2016/01/12

オリオンの真下春立つ雪の宿

 真っ先に断っておくが、表題に掲げた句は、今日の日記の主人公である、前田普羅のものである。
 どうやら、旧奥田村の道を歩き回りつつ、まさに奥田村から立山連峰を眺めたりして詠んだ句のようである。
 雪の宿は、雪の降り積もった普羅の家のこと。

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← 中坪 達哉 (著) 『前田普羅―その求道の詩魂』(桂書房)

 さて、ここからが本題である。
 過日、「奥田村における國重知事の住居について」といった記事を書いた。
 我が郷里を含む地域の古い地名である「奥田村」に在住していた知名人ということで、國重知事が取り上げられていた。どうやら、知事の公館の正確な場所を確かめる資料が見出せなかったらしい。
 県の公文書館でも分からなかった、という返答だったらしい。

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2014/04/29

苧環や風に清楚の花紡ぐ

 今朝、庭を歩いていたら、苧環 (おだまき)の花がとうとう咲いているのが目に留まった。まだ一輪だけだが、これからドンドン咲き揃っていくだろう。

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→ 今朝、苧環の花が一輪、咲いていた。

 つい先日、紫色の蕾に気付いたばかり。椿の赤紫色の花の時期がほぼ終わって、また地味な色合いの庭になりそうだったのが、ジャーマンアイリスに続き、この苧環の開花で彩ってもらえる。
 今日、気づいた花には、ムラサキツユクサも。一輪だけ、咲いている。この花は長く咲いていてくれる。

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2014/04/25

木蓮は一億年の夢と咲く

 我が家の近所の家の庭には、白木蓮の木が一本ある。四月早々だったか大ぶりの真っ白な花が開花。
 花びらが散るごとに路上に舞う。時には我が家の庭にも舞い込んでくる。

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 開花が済むと、葉っぱが芽吹いてくる。
「開花しているときの風景は、白い小鳥がいっぱい木に止まっているように見える」(「季節の花 300」より)のは誰しものようで、小生も以下のような句を詠んだことがある:

白木蓮小鳥の憩う宵ならん

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2014/04/22

雨音を窓越しに聴く日長かな

人知れず鼓(つづみ)鳴らせし風ならん      いかにも路傍にひっそりと生えているたんぽぽ。誰にも聞こえないような鼓の音が風に紛れていく。ちなみに、「江戸時代にはタンポポはツヅミグサ(鼓草)と呼ばれていた」。   4月22日

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→ 裏庭のたんぽぽ 帰郷して間もない五年前の春に撮影。 (画像は、拙稿「たんぽぽの句? 苦?」参照)

吾輩の書く句は、あくまでただの句です。季語は意識してもこだわりはしない。季節感のなくなってきた今日、言葉への感覚も変わるはず。ただただ気ままに句作する。    04/21

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2014/02/23

おのが身の闇より吠えて

 暇の徒然というわけではないが、20日と22日の営業の最中、車中にて萩原朔太郎著の『郷愁の詩人 与謝蕪村』(岩波文庫)を読了した。

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← ゴンチャロフ【作】『 断崖〈4〉 (改版)』(井上 満【訳】 岩波文庫) 第四巻目にして、物語は佳境に。ようやく。本巻には、「晩年ゴンチャロフが自作について述べた「おそ蒔きながら」を収録」とか。(画像は、「断崖 4 - ゴンチャロフ【作】-井上 満【訳】 - 紀伊國屋書店ウェブストア」より)

 詩人萩原朔太郎のファンではなく(一応は、「月に吠える」などは通読したこと二度。でも、感情移入できず)、蕪村の句集ということで、本書を手にした。

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2011/10/24

我が家の庭はススキの野に…(後編)

 こうした自身による評釈を読むたび思うのだが、句を嗜まれる方は、人の句であれ自分の句に対してであれ、短文での解説の如何が非常に重要のようだ。
 簡潔な解説の中に凝縮された情報が篭められ、同時に独自な視点と観察に裏打ちされ、且つ、読むに味わい深くないといけないのである。

