2009/07/05

アガパンサスの花から

朝顔やもっと降れよとつるべ顔」に載せた花、名前も分からなかったのですが、お馴染み、かぐら川さんに教えていただきました。
 同氏には教えられるばかりで、頭が上がりません。

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← その植物の名は、「アガパンサス」。
 
 この植物に付いて、ブログでは名前以上のことは触れたことがないのですが、数年前、何かの切っ掛けでその名前「アガパンサス」や花言葉は「恋の訪れ」だということ、さらに、「ギリシャ語でアガペサントス、つまり、アガペー(愛)とアンソス(花)の二つの語の組み合わせからなっている」ことなどを知り、即座に創作の着想が湧いたものでした。
(頭の片隅に「サルビアの花」のことなど、チラッと浮かんでいたが…。)

 小生の通った大学には植物園があったこと、大学は一つの山全体がキャンパスになっていたことなどを絡め、小説を仕立ててみたのです。
 それが、創作「アガパンサスの花言葉は」。
 せっかくなので、ブログにアップさせました

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2009/03/05

「ボクの猫」へ

 この頃、妙な夢を見る。
 いい年をした私が、何故かあの頃のボクになっている。大人になってしまった今の私のような、幼かったあの頃のオレのような、宙ぶらりんな自分が、長いような、短いような旅をする。

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 夢の中のボクは子供なのか五十路となった大人なのか、自分でも分からない。
 きっと、私は何歳になってもボクなのだろう。

 旅…といっても、迷子になった<ボク>が彷徨っているだけなんだけど、夢の中のボクにとっては心の旅に違いない。

 その夢には何故か、必ず猫が登場する。
 それが一番、私には不思議だ。私には猫に絡む思い出などない。猫を飼ったこともない。
 なのに、どうして猫が現れるのか。


ボクの猫 続き

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2009/01/03

「雪の轍(わだち)」アップ

雪の轍(わだち)」をアップしました。
 日記と創作の境界ギリギリ、やや虚構にシフトしたもの。

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→ 箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)往路を激走する山梨学院大学の岩田真澄選手(富山商業高校)。以下、画像はテレビ映像(日本テレビ)から。

 シリアスのような、でも、実はギャグのような。
 こんなふうに頭の中で物語りめいたものが生まれては消えていくのをやり過ごしつつ、自転車を駆って近所の買物へと向かっているわけである。

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2008/12/24

「あの場所へ」アップ

あの場所へ」アップしました。

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2008/12/17

「磯江毅…リアリティへの永久なる試み」などアップ

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磯江毅…リアリティへの永久なる試み」をアップしました。

 尚、「壺中方丈庵」では、下記をアップ済みです:
ボナンザ
デルヴォー……氷の中の恍惚

 …小生の生活もアップアップです!

*「壺中庵明月記」に、拙稿一覧があります(但し、過去一年分のみ)。

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2008/10/12

ル・クレジオ…物質的恍惚!

 日本では物理学賞や化学賞の受賞の陰に掻き消されてなのか、どれほどの話題になったのか分からないが、下記のニュースに個人的にある種のショックを覚えていた。

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→ ル・クレジオ著『アフリカのひと 父の肖像』(訳:菅野 昭正 集英社

ノーベル賞:文学はル・クレジオ氏 仏の作家、人間性の裏側探究」(「毎日jp - 毎日新聞のニュース・情報サイト」より。←トップ頁を覗いたら、「米国務省は11日午前、北朝鮮のテロ支援国家指定解除を発表した」というニュースが! やっぱりね。日本や拉致問題(家族)は置き去りか。):

【ロンドン町田幸彦】スウェーデン・アカデミーは9日、08年のノーベル文学賞をフランスの作家、ル・クレジオ氏(68)=本名・ジャン・マリ・ギュスターブ・ル・クレジオ=に授与すると発表した。同アカデミーは授賞理由として「新しい出発と詩的冒険、官能的悦楽の書き手であり、支配文明を超えた人間性とその裏側を探究した」と述べた。(以下、略)

菅野昭正・東大名誉教授(フランス文学)の話」だと、「ノーベル賞では10年以上前から名前があがっていた。人間の魂を損なう現代文明への批判から出発し、原始文明の豊かさを描くようになった。最近は先祖が生きた旧植民地の歴史に関心を広げている。文明批判的な姿勢は文化人類学や、最近のポストコロニアル理論の研究者などからも共感を呼んでいる」とか。

 ル・クレジオについては、読み親しんでいる人には今更だろうが、「ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ - Wikipedia」によると、「ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(Jean-Marie Gustave Le Clézio、1940年4月13日 - )はフランス出身の小説家。1963年『調書』でデビュー」で、「フランスのニースにイギリス籍の父とフランス籍の母との間に生まれる。18世紀にブルターニュからインド洋モーリシャス島に移った移民の家系であり、父母はいとこ同士。父は医師であり、ジャン=マリが8歳の時、イギリス軍に外科医として従軍した父に従い家族でナイジェリアに移住。ナイジェリアでは英語、フランス語の環境で育ち、この間に集中的に読書をし文学に目覚めた。作家デビュー前は英語で書くかフランス語で書くか迷ったすえ後者を選んだと言う」という方。

 この言葉の上でのルーツの複雑さは大概の日本人には想像も付かないものがあろう。

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2008/08/11

「架空凝視という病」再掲

架空凝視という病」再掲しました。

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2008/08/07

「コウモリの夏」アップ

コウモリの夏」アップしました。

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2008/08/05

ムージルの『特性のない男』でさえもなく

 過日、ロベルト・ムージル著の『特性のない男』(加藤二郎/ 柳川成男/北野富志雄/川村二郎訳 河出書房 世界文学全集)を読了した。
 本書には『三人の女』(川村二郎訳)も所収となっていて、現在、こちらに取り掛かり中。訳もこちらは読みやすい。
『特性のない男』は、「加藤二郎/ 柳川成男/北野富志雄」諸氏の訳のようだが、読みづらい。
 訳が今ひとつなのか、もともと原書が独特な言い回しや比喩・表現に満ちているからなのか、原書を読んでいない小生には判断が付かない。

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← 「図書出版松籟社ホームページ ムージル著作集」(加藤二郎 訳)

 とにかく読みづらかった。小生は昭和55年頃に本書を買った。買うと堪え性なく、若さもあって勢いで読んだが、当時も文体(あるいは翻訳調)に難儀した印象だけが微かに残る。
 本書を買った頃は、それまでのフリーター時代にケリを付け、サラリーマンに、つまり何者でもない存在たることを選んだ時期でもある。

 今回は、約30年ぶり、二度目の挑戦ということになる。
 タクシー稼業ともとりあえずはおさらばし、家事三昧、生い茂る雑草に埋れる生活にあっての登攀。

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2008/08/01

「蛍川」の周辺

 今春(それとも今冬の終り)に帰郷した。
 富山でもやはり車関係の仕事をしている。
 営業の都合で、富山市内外の各地を車で動き回っている。
 三月末だったか、四月初めのころ、「蛍川」という地名を耳にした。
 帰郷して間もない頃だったから、「蛍川」が地名だとさえ気付かなかったかもしれない。

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← 宮本輝著『蛍川・泥の河』(新潮文庫)

