2008/05/13

お地蔵さん……ん?(後篇)

 それにしても、富山は文化圏としては、関西のような関東のような曖昧な領域である。富山平野の真ん中に呉羽山(小高い山の連なり)があり、その西側が関西圏であり、東側は関東圏(少なくとも関西圏からは外れがち。というより見放されがち)だったりすることが多い。

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→ 一昨年の五月下旬、大田区の某所にて撮影。ある商店の軒下。お地蔵さんでもお堂でもなくて、可愛いので撮ってみた。

 小生の住むのは呉羽の東側(これを呉東=ごとう、と称する)であり、関西圏には入らない(但しお袋は高岡の出身で関西圏。父は生粋の呉東の人間である)。呉羽山を境に文化圏が富山でも分かれるのは、呉羽山の西側は加賀・前田家の領地であり、東側は前田家でも支流の家の領地で、(加賀藩に搾取され)文化的にも経済的にも困窮し、そもそも文化的な僻地だった。それゆえに実利的な気風が育まれた(なのに小生が能天気なのは、何故なのだ!)

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2008/04/28

ブーケ・トスはガーターどす!

 過日、知人の結婚式、そして披露宴に参列してきた。
 結婚式は神社での神前結婚式、披露宴は料亭なのか旅館なのか、傍を道路を挟んで川が流れる、落ち着いた佇まいの、これまた純和風だった。

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→ 披露宴のテーブル上にあったブーケ。玄関に鎮座。決して、ブーケ・トスされたブーケではない!

 挙式は午後の一時から、披露宴は午後の二時からで、すべて滞りなく執り行われた。

 花婿・花嫁から披露宴などのコーディネーターの方へ感謝の言葉(贈り物?)を披露宴の各イベントの途中(終わりごろ)に贈ったくらいで、挙式は厳かな雰囲気の中にも和気藹々の気分も漂っていて、素晴らしい披露宴だったように思う。

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2008/04/20

無言坂…早く昔になればいい

 今年、小生の大好きな歌手香西かおりさんが富山にやってくる(以下、例によって敬愛の念を籠めつつ、敬称を略させてもらう)。

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→ 香西かおり『無言坂』 (CDジャケット画像は、「かおり倶楽部」より)

伍代夏子・香西かおり ジョイントコンサート~二人の美艶歌~

◆開催日  2008年6月13日(金)
◆開催場所 オーバード・ホール
◆開催時間 昼の部 午後2時開演 夜の部 午後6時30分開演

 困窮していて、読書好きな小生なのに、今年に入って文庫本を一冊買うのがやっとの始末。六月に催される伍代夏子とのジョイントコンサートも、チケットを買うなんて夢のまた夢である。
 ああ、でも、せっかくの機会なのだ…。

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2008/04/17

飛越地震から150年

 今年は、「飛越地震(ひえつじしん)」があった年から150年目に当たる。
 発生したのは、1858年4月9日(旧暦:安政5年2月26日)で、「跡津川断層(富山県~岐阜県)を震源に発生した大地震」である。
「安政5年に発生したことから、「安政飛越地震(あんせいひえつじしん)」と呼ぶこともある」という。

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→ 「立山大鳶山抜図」(画像は、「日本地震学会:なゐふる:vol.29 (5-8) 絵図から情報を汲む 第4回 飛越地震と大鳶崩れ」より)

飛越地震 - Wikipedia」によると:

北陸地方(福井県、石川県、富山県)を中心に、中部地方北部の広域で甚大な被害を齎した。マグニチュードはM6~7を記録したとされている。家屋の倒壊も著しく、200~300人もの死者が出る大惨事となった。また、富山県の立山連峰では、日本三大山岳崩壊ともいわれている鳶山崩れが発生し、鳶山の一部だった大鳶山と小鳶山が消滅、立山カルデラに大量の土砂が流れ込むこととなった。現在でも、大量の土砂が立山カルデラに残っており、流出してしまうと富山平野が土砂で埋没するという(砂防工事が行われているため、すぐに土砂が流出することはない)。

