑠奈さんのサイトは、「雪月花」です。]

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