 まして、それが宮本輝の小説『蛍川』の舞台そのものだと気付くには、それから月に一度か二度、「蛍川」の周辺を通り過ぎる必要があった。
 小生はそれほど、鈍な奴なのである。
 この七月、偶然だろうが、三度ほど「蛍川」周辺を、ついには先日、とうとうまさに「蛍川」の地へ足を踏み入れた。
 といっても、夜だったし、目的を果たしたら、さっさと富山市内へ帰るので、実際は通り過ぎるだけである。
「蛍川」については、後日、改めて調べることとして、ここには宮本輝の小説『蛍川』(や『泥の河』)を読んでの感想文(というより小説の中味には立ち入らず、ほとんど思い出話の類いに留まっている)を再掲しておく。

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2008/06/11

マンディアルグ "オートバイ " の周囲を舐めてみる

 ピエール・ド・マンディアルグ著『オートバイ』(生田 耕作訳、白水社)を恐らくは四半世紀ぶりに読んだ。
 一昨年の暮れ、「マンディアルグ形而上下の愛に生き」なる拙文を書いたことがある。
 但し、これはマンディアルグの忌日を契機にしてのもの。
 今更、感想文を書くという気にはなれない。

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→ 「ハーレーダビッドソンFLH1200・エレクトラグライド ショベルヘッド」 映画や小説に登場するバイクと全く同一タイプかどうか不明。色合いも、さて。ショベルヘッドの「ショベル」とは、「ロッカーアームのカバーが「ショベル」に似ているところからニックネーム的に付けられてい」るとか。詳しくは、「ハーレーダビッドソン ショベルヘッドとは?」にて。

 以下、マンディアルグ『オートバイ』の、あくまで周辺をウロウロするので、本文(駄文)に進む前に、参考になるサイトを示しておく。
 例えば、下記など:
異端者の哀しみ ~マンディアルグ『オートバイ』論~  松浦綾夫
 映画の『あの胸にもういちど』に事寄せて:
883R :blog [パパサンアール・ブログ] 峰 不二子と、ハーレーダビッドソン

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2008/01/21

銀嶺創作メモ

ある種のアゴニー(agony:苦悶)?

 引き裂かれた感じとしか言いようのない感覚。気がついたら、物心付いたら既にもう開くべきでない、開くはずのない場所にポッカリと口が開いてしまっている感覚。

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 掌編ではいろんな世界を描いているが、半分以上は<ボク>モノだろうと思う。
 自分で書いてきたのに無責任ということになるのだろうが、丁寧に数えて見たことがないので、自分でも断言できない。
 初期の頃はそうでもなかったのに、段々、ガキもの、ボクものが増えてきているようで、近年は大半がボク(ガキ)ものの短編となっているようだ。
 何故なのだろう?

 創作に限らず書きたいという気持ちが止まないのは、時に寝る時間を削っても、あるいは疲れた体を引きずってでも、書くネタがあろうとなかろうと机に向うのは、向わせるのは、自分ではどうしようもない、引き裂かれているとう感覚、空白の崖下へと呑み込まれ落ち込んでいってしまっているという実感めいたものが、根源的に自分の中にあるからだ。

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2008/01/20

銀嶺創作日記

 昨夜、久しぶりに掌編(短い小説)を書いた。
 PCに向った時には既に夜半を回っていた。

 何を書くあてがあってPCに向うわけじゃない。
 というより、エッセイやレポートなどは一応はテーマがあって画面に向う…こともある。

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→ 霙(みぞれ)のような小雪の降る中、いつものように自転車でスーパーへ。買物を済ませて自転車のほうへ向ったら、小鳥が一羽、スーパーの敷地でエサ探ししていた。自分のエサなのだろうか、それとも、この鳥は親鳥で、ヒナのためのエサを探してる?

(実際には、タクシードライバーの現役をやっていた時も、ほとんど徒手で画面に向っていた。書くテーマは机に向かい、PCを立ち上げ、あちこちのブログやらミクシィやらを見て回って、さんざんジタバタした挙句、ようやく覚悟を決めて書く…いや、書こうとしていた。何か書くことがあろうがなかろうが、書くってのがノルマだった。しかも、翌日は仕事を控えているので、テーマの決定から資料・情報集めの、そして執筆の時間を含めてタイムリミットは2時間。夜半を回った二時にはPCを閉じるのだ。絶対に寝不足でタクシーの営業はしない。これは鉄則である。)

 が、創作となると、全く徒手空拳である。何もテーマは決めない。今日は書くと決めたら、書く。創作する。話を構想する。
 いや、実際には構想などしない。

 最初の一行を決める。それだけだ。
 あるいは、何か、その日、その時、気になった、あるいはふと浮んだ一言、何かのイメージ。それだけが頼りだ。

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2007/11/18

「ケプラーの夢(ソムニウム)」再び

 昨年の秋口、「ケプラーの夢(ソムニウム)」と題した記事を書いた。
 題名にあるとおり、「ケプラーの夢(ソムニウム)」が話の焦点なのだが、いかんせん、小生のこと、例によって例の如しで前置きが長い。
 肝心の話に入るまでの導入部が本文の半分を占めている。
 なので、ここに肝心の部分のみを若干の加筆の上、転記する。
 何を今更と思われるかもしれないが、拙稿「月探査機「かぐや」 打ち上げ迫る」のコメント欄に記したように、「「かぐや」ハイビジョンカメラによる映像「地球の入り(Earth-set)」」といったニュースが最近、ちょっと話題になったからである。

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→ 『ケプラーあこがれの星海航路』(平成16年 「カナリーホール」にての公演のチラシ画像) 詳しくは本稿の末尾近くを参照のこと。

ケプラーの夢(ソムニウム)

 渡辺正雄著の『文化としての近代科学』(講談社学術文庫)から話題を一つ。
 日曜日、列車中で読んでいて興味を引いたので、是非ともメモしておきたかったのだ。
 それは、表題にあるごとく、「ケプラーの夢」である。
 ケプラーとは、ヨハネス・ケプラーのこと。ソムニウムとは「夢)」の意。

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2007/11/17

「初恋の人を見た!」アップ

初恋の人を見た!」をアップしました。
 昨日、見た夢をちょっと駄文調に描いてみました。
 文中に掲げた画像は極め付けです。

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2007/11/13

「ウブ」アップ!

 創作作品「ウブ」をアップしました!

 本作は、「Mystery Circle 11/23締め切り出題 SMC 参加見送り作品」です。

 時間的な都合もあり、参加の意志を表明する機会を逸し、参加は叶わなかった。
 なので、創作上の縛りは、勝手に「数えきれない程の抵抗を試みた」を話の前後に付すことに。
 ただ、テーマ上の課題である「同性愛」 は盛り込めなかった。

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2007/11/10

ボードレールと「雲」とブーダンと (前篇)

[本稿は、10月26日に書きかけていたもの。ボードレールの世界を「雲」をキーワードにちらっと眺めてみたいということで書き起こしていたもの。「雪の関越道であわや遭難事件」の記事の作成などに追われ、半端なままに放置していた。拙稿の冒頭に題名の出てくる『雲の「発明」』など、10月末には読了している。この記事を書く過程で、ウジェーヌ・ブーダンという画家に魅せられたこともあり、彼の絵を挿画として幾つか載せていく。]

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← ウジェーヌ・ブーダン『満潮の波止場, トローヴィル
』(画像は、「 世界最大のポスター、絵画、写真の専門店!」と銘打っている「AllPosters.co.jp」より ) ブーダンというと帆船(ヨット)の絵が好きだという方が多いのでは。彼の絵に船が描かれていることが多いのは、それもそのはず、彼は「船乗りの息子として生まれ」たのである。

 リチャード・ハンブリン著の『雲の「発明」 気象学を創ったアマチュア科学者』(小田川佳子訳、扶桑社)を就寝前、寝起きの時にちびりちびりと読んでいる。
 面白い。雲の科学なんて、ちょっと敬遠気味だった自分が勿体無いことをしていたと後悔させられる。
 お蔭で、最近、雲(海、空、水、湖沼、鳥……)がマイブームである。
「種月耕雲」か「釣月耕雲」か(序)」なんて小難しい題名の雑文を書くことになったのも、気がつく人は気付いているだろうが、たまたま「耕雲」という言葉をテレビドラマの中で目にしたからである!