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→ こんなに地味な外観の植物もあまりないだろう。だけど、なぜか惹かれてならない風情がある。

 句だけをポンと出されるのも小気味いいが、句と短文のコラボも楽しいものだ。そこに俳画のような絵などが水彩か墨でサッと描かれて添えられていたら、もう、成功は間違いない。
 成功とは何かが問題かもしれないが、とりあえずの注目は期待できる。小生にとっても句を詠んでもらうためにも、練れた文章表現は課題の一つである。

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2011/07/20

朝顔 ゴーヤと競り合うほどに(前編)

 車道に面する花壇に植えた朝顔の生長が頼もしい。
 緑のカーテンを作る名目で苗を植えたものだが、緑のカーテンのほうは、専らゴーヤに任せ、朝顔はどちらかというと、観賞用を目的に育ててきた。

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← ゴーヤと競り合うようにして育っている朝顔。もう、ネットの天辺まで達してしまっている。

 その朝顔の育ちが想像というか期待以上のものがあるのだ。
 尤も、苗は3つ、植えたが、育ちが著しいのは一輪だけで、他の二つのうち、一つはなかなか頑張ってくれているし、ツルも伸びているのだが、残りの一つは、苗のときの大きさに比べ、ようやく3倍ほどに育っただけ。

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2010/12/26

雪掻きの褒美は体の火照り

 今朝未明、どうにも眠れなかったこともあり、三時ごろだったろうか、やおら起き出して、雪掻き!
 なぜ、思い立ったようにこんなことをしたか。

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→ 雪の降り出す数日前、とある橋から見下ろすと水鳥たちが。この日は麗らかな日和だったけど、昨日からの寒波の中、今頃どこで過ごしているのやら。野鳥たちは、雪の中、餌が見つからないのか、今までは見向きもしなかった、木の実をせっせと啄ばんでいた。

雪降りし木の実啄ばむ鳥一羽   (や)

  前日、矢来の激しい雪に、真夜中過ぎには降雪量20センチを越えていた。
未明には起き出して、新聞配達する人のために除雪しておこうと思ったけれど、寒さに負けて毛布に包まる温みから抜け出せず、起きたら八時をとっくに回っていた。

 新聞を取り出しに外に出たら、新雪には配達人の足跡が点々と、はっきり残っている。

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2010/04/19

ル・クレジオ 空を飛ぶ少年

 昨日の日記「空を飛ぶ夢を叶えるには」では、飛行機や気球などの機械や大袈裟な道具を使わず空を飛びたいという人類の夢について呟いてみた。
 その際、日記ではアメリカの大統領が昨日発表した、人類を火星にという構想に触発されて書いたかのような形になっている。

 が、実際は違う。

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→ 例によって今朝も、明けゆく東の空を横目に家路を急いだ。

 それだけだったら、ちょっと興味深いニュースということでスルーしていただろう。

 実は、今読んでいるJ・M・G・ル・クレジオ著の『地上の見知らぬ少年』 (鈴木 雅生 訳 河出書房新社)の中の一節に接して、やや大袈裟な表現を使うと共感・同感し快哉を叫ぶという心境に突き動かされて書いたのである。

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2010/01/31

「やいっち純情句集」より

 今日は趣向を変えて、小生が数年前から嗜んでいる(?)句作なる営為から、初期の作品を幾つか紹介する。
 種々雑多な句の数々をアトランダムに。
 ツイッターで紹介したが反響は全くなかった!

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← 数年前、偶然、小生が目撃した真夜中に活躍するサンタさんの光景。配達するのって大変だよね。

 句と言いながらも、俳句でもなく川柳とも呼べず、標語のようでもあり警句にはピシッと来る感が足りない、サラ川と言い張るには経験不足の感が否めない、そんな宙ぶらりんな世界。
 まさに小生の中途半端な性分丸出しの句境(苦境?)を現すかのようでもある。

 ま、詠み手へのサービス精神より、作るのが楽しいってことだ。

 念のために断っておくが、文末の註を読んでおいたほうがいいかもしれない(読んでも意味はあまりないが)。

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