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2008/04/16

富山のタクシー/運転代行事情

 小生は東京でタクシードライバーとして12年と3ヶ月ほど働いてきたこともあり、郷里の富山に帰ってきても、富山のタクシー事情がどうしても気に掛かる。
 なのでそのうちに(まだ事情がつかみきれない面が多そうで基本的に印象を連ねることに終始しそうだが)、小生が見た富山のタクシー事情なる一文を書くつもりである。

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← 桜越しのいたち川。4月6日、撮影。「富山県富山市を流れる延長約12kmの河川。常願寺川と神通川という富山の2大河川を結ぶ川である」(「いたち川 (富山市) - Wikipedia」より)。小生の家もこの2大河川の間の扇状地に位置している。

 が、その前に、これは特に夜、さらには夜中になると顕著な傾向として明らかな<現象>の見られることもあり、今日は富山(乃至恐らくは多くの地方の市街地)の、都会では(少なくとも東京では滅多に)見られない交通事情の一端についてメモしておきたい。
 伝えたいのは、自動車運転代行(業者)の車が、夜も深まりとともにタクシーの数を圧倒しそうなほどに活躍している、という事実である。

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2008/04/13

レジ袋有料化、始まったけど

 4月1日、富山県全域スーパーなどを中心にレジ袋の有料化が始まった(末尾にこのニュース記事を一部転記しておく)。
 我が家には、主に父がマイバッグをもう数点も確保している。

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← 富山城のお堀。4月6日に撮影。

 数年前に東京へ帰京する小生に持っていくようにと手渡されたものだった。
 座敷には未だ手付かずのマイバッグが出番を待って待機(?)している。
 但し、一枚だけは、父が買物に使っていたものなのか、表面が毛羽立つほどに擦り切れている。

 レジ袋有料化の動き、一般にはどう受けとめられているのか。

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2008/04/08

白熱電球製造中止…

 過日、「12年までに白熱電球製造中止 経産相、温暖化対策で表明」(「goo ニュース」より)といったニュースを小耳にはさんだ。
「電力消費が多い白熱電球を4年後の2012年までに国内での製造・販売を中止し、消費電力が白熱電球の約5分の1で、寿命も長く省エネ効果が高い電球形蛍光灯に全面切り替えを完了させる方針」という。
「地球温暖化問題をテーマに、北海道洞爺湖町で開かれた関係閣僚と市民の対話集会で明らかにした」というから、発表のタイミングを計っていたということか。

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→ 4月6日、チンドンコンクールの見物に行った際、せっかくだからと、コンクールの会場に程近い富山城を散策。

 白熱電球への思い入れは、特に昭和世代の人間には一入(ひとしお)なものがあったりする。
 そういえば、以前、関連する記事を書いたことがあったはずと探したみたら、「蝋燭…ランプ…電球…蛍光灯」という恰好の小文があった(他に、「蝋燭の周辺」もあるが)。
 但し、小生のこと、本分も長いが、プログが日記という性格もあって、前置きがやたらと長い。
 以下、関連する部分を抜粋転記する。


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2008/03/10

弥一は柴刈りに

 御伽噺(説話)「桃太郎」は、以下のような話から始まっている。
 昔々ある所に、おじいさんとおばあさんがいた。じいさんは山へ芝刈りに、ばあさんは川へ洗濯に出た。ある日ばあさんは川で洗濯をしていると、上流から大きな桃が流れてきた。ばあさんはその桃を取り上げ、家へ持って帰って食べようとすると、中から男の子が飛び出した…。

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← 刈った柴。薪にはならず…。

 この話の周辺を巡っての与太話は、拙稿「桃から生まれた豊かな世界」などで書いていることもあるし、ここでは道草しない。

「じいさんは山へ芝刈りに」の「芝刈り」にちょっとこだわってみたいのだ。

 ネット検索で「芝刈り」をキーワードにすると、ある意味当然のことだが、「芝生」の「芝」を刈るという話が引っ掛かってくる。

芝刈り」ではなく、「柴刈り」と表記すべきだったのだ。
 小生が迂闊だった。

 芥川龍之介には、「桃太郎」と題された小品がある。
 御伽噺の「桃太郎」を芥川龍之介らしく捻った作品で、「芥川龍之介 桃太郎 青空文庫」で読める。
 短い作品なので、通読するだけなら数分ほどもあれば十分だろう。