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2007/10/29

「夜という海」アップ

「夜という海」書いた」でお知らせしていた、短編「夜という海」アップしました。

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2007/10/25

「鳥の餌」へのアクセス

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 何故か、一昨年に書いた幻想風なナンセンス小説「鳥の餌」へのアクセスが多い。
 多分、「鳥 餌」などのキーワードでの検索でヒットしちゃうんだろう。
 せっかくなので、画像をサービス!

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「窓 辺 の 影」

[本稿は創作(旧稿)です。ただ、ふと、今の心境を現していると思えるので、旧稿を温める意味でもここに載せます。]

 何処ともしれない町を歩いていた。出歩くつもりなどなかったのに。
 北の方角の空を見上げると、ビルの屋上を覆うかのように、ボンヤリとした光があった。恐らくはその先に賑やかな繁華街でもあるのだろうと思われた。

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 俺は西に向って歩いていると思われた。背後の空の低いところに月が浮かんでいる。何処か赤っぽい印象を受けた。排気ガスで靄った大気が月を朧にさせている。そうでなかったら、まるで俺を追いかけるようにして何処までも付いて来る月に辟易したことだろう。

 でも、暈しの入った月など、屁でもない。ふん、何処までも、付いて来やがれ、である。

 もう、出来てから何十年も経つだろう黴臭そうなブロック塀に沿った道を歩いていた。街灯がないわけではないが、夏も終わりとなり、鬱蒼と生い茂った桜の葉っぱが光を地上へ届くのを阻んでいる。頭が蕩けそうなほど、蒸し暑い。
 道の先には蒼白いほどに照らし出された一角が望まれた。野球か何かのグラウンドだと思われた。こんな時間にも誰か使っているのだろうか。

 こんな時間…。一体、今は何時なのだろう。

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2007/10/23

「夜という海」書いた

Mystery Circle 10-27締め切り分出題」参加作品を書きました:
夜という海

 ルール上、公表は後日となります。(07/10/29にアップしました!)

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→ 一昨年の師走、未明の都内某住宅地にて

 主旨については、「Mystery Circle 10-27締め切り分出題」を御覧願います。

 小生に付いては、作品の冒頭と文末が下記と決まっています:
また長い夜になる」から始まって「もう水をやろうと元には戻りませんでした」に終る。

 締め切りは上記のように『10月27日(土)21:00』で、まだ時間的余裕はあるのですが、私事の都合上、小生は今日がタイムリミットだったので、夜半にせっせと書きあげました。
 まあ、例によって変てこな作風なのは間違いない!

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2007/10/11

日記と虚構の間を行ったり来たり

 内田康夫氏著の『 喪われた道』(角川文庫)を水曜日、読了した。
 本書に付いては、「サンバのため真面目にサボりました!(前篇)」の中で言及している。
 というのも、所沢でのサンバパレードへの電車での移動中に読み始めていたからだ。

 上掲の日記風レポートから関連する箇所を転記する:
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→ 10月6日の朝。都内某所にて。あと少しで朝焼けが望めたのだけど…。

 多少、迷ったが、電車の中では落ち着かないだろうということで、読みやすそうな内田康夫著の『 喪われた道』を選んだのだった。

 小生は、内田康夫さんのファンなのである(その理由の一端は、「同姓同名に惹かれて、あるいは杜の都」に書いた。内田康夫さんの本についての書評エッセイは、他に「内田康夫著『箸墓幻想』」などがある)。

 ちなみに、「内田康夫公認 浅見光彦倶楽部公式サイト」である「浅見光彦の家」で得た情報に拠ると、「中村俊介氏主演14作目となる、フジテレビ系列の浅見光彦シリーズ第28弾は『喪われた道』に決定しました。 だって!!
 偶然とはいえ、嬉しい情報である。
 この日記風レポートを書くための画像処理作業に相当程度時間が掛かったこと、そして昨夜来の疲れもあり、『喪われた道』はまだ、昨日、帰路の電車で読んだところで止まったままで、読了はいつになるか(つまり、次の外出がいつになるか)分からない。
 とにかく、本書はいかにも内田康夫さんらしい展開や雰囲気があり、ドラマ化が楽しみである。
 中村俊介さんという俳優さんも、小生は好感を持っている。このドラマに違和感を生じさせない。安心して見ることができる。


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2007/09/24

「あれは、オレのものだ!」書いたけど

Mystery Circle 9-22締め切り分出題」参加作品を書きました:
あれは、オレのものだ!

 ルール上、公表は後日となります。 → 27日、アップしました! 但し、題名は「一家団欒」です!

 主旨については、「Mystery Circle 9-22締め切り分出題」を御覧願います。

 小生に付いては、作品の冒頭と文末が下記と決まっています:

◎「近頃じゃテレビ・タレントも、嗚咽なんてことを知らないくらいだものな」
著者:国見弥一
◎不合理で不穏な混沌だ。

 昨夜になって、締め切りが過ぎていることを知り、夜半になって急遽、作りました。
 締め切りは25日に延期となったらしいのですが、24日は仕事。25日は個人的な所用で外出しないとならないので、作れるのは今だけと、せっせと作りましたとさ。

 ところで、22日の真夜中近く、あと一時間で23日という時点で、小生のココログ(@nifty)版のブログが(合算で)60万ヒット
 地味なサイトだけに、来訪し覗いていってくれた方々に感謝です!
無精庵徒然草
無精庵サンバ館
無精庵方丈記

 23日の夜、普段は買わない高値の刺身でちょっとお祝い。
 大好きなピザはダイエットの都合上、我慢。

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2007/09/11

短編「靴職人の夢」アップ!

[以下は[mixi] で昨夜半近くに書いた日記。そのまま転記します]

 今日、10日の昼前、一気に書きあげた短編をアップした。過日、あるドラマ(黒澤作品の「天国と地獄」)を見て、その主役が靴職人だったことを見て、靴か靴の職人をテーマに何か書きたいと思った。
 でも、何を書く。
 靴職人の世界も職人も何も知らないのに、どんなテーマで書く?

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→ 9日の午後、都内某公園にて。

 すると、靴には、全体重が圧し掛かることに気付いた(翌日の9日の営業中だったろうか)。
 これで一気に着想が膨らんだ。
 あとは、話の筋は例によって書きながら考える。書く前にストーリーを考えることなど自分にはありえない。

 というわけで、10日の午前、仕事を早退し、浮いた時間で一気呵成に書きあげたのだ:
靴職人の夢

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2007/09/06

短編「涸れない女」アップ!

