2009/08/17

カストラートやら雑草やら

 個人的な関心もあって、アルマン・マリー・ルロワ著『ヒトの変異  人体の遺伝的多様性について MUTANTS』(監修上野直人 訳者築地誠子 みすず書房)を読んでいたら、カストラートという呼称に遭遇した。

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← このところの忙しさや長梅雨の影響もあって、畑の雑草取りを怠ったら、ほんの二週間で、畑はこの惨状。しつこいが、これは畑である!

 カストラートという音楽史上の存在については、小生には、多分、初耳の言葉だが、オペラなどクラシック音楽ファンにはあるいは馴染みの、常識に属する言葉なのかもしれない。

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→ 今朝も早朝のアルバイトをやってきたし、午前中は洗濯、そして家事に追われ、昼過ぎから雑草刈り。二時間弱やったけど、やっと4分の1も毟れたかどうか。バイオ燃料じゃないが、こうして刈り取った雑草を二束三文でいいから引き取ってもらってバイオ燃料の原料にしてもらえないものか ? !

 本書は、「その昔、重い奇形をもつ人々は「怪物」とみなされた。いま、奇形は遺伝子の働きを知るうえで、貴重な手がかりとなっている。その間には体づくりの謎をめぐる、数百年にわたる混乱と探究の歴史があった」といった本。
 小生には単なる好奇心ではすまない内容の本。

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2009/07/12

今日は「悪魔の詩」訳者殺人事件の日

 今日7月12日は、「今日は何の日~毎日が記念日~」によると、「ラジオ本放送の日」とか「ローリング・ストーンズ記念日」とか、いろいろあるが、個人的には、(日本の)古代史や考古学に興味があることもあって、「ひかわ銅剣の日」が気になる。

「1984(昭和59)年、島根県斐川町の荒神谷から弥生時代の銅剣358本が発見された」日なのである。
荒神谷遺跡 - Wikipedia」によると、「銅剣の一箇所からの出土数としては最多であり、この遺跡の発見は日本古代史学・考古学界に大きな衝撃を与えた。これにより、実体の分からない神話の国という古代出雲のイメージは払拭された。その後の加茂岩倉遺跡の発見により、古代出雲の勢力を解明する重要な手がかりとしての重要性はさらに高まった」のである。

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→ 一昨日の一晩中の風雨に耐えて、朝顔の花も健在。

 でも、今日はこの話題へは深入りしない。

7月12日 今日は何の日~毎日が記念日~」の歴史の項をずらずら眺めていて、下記に目が止まった:
1991年小説『悪魔の詩』を日本語訳した筑波大の五十嵐一助教授の他殺遺体が大学構内で発見」!

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2009/05/13

「ティム・ワイナー著『CIA秘録 下』の周辺」アップ

 ティム・ワイナー著の『CIA秘録 上』(藤田博司・山田侑平・佐藤信行・訳 文藝春秋)に続き(感想は、「『CIA秘録 上』の周辺」にて)、『CIA秘録 下』も読んだ:
ティム・ワイナー著『CIA秘録 下』の周辺

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→ 初めて気がついたのだが、今日(火曜日)、ふと見上げたら、棕櫚の木に変なものが。この黄色っぽいものって何だろう? [お馴染み、かぐら川さんよりコメントの形で情報を戴きました。コメント欄をご覧ください。 (09/05/14 追記)]

 事実は小説より奇なり、なんて古臭い言い草を持ち出す気はないが、まさにそういった類いの本。
 ハリウッド映画などで随分と美化された、スパイや諜報組織の活躍ぶりを見せてもらったりするが、現実はおぞましいほどに愚劣だったり悲惨だったりする。

 諜報機関がなければならないのだとしても、一旦、組織が誕生すると、組織が一人歩きしてしまう。
 特に権力の集中する機関、わけても諜報(秘密)収拾や他国(に限らない、自国や自国民)への工作が仕事の組織となると、一層、巨大な体躯でもあり、誰にも御しえなくなってしまうもののようだ。

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← 行きつけのスーパーの棚の上に鎮座するゴリラ君。どうにも気になって、今日、とうとう撮影してしまった。彼、買物するお客さんたちを見守っている? それとも、万引きを見張ってる? ……あれ? もしかして…、女の子? 

 印象的なのは、冷戦構造が厳然たるものだった時代の、強烈な使命感(だからこその暴走も日常茶飯事!)と、構造が崩れて以降の右往左往ぶり。とうとう瓦解の一途を辿っていく。って、今もCIAって、あるんだっけ?

 日本にも諜報機関があるのだろうけど、アメリカでさえこうだったら、日本は……、もう、想像したくない!

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2009/04/07

時節柄、桜二題

 昨日も、今日も外出が多かった。晴天に恵まれたこともあり、今のうちにと、外向きの用事を纏めてこなそうと思い立ったのである。
 御陰で、花粉や埃塗れの空気を一杯、吸い込んだ。
 帰ったら、口の中が変な味。

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→ 4月5日、チンドンパレード見物の帰り、松川にて。

 微風だったので、漂う埃は吹き飛ばされることなく、舞ったまま漂っている。
 御陰で、天気晴朗なれども視界は悪し、霞んでいるようだった。
 こういうのを花曇というのか(← 多分、間違っている)、それとも花霞?

 いよいよ桜の季節である。

 小生、結構、純朴で素直な性格のはずなのだが、世が桜に浮かれると、へそ曲がりというか天邪鬼というか、妙に逆らってみたくなる。
 以下、旧稿だが、桜を巡る二つの拙稿を一部を削除の上、再掲する。

1.「ジョージ・ワシントンの桜の木の逸話
2.「坂口安吾著『桜の森の満開の下』

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2009/03/17

『白鯨』と『復讐する海』と(前篇)

(一年ほど前に読んだばかりなのになぜか)再読している最中の、フランク・シェッツィング著『知られざる宇宙 海の中のタイムトラベル』(鹿沼博史/訳、大月書店)の中に、ハーマン・メルヴィルの書いた大作『白鯨』に関連する話が載っている。

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→ ナサニエル・フィルブリック著『復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇』(相原真理子訳 集英社)

 ハーマン・メルヴィルの『白鯨』では、悲運の老船長エイハブの捕鯨船に白鯨(モビー・ディック)が体当たりを食らわせ、乗組員もろとも海に沈めてしまった、というあたりで話が終っている。
 しかし、この小説にはモデルとなった悲劇的な事故があり、しかも、捕鯨船の沈没も悲劇だが、生き残った乗組員のその後の運命も一層、過酷且つ悲惨なものだった。

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2009/02/04

「コンゴ・ジャーニー」へ

 レドモンド・オハンロン著の『コンゴ・ジャーニー 上』(土屋政雄/訳 新潮社)を読み始めた。
 新聞の書評でベタ褒めだったし、内容に惹かれて早速、図書館に予約。
 ようやく昨日から読み始めることができた。

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← レドモンド・オハンロン著『コンゴ・ジャーニー 上』(土屋政雄/訳 新潮社)