 芥川龍之介の「桃太郎」では、「柴刈り」と表記されている…さすがに芥川龍之介は凄いなって、そういう話をしたいわけではない。

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2008/03/09

富山……佐伯有頼そして立山

 晴れて(?)富山県人・富山市民となった。
 なので富山関連の話題が自ずと増えていくものと思う。
 今日は、富山といえば立山、立山といえば佐伯有頼(さえきのありより 676年頃 - 759年?)ということで、佐伯有頼に付いて若干のことを自分の勉強のためにもメモしておきたい。

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→ 立山曼荼羅『相真坊B本』(個人蔵) 芦峅寺系 形態:紙本4幅 法量:150.0cm×216.5cm(内寸) (画像は、「立山曼荼羅の解説 富山県[立山博物館]学芸員 福江 充」より。「立山信仰と立山曼荼羅の解説」なる頁が充実している。)

 佐伯有頼でネット検索すると、筆頭に「佐伯有頼 - Wikipedia」なる頁が出てくる。
 冒頭には、「佐伯有頼(さえきのありより、 676年頃 - 759年?)は、飛鳥時代の越中の国司、佐伯宿禰有若の息子。霊示を受け、神仏習合の一大霊場である立山を開山したとされる。出家して慈興と号す。」とある。

 が、富山県人なら、そして立山(・黒部)を旅行したことのある方なら、必ずと言っていいほど「白鷹伝説」を観光バスのガイドさんなどから耳にしたことがあるものと思う:

有頼が父の白鷹を父に無断で持ち出し狩をしていると、白鷹は急に現れた熊に驚き逃げてしまう。有頼が矢で熊を射ると、熊は血を流しながら逃げていった。洞穴の中へと続く血の後を見つけ、弓を構えて中を伺うと、そこに居たのは矢を射立てられた阿弥陀如来であった。嘆き悲しむ有頼に向け阿弥陀如来は、白鷹もまた立山の神の化身で有頼を導くための使いであり、僧になりこの山を開くよう告げた。立山の為に生涯を尽くすことを誓った有頼は直ちに下山し父頼若にこの事を告げると、出家し名を慈興に改め、立山開山の為に尽力した。

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2008/03/06

久しぶりの床屋

久しぶりの床屋。
久しぶりって、どのくらい?
一ヶ月? 三ヶ月? 半年? 
まさか、一年ぶりってことはないよね。

ブー。
実は、この前、床屋さんへ行ったのは、1995年8月!

以前、何処かで書いたけど、前の仕事のための証明書写真を撮るため、仕方なく床屋さんへ。

1995年8月の前は、1994年2月末。京都の病院を退院する直前。

1994年2月末から1995年8月までの間、床屋さんへ行かなかったのは、1994年4月(退職が決まったのは、1994年2月末。退院し、会社へ行ったその日)から失業していたから、床屋さんなんて贅沢(?)は論外だったという事情があった。

その間は、自分でハサミやカミソリで鏡を見ながら適当にバッサバッサ。前のほうは鏡で調えられるが、後ろのほうは文字通り適当!

1981年4月から1994年3月までのサラリーマン時代は、近くに話のウマの合う床屋さんがいたので、半ばお喋り目的で月に一度のペースで頭をあたってもらっていた。

さて、話の流れからあるいは察することが出来るかもしれない。

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2008/02/29

ちょっとだけ東奔西走:続篇?

 昨日の記事で書いたように、26日の午後、東京から富山へ移動。この場合、東から西への移動になるのだろうか?
 NTTやJRだと、東京は東だし富山は西の縄張りになっている。
 文化や経済、地域間交流ということになると、同じ富山県でも富山市内をも流れる神通川近辺で東西に分かれたりして、結構輻輳していてすっぱりとは色分けできないところがある。
 なかなか微妙なのである(ここではこの辺りの話題には深入りしない「天神様信仰と梅の花」など参照)。

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→ 市街地を流れる川に架かる橋の欄干に寄り、北アルプスの山々を望む。川の水は、降雪で水量も多く濁りがち。