 短編「涸れない女」、書きました。
 今朝(というか、既に正午近かったけど)、夢で目覚めた。
 なんと初恋の人が出た!
 出たって、幽霊じゃないけどさ。

 その夢を元に書き下ろしてみた。

 無論、夢に見たとおりには書いていません。また、実話でもない。
 ただ、心情についてだけは、やや奇妙だけどリアルに描いているとは言える。

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2007/09/03

短編「釣銭」書きました!(追記あり)

 短編「釣銭」を書きました。

 オレものですが、全くのナンセンスな物語。自分でも訳が分かりません。
 夜半になって発作的に書きあげました。

 8月31日の夜、営業中、車中での休憩時に見た夢が元になっているような気がします。


[追記:別ヴァージョン「ポケット一杯の小銭」を書いた (07/09/04)]
 9月3日、営業に出て一時間もしないうちに、夢の中の肝心の場面を思い出した。二人の女の間に割って入った…はずが、気がつくと、左側の女が男になっていた、という場面である。この驚きが目覚めてからも余韻となって脳裏の中を漂っていた。
 だから、9月2日の夜、とにかく、作品としての形にならず、ナンセンスなままに留まっても虚構作品として書き残しておこうという思いに繋がった。 
 が、書いている最中は肝心の場面が思い出せなかった。なので、自分でも中途半端な結末になってしまっていた。

 とりあえず、肝心の場面を思い出したので、短編「釣銭」の別ヴァージョン「ポケット一杯の小銭」を仕立てました。
 題名だけ読むと、青春小説のようだけど、依然としてナンセンスな夢小説であることに変りはありません!


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2007/08/30

「ウラ版・浅草レポート」書きました!

ウラ版・浅草レポート「敗軍の将、兵を語らず」」書きました。多少(相当?)、創作の部分があるので、虚構の館でアップしました。
私的第27回浅草サンバカーニバル」と併せてご笑味を。

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2007/08/24

「夕焼け雲」書きました

 掌編(短編)「夕焼け雲」書きました!

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2007/08/03

「ハーフロック」アップ!

 7月21日付けの日記「今日はNASVAへ」の中で小生は以下のようなことを書いている:

 前夜は、例によって遅くまでブログ書き。
 といっても、創作。「Mystery Circle 企画MC 《Funny story Mystery Circle》」に参加しようと、下記の条件に沿った創作をしようとした:
Mystery Circle 企画MC 《Funny story Mystery Circle》

 一読して分かるように、条件が細かすぎて、生真面目に条件を守っていたら、普通なら省くはずの情景(背景)描写に手間取り、肝心の話の中身になかなか入れない。
 背景説明だけで、小生が普段書く掌編の長さを越えてしまった。

Photo

→ ハーフロック(「ウイスキーを楽しむ ウイスキー・ミュージアム サントリー」より)

 とうとう、夜中の二時ごろ、ギブアップ!
 それから、慌てて就寝したのだけど、眠れない。
 小説を途中で頓挫させたという口惜しさがあったし、朝、7時に起きれるか心配だったし、あれこれ悶々としてしまい、寝入ったのは何時だったのだろう。しかも、夢をあれこれ見る!


 つまり、小生は20日の夜、せっせと創作を試みていたのだが、細かな条件に沿った背景を書き込むのに手間取り、とうとう書きあげられず、翌21日になんとか仕上げたのだった。
 小生にはちょっと苦手な分野で、掌編は大概、長くても二時間で書きあげるのが、二日に渡って仕上げる羽目に。

 当該頁で本作が8月1日、アップされたので、本日、拙ブログでもアップします:
ハーフロック

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2007/07/22

「月影に寄せて」アップ

 掌編「月影に寄せて」をアップしました。

雨だ! 創作だ!」で創作に励んだ、なんて書いていた奴。
 下記サイトにアップされたので、小生のブログでもアップ解禁です。


Mystery Circle」の「Mystery Circle 7-21締め切り分出題」参加作品です。
 拙稿である「月影に寄せて」や「地球照」(ホームページは、「Let's watch the star! 星見にいこてば」)などを参照。

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2007/07/21

今日はNASVAへ

[以下の日記は、ミクシィでの日記からの転記です。一部、改筆・加筆・改行してあります。]


今日はNASVAへ

 今日は、「自動車事故対策機構 NASVA」へ行って来た。

 個人タクシーの試験の申請をするには、無事故無違反5年以上などの資格のほか、健康診断など、さまざまな書類が要る。
 上記はその一つ。試験を受けるには受診してくる必要がある。

 朝は7時に起きた。休日にこんなに早く起きたのは久しぶりだ。携帯電話のアラームで起きたけど、ホント、起きれてよかった。ヒヤヒヤしていた。誰も起こしてくれないし。一人暮らしの辛さ。
 バイクでは行ったことがあるけど、電車では初めて。なので、電車の乗り継ぎでトラブルこともありえるし、朝食もとらず、慌しくも現地へ直行。

 すると、受付の30分前に到着。安心したら、急に腹が減った。

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2007/07/20

「愛の電化製品生活」書いた

 多分、多分に駄文な小品を書きました:
愛の電化製品生活

 掌編「虹の彼方に」を書いたら、バランスをとりたくなって!
 これら両方をあわせて読むと小生って奴が少しは分かる?!


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2007/07/19

創作を巡るエッセイあれこれ

 久しぶりに、「創作の世界の広さ思い知る」なんて創作を巡る雑文を綴った。
 数年毎に、創作意欲が高まったり、あるいは、創作すること、虚構作品を作ることを巡ってあれこれ随想をめぐらすことがある。
 以下、旧稿から関連する雑文を幾つか抜粋してみる。

[「読者のためか、自分のためか」より]
「読者のためか、自分のためか」ということになると、恐らくは自分のために書いているのだと感じます。読者を意識はしますが、それより書いている自分の興奮度や緊張度が高いかどうかを頼りに文章を考えます。
 普通は、多少なりとも構成を考え、多少なりとも、「承」「転」を考え、「結」を考えるのでしょうが、小生は、とにかくネタだけをまず、放り出します。一旦、放り出されたネタをころころ転がしているうちに「承」「転」に思い至るというわけです。
 こういう態度・姿勢ですから、無論、プロとは縁遠いわけです。
 (中略)
 虚構は、虚構であるが故に、思いっきり自分の中の、普通は表に出せないものを出しきれる表現手段だと思います。エッセイもコラムも、どうしても己の周辺の事実や己の関わる現実から離れることは難しいわけですが、虚構の中では恋もできるし、殺人もできる。
 ある種の、数学で言う虚数的な、もう一つの生き切れなかった現実を描ける楽しみが虚構世界を作る営為にはあるような気がします。
 で、きっと、才能があれば、読者を無視したかのような勝手な所業であっても、読者を楽しませることができるのでしょうね。
 才能とは、社会性に関わるもの。エゴに徹しエゴのために為しつつ、気がついたら他者のためでもある…、それが理想であるような気がします。
                        (02/10/01)

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2007/07/18

創作の世界の広さ思い知る

7月18日のミクシィ日記(コメント)から
 言葉って怖いよね。
 自分でブログなんて書いていながら、気付かないうちに舌足らずな表現になって、気付かないうちに人を傷付けたりしている…かも(誰も指摘してくれないと、そういう奴だって思われてお終いになる!)。