コンゴの密林に幻の恐竜を探して――。カズオ・イシグロ絶賛の桁外れの探検記!」なんてキャッチコピーが付いている。
コンゴ川上流の湖に恐竜が棲息しているというピグミーの言い伝えに誘われて、英国人旅行記作家が全財産をなげうつ旅に出た。アメリカ人動物行動学者とコンゴ人生物学者を道連れに、賄賂を毟られても、下痢や呪術で死ぬ目にあっても、奥地へ、奥地へ――。」といった本。
 二人の学者(ら)を伴ってとあるが、率いるレドモンド・オハンロンは、「1947年英国生まれ。オックスフォード大学文学部卒業。「タイムズ文芸付録」の編集記者を経て英国を代表する旅行記作家に。1984年『ボルネオの奥地へ』(めるくまーる)でデビュー」ということで、旅行記作家。
 とにかく旺盛な探検欲である。
 旺盛というより獰猛なほどの探究心。本書だって旅の冒頭で早速、マラリアの洗礼を受けて死に損なう。
 でも、そんなものは彼にはただの挨拶程度なのだろう。

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2008/11/29

篤姫・和宮らと立山信仰

 11月26日(水)だったと思うが、NHKテレビ(ニュース)の「アクセスリポート」というコーナーで、「篤姫たちを支えた 立山信仰 」といった特集が組まれていた:
NHKニュース 篤姫 立山信仰寄進の文書発見

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→ 「立山」 (3,015m。「立山(たてやま)は、富山県・飛騨山脈(北アルプス)にある山地。複数の山の総称であるため、別名立山連峰とも言う。日本三名山・日本百名山の一つ。また日本の古くからの山岳信仰の山として、日本三霊山の一つともされる」。画像は、「立山 - Wikipedia」より。)

 この日は、なぜか同じこの特集を二度も見てしまった。
 といっても、食事の準備か最中か片付けの作業中だったりで、テレビをジッと見ていたと言うわけではない。
 なので、ニュース(特集)の中でどのようなコメントがあったのか、ほとんどが右の耳から左の耳へ…どころか、断片的にしか耳にも目にも届いていない。

 それでも、篤姫の手紙(古文書)がテレビ画面一杯に映っていたのは、チラッとだが観ることができた。

 文書そのものは二年前に発見されているから、研究者の間では既に知られている事実なのだろう。
 富山以外の方には、あまり強くは関心を惹かないかもしれない。

 宮崎あおい主演の大河ドラマ「篤姫」(宮尾登美子原作)が高視聴率を得ているし(内緒だが、小生は録画などでほぼ毎回、見ている!)、そろそろ終わりの時を迎えつつある中、富山の者としては、少しでもその人気にあやかりたいわけである。

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2008/10/31

『〈出雲〉という思想』のこと(後篇:「まえがき」を読む)

 今朝、昨日買ってきたパンジー10株を家の表通り側に植えてみた。
 午後から作業するつもりだったけど、雨が降りそうだったので、急遽、眠い目を擦りながら黙々と土いじり。

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← 曇天下、昨日買ってきたパンジー10株を植えてみた…。

 でも、植えてみたらあと20株は植えないと格好が付かない。
 寒風吹きすぎる表の通りでパンジーの花がちょっと寂しそうに揺れている。

 仲間がもっと欲しいって言ってるの?
 もっと違う場所がいい?
 それとも、曇天で震えているだけ?
 陽光を待ちわびている?

 まあ、そう言わず、今冬をなんとか乗り切って欲しい!

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→ 昼前、買物ついでにテルスターを8株買ってきて、午後、雨を心配していたのに、晴れた。今がチャンスと、早速、植える。

(午後になって雨どころか晴れ渡ったので、テルスター(ナデシコ)を8株、買ってきて早速、追加で同じ場所に植えた。少しは格好が付いたけど、まだあと10株は植えないと、どうにも落ち着かない!)


 === === === === === ===

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2008/10/30

『〈出雲〉という思想』のこと(前篇:『夜明け前』へ)

 29日の雨はまさに氷雨だった。
 朝、庭に出てみたら、庭先に植えた7株のパンジー、夜半過ぎまで降り続いたややきつめの雨の勢いに負けたのか、それとも小生の植え方が甘かったのか、一株の花が茎で折れていた。
 無念!
 願わくば、残りの花たちが元気に育ってくれますように!

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→ 原武史著『〈出雲〉という思想』(講談社学術文庫)

 原武史著の『〈出雲〉という思想』(講談社学術文庫)を過日、読了した。
 副題が「近代日本の抹殺された神々」とあって、なかなか面白い本だったので、感想とまではいかないが、大よそのことをメモっておきたい。

 古代史や考古学関係の本は基本的に新刊しか手にしない方針でいるのだが、図書館でCDを借りる手続きをしている合間、ちょっと手持ち無沙汰になり、出口付近にある文庫本の書架をチラッと眺めやったら、本書が目に飛び込んできた。

<出雲>という言葉が題名にあるだけで、気になってならなくなる。
 まして、<出雲>という思想って、どういうことなのと、手に取るしかなくなったのだ。

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2008/10/25

自転車を駆っていそいそと…読書・音楽拾遺(前篇)

サルビアの花にうもれて…読書・音楽拾遺(前篇)」や「夕焼け空を追いつつ…読書・音楽拾遺(後篇)」などを書いてから、早くも十日近くが経った。
 なかなか思うようには読書はできない。音楽については、部屋にいる間はCDプレーヤーが活躍しっ放しなので(父母の居る部屋からはテレビの音が聞こえてくるので、その消音の意味もある)、何かしら耳にしている。

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← 24日は終日、雨だった。畑も庭もたっぷり潤ったことだろう。画像の雨樋からの雨垂れを受けている石の器は、実は臼。数年前までは何十年の間、餅を搗くのに大活躍だったのだが、今は雨ざらし。雨に打たれ憩っている? 長い間、ご苦労様でした。

 図書館へ行く時は自転車。
 本やCDを返却するのは惜しいが、新しい出会いもあるやもしれず、ペダルを漕ぐ足も軽快である。
 特にクラシックやジャズ、民族音楽など、邦楽以外のジャンルの音楽は知らない演奏(家)や曲も多いので、今日はどんな発見があるかとワクワク気分だったりする。

 なんだか、初めての相手とのデートにでも出かける気分?

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2008/10/23

「「小諸市北国街道ほんまち町屋館」…小諸というと藤村だけど(後篇)」アップ

「小諸市北国街道ほんまち町屋館」…小諸というと藤村だけど(後篇)」をアップしました。

 一昨日だったか、庭で落ち葉拾いなどしていたら、光沢も見事な緑色の果実が目に入った。

 ミカン!
 おお、そうだった、我が家にはミカンの木が一本あるんだった。

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← 我が家の庭の片隅にミカンの木が。ちゃんと果実が生る!