 地理的というか気象などを鑑みると、あくまで対比の上での話だが、やや南から北への移動と感じる人もいるやもしれない。
「トンネルを過ぎるとそこは雪国…」と叙されたりする関越の国境のトンネル。

 小生は特に冬など、トンネルの手前は寒く乾いた風が吹いているものの晴れ渡っていたものが、列車の窓に車内の光景が突然のように車外からの光の洪水に呑み込まれたと思った瞬間、それは陽光の濁流などではなく、一面の銀世界の眩い照り返しだった…、そんな経験を幾度してきたことか。

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2008/02/28

テラ・アマータ

 昨日26日の午前、最終的に部屋を引き払って明け渡し、昼前には、東京駅へ向い、正午12分の列車で富山へ。
 身には、パソコンと貴重品とを会社への自転車通勤の際に背負っていたデイバッグに詰め込んで。
 帰宅した夕方からは早速、家事を始める。

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← J.M.G.ル・クレジオ著『愛する大地 ~ テラ・アマータ』(豊崎 光一訳 新潮社)

 今日27日の午前には転入の手続きを済ませ、午後には25日に発送していた引越し荷物が届いた。ほとんどの荷物は納屋に当面、仮置きし、前の部屋で使ってきた机と椅子、ロッキングチェアーなどはこれから住み暮らすことになる部屋へ運び入れた。
 自分のための箪笥も棚もないので、荷物を納屋から出して整理しようにも、置き場所がない。
 なので下着を含めた衣類でさえ当分、荷解き出来ないのである。

 午後の4時頃には最低限、暮らせる体制にすることが出来たし、それ以上に引越しのための荷造りなどを含めると、十日以上に渡る連日の作業や事務手続きなどの心労の疲れがドッと出たし、取りあえずは段取りに頭を悩ませつつも、引越しを終えたことでホッとしたこともあり、部屋のど真ん中に鎮座しているロッキングチェアーに腰を深く沈めて瞑目…する間もなく睡魔に襲われた。

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2008/01/26

三途の川と賽の河原と

 前回に引き続き、「さいたま川の博物館」での、「平成11年度第2回特別展「三途の川」」を道案内に、三途の川のこと、そしてできれば、賽の河原について幾分かでも学んでおきたい。

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← 陸信忠(りくしんちゅう)筆本『十王図』(絹本着色 各縦83.2 横47.0(cm) 中国・南宋時代) (画像は、「奈良国立博物館」より) 「人が死後に赴く冥土(めいど)には、亡者の罪業の審判者として閻羅王(えんらおう)(閻魔王)など十人の王が」いる。「十図はいずれも王が冥官たちを伴い、椅子に掛けて机に向かい罪状を調べており、前には裁きを受ける亡者や、あるいはすでに有罪とされた亡者が様々の刑罰を受ける様子などが獄卒の鬼たちと共に描かれる」。個人的には、「壺中水明庵」を舞台に風景画をテーマにブログ記事を綴っている小生、「なお王の背後の衝立(ついたて)にはどれも水墨山水図が描かれ、日本への水墨画導入にこれら画中画が一つの役割を果たしたと考えられる」という点が関心の的。「奈良国立博物館」に所蔵されるという「騎象奏楽図」を見てみたい。

 こんなことを学んでどうなるというのか、どんな意味があるのか、少なくとも小生にはさっぱり分からないのだが、何故か惹かれるものがあるので(そろそろ呼ばれている?)、ひたすらに好奇心に駆られるままに、かといって、あまりに深入りして、それでは、自分で訪ねてみようとばかりに、往って(逝って)還らぬ人にならぬよう、浅瀬を選び、できれば、三途の川の中に足を浸さないだけではなく、飛沫さえ浴びないように、用心を重ね、不摂生なる日頃の生活をほんの少しは慎みながら、まあ、表面的なこと、触りのところだけを、無論、差し障りに至らぬ程度に、触れてみよう。

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三途の川のこと

 あるサイトの掲示板で、千葉県には、三途の川という名の川があるという書き込みを見つけた。まさか、という気持ちと、でも、あっても可笑しくはないという気持ちとが相半ばしていたが、とりあえず、ネット検索。キーワードは、勿論、「千葉県 三途の川」である。
 すると、検索結果リストの筆頭に、「特別展点描  発見!「三途の川」」という表題のサイトが登場するではないか。