 創作でも、小生は実話はエッセイで小説は虚構(作り話)って決めているけど、それは、仮に実際にあったことが脳裏にあっても、書き出しの(冒頭の)数行を書いた時点で、その数行の言葉の連なりが命を持ってくる。
それらの一節の言葉がリアリティを持ってしまう。
 となると、ストーリーも、その冒頭のリアリティや使った言葉のイメージを背負ったものになる。
 で、ヒントや切っ掛けは実話であっても、それどころか実話に根差した話を書こうとしていても、気が付いたら、物語の森に迷い込んでしまっている。
 小生にとってストーリーって、物語の森からどうやって出口を見つけるかってこと、現実の世界へどう戻れるかってことみたい。
                          (以上、転記)

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→ 小ぬか雨の降る7月17日、都内某公園にて。花の名前は…。

 16日の夜半過ぎ、「虹の彼方に」という題名の掌編(短い小説)を書いた。
 ほぼ丸一日の営業を終え帰ってきて、某サイトの日記を読んだら、「言霊」という題名で気になる話が載っていた。
 残念ながら、人の日記なので内容を紹介するわけにはいかない。
 ただ、曲がりなりにも創作するのが好きなものとしては、言霊ということでなくても、言葉への関心、言葉の持つ力への感覚はちょっと敏感なものがある(と自分で思っているだけかもしれないが)。

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2007/07/17

「虹の彼方に」書きました

 掌編「虹の彼方に」を書きました。
 やや、切ないボクものの短編です。

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2007/07/14

雨だ! 創作だ!

 雨だ、創作だ、というわけないが、今日の夕方近く、創作に励んだ。
 今朝、未明までは営業で、午前中はベッドで過ごす。
 午後になって少しは疲れが抜けたかと思ったが、依然、グッタリしていて、食事を済ませてから再度、ロッキングチェアーで居眠り。
 午後の四時過ぎ、ようやく、何か書こうかなという気力が湧く。
 寝入る前に、下記の書き出しと締めの文句を脳裏にインプットしておいた。

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← 7月11日の夕方、日比谷公園で休憩しようとしたら、虹が! 慌ててデジカメを取りに車へ。戻ってきた時には虹は消えかかっていた。とりあえず撮ってみる。良く見ると、消える直前の虹が幽かに見える…はずだ!

 例によって、「Mystery Circle」の「Mystery Circle 7-21締め切り分出題」参加作品として書いたもの。
 書き出しは、「その顔は、月影で見るにはあまりに恐ろしかった。」で、最後は「ふいに扉が開き、真っ暗な部屋がぱっと明るくなった。 」で終えるという縛りがある。
 結構、話の辻褄を合わせるのが難しかったりする。
 でも、同時にこの縛りがマゾ的な(?)楽しみを産んだりする。不思議なものだ。
 寝入る前にインプットしたのは、上の二つの文句である。

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2007/07/02

「ブルームーン」…この酒は甘いぞ?!

 先月末、あるサイト内で、「ブルームーン」のことが話題に上っていた(フルムーンではない!)。
ブルームーン」とは、「みっちょんの ひとりごと ブルームーン」なるブログ(この頁には素敵な月の画像などが載っていて、読んでも観ても楽しい)の説明を参照させていただくと、「ひと月の間に2回満月があるとき、その2回目の満月が“ブルームーン”と呼ばれてい」るとのこと。
この“ブルームーン”という呼び名は、天文の正式な用語ではなく、定義もはっきりしていないようで、「めったに起こらないような珍しい出来事」の意味で、慣用句として使われることが多いようですね」ともある。
 その理由などは上掲の頁を覗いてみてほしい。

 東京に付いて言うと、残念ながら土曜日の夜は曇天で、夜半近くには雨も降り出していた。

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← 6月23日の夜、都内某所で撮ったもの。月影が撮れるとは期待していなかっただけに、嬉しい画像なので再掲。

 幻の青いバラに「ブルームーン」という銘柄があるようだが、さて、どんなブルーなのだろう(小生には、「幻の青いバラと女心」などのエッセイがある)。

 青い薔薇の画像というと、「ブルームーン - 花と実と魔女と」なる頁も素敵だ。

 さらに、「ブルー・ムーン」という名のカクテルがある。「「カクテル夜話」 ブルー・ムーン」によると、「ブルー・ムーンとは「珍しい出来事」 「めったにないこと」という意味」だとか。
「また、この言葉には「できない相談」という意味」もあるのだとか。
「女性向けのカクテル」というが、男性には時にほろ苦いカクテルなのかもしれない。

ブルームーン探偵社のページ」も参考になるかも(このドラマを昔、夜中に見ていたっけ)。

 さて、これらのことを予備知識に、小生が四年ほど前に書いた「ブルームーン」という掌編をここに載せておく。
 まあ、予備知識がなくとも読める、他愛もない小品である!

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2007/06/27

「丘の河童」アップ

丘の河童」アップしました。
「Mystery Circle」の夜」でお知らせしていたもの。
 路線的には、「いつか来た道」に近いかな。

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2007/06/23

「Mystery Circle」の夜

 金曜日、やっと、梅雨らしいシトシト雨となった。
 そんな中、小生は洗濯。
 小生は天気に関係なく洗濯する。雨に濡れたって構わない。そのうち、天気だって変わる。
 乾かない洗濯物はないのだ!

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← 6月22日(木)、芝公園にて。タンポポの綿毛も風に揺れていた。

 今日は、「Mystery Circle」での「6-23締め切りお題」に投稿する作品を書いた。
 課題は、冒頭(付近)に「列車の警笛がなりひびき、金属製の車輪が路線をとらえる音が、どんどん近づいた。」を、末尾(付近)に「そのあとは、何もかも真っ白になった。」なる文を入れるのが決まり。
 創作のテーマなどは自分で決めていい。

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→ 同じく、芝公園にて。昨日の雨は、紫陽花にとっても恵みの雨だったのだろうか。

 ということで、以前、書いた作品を多少、手直しして書いてみた。
 題名は、「丘の河童

 決まりがあって(「いらっしゃいませだよっ!!!」参照)、「Mystery Circle」で作品が公表されるまでは、自分のサイトでアップできない。
 ま、とにかく、今夜は、「Mystery Circle」の夜だったのだった。

 ちなみに、洗濯物、部屋の中で乾かした。結構、融通性のある小生なのだ?!

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2007/05/30

「ジャスミンの愛」アップ!