 木には青々としたミカンの果実が何十個も。
 その果実を見て、これがミカンの木だと改めて気づかされる。
 そうでもないと、植物には到って弱い小生のこと、ずっと気が付かなかっただろう。
 そういえば、我が家の庭には樹齢が150年ほどという梅の木がある。
 我が家のご先祖様が本家から少々の田畑をもらって分家した際に柿の木などと共に植えたものだとか。

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2008/10/18

フランケンシュタインと出産の神話(後篇)

[本稿は、「フランケンシュタインと出産の神話(前篇)」の続篇である。]

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← 16日(木)、夕陽をそして夕焼けを追って、自転車を駆って久しぶりに親水公園へ、さらに神通川へ。風のない一日だったので、空中には埃が漂っているようで、必ずしも綺麗な夕景には巡り合えなかったけれど、慌しい日常の中、目にだけは眼福を与えることができたと思う。

フランケンシュタイン』の読みについては、たとえば、「松岡正剛の千夜千冊『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー」が参考になる(やはり、いかにも男性による解釈という限界性が垣間見える…といった批判がエレン・モアズならずともフェミニズムないし「ヒロイニズム」の立場からは加えられるやもしれない)。

 誕生したのが怪物で、その姿を見て驚く(主人公の科学者も我々も!)のだが、考えてみると、少なくとも外見が怪物なのは作る過程をつぶさに見ている以上は、最初から分かっていたはずである。
 なのに、完成してみたら、その精神がいびつでおぞましくてショックを受けたというのなら分かるが(出来てみないと心の在りようなど分からないわけだし)、その容貌の魁夷なるを見て今更驚くのも奇妙な話なのである。

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2008/10/07

「末期を描く…ターミナルケアの原点?」アップ

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末期を描く…ターミナルケアの原点?」をアップしました。

 本稿では、上掲書を参考に、西欧美術作品に描かれた末期の諸相を見てみたい。
 筆写によれば、これらの絵画にはターミナルケアの原点が描かれているのでは、という。

 ところで、俳優の緒形拳さんの突然の逝去は小生にもショックだった:
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/obituary/?1223367006
 日本の男優で好きな人はと問われても、返答に窮する中、緒形拳さんは文句なしに好きな方だったから。

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2008/10/03

「鰭崎英朋…今こそ大正ロマン!」アップ

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鰭崎英朋…今こそ大正ロマン!」をアップしました。

 鰭崎英朋(ひれざきえいほう)は、「どこか耽美で妖艶で都会的な洗練された美意識がもたらされた時代」を象徴する一人で、「美人画・新聞紙上の相撲絵・大衆雑誌や小説の挿絵・口絵などで活躍し、一世を風靡した」人でもある。

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2008/09/25

「五姓田義松…晩年の日本回帰は諦念か」アップ

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五姓田義松…晩年の日本回帰は諦念か」をアップしました。

 少年の頃、既に天才と謳われた五姓田義松(ごせだ よしまつ 1855 - 1915) の晩年の日本回帰(?)は諦念の営為なのかどうか。
 まあ、作品の数々を鑑賞するのが先だけど。

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2008/09/23

「川村清雄…洋画の洗礼の果てに(後篇)」アップ

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川村清雄…洋画の洗礼の果てに(後篇)」をアップしました。

 本稿は、「川村清雄…洋画の洗礼の果てに(前篇)」の後篇です。
 川村清雄の画業を通して日本における近代洋画の黎明期の苦闘を見てみます。


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2008/08/26

風船爆弾から風船エコ発電へ

 過日、テレビで風船爆弾のことが特集されていて、折りしもオリンピック期間中だったが、ついこの悲劇の歴史的事実の場面に見入ってしまった。
「風船爆弾」とは、「太平洋戦争において日本陸軍が用いた兵器で」、「和紙で作られた気球に水素を詰め、大気高層のジェット気流に乗せてアメリカを攻撃しようとする兵器であ」った。

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→ 「風船爆弾」 (画像は、「風船爆弾 - Wikipedia」より。)

 小生がこの兵器の存在を知ったのは、多分、子供の頃、何かの漫画の本でのことではなかったか。
 その時は、そんな漫画みたいな兵器があるはずがない、現実離れしている、あっても効果などあるはずがないと小ばかにしていた。
 戦況の悪化で追い詰められていたとはいえ、「「ふ号兵器」という秘匿名称で呼ばれていた」真面目で必死な作戦を非現実的と勝手に断ずるなんて、今思うと忸怩たる思いがするばかりである。
 その後、テレビや雑誌などでも何度なく特集が組まれ、何度となく見聞きしてきた。

 戦争の負の歴史であり、細々と語られていたものが、戦争を実際に体験する人が減り、記憶が劣化する中、むしろ、こうした悲しい歴史の現実こそが語り継がれていくべきなのだろう。
 
 今日は、「風船爆弾」について若干、触れると同時に、「風船」の平和利用のアイデア(?)をメモしておく。

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2008/08/06

原爆忌…悲劇は今も

 広島では8月6日、長崎では9日が「原爆忌」である。秋の季語だというが、そんなことは今は頓着しない。
 戦後になって生まれた季語なのだ。俳句の上でどう扱われようと、夏の真っ盛りの出来事に由来する季語であることに変りはない。
 今日は、小生がこの数年に書き綴った原爆関連の記事を、文章の一部を抜粋する形で幾つか紹介する。
 文章は公表当時のまま。今となっては書き直したい部分も多々あるが、その都度の形を曝すのがいいのだろう。

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→ 岡本太郎作「明日の神話」(部分。小生、撮影)

祈り込め「明日の神話」これからも」(2007/06/30)
 原爆の悲惨と野蛮のことは、どんな形にしろ描ききれるものでもなければ表現し切れるものでもなかろう。ただ、誰かがその悲惨と残虐、蛮行、その中での人間ドラマを描こうとするし、訴え続けようとする。
 岡本太郎の作品「明日の神話」には、その強い意志があったことを誰しも感じるのではなかろうか。
 岡本太郎らの後に続く人の居ることを切に願う。

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2008/07/30

安本丹のこと(増補版)

[本稿は、「04/01/19」作の旧稿である。「富山の薬売りと薩摩藩」の周辺」なる稿を書いていて、そういえば富山の薬に関連する駄文を綴ったことがあったと思い出し、ここに本稿を再掲する。原則、原文のまま。改行など若干変更。旧稿を温める…。なんと心温まる営為だろう!]