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→ 錦絵『三途川老婆』 (画像は、「特別展点描  発見!「三途の川」」より)

 その冒頭には、「さいたま川の博物館では、今年度第2回の特別展「日本人の他界観を探る-三途の川-」を開催しましす。」とある。
 続いて、「「三途の川」は、皆さんも知ってると思いますが、人が死んでからあの世に行くときに、必ず渡らなければならないとされた想像上の川です。しかし、特別展の開催を準備していた私は、ふと、「三途の川」という川は、実際にこの日本にあるのだろうかという素朴な疑問がわきました」とあるではないか。小生と同じような疑問を持たれる方がいらっしゃるわけだ。

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2008/01/22

闇夜の一灯

☆以下は、SNC(ミクシィ)内のある尊敬する方の日記を読んで寄せたモノローグ風のコメント。
 小生には闇夜の一灯となっている某人の日記はSNCの中では公開されているけれど、その外への公開の意思は不明なので、小生が寄せたコメントのみ転記する(若干の追記あり)。

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→ 月曜日の午前、一週間ぶりにポートラム富山ライトレールの車両の愛称)に乗った。状況のためこのポートラムで富山駅に向ったのだ。

  === === === === ===

闇夜の一灯

 小生もブログで親しかった人に理由も告げられずにブロックされて悲しい思いをこれまで何度かしてきました。

 理由がまるで分からない。
 そもそも、無難なことしか書かない、書けない自分なのに、どんな発言(書き込み、あるいはレス)が原因で拒絶されたのか見当がつかないのです。
 そんなことがあると、ホントにネット(に限らず)を続ける意欲も気力も萎えてしまいます。

 実はこの三年はずっとそういう落ち込んだ状態。

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2008/01/16

銀嶺日記

[本稿は1月15日の夜半過ぎに書いた呟き風な日記。「銀嶺」という言葉は雪国だと何処でも使われがちで、富山においてもしかり。立山など冠雪した北アルプスの山々の稜線が麓どころか富山市街地からでも見事に遠望できるので、富山の人間にとっても銀嶺という言葉が慕わしいのである。なので、富山には銀嶺という名の宿や、その名も「銀嶺立山」という立山酒造さんの吟醸酒もある。]

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← 市街地から遠望する立山連峰。15日の午後、携帯電話のカメラで撮影。本文参照。

月曜日の夕方に家に着いた。
夜、早速、食事の用意。
幸い、姉が食材を用意してきてくれたし(おでん!)、御飯もあったので、温めたり、食卓にあれこれ並べたり、あとは片付けやら洗濯モノの取り込みとか。

郷里で小生が過ごす部屋は冷え切っている。電気ストーブで暖めるけれど、寒い。
掃除はまるでやっていないので、とうとう夜中に掃除機を掛けた。

帰省している間小生が居住する部屋の机の上に、母の傘寿を祝う表彰状と副賞の立派な置物風時計が置いてあった。
剥き出しの表彰状……。表彰状を入れる額を買って来いってことかな。

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2008/01/15

一本の木を友にして帰郷せし

 関越トンネルの両側では天気がまるで違うことをまた体験した。
 91年の関越道あわや遭難事件に比べれば大したことはないが。
 なにしろ91年の時はオートバイである。天候の違いをモロに身体で受ける。

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→ 関越トンネルまでの風景は概ねこんなもの。

 その点、一昨年の秋からは帰省は冬はもとより春や夏だって秋だって列車などの公共機関を利用する。
 万が一、雪のために立ち往生したって、列車の中だ。雪に降り込められることはない。
 せいぜい、05年末のこと、寒波の中の帰郷の折に、パンタグラフか何かの不具合で列車が走行不能になり、バスでの振り替え輸送になるくらいのものだ。

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← 関越トンネルを抜けると雪国。越後湯沢駅にて。

 それでも、晴れていた東京を立ち、高崎もその先も(外に出たら寒いかもしれないけれど)穏やかな日よりのように見えたものが、関越トンネルを抜け出た途端、もう、まさに雪国だった。91年ほどの降雪量ではないが、一面の銀世界になっている。
 関越トンネルを抜け出た時点では、終点の越後湯沢駅近辺も含め、あるいは霙(みぞれ)混じりの雪がチラホラ降っている程度。夜になったらあるいは本格的に降り出すのかもしれないが。

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2008/01/12

電気炬燵と歩めなかった半世紀?