母の日にちなむ?」で5月13日、書きあげたと告げていた作品「ジャスミンの愛」をアップしました。
第二十三回 Mystery Circle」初(?)参加作品です(ホームページは、「Mystery Circle」)。他の書き手の作品も読める。さすが手練れさんたちだ。

Mystery Circle」の主旨は、「Mystery Circle いらっしゃいませだよっ!!!」を読んでね。
「初(?)参加作品」としたのは、「五月晴れの空へ」は、参加者でないのに、外野席から勝手に参加したという前歴があるから。
 正式な参加は、今回が初めて。

5月のお題
彼は、もしかしたら、飛びまわる灰に、どのような墓碑銘を付けるべきか、悩むかもしれない」 で、始まり、「私たちの世界を難しくしないでよ。とりわけ、私たちの世界を」 を 使って締めくくること。
お題の出典::『アニマル・ロジック』 著:山田詠美

<彼>が愛した(憎悪した)彼女の名前を「保美(やすみ)」としたのは、『アニマル・ロジック』を一読したらすぐ分かる。彼女への(彼の)愛を「ジャスミンの愛」としたのも、「ヤスミン→保美→ジャスミン」という分かりやすい構図。
ジャスミン」については、「心と体を癒すアロマテラピー」の中の「ジャスミン」がいい。「人の本能と結びついた生殖機能に対して、大変効果の高い精油」なのだとか。

 では、いざ、本文へ

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2007/05/12

コント「乗っていいのよ」書きました

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→ 「文が解くベートーヴェンの不滅の恋」なる記事の冒頭に載せたツツジの画像。同じ場所で撮影した、あるトレーラー風のトラックの雄姿。画像を拡大すると…。そんな便利な装置があったんだね。

 コント「乗っていいのよ」を書きました。
 コントと銘打っていますが、これがホントにコントなのか、そこんところ自分でもよく分かりません。今度、トコトン考えてみます。

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2007/05/05

掌編「五月晴れの空へ」書いた

 掌編「五月晴れの空へ」を書きました。
 小生には珍しく青春モノ。でも、マガイかな。
 何処かの町角で見かけた一瞬の光景から展開してみた…ような。

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→ 小川洋子著『余白の愛』(中公文庫) 小生は未読!

 なお、上掲の頁末にも注記してありますが、本稿は、下記の趣旨の催しに勝手に参加してみたものです(「STAND BY ME OUR HOUSE」参照のこと):

3月お題:「彼は足元の枯葉を蹴った。長い信号だった」 で始まり
それは冷凍室でかちかちにされた一切れのチーズのように、冷えきっていた」 を含む文章で締めくくること。

お題の出典:小川洋子著『余白の愛』(中公文庫)


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2007/04/25

春深し円をなぞってパイまみれ

まったりと過ごす日曜楽しかり」で紹介している上原ひろみさんのCD『ブレイン』( トニー・グレイ (演奏), マーティン・ヴァリホラ (演奏), アンソニー・ジャクソン (演奏) 、ユニバーサルミュージック)を聴きながら、以下の記事を書く。
 だからって、記事内容と上原ひろみさんのCD『ブレイン』とは、直接には何の関係も無い。

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← 上原ひろみブレイン』( トニー・グレイ (演奏), マーティン・ヴァリホラ (演奏), アンソニー・ジャクソン (演奏) 、ユニバーサルミュージック) 今日は、ずっとこのCDを聴いて過ごした…。

 ただ、ラジオでは何度か聴いたことがあっても、こうしてCDで繰り返し聴くのは初めてであり、小生には未体験ゾーンに誘われるような、不思議な感覚に身を委ねつつ書いているというに過ぎない。

 さて、「まったりと過ごす日曜楽しかり」では、デビッド・ブラットナー著『π[パイ]の神秘』(浅尾敦則訳、アーティストハウス) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より)も、書名程度だが紹介している。

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2007/04/23

まったりと過ごす日曜楽しかり

4月23日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗かせてもらうと、今日は、「サンジョルディの日,世界本の日」だという。
「スペイン・カタロニア地方には、この日、守護聖人サン・ジョルディを祭り、女性は男性に本を、男性は女性に赤いバラを贈る風習がある。この日は「ドン・キホーテ」の作者セルバンテスの命日でもあるため、スペインでは「本の日」とされている」とか。
 さらに、"世界図書・著作権デー(World Book and Copyright Day)"であり、「こども読書の日」でもあるとか。

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← 上原ひろみ『ブレイン』( トニー・グレイ (演奏), マーティン・ヴァリホラ (演奏), アンソニー・ジャクソン (演奏) 、ユニバーサルミュージック)

 とにかく、今日は本に縁の深い日のようだ。
 小生、こう見えても、少しは本を読む。
 が、本は買わなくなった。正確に言うと、買えなくなった。
 三年前の四月冒頭から本を買わない、もっと言うと、書店へは立ち入らないと決めたのである。小生なりの財政再建の真っ只中で、下手するとあと十年は続きそう。
 この三年間に全く本を買わなかったかというと、さにあらず。十冊は買っている。
 ただ、その大半は、同じく行くのを控えている美術展(画廊巡り)を、つい禁を破って参観に行き、売店で買ってしまった展覧会のカタログなのである。

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2007/04/16

雪国を夜窓に映し康成忌

 久しぶりに「4月16日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗いてみた。
「1889(明治22)年、20世紀最大の映画作家・喜劇俳優のチャールズ・チャップリンがイギリスで生まれた」ということで、「チャップリンデー」だったり、小生の好きなシンガーソングライターの河島英五さんが亡くなられた日だったりする。
 今日はまた、「康成忌」、つまり、「小説家・川端康成の1972(昭和47)年の忌日」でもある。
 小生にとっては、1972年は高校を卒業し大学生になった年であり、春には「連合赤軍、あさま山荘事件」絡みの報道がテレビを占領していた年であり、好きな人と遠く離れた年であり、まあ、いろいろあった年で、印象深い年なのである。

 川端康成は、「門下の三島由紀夫の割腹自殺等による強度の精神的動揺から、ガス自殺した」のだった。

 が、小生、この自殺の理由が全く、納得できない。
 というか、生来の中途半端さが邪魔をして、この辺りのことを探求してみたことがないのである。
 晩年の創造力の枯渇のゆえ? まさか、やや中途半端ではあるが<夭逝>を果たした三島に川端が嫉妬したというわけでもなかろうが…。

 だから…、本稿で、今になって多少なりとも探ってみるというわけではない。

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2007/04/09

あのゴミも浜辺に寄せし夢の文

 小生は10歳の頃から嗅覚に障害を負ってしまった。
 だから、匂いに鈍感。
 でも、だから、匂いや感覚(五感)の話題にやや敏感。
 これまでも匂いに関連する記事はあれこれと書いてきた。末尾に幾つか順不同で挙げておく。

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→ 「棕櫚の樹や麦の話と二毛作」のトップ画像「棕櫚(シュロ)」を真逆から撮ったもの。思いっきり、逆光! 念のために断っておくが、背後の館は他人の家である!

 ここでは、「匂いを体験する」(2006/02/26)を取っ掛かりにする。

 この記事では、「目で見る芸術としての絵画、耳で聞く芸術としての音楽はあるが、鼻で嗅ぐ芸術というものはない」云々という某人の問題意識や香水のことを話題にしているが、実のところ、記事の後半がメインである。
「小生は以前、一部屋のアパートに住んでいたが、珍しくユニットバスが付いている」まで頁を下げてもらいたい。
 ユニットバスの給水タンクの薬剤(小林製薬のブルーレット?)が引き金となって小生に巻き起こした異常に鮮明な感覚の覚醒事件なるエピソードが語られている。

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2007/04/03

快川紹喜…心頭滅却の意味如何に

 昨日、月曜日も黄砂がほぼ全国的にひどかったようだ。日本もひどいが中国本土はもっと凄まじい黄砂現象に見舞われているようである。
 来年の夏は北京オリンピックが開催される。黄砂被害が影響しないのかと懸念されるが、黄砂の時期は過ぎているだろうから、大丈夫なのだろう(か)。
(「中国では、BC1150年頃に「塵雨」と呼ばれていたことがわかっている。また、BC300年以後の黄砂の記録が残された書物もある」というから、黄砂の歴史はあまりに長い! さすがに四千年の文明を誇る国だと、妙なところで感心したり…。)