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← 江戸時代の「反魂丹」の袋 (画像は、「置き薬>置き薬用語集>反 魂 丹(はんごんたん)」より。)

安本丹のこと

 ある本を読んでいたら、久しぶりに「安本丹」なんて言葉を目にした。その本とは、芳賀徹著の『詩歌の森へ』(中公新書)である。その言葉が出てくる脈絡が揮っている。
(念のために断っておくが、「安本丹」とは、「やすもとたん」(あるいは「やすもとあきら」)と読むのではない。そう読んで絶対に悪いとは言わないが。実際、このような名前の方がいらっしゃらないとも限らないし。ただ、文章や内容の都合上、「あんぽんたん」と読んでもらいたいのである。)

 江戸の市民は日々に言葉のエスプリをたのしんでいたという主旨の話の中で「安本丹」なる言葉が登場するのである。
「安本丹」なる人物が登場するわけではない。

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2008/07/29

「富山の薬売りと薩摩藩」の周辺

 magnoriaさんの「富山の薬売りと薩摩藩」という記事の題名に瞠目(大袈裟?)!
 何ゆえ、「富山の薬売り」と「薩摩藩」とが併記されるのか。

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→ 「社会評論社 玉川信明セレクション 日本アウトロー烈傳 第3巻 越中富山の薬売り 反魂丹の文化史 玉川信明

 記事に拠ると、以下のようにある:

文政十一年のスパイ合戦 検証・なぞのシーボルト事件」(秦新二 文春文庫)を読んで、薩摩藩が輸入した薬を富山の薬売りが独占的に扱い、薩摩藩と富山藩の間にはそのための特別なルートが出来上がっていたということを知った。

 小生、こう見えても(どう見えているのか分からないが)、富山生まれで今現在、富山在住。
 約36年間、富山を離れていたとはいえ、心は富山に置きっ放し(これも若干の嘘があるが、この際、等閑視する)。
 親戚に薬売りを生業(なりわい)にされている方も居た(今も、後継者の方がされているのかどうか分からない)。
 当然ながら、売薬さん(富山の薬売り)について多少なりとも調べて見たことがある。

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2008/06/22

「たばこ1箱千円」から大麻の話へ

 本稿は、「中島らもと大麻と煙草と」を転記したもの。先ごろ、「たばこ1箱千円」にという話題が世上を少々賑わせたので掲載する。
 今の小生としては書き換えたい部分もあるが、敢えて原則原文のまま旧稿を温める。

「たばこ1箱千円」については、「「たばこ1箱千円」で超党派議連 消費税アップけん制も」などを読むと、「自民党内で浮上している消費税率引き上げ論をけん制する狙いも見え隠れする」などと、やや生臭い思惑で浮上したようで、小生としては納得がいかない。
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← 清水登之・画「大麻収穫」 (画像は、「清水登之氏の「大麻収穫」」より。)

 何も「たばこ1箱千円」なら煙草を吸う人が減って、健康問題(伴って医療費の削減)の解決の一助になるではないか、という大上段の議論が足りないから…という意味ではない。
 例えば、「たばこ1箱千円」なら煙草を吸う人が減って…という議論にしても、やや疑問がある。アメリカなどの煙草メーカーは国内の煙草の販売量が減った分以上を、日本を含めたアジアやアフリカでの販売強化で補ってきた。
 日本の煙草メーカーも海外(アジア・アフリカ)での販売戦略を強化するのは歴然としている。
 国内で出る臭いモノに蓋をしたら、その強烈な悪臭は後進国で思いっきりぶっ放されている、というわけである。日本(国内)さえよければそれでいいのか、という議論もあっていいはず。

 まあ、ちょっとだけ変化球をひょろひょろ投げてみようかなということである。
 一読すれば分かるが、焦点は煙草ではなく、大麻である。
 そう、「法律の目的を記した条文はない」不思議な「大麻取締法」!
 煙草を許可しているのに何故、大麻がダメなのかの理由を当局は明確に示せるのだろうか。
 あるいはアメリカへの遠慮? それとも惰性?
「(前略)第2次大戦後の占領政策の中で神道との結び付きの深い大麻に対して占領米軍が危惧をもち、また当時発達しつつあったアメリカにおける石油化学産業や木材パルプ産業の意向をうけてその市場の確保という経済的思惑などを背景として、大麻の規制が行われたのではないか」というのは、歴史的背景として真実なのか。
 「たばこ1箱千円」というのなら、「大麻1箱千円」ってのも、検討してみる値打ちがあるのでは。

 なお、この旧稿を書き下ろした当時の事情については、当該頁の冒頭に注記してある。

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2008/06/09

やくせん…謎の廃墟?

 昔、小生が生まれ育った町の近くに「やくせん」と呼ばれている場所があった。
 それは通称で、正式な名称は別にちゃんとあるのだが、少なくともガキの頃の小生は「やくせん」という呼称以外の呼び名を知っていたとは思えない。中学か高校の頃までにはその場所の由来なども認識してきたような気がするが、やがて小生も学生となって郷里の地を離れている間に、「やくせん」のことを思い出す機会もなくなっていった。
 
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← 「富山薬学専門学校 富山大学薬学部 跡」などと銘された碑。夕方、買物のついでに撮ってきた。

「やくせん」という名称は、「富山薬学専門学校 (旧制)」を略したもので、まさに通称、俗称である。
 その通称がどれほどの地域で使われるものだったのかは、小生には分からない。
 あるいは、我が町の周辺で、それとも、小学校の同級生の間でそう勝手に呼んでいただけなのかもしれない。
 でも、記憶では小生の親もそんな呼称を使っていたような気がする。

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2008/05/28

「小山正太郎……書は美術ならず!」アップ

小山正太郎……書は美術ならず!」アップしました。

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2007/12/14

ベクシンスキー:廃墟の美学(後篇)

[本稿は、「ベクシンスキー:廃墟の美学(前篇)」の続編です。前篇でも書いたけど、本稿は翌日(正確には日付上、当日になっていたが)に試験を控えているというのに、ついついネット散策に夢中になり、あれこれ調べつつ書いたもの。内容に、というわけではないが、書いたり画像に眺め入ったりしていたその夜の自分の胸中などがちょっと懐かしい。滅びの美学。廃墟の美学。こうしたものにどうして人は囚われるのか。ベクシンスキーの場合は、ナチ下という過酷な体験がある。なんたってポーランドの人だからね。日本だって、ほんの数十年前、多くの都市が廃墟と化した。高層ビルが林立していても高速道路や地下鉄が縦横に走っていても、ちょっとした事件で美麗なビル群が廃墟と化してしまう。天国と地獄は常に背中合わせなのだ…が、そうしたことを忘れやすい、目を背けたいと思うのも人の慣わし。……と言いつつ、この数日、訳の分からないものが詰まったダンボール類を片付ける作業に没頭していた。見えなかった壁が多少なりとも見えてきて、感激。日常にあっては、こんなことも嬉しい。天と地もあるが、極大もあれば極小もある。崇高なる美もあれば、卑近な癒えもある。その両端に股裂きなのが人間なのか…な?(14日(アップ当日)追記)]

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→ ズジスワフ・ベクシンスキー Zdzislaw Beksinski 『??』(画像は、「Zdzislaw Beksinski」より) 何処かフリードリッヒを想わせるかのよう。けれど、徹底して乾いた絶望という名の詩情が漂うのみ。

 ズジスワフ・ベクシンスキーは、「私の絵に定義づけ、意味を問う行為は無意味だ。私自身意味は分からないしね。そのうえ、理屈にはサッパリ興味が無いんだ」と言う。
 だからなのか、彼の作品のほとんど(あるいは全て?)は、「無題」のようである。

 末尾でも示すが、「editions treville - from é.t.art lab - エディシオン・トレヴィル - アート ラボ - ベクシンスキー アーカイブ」は、覗くだけの値打ちはある。

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2007/12/11

ハドソンリバー派絵画:F・E・チャーチ(前篇)

[文末近くで千住博氏著『美は時を超える』(光文社新書)を紹介している。と言いつつ、この記事を書いている最中(12月3日)に知った本なので、未読。数日後、早速、予約し借りてきた。…が、本の題名がうろ覚えで、同氏著の『絵を描く悦び』(光文社新書)を借りてしまった。著者名と出版社名や新書って条件には合致している ? ! 尤も、この本も絵画に限らず創作活動に携わる人には励ましの書、初心に還る書として、なかなかの本だった。それはそれとして、やはり、本稿に関係ある本だし、『美は時を超える』は近いうちに読むぞ!]