 冬になると炬燵が恋しくなる。
 だったら、炬燵くらい買えよってことになるが、生憎、懐具合の淋しさはともかくとして、我が部屋の中があまりに汚すぎる。狭い。
 よって、置き場所もだが、床が汚すぎるので、炬燵を置く気になれないし、ましてたとえ座布団などを敷くにしても座る気には到底なれない。
 自分の部屋なのだが、いやなのである。
 でも、炬燵が恋しいってのは正直なところ。

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← 歌川国芳『炬燵に美人』 (画像は、「Cat-City Museum:猫と浮世絵」より)

 年末年始など郷里に帰省するのが常なのだが、楽しみは炬燵である。
(尤も、郷里の家で炬燵が不可欠なのは、木造の古い和式の家屋なので隙間風が凄く、炬燵なしでは居られないってこともある!)
 小生は18で郷里を離れたが、そんな少年時代までの思い出が炬燵と共にあるように思えてならない。
 幼少の頃は掘り炬燵で、炭が熱源だった。
 いつから電気炬燵に変ったのか、覚えていない。兼業だが農家ということもあり、結構、遅かったような。帰省の折、時々、朝などに炭を継ぎ足しさせられたこともあるから、二十歳前後?

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2007/12/31

出来たばかりの郷里の公園を散歩した

トールのひとりごと」というブログを折々覗いている。サブタイトルに「富山の街・建築マップ&トールの日記」と。
 富山生まれで、東京在住の小生には願ったり適ったりのサイトである。
 その最新の記事「クリスマス・イヴ」の冒頭に「富岩運河環水公園」の話題、そして「富岩運河環水公園」の夜景画像が載っている。
 富山関連のサイトをこの「富岩運河環水公園」の画像や情報を求めて、ネットサーフィンしていったら、素敵なブログを見つけた。画像も素晴らしい。

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→ 残念ながら「富岩運河環水公園」を写した自前の画像が所在不明。なので、富山市内を横切る松川の画像を。06年9月に撮影したもの。この川も「水の都・富山」のシンボルの一つ。遊覧船も走っている。

 せっかくなので(?)、5年以上前というHP所載の旧稿だが関連する記事ということで「我が家のマイブーム」などをブログにアップする。
 その素敵なブログとは:
Under the Blue Sky 別館 夜の富岩運河環水公園
 こういう写真を撮りたいもの。拝借したい!

 前置きはこれくらいにしておこう。旧稿をどうぞ。

目次:
我が家のマイブーム
出来たばかりの郷里の公園を散歩した

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2007/11/27

じゃがいもは皮ごとふかしホクホクと

 今日は、「小春日和」をテーマに何か書こうと思っていた。
 昨日の営業の中で、東京など関東では「小春日和」といった日和の日々が続いているといった話題が出たこと、さらに、ジャガイモの新種が研究所段階では出来ていて、今は一般に売り出すための安全性などの検証が行なわれているという話題も聞いた。
 そのジャガイモの新種の名前が何故か「コハル」(「小春」か「こはる」かは分からない)なのである。

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← 五月みどりコロッケの唄』 (浜口庫之助 (作詞者) 
宮本光雄 (編曲者) 桧原さとし (作曲者) キングレコード株式会社(発売) 画像は、「コロッケの唄- 五月みどり」より)

 で、小生、「コハル」つながりということで、一席を設けよう…まあ、雑文を一つ仕立てようかなと思った次第。
「小春日和」と「コハル」では二題であり、もう一つ何か見つけて三題噺にしたい。
(不思議なもの、そして面白いもので、棒が2本では立たないのが、3本だと平面の上に立つように、お話も二題だと心もとないのが、三題噺となると話に膨らみのようなものが自然と出てくる。話が立体的になるものなのである。)
 その点、「こはる」という言葉なら何かしら見つかるはずで、三題噺が成り立つのは必定(強引にでも三題噺に仕立てちゃう)!

