2023/05/26

ナイチンゲールのローズ・ダイアグラム

 ← 鎌田浩毅著『揺れる大地を賢く生きる 京大地球科学教授の最終講義』(角川新書) 「次代に遺すべきものを問う、思考を深める不朽の最終講義と不磨の一級資料が並び立つ!人気教授による白熱の最終講義」

 昨日の休日は晴れ、しかも空気が乾いているのか風が心地いい。お出かけ日和だが、せいぜい買い物に終始し、あとは庭仕事。例によって生ごみをコンポストに捨てに行っただけなのに、気が付いたら昼前から三時間も。サンダルに無帽、素手、マスクなし、部屋着のまま。雑草取りもだが、伸びた枝葉を剪定。

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2020/07/29

蝉時雨に梅雨明けを予感する

Niwa1_20200729203701 ← 裏手への小道。緑濃い。観ている分には眼に優しいが、草むしりや剪定作業が待っている。

  一週間ぶり銭湯へ。垢擦りもしたし、皮膚が生き返ったよう。自転車をゆっくり転がしながら、髪を乾かすってのが気持ちいい。

洗い髪夕暮れの風に靡かせる

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2019/07/09

アレホ・カルペンティエール『バロック協奏曲』へ

617vd9iipl2_20190709202801 ← 山口 誓子 (著) 『俳句の心』 (毎日新聞社 (1975)日本の心シリーズ)

山口誓子 - Wikipedia」によると、「1901年(明治34年) - 1994年(平成6年))は京都府出身の俳人。本名は新比古(ちかひこ)。高浜虚子に師事。昭和初期に水原秋桜子、高野素十、阿波野青畝とともに「ホトトギスの四S」とされたが、のちに同誌を離反した秋桜子に従い「ホトトギス」を離脱。従来の俳句にはなかった都会的な素材、知的・即物的な句風、映画理論に基づく連作俳句の試みなどにより、秋桜子とともに新興俳句運動の指導的存在となる。戦後は「天狼」を主宰し現代俳句を牽引した」とか。

 日野草城、水原秋桜子、川田順、富安風生、中田みづほ、山口青邨、西東三鬼、秋元不死男ら、関わった人物群がさすが。若いころ、住友の社員だったり嘱託として俳句に勤しんだという。住友の懐の広さを感じる。本書は父の蔵書。書庫から引っ張り出してきた。父はサラリーマン時代、俳句に凝っていた。同人誌にも関わっていた。同人らは、箱入りの立派な装丁の句集をたぶん、自費出版している。我が家には20冊もの句集がある。父もいつかは出したかったのだろうか。

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2016/01/12

オリオンの真下春立つ雪の宿

 真っ先に断っておくが、表題に掲げた句は、今日の日記の主人公である、前田普羅のものである。
 どうやら、旧奥田村の道を歩き回りつつ、まさに奥田村から立山連峰を眺めたりして詠んだ句のようである。
 雪の宿は、雪の降り積もった普羅の家のこと。

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← 中坪 達哉 (著) 『前田普羅―その求道の詩魂』(桂書房)

 さて、ここからが本題である。
 過日、「奥田村における國重知事の住居について」といった記事を書いた。
 我が郷里を含む地域の古い地名である「奥田村」に在住していた知名人ということで、國重知事が取り上げられていた。どうやら、知事の公館の正確な場所を確かめる資料が見出せなかったらしい。
 県の公文書館でも分からなかった、という返答だったらしい。

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2014/04/29

苧環や風に清楚の花紡ぐ

 今朝、庭を歩いていたら、苧環 (おだまき)の花がとうとう咲いているのが目に留まった。まだ一輪だけだが、これからドンドン咲き揃っていくだろう。

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→ 今朝、苧環の花が一輪、咲いていた。

 つい先日、紫色の蕾に気付いたばかり。椿の赤紫色の花の時期がほぼ終わって、また地味な色合いの庭になりそうだったのが、ジャーマンアイリスに続き、この苧環の開花で彩ってもらえる。
 今日、気づいた花には、ムラサキツユクサも。一輪だけ、咲いている。この花は長く咲いていてくれる。