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← 千住博著『絵を描く悦び』(光文社新書) 冒頭に書いたように、『美は時を超える』と間違えて借りてきた本。でも、いい本だった。創作活動には無縁の小生だが、アーティストの真率な姿勢に感銘を受ける。

 ギャヴィン・プレイター=ピニー 著『 「雲」の楽しみ方』(桃井 緑美子 訳 河出書房新社)を読んでいたら、「雲」を描いたフレデリック・エドウィン・チャーチ (Church, Frederic Edwin(アメリカ1826-1900))という名の画家の絵に言及している箇所があった。
 小生は全く知らない画家。

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→ フレデリック・エドウィン・チャーチ 『Blueberry Hill, Vermont』 (画像は、「古き佳きアメリカンアートなど|★マーケティング戦略ビューロー@P-styleブログ★」で発見)

 フレデリック・エドウィン・チャーチという名だけでネット検索したら、下記のサイトがトップ近くに浮上:
肉筆複製画・美術品・絵画販売 ハドソンリバー派絵画

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2007/12/03

オランダ風景画の巨匠アルベルト・カイプ(前篇)

[このところ半端なままに放置している草稿が多い。本稿も、11月19日頃に書きかけていたもの。やはり、アップするタイミングを探しているうちに二週間が経過してしまった。情報をもっと充実させてからアップさせたかったが、そんな時間を今の小生には見出すことは無理そう。 
 尚、「夢の話・二題半」なんて得体の知れない小文をアップした。
 実際に見た夢の話なのだが、それが二題半というのには、事情がある。
 三題になるはずが、、目覚めた瞬間には大よそは覚えていたのが、いざ書き始めてみたら、三つ目の夢が既に半ば以上は記憶の彼方に消え去ってしまったから、二題と半端になってしまったという情けない事情があるのだ。(アップ時に記す)]

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← アルベルト・カイプ Aelbert Cuyp 『River Sunset』 (画像は、「Aelbert Cuyp paintings prints reproductions」より)

オランダ風景画の巨匠アルベルト・カイプ(前篇)

 過日、『プルースト評論選 Ⅱ芸術篇』(保苅瑞穂編 ちくま文庫)を寝床で読んでいたら、アルベルト・カイプという画家への言及が気にかかった。
 プルーストの文章では褒められているのかどうか定かではないが、ある山野の風景を叙述する際に、彼(の絵)が参照される形で名が挙がるとは、少なくともプルースト(1871-1922)の生前(のフランス)においては人気があった、あるいは知名度があったということなのだろう。

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2007/11/26

織田一磨…消え去りし世を画に遺す

 横須賀美術館にて催されている展覧会「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」を観に行ってきた。
(この展覧会が開催されていることは、拙稿「「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」 ! !」で案内してあった。)

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→ 織田一磨《駿河台(自画石版画集「東京風景」より)》1916年5月 (画像は、「横須賀美術館」の中の、「イベント」頁より)

 この展覧会で感じたことそのほかは追々書いていくとして(日記風レポートは既に「「清宮質文展」:図録に始まりパンフレットに終わった一日でした」にてメモした)、今日は、この展覧会で得た収穫の一つである、織田一磨という名の版画家を採り上げたい。

 横須賀美術館では、「「清宮質文展」:図録に始まりパンフレットに終わった一日でした」の文末にもメモしたが、所蔵品展として、「小特集:織田一磨《東京風景》」が開かれていたのだ。

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2007/10/06

埴谷雄高「死霊」の構想メモ見つかる!

 2日(火)、テレビのニュースで、興味を掻き立てられる情報が伝えられていた。
 それは、「埴谷雄高「死霊」の構想メモ見つかる」(「asahi.com:朝日新聞の速報ニュースサイト」より)というもの。

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→ 『埴谷雄高  新たなる黙示』(対談・島田雅彦×鹿島徹、埴谷エッセイコレクション 河出書房新社)

 一部、転記する:

 戦後文学の代表作の一つ、作家埴谷雄高(1909~97)の大長編小説「死霊(しれい)」の構想メモが見つかった。神奈川近代文学館が2日、発表した。30年代後半に書かれたものと推定され、戦後に発表された小説とは異なる設定・人物造形がみられる。戦後の思想界にも大きな影響を与えた哲学小説の生々しい原形を示す貴重な資料だ。
(中略)
 「主題」と題したメモからは、当初から哲学と文学とを融合した作品を構想していたことがわかる。一方、人物造形メモからは、当初は主役の設定が異なり、主人公と活動家の2人がメーンだった。活動家がのちに実兄と異母兄とに分裂していったことがうかがえる。

 また、主人公の婚約者はエキセントリックな女性とされ、活動家と「強姦(ごうかん)」について語る場面の草稿も見つかったが、こうした場面は小説には出てこない。
(中略)
 構想メモは、6日から11月25日まで同文学館で開催される「無限大の宇宙――埴谷雄高『死霊』展」で展示される。また今月6日発売の文芸誌「群像」11月号に構想メモ全文と解題が掲載される。


無限大の宇宙―埴谷雄高『死霊』展」(「会期 : 2007年(平成19年) 10月6日(土)~ 11月25日(日)」「神奈川近代文学館/(財)神奈川文学振興会」参照)

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2007/09/15

静かに静かに「里の秋」を

 あるサイトを覗いていたら、「「イナンナ」連載開始!|May Allah smile upon you always...」と題された記事が載っていた。
 記事に拠ると、「「週刊・モーニング」で、ベリーダンスのマンガの連載が、今週から始まった」こと、「作者さんは、アノ「陰陽師」を描いた「岡野玲子」さん」だということなどとあり、さらに、「バレエ・マンガは多数出ていますが、ベリーダンス・マンガは、日本では、初めて」だろうと書いてある。
 ベリーダンス・マンガが、しかも、かの岡野玲子の手により描かれ連載となる!

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→ 岡野玲子作『イナンナ』 (画像は、「モーニング NO.41 2007年09月13日(木)発売」より) 「新連載肉体の魔術の物語、ここに開幕!」だって!