 けれど、小生の目論みは淡く呆気なく潰え去った。
 というのも、小生のこと、「小春日和」をテーマに何か書いているに可能性がかなりの確率である。
 実際、「小春日和」でネット検索してみたら、案の定だった。
 まさに、題名そのものの小文を綴っていたのだ:
小春日和

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2007/10/27

雪の関越自動車道遭難未遂事件(4)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(4):料金所通過が難関でした篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇」より続く)

 さて、話を戻そう。
 ワイヤー錠の威力は自分でも驚くほどのものだった。
 ワイヤー錠のお蔭で、一キロでの転倒は数回程度に減った。
 次のインターチェンジで降りるまでの十数キロの間での転倒も、今までの何キロかの間の転倒回数の数百回よりは減ること、請け合いである!

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← 「雪の関越自動車道遭難未遂事件」のあった翌年、つまり92年に色鉛筆で描いたもの。絵を描くことを試みたのは、子供の頃以来ではなかろうか。91年の年末のことが時折、悪夢のように脳裏に浮んでいた頃、気持ちを落ち着かせるため、ありあわせの色鉛筆でスケッチブックに、何かの写真を見ながら描いたのだった。 ← 大間違いだった。手元の絵をよく観たら、描いた日は72年の秋口となっていた! つまり、小生が大学に入学した年である。お詫びして訂正します。

 あまりに単調な時間が過ぎていていく。でも、濃密な時の連なり。
 雪は止む気配がない。
 前年に買った防寒具の性能がよかったのか、ヘルメットの下に目出し帽を被っているせいか、防寒着の上にさらに薄いビニールの合羽を羽織っている御蔭なのか、それとも下手すると五百回に達しようという転倒・引き起こしという作業の故なのか、体は寒いどころか、カッカしている。
 火照っていると言って過言ではない。

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2007/10/24

雪の関越自動車道遭難未遂事件(3)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(2:高速道路の真ん中にも側溝がありました篇)」より続く)

 そんな時だった。ふと、閃いたことがあった。
 紐はもうない!
 みんな使って切れ果ててしまった。
 でも、ワイヤーチェーンがあったことを思い出した。

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← 「ホンダ ベンリイ CB125T-I」(但し、小生が乗ったのはこれより前の世代の「ホンダベンリイCB125T」だった。残念ながら我が愛車と同じタイプのバイクの画像は見つからなかった。詳しくは後記する。画像は、「Hondaホームページ 本田技研工業株式会社」より)

 ワイヤーチェーンといっても、雪道走行用のタイヤに巻くチェーンではなく、盗難防止のためのワイヤーロックである。
 そう、ワイヤー錠(ワイヤーロック)である。しかも、装備重量が300キロに達しようという大型バイク用の、がっちりした、1メートル余りのワイヤーロックなのだ。
 それが標準装備されていたのである!

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2007/10/20

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2):高速道路の真ん中にも側溝がありました篇
ノリック追悼記念レポート:本稿は、「雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇」より続く)

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← 掲げた写真は、04年7月25日、スクーターを駆り中央高速を使っての帰京途上、某SAの施設で小生が偶然、目にし、撮った燕の巣。燕の子供たちへ親燕が懸命に餌を運んでいた(「鳥雲に入る」参照)。

 その場を取り仕切る係員のような人が居たが、何を相談する知恵も浮ばない。

 間もなく、タイヤはボウズのままに、つまりノーマルタイヤそのままに、チェーン装着場をそろそろと…恐々と抜け出し、本線へ参入。
 そう、戦線復帰。

 だが、戦意はまるでなかった。
 戦意喪失していた。
 でも、走るしかない。誰も助けては呉れない。

 雪は止む気配がまるでない。少なくともその日一杯は降り続けるに違いない。
 雪国育ちの経験からして、止みそうにない空模様だと、痛いほど分かるのである。

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2007/10/14

冤罪を晴らす日まで生き延びろ

富山冤罪事件」(「たむ・たむ(多夢・太夢)のホームページへようこそ」)が富山のみならず、全国区で話題になっている。
 もう、今日にもニュースの報道対象のメニューからは外れていきそうだけれど。