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2014/04/25

木蓮は一億年の夢と咲く

 我が家の近所の家の庭には、白木蓮の木が一本ある。四月早々だったか大ぶりの真っ白な花が開花。
 花びらが散るごとに路上に舞う。時には我が家の庭にも舞い込んでくる。

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 開花が済むと、葉っぱが芽吹いてくる。
「開花しているときの風景は、白い小鳥がいっぱい木に止まっているように見える」(「季節の花 300」より)のは誰しものようで、小生も以下のような句を詠んだことがある:

白木蓮小鳥の憩う宵ならん

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2014/04/22

雨音を窓越しに聴く日長かな

人知れず鼓(つづみ)鳴らせし風ならん      いかにも路傍にひっそりと生えているたんぽぽ。誰にも聞こえないような鼓の音が風に紛れていく。ちなみに、「江戸時代にはタンポポはツヅミグサ(鼓草)と呼ばれていた」。   4月22日

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→ 裏庭のたんぽぽ 帰郷して間もない五年前の春に撮影。 (画像は、拙稿「たんぽぽの句? 苦?」参照)

吾輩の書く句は、あくまでただの句です。季語は意識してもこだわりはしない。季節感のなくなってきた今日、言葉への感覚も変わるはず。ただただ気ままに句作する。    04/21

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2014/02/23

おのが身の闇より吠えて

 暇の徒然というわけではないが、20日と22日の営業の最中、車中にて萩原朔太郎著の『郷愁の詩人 与謝蕪村』(岩波文庫)を読了した。

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← ゴンチャロフ【作】『 断崖〈4〉 (改版)』(井上 満【訳】 岩波文庫) 第四巻目にして、物語は佳境に。ようやく。本巻には、「晩年ゴンチャロフが自作について述べた「おそ蒔きながら」を収録」とか。(画像は、「断崖 4 - ゴンチャロフ【作】-井上 満【訳】 - 紀伊國屋書店ウェブストア」より)

 詩人萩原朔太郎のファンではなく(一応は、「月に吠える」などは通読したこと二度。でも、感情移入できず)、蕪村の句集ということで、本書を手にした。

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2011/10/24

我が家の庭はススキの野に…(後編)

 こうした自身による評釈を読むたび思うのだが、句を嗜まれる方は、人の句であれ自分の句に対してであれ、短文での解説の如何が非常に重要のようだ。
 簡潔な解説の中に凝縮された情報が篭められ、同時に独自な視点と観察に裏打ちされ、且つ、読むに味わい深くないといけないのである。

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→ こんなに地味な外観の植物もあまりないだろう。だけど、なぜか惹かれてならない風情がある。

 句だけをポンと出されるのも小気味いいが、句と短文のコラボも楽しいものだ。そこに俳画のような絵などが水彩か墨でサッと描かれて添えられていたら、もう、成功は間違いない。
 成功とは何かが問題かもしれないが、とりあえずの注目は期待できる。小生にとっても句を詠んでもらうためにも、練れた文章表現は課題の一つである。

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2011/07/20

朝顔 ゴーヤと競り合うほどに(前編)

 車道に面する花壇に植えた朝顔の生長が頼もしい。
 緑のカーテンを作る名目で苗を植えたものだが、緑のカーテンのほうは、専らゴーヤに任せ、朝顔はどちらかというと、観賞用を目的に育ててきた。

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← ゴーヤと競り合うようにして育っている朝顔。もう、ネットの天辺まで達してしまっている。

 その朝顔の育ちが想像というか期待以上のものがあるのだ。
 尤も、苗は3つ、植えたが、育ちが著しいのは一輪だけで、他の二つのうち、一つはなかなか頑張ってくれているし、ツルも伸びているのだが、残りの一つは、苗のときの大きさに比べ、ようやく3倍ほどに育っただけ。

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