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← 格好いい!!(大河ドラマ「風林火山」)より

 久しぶりに「4月3日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗いてみた。覗く時は連日のように覗くが、覗かない時はまるで開こうとしない。
 どうやら、最近、朝方にNHKラジオ第一の5時半頃に放送される「今日は何の日」を聞き逃しているから、人に影響されやすい小生、上掲のサイトを開く気にならなかったものと思われる。
 さて、ぼんやり頁を眺め降ろしていくと、忌日の項に気になる記述があった:

1582年 快川紹喜 (臨済宗の僧)  織田信長に抗し自焼

 小生の勘違い・記憶違いでなかったら、快川紹喜というと、「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」で有名な禅僧ではなかったか。
(尤も、小生のあやふやな記憶の中では、「心頭滅却すれば火もまた涼し」だったはずだが…。)

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2007/03/20

愛本のちまきから泉鏡花の高野聖へ

 昨日のブログ記事「愛本のちまき…ラジオで聴いた話あれこれ」では、富山の民話である「愛本のちまき」にスポットを当てている。
 その末尾近くで、小生は次のように書いている:

「「赤子を産むが絶対に見ないで」と言い残し納戸に入っていきました。が、つい中を覗いてしまった母の目に映ったのは湯につかる大蛇でした」といった民話(伝説)を一読すると、古事記の須佐之男命(スサノオノミコト)や八俣の大蛇(オロチ)伝説を連想する。

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→『高野聖』(泉鏡花/原作 佐藤慶/朗読、新潮カセット&CD)

 その上で、「こうした伝説・民話(神話)の背景には(その一つとして)古代の人を苦しめた暴れ川との戦いがあるものと思われる」と、まあ誰でもが想像の付くようなことを蛇足ながら書いている。

 伝説(民話)などの詳細は当該の頁を読んでもらうとして、今日、下記のような追記を施した:

 あとで思い出したのだが、昔は蛇がやたらと多かった。町とはいいながら実質農村だった地域に生まれ育った小生だが、小生がガキの頃など、庭だろうが、家の土間だろうが、ちょっと掘ったり、敷いてある板を捲ると蛇がウニョーと姿を現すのはしばしばだった。まあ、今は農道も舗装されているが、当時は土の道が当たり前だったし、まだそれほど農薬も使われていなかったから、なのだろう、か。いずれにしても、蛇に限らず、ほんの数十年前までは蛇やミミズやカエルやヒルやカタツムリ、ネズミ、天道虫……と、生き物が民家の近くでも随分と多かった。人間以外の動植物との、望ましい、あるいは必ずしも望まない共生が自明だったことも、物語を育んだ土壌として理解しておいていいのだろう。

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2007/03/14

「沈 丁 花」余聞余分

今年も沈丁花が咲きました」にて、話の流れで旧作の「沈 丁 花」を当該記事の文末に載せている。
 その「沈 丁 花」にpfaelzerwein 氏よりコメントを戴いた。
 旧作だけあって、ホームページにアップした際にも別の方(S・Y氏)よりコメントを戴いていた(正確に言うと、本作は、数年前まであったニフティの文学(創作)のフォーラムにて最初に創作しつつアップ(03/09/30 )し、その後、ホームページにアップ(03/10/01)したもの。コメントは、フォーラムにアップさせた際にS・Y氏より戴いたものである。無精庵というは創作のフォーラムでの小生のハンドルネームである)。
 掌編の本文及び以前戴いたコメントは別窓に掲載しておいた。この時もS・Y氏に戴いた評にあれこれ思ったものだったが。

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← 今冬は東京には記録に残るような雪は降らなかった。その代わりというわけではないが、植え込みに小雪の降りかかったような情景などを……。

 今回、事情(ニフティにおける一部海外のIPアドレス規制か?)があってミラーサイトpfaelzerwein氏より戴いたものをここに転記する(本来は、ココログの当該の記事に寄せるはずだったという。pfaelzerwein氏のサイトは、「Wein, Weib und Gesang」)。

 浮き彫りにされている人称(自称・他称・不定称など)の混乱の問題は、以前にも他の方から(本作に寄せてではないが)指摘を受けたことがある。以下の問い掛けへのレスは、どうしたものか……。著作権者であろうはずの小生(創作時の小生は、若干、飛んでいるので、雲を摑むような存在だ!)らしく保留にしておく!:

オレはオレのオレ自身のもの  by pfaelzerwein

いつもながら若々しい感性に驚いています。東京都知事選出馬とはいかがしょう。日活青春映画のワンシーンのようですね。なので、これを俺シリーズでなくて三人称に読み変えてみますと、「何故?」にの効果が強まるようです。それとも「沈丁花」の香りも含めて一般化してしまうと、やはり趣旨に反するのか?

「オレははっきりと、いつのことだったかを覚えている」のオレと、「オレはあの時、どうして彼女を拒否した? 」のオレと、「オレは彼女が好き」のオレは各々違うオレですね。オレの混用は、最終的に語り手オレを浮き出させる事になりますが、すると最も興味を抱かせる「何故?」の問い掛けはオレのオレ自身のものになりますね。そこで自閉してしまうと、タイトルの「沈丁花」の香りも広がらずに閉じてしまう。このあたりの具合の悪さが、創作意図にもなっているように察しましたがどうでしょうか?

「沈丁花の小花の束に顔を埋めて」いるのは二番目のオレで正解と思いますが、どうでしょう。著作権者の反応が楽しみです。


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2007/03/09

今年も沈丁花が咲きました

 このところ、沈丁花の話題をあちこちのブログで目にする。
 そういえば、小生の居住している邸宅(集合住宅と呼称する輩もいるが)の門前に沈丁花が咲いていることに、徹夜仕事を終え早朝に帰宅した際、気づいた。
 まだ薄暗い時間帯だったが、エントランスの明かりや街灯の明かりに、沈丁花のその小さな花々が白く清楚に浮かび上がっていた。
 恐らくは、前日の朝、出かけるときにも咲いていたはずなのだが、まるで記憶にない。

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→ 石川さゆり「沈丁花」(作詩:東海林良 作曲:大野克夫)

 沈丁花というと、その可憐な白い花の健気さもさることながら、その香りに特徴がある。
 ……というか、そんな特色が挙げられることが多い。

 小生には、「「匂い」のこと…原始への渇望」なる雑文がある。
 その中に、下記のような部分がある:

 季語随筆などを書き綴っていて、季語や俳句に纏わる様々な植物を扱うと、素敵な香りを放つという話に往々にしてなる。街中を散歩していて、ふと、金木犀の香りが漂ってきたので…とか、沈丁花の香りがする、一体、何処から香ってくるのか、香りを辿っていくと、そこに沈丁花が咲いていた、なんて記述に出会ったりすると、そうなのか、羨ましいな、そんなことがあるのかと感動してしまう。
 健常な人は、そうなのか、自分にはそんな経験はまず、ない。