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→ 10月5日、都内某所にて。

 富山、そして冤罪事件ということで、主にラジオではこの話題がニュースで流れると、可能な限り耳を傾けてきた。
 けれど、それだけだったら、小生がわざわざブログで採り上げたりはしなかったろう。小生が関心を向けている話題は、「海自給油の「転用疑惑」、参院でも民主追及の構え」(「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」)など、数々ある。
 ただ、敢えて書かないだけである。

 給油活動の話題に付いても、一言、言いたいことはある。
「インド洋での海上自衛隊の給油活動継続問題で、民主党は海自が供給した燃料のイラク戦争への「転用疑惑」を参院でも追及する構えだ」というが、転用云々など、小生に言わせれば笑止な話だ。
 海上自衛隊が給油した燃料が直接にはイラクに向うアメリカ軍の艦船に転用されようが、アフガニスタンでの活動にしか使われていなくても、実質、アメリカ(軍)の仕掛けた(失敗に終った)イラク戦争に間接的にサポートすることになっているのは明らかではないか。

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雪の関越自動車道遭難未遂事件(1)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇
(本稿は、「ノリック追悼記念レポート:雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)」より続く)

 確か91年だったと思う。
(「趣味 オートバイ」にバイク乗りとしての大雑把な履歴を書いている。参照するも良し。)

Toyamaumi

← ありし日の富山の海。電車であるいはオートバイで帰省する折、富山の海を見ると、ホッとする。帰ってきたという感覚が胸の底から湧いてくる。なんて透明度の高い海だろう!

 当該部分を転記する(太字部分に注目):

1991年8月 7代目のオートバイ入手   パシフィックコーストPC800本田技研工業株式会社
ツーリングに行かなくなり荷物を積めるという利便性に走る。入手したその日は8 月5日。つまり本田総一郎氏の逝去の日。それ故か8年以上乗った。91年の12 月29日に東京から富山へ関越自動車道を走った。関越トンネルを抜けるとそこは雪国だった。あやうく関越自動車道で遭難しかけた。深い雪の中を数十キロも転んでは起こしを百回以上も繰り返してやっと塩沢・石打ICを降りた時、命のありがたみを知った。そのICを降りるだけに一時間以上を費やしたものである。その夜、やっと見つけた宿で凍て切った心身を炬燵で一晩中癒し続けたけれど、体の震えは止まらなかった。さすがにバイクはオートバイの店に置かせてもらい、列車で帰省。春3月になって引き取りに出向いた

 91年の12 月29日は、東京は快晴だった。だけど、やたらと寒かった。

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2007/10/12

雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)

ノリックが交通事故死、トラックと衝突」(モータースポーツニュース nikkansports.com)といったニュースがあったのはつい最近のこと。

Kanetu

← 列車で、時にオートバイで眺めた雪原の関越道。<事件>のあった日は降る雪も激しく…。

 一部、転記させてもらう:

 7日午後6時20分ごろ、神奈川県川崎市の市道で、2輪ロードレースの人気ライダー、阿部典史(のりふみ)さんが乗ったバイクがトラックと衝突、阿部さんは病院に運ばれたが間もなく死亡した。32歳だった。93年に全日本ロードレースにデビューすると、いきなり史上最年少の18歳で総合優勝を達成。世界選手権(WGP)でも通算3勝を挙げるなど「ノリック」の愛称でファンに愛され、日本に2輪ブームを再来させた立役者だった。
 世界を舞台に活躍したライダーが非業の死を遂げた。川崎署によると、阿部さんは同市川崎区大島1丁目の片側2車線の市道の右車線をスクーター型の500CCバイクで北上中、前方の左車線からUターンしようとした4トントラックを避けようとしたが、衝突して対向車線に放り出された。当初は意識があったものの、午後8時52分、搬送された市内の病院で死亡が確認された。阿部さんは胸を強打し、ろっ骨骨折や臓器の損傷などもみられたもようだ。

 阿部典史さんの事故に付いてはひたすら痛ましく思うばかりである。

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2007/09/20

立山に 降りおける雪を とこなつに…

富山の和菓子だけ好きってわけじゃない!」なる雑文で、富山の銘菓「とこなつ」(株式会社大野屋)を扱っている。