 ベリーダンスの俄かファンの小生、ちょっと驚き、ちょっと嬉しい。サンバも好きだが、ある意味、テンポというかリズム感のまるで違うベリーも凄く魅せられるものがある:
ベリーなる美神の舞いを見てきたぞ

 岡野玲子さんの公式サイト:「OGDOAD
 始まる(9月13日に発売されている)漫画「イナンナ」については:
モーニング 連載マンガの部屋
(「週刊・モーニング」は週刊だが、「イナンナ」は月に一度の連載となるとか。)

 ストーリーは、下記しか示されていない:

女神が踊るベリーダンス。
その肉体の魔術をご覧あれ!

 題名の「イナンナ」とは、どうやら「古代メソポタミアのシュメールの女神様の名前」であり、「金星をシンボルとする豊穣の女神」のようである。

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2007/08/19

人間と経済の実態を描くタフさを思う

 今日は思うところがあって、テレビアニメ「忍たま乱太郎」(「NHKアニメワールド:忍たま乱太郎」参照)にちなむ思い出を書こうと思ったが、少々思い入れがあり過ぎて(?)、取りやめ。

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← テレビアニメ「忍たま乱太郎」(「NHKアニメワールド:忍たま乱太郎」参照)

 このところ愚痴のようにして、何度となく書いているが、今、担当している車にはFMが受信できない。AMのみ。
AMだって、ヴァラエティに飛んだ放送があるとは思うけど、夏ともなると、NHKは高校野球(甲子園)、夕方六時ともなると民放はプロ野球で、必ずしも野球ファンではない小生(大リーグの日本選手の活躍ぶりは気になるが)、聴く番組がなくなってしまう。
 それでも、夜になると、少しは聞ける番組も出てくるし、選ぶ余地が生まれてくる。

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→ 高杉 良著『消失―金融腐蝕列島・完結編』(ダイヤモンド社)

 言えることは、FMが聞けない分、音楽に親しむ機会(時間)が車中で減ってしまったということ、その結果、多彩な音楽ジャンルに触れる機会が減ったことだ。
 ま、これは仕方がないとして、それでも、小生の苦手なインタビュー番組などを聴く機会は間違いなく増えている。
 小生、人の話を聴くのが苦手(学校の授業も含めて)。まして、一応は営業中である。最初から聞きかじりになるのが分りきっている。音楽なら、1分でも2分でも聞ければ、ある程度、纏まったメロディなり音楽世界に束の間であろうと、浸ることはできる。
 が、人の話となると、多少でも起承転結の一節を聞かないと、何がなんだか分らない。

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2007/08/17

「漱石の白くない白百合」の色話

 自宅では、昨日のブログ日記にも書いたように、F.キングドン・ウォード著の『植物巡礼 ―― プラント・ハンターの回想 ――』(塚谷 裕一訳、岩波文庫)をヒマラヤやチベットなどの高峰や奥地を想像しながら読んでいる。
 車中では、半藤 一利 著の『漱石先生ぞな、もし』(文芸春秋社)を寸暇を惜しむようにして(このところ忙しくて本を読む時間が侭ならない…)読んでいる。

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→ 半藤 一利 著『漱石先生ぞな、もし』(文芸春秋社) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より)

 本書については、前々から読みたかったし、唾も付けていたのだが(拙ブログ日記「漱石とモナリザ・コード」で、「「妻の半藤末利子は、作家松岡譲と夏目漱石長女筆子の四女で随筆家」だという半藤氏の書いた「漱石先生ぞな、もし」などの漱石関係の本も読み浸ってみたい」などと書いている)、過日、図書館の書架を物色して歩いていて目が合ったので、即、手に取ったのだった。

 さて、本書をひも繙(ひもと)いていて、びっくりする記述に出会った(大袈裟か)。
『植物巡礼』も『漱石先生ぞな、もし 』も、並んでいる書架(コーナー)がまるで違う。たまたま、それぞれの興味・関心に従って手にし、両者を自宅で、あるいは車中で読み進めているに過ぎない。

 その『漱石先生ぞな、もし』の中で、『植物巡礼』の訳者である塚谷裕一氏の名前を目にしたのである。
 当然ながら植物学者として参照されているのだから、登場したって不思議ってことはないが、たまたま手にしている二冊が「塚谷 裕一」氏繋がりということに、ちょっと縁を感じたという(考えようによってはつまらない)話である。

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2007/08/15

花火大会と空襲の間に佇む

 お盆の真っ最中である。お盆の帰省ラッシュが今度は往路のラッシュとなっている。
 猛暑日(「群馬県の館林で気温が40・2度を記録」!)の続く夏も、さすがに今頃ともなると、花火大会というイベントも大方は終ったようだ。

 尤も、東京に付いては、「日刊スポーツ主催 2007 神宮外苑花火大会」(公式サイト)が「2007年8月16日(木)」に催される。明日だ!
 しかも、予備日(17日(金))まで設けてある。

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→ 山下清『富田林の花火』(画像は、「山下清「富田林の花火」 ギャラリー小山 自由が丘にある画廊 山下清の絵画,版画を通信販売(通販」より)

 東京23区在住のものにはこれが最後のチャンスなのか(他にもこれから開催されるものがあるのかどうか、小生は知らない。調べたら、「世田谷区たまがわ花火大会」が「多摩川河川敷」にて「8/18(土)に開催されるようである)。

 今の所、小生は今年も一つも花火大会の会場へ足を運んでいない。

 ただ、都心を中心に都内をうろうろするという仕事柄、花火大会会場、あるいは見物スポットへのニアミスは少なからずある。

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2007/08/08

『アフリカの音の世界』は常識を超える!

 文化人類学者である塚田健一氏著の『アフリカの音の世界―音楽学者のおもしろフィールドワーク』(新書館)を先週末に読了。2000年に刊行された本なので、新しい本とは言い難いだろうが、面白かったとは言い切ることができる。
 謳い文句では、「耳を圧倒するハーモニー、ずらして組み合わせる巧妙なリズム、西洋音楽の常識を解体するゆたかな音の世界。灼熱の大地を縦横にフィールドワークする音楽学者が、その魅力をいきいきと描く。」となっている。

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← 塚田健一著『アフリカの音の世界―音楽学者のおもしろフィールドワーク』(新書館)

 過日、「ラジオ聴き音の風景たっぷりと」の中で、「東南アジアの民族音楽、サウンドスケープ、サウンドアートを研究する。ジャワ音楽をシスワディほかに師事。1980年代よりガムラングループを主宰し、カナダ、インドネシアへの海外公演を成功させる」という人物であるマルガサリメンバーの中川 真氏を紹介した。
 あるいは、「秀逸! 工藤隆著『古事記の起源』」の中で、「古事記」研究が、21世紀に入って、中国を初めとするアジア規模で、そのルーツや淵源を(今に残る形を通じて)探る新しい段階に入りつつあることを紹介している。
 音楽の世界でも、日本の研究者が既にアフリカへのその始原の音を求めての研究の旅に出ていることが本書で分った。
 西欧の<楽譜>に象徴される音楽とは実に対照的な<音の世界>が塚田氏の、積極的に現地の人びとに溶け込む人柄も相俟って、興味深く示されている。
 本書で小生がサンバを初めとする音楽の探索を試みてきたことの、かなりの事柄に付いて、その淵源に逢着したような気がして嬉しかった。
 単純に、ヘエー、そうなのという感動を覚えたりしたことも何度もある。