 何故に、「香りを辿っていくと、そこに沈丁花が咲いていた、なんて記述に出会ったりする…と、羨ましい」のかは、上掲の記事を覗いてみて欲しい。

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2007/02/06

「あの場所から」書いた

あの場所から」を書きました。
あれは夢ではなかった」に続く、オレもの。
 悲恋モノなのだろうか。

 なお、『オーランドー ある伝記』(川本静子/訳、ヴァージニア・ウルフ コレクション、みすず書房刊)を読了。
 眩暈のしそうな小説だった。

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2007/02/04

妖怪に容喙しての要悔悟

 ようやく待望の(!)週末、連休がやってきた。正月以来のハードな営業の日々も一段落。昨日の土曜日の朝から今日の昼近くまで寝たり起きたり、ロッキングチェアーとベッドとを往復する、まさにグロッキー状態だった。
 今日の昼過ぎになって、頭は(いつものように?)ぼんやりだが、一応、眠気と疲労感は薄らいでいる。
 お陰で買い物も行けず、昨日からは買い置きのもの、有り合わせの物で空腹を誤魔化す。
 カップ麺(夕食も今日の昼食も)にパック入りの鱈にビスケットに…。
 
 さて、お馴染み「2月4日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗くと、あれこれ気になる事項・人物が載っている。
 既に採り上げた人物もいるが(岡田節人や加藤剛)、関心がありいつかは採り上げたいと思いつつも手が出せずに来た、喜多郎や伊東深水などなどがいる。

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→ Women with a Parrot 1952 「フランス国立 フェルナン・レジェ美術館」より。中学の時、複製で観たのは、これではないが、こんな風な……。

 最終的に誰にすべきか迷った候補は、共に今日が誕生日のフェルナン・レジェ(Fernand Léger: 1881年2月4日-1955年8月14日)と井上円了(井上圓了、1858年生まれ)だった。
 フランスの画家であるフェルナン・レジェの画は、確か、中学生時代に取っていた「蛍雪時代」の付録として彼の複製画が挟まれていたのを観たのが最初だったと思う(曖昧)。
 フェルナン・レジェの画は、(当時の小生には)あまりに奇怪な絵。

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2007/02/03

あれこれとくねり捩(よじ)って書いてきた

[テーマは、ミミズ(漢方薬としての)かな。相手がミミズだけに、焦点が定まらん!]

 小生、いろんなタイプの話を創作している。
 ただ、最近、何故か<ボク>モノを書く機会が増えているので、小生の人品もそのようなものだと思われがちである。
 実際には、「無精庵方丈記」のカテゴリー欄を見てもらったら分かるのだが、<ボク>路線、<オレ>路線などなど、それなりに多彩(?)な作品群を書いてきている。

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← 中村 方子著『ヒトとミミズの生活誌 歴史文化ライブラリー〈31〉』(吉川弘文館)

 ボク路線に限ってもいろいろ。
 小生の幼い頃(ボクと自称していた頃)のほのぼのとした思い出話を書いたかのような作品群の延長で、「ボクの金閣寺」とか「花火大会の夜に」、あるいは「メロンの月」などがこうした作品ということになろうか。
雪人形」や「兄ちゃんの姫始め」「いつか来た道」などは、この子がそのまま育っていったら、危ない奴になるのだろう、あるいは碌でもない奴の幼い頃ってのは、こんな風だったのかもといった趣向の作品群である。

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2007/02/01

怪談は封印したの怖いのよ

[テーマは、「白いドレスの女」?]

 昨日は営業の日。久しぶりにやや長距離のお客さんが付いて、車中ではずっとお喋り。
 その内容は、堅苦しく言うと職業上知りえた秘密ということで、まあ、小生の脳裏に残っているだけ。それも、既に大半は薄れ行きつつある。
 まあ、お客さんがお喋り好きということ、そして好奇心旺盛な方だったので、小生への質問が多かったとは言える。
 よって、小生の返事へのレスが折々お客さんからあるばかりで、その意味で、昨夜の話を録音しておいて、再生したって、実害(?)が及びえるのは小生のみなのだろうが。

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← Burnat-Provins, Marguerite(1872 - 1952)Les êtres de l'abîme, 18 mai 1921.  aquarelle et mine de plomb sur papier, 42 x 45.5 cm.(「Collection de l'Art Brut」より)

 一時間ほどのドライブの末、そろそろ目的地に近づこうという頃、幽霊の話が出てきた。幽霊を信じるか云々。
 あまり込み入った話など車中では(小生は真面目に真剣に運転中だった!)難しい。
 幽霊が存在するか否かは…。信じる人の心中には存在するだろうと無難な返事をしておいた。
 小生は一人暮らし。
 仕事を終え外出から帰宅すると、部屋は真っ暗。冬など寒い。
 夜、寝る時には、人によっては明かりを灯したまま、という人も居るとか。

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2007/01/21

「ボクの金閣寺」へ

 もしかしたら、あの日からなのかもしれない。物語ることを夢見るようになったのは。
 或る日、テレビでだったろうか、金閣寺が炎上する場面を観たのだった。
 幼かった私はドラマの中の話だとは気づかなかった節がある:
ボクの金閣寺

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2007/01/20

掌編、書きました

 掌編作品「ピアノの音は悪魔の囁き」を書きました。

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2007/01/14

掌編を書きました

 掌編「図書館へ行こう!」を書きました。

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2006/11/05

掌編を書きました

 オレもの系掌編を書きました:
悪夢ですらなかった!

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2006/08/03

雪人形

[創作:幻想:ボクモノ]

 本作は、8月5日、本来の創作の場である「無精庵方丈記」に転載しました。

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2006/07/30

「花火大会の夜に」のこと

 掌編「花火大会の夜に」は、無精庵方丈記に転載しました。
 この無精庵徒然草だと、思い出を描いた作品と誤解される恐れがあるという指摘もあって、その可能性もあるかなと思ったのです。
 一応、ジャンルとして「創作・虚構・物語、ボクもの」と表示し、文中の画像への説明文に掌編と明記はしておいたのですが。

 まあ、あまりに衝動的にというか、発作的に書きたくなったので、本来の創作作品公表の場を選択するのも面倒で、思い浮かぶままに書いたものです。
 日頃、無精庵徒然草の「記事を編集する」という画面を開いて、さて、今日は何を書こうかなと考えるのが小生の流儀。

 で、何を書くかアイデアに詰まっていたところ、ホームページの画像掲示板に珍しく久しぶりの画像投稿が! もう、嬉しくて飛びついてしまいました。
 花火の画像を見ているうちに、何かの着想がムラムラと…。
 白い画面を前にして、切羽詰らないと書く気になれないのが性分なんだね。

 なんとなくだけど、最近、また、創作欲が湧いて来たみたい。一昨年、年間掌編百篇を宣言し実現したはいいけど、その反動が大きくて、昨年、そして今年と創作する気力が萎えていたみたい。
 ようやく、傷(?)が癒えてきたのかな。
 これから、無精庵徒然草で一般の記事を書こうと思って「記事を編集する」という画面を開いても、衝動的発作的に創作作品を書き付けるケースが徐々に増えてくるかもしれない。
 その場合、とりあえず、書くだけ書いて、ジャンルで創作だということを銘記するのは無論のこと、冒頭にも創作だということを明記しておくようにします。

(念のために断っておくと、小生、実話はエッセイなど一般の記事に書く創作には原則として実話は書かない。せいぜい、物語を書く題材の一部として採り入れるだけ、というのが基本方針です。何故なら、創作(虚構)作品では、想像力を自由に羽ばたかせたいからです。)

 ところで、この作品の番外編、チャンスがあったら、書きたいな。

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