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2007/06/22

「永遠の歌姫伝説~美空ひばり生誕70年」から

 明後日6月24日は、美空ひばりさんの命日である。
 だからだろうか、彼女にちなむ番組がラジオでもちらほらと(数年前に比べると随分と少なくなったような気がする。24日の前日や当日になると、一挙に関係する番組が増える?)。

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→ 『川田晴久と美空ひばり アメリカ公演』(橋本治/文 岡村和恵/文、中央公論新社) 「昭和25年5月16日~7月24日初公開秘蔵版(写真・日記・録音)。歌と肉声CD付き(ロスアンゼルスでのプライベート録音を含む)」という。

 美空ひばりさん(1937年5月29日 - 1989年6月24日))について、小生如きが何を語る話題もない。
美空ひばり - Wikipedia」や「美空ひばり公式ウェブサイト」などを参照願いたい。
 特に後者は画像も多く、覗き甲斐がある。

 ついさっき、「美空ひばり - Wikipedia」で美空ひばりさんの生没年を見て、驚いた。
 彼女は、52歳で亡くなっている。彼女が亡くなられた時、小生は35歳だった。
 なので、彼女は小生にしてみれば、ずっと年上(貫禄もあったし)だったなという思いがあったのだが、なんと、彼女、今年の時点で小生より一つ年下!
 若い! あまりに若すぎる死だ。

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2007/05/24

レイチェル・カーソン生誕百周年!

 NHKラジオ(第一)の「ラジオ深夜便」でこの月曜日の深夜から4日間に渡って(今夜が最後!)、下記の番組が流されている:

自然と共に生きること~生物学者レイチェル・カーソンの贈り物
レイチェル・カーソン日本協会理事長 上遠恵子

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← リンダ・リア著『レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯』(上遠 恵子訳、2002/08東京書籍刊) 秀逸! レイチェル・カーソンを知らない人も、本書を読むことで身近に感じられる。生物学者であると同時に一人の女性として病を抱えつつ(『沈黙の春』を執筆中に癌宣告された!)、信念に生き抜いた方だったのだ。

 どうやら、今週末の5月27日(日)はレイチェル・カーソンの生誕百周年となることにちなんでの特集のようだ。さすがにテレビで扱うにはもう過去の人になりつつあるということなのか。
 これほどに社会に警鐘を鳴らした人もなかったように思うのだが。
 小生は、彼女の生誕40周年である2004年に一年遅れる一昨年、彼女の本、彼女についての本を纏めて読む機会を持ったので、今、改めて繰り返すつもりはない:
「沈黙の春」(2005/05/23
「センス・オブ・ワンダー…驚き」(2005/06/04
「レイチェル…島尾敏雄…デュ・モーリア」(2006/05/04

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2007/05/10

文人は命からがら辛いもの

 小生は、過日より、ドナルド・キーン著『渡辺崋山』(角地 幸男訳、新潮社)を読んでいる。最相葉月著『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)も秀逸の伝記だったが、本書も単に渡辺崋山だからというのではなく、読み応えのある評伝である。

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← 高士観瀑図(こうしかんばくず) (「渡辺崋山 田原市博物館」収蔵品より)

 これまで、本書から枝葉的な雑文として「君の貞節堅固は、松や柏と同じである」や「歌舞妓人探しあぐねて木阿弥さ」を書いてきたが、本稿も同じく、本書の記述から本書のテーマに直接は関係のない話題をピックアップしてメモしておく。

 先に進む前に、渡辺崋山を紹介するサイト(博物館)を掲げておく:
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 崋山の画には、多用な画風が見られる。「華山の代表作 田原市博物館」なる頁参照。小生などは、「一掃百態図」や「四州真景図」など市井の風景などを旅の道すがら、サッと描いた画が好きだ。
(残念ながら、「四州真景図」の画像が見つけられなかった。)

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2007/04/29

いいじゃないの今が幸せならば?!

 27日は営業の日だった。金曜日で月末で連休前ということもあり、営業の回数は予想通り、多かった。
 そんな中、ラジオで断片的ながら注目すべきニュースを聴くことができた。
 最高裁判所で、ある裁判について判決・判断が下されたのだ。

 翌日のテレビでこの問題がどのように採り上げられるのか見たかったが、会社の行事=明け集(明け集会:明け集とは何ぞやについては、拙稿「読書拾遺:装幀家・菊地信義氏」に若干の説明がある)があって、見ることが叶わなかった。
 保守的な論調、タカ派有利の風潮が高まっているから、娯楽番組全盛の昨今の事情を鑑みると、裁判結果が報じられるのみだったのかもしれない(それさえも、あったのかなかったのか分からない)。

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2007/04/20

銃と薬コズモポリスの主役なり?!

 ドン・デリーロ 著の『コズモポリス』 (上岡 伸雄訳、新潮社)を読了した。
 一気に読んだ。ということは面白かったから?
 とも言い切れない。評価乃至は読後感は自分の中で二分している。高い評価と無駄を配した、いかにもアメリカ流の小説の典型の一つに過ぎないのではないか…。

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← ドン・デリーロ 著『コズモポリス』 (上岡 伸雄訳、新潮社)

 どこか殺伐な会話に辟易して、幾度も読むのを放棄しようと思ったのも事実なら、これがアメリカのある種の現実…というより現実感そのものなのではないかという思いとが交錯して、最後まで揺れて止まなかったのである。
 一番、放棄したくてならなくなったのは、最初から最後まで主人公へ感情移入できなかったことに最大の理由がある。
 犯罪者、それこそ、長崎市長を銃殺した暴力団の奴だって、文学の主人公として描かれたなら、作家次第では愛憎半ばしつつも読み手の心を掴んで最後まで放さないということは十分ありえる。
 が、本書を読んで、最初から主人公にまるで魅力を覚えなかった。反感さえ抱かなかった。

 少し読み進めたら、あるいは憎みつつも、こういう人間が存在している! ここにいる! という強烈な現実感で共感する感覚を覚えるかもと思ったが、最後まで他人事に終始してしまったのである。
 そもそも、小説の主人公の設定は、安っぽい大衆小説なら魅力的、あるいは出来すぎのはずである。
 若くして投資家として成功を収め巨額の富を得た男。巨大なリムジンでマンハッタンを流す男。
 だが、それだけにはとどまらない。

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2007/04/19

徳川恒孝…江戸の世や今こそ思うありがたさ

 最近、何か扱い忘れているテーマがある…。
 何だろうと思ったら、読書拾遺!
 それもあるが、夕べ、ラジオで聴いた話シリーズを最近、全く、書いていない。
 って、そんなシリーズがあったかどうかも定かではない。
 あったことにして、久しぶりにメモってみる。

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→ 徳川恒孝著『江戸の遺伝子―いまこそ見直されるべき日本人の知恵』(PHP研究所)

 昨日は営業。冷たい雨の降る都内を車でウロウロ。
 といっても、景気が悪いこともあり、都内というのは大袈裟で、ほとんど城南の域を出ない。
 それも、渋谷や六本木を避けているから、海辺の城南限定。
 オートマ限定の免許は聞いたことが誰しもあるだろうけど、城南限定のタクシードライバーってのも珍しい?!

 家を出るのは朝の9時半過ぎ。営業は10時半過ぎの開始(朝礼から)で、途中必要以上の(異常なほどの)休憩を三度は断固取り、翌朝の6時過ぎまで車中で過ごす。
 そう、営業のたび、車中泊している…じゃない、車で営業しているのだ!

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2007/04/01

バルザック誰もが主役の小説か

 今日4月1日はエイプリルフールの日。「四月馬鹿」とか時に「万愚節」とも言う。
 小生は、一昨年「万愚節(ばんぐせつ)」で大凡のことは書いたので、今日は、まさに人生がエイプリルフールそのもののような作家を俎上に載せる。

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← バルザック『ウジェニー・グランデ』(山口年臣訳、「グーテンベルク21」)

 つい、一昨日、「一杯のコーヒーが紡ぐもの」と題した記事を書いた。
 別にコーヒー繋がりを意識したわけでもないし、やがてはこの話題を持ち出すつもりで上記の日記を書き連ねたわけではないのだが、昨日、土曜日、過日より読み進めていたオノレ・ド・バルザック著の『ウージェニー・グランデ』を読了した。

 ただし、小生が読んだのは、『コレクターズ版 世界文学全集 23』(日本ブック・クラブ)で、この第23巻には、デュマ・フィスの「椿姫」(鈴木力衛訳)とバルザックの「純愛」(安川茂雄訳)が所収となっている。
 このうち、バルザックの「純愛」とは、「ウージェニー・グランデ」のことなのである。

 ととと。冒頭でコーヒー繋がりがどうした、などと書いているのに、肝心のことを書いていない。
 実を言うと、バルザックファンなら知っているだろうが、バルザックは無類のコーヒー党なのである!

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2007/03/21

自分の体で実験したい!

 レスリー・デンディ/メル・ボーリング著の『自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝』(梶山 あゆみ訳、紀伊國屋書店)を読み始めた。実に面白いし、感動的ですらある。
 感想を書く前に早速、余談。

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← レスリー・デンディ/メル・ボーリング著『自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝』(梶山 あゆみ訳、紀伊國屋書店)

 著者は小生には全く馴染みのない方々だが、訳者の梶山 あゆみ氏という名前は、何処かで見たことがあるような。
 奥付けで訳者紹介を見てみると、ハナ・ホームズ著『小さな塵の大きな不思議』(紀伊國屋書店)も同氏の訳した本で、この本も科学に(も)素人の小生だが、肩に力の入ることなく、気軽に楽しく読ませてもらったのだった。
 以前、簡単な感想文を綴ったこともある。

 さて、本書だが実に読みやすいし、読んでいて引き込まれていく。
 それもそのはずで、著者は一人は長年、教鞭をとって来られた方だし、もう一人は編集者。

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2007/03/19

愛本のちまき…ラジオで聴いた話あれこれ

 土曜日も仕事だった。人の出は結構、多く、営業の回数も多かった。近場ばかりで売り上げは寂しいものだったが、ラジオではたっぷりの音楽はもとより、あれこれ話を聴くことができて、実り豊かだった!

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← 池田(渓斎)英泉『花魁』(「浮世絵春画(枕絵、艶本)の展示室」より)

 聴くつもりはなかったのだが、夜中になって、国会での何かの委員会でのNHK予算案審議の模様を断片的に伺ってしまった。
 ちょっと驚いたのは、NHKの受信料の強制化の検討に関連して、受信料を漏れなく徴収するため、住民基本台帳を使うことも視野に(検討の材料に)入れていると、NHKの方が答弁して言っていたこと。
 なるほど、住民基本台帳は税金の徴収だけではなく、公的な利用料の徴収に活用できると一部では目論んでいるわけだ。
 賢い?! 怖い?

 赤ちゃんポストの特集も某FM局でやっていて、なかなか興味深かった。
 今日はこの問題は採り上げるつもりはない。下記サイトを参照願いたい:
[解説]赤ちゃんポスト設置へ ニュース 医療と介護 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
赤ちゃんポスト - Wikipedia

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2007/03/11

年経ても維新の息の今にあり

 車中では勝小吉著の『夢酔独言』(『平子龍先生遺事』を収録。勝部真長=編、平凡社ライブラリー)を読んでいて、日を追うようにして自宅では勝 海舟著の『氷川清話』(江藤 淳・松浦 玲編、講談社学術文庫)を読んでいる。
『夢酔独言』は、勝海舟の父君・勝小吉の著述で、天衣無縫というか、幕府の旗本の末裔ながら、力を発揮する場もなく、幕府から碌も貰えず、憤懣やるかたない滾り立つエネルギーを無闇に発散させている。

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→ 勝小吉著『夢酔独言』(『平子龍先生遺事』を収録。勝部真長=編、平凡社ライブラリー)

 彼は学問が性に合わず、文など書けなかったが天保の改革の時、老中より蟄居を申し付けられ、その際、文筆を覚え、このような特異な、得がたい著述を著した。自分の情けない人生を反面教師にしろと。
 ある意味、これもまた我が侭勝手な理屈ではあるのだが。
 本書で改悛の情を示したというべきなのか。だから、息子の名前も海舟と名付けた! …なんてのは冗談として。

 勝 海舟著の『氷川清話』は、云うまでもなく、幕末に手腕を発揮し、江戸城無血開城を果たし、幕末から明治維新の特に江戸の町の混乱を最小限に抑えた功労者の自伝である。

 要するに勝海舟本人と父との親子鷹ならぬ親子本を読んでいるというわけである。
 いずれも無類の持ち味を持つ稀有な本。女性は分からないが、男子だと結構、ワクワクしつつ読める本だろう。

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2007/03/06

今日の日で古今東西くくれども

 この頃は、「3月6日 今日は何の日~毎日が記念日~」を夜半になると覗いてしまう。
 習慣というより、もう、半ば癖のようになっている。
 今日と云う日も古今東西、いろいろなことがあり、いろんな人物が生まれ、あるいは亡くなっている。単なる時系列上の一点に過ぎないのだけれど、そこに縁や何かを感じ取ってしまうのが人間なのだ、なんていうのは大袈裟か。
 例えば、某所で誰かが病気で、それとも事故や事件で亡くなったとする。すると、その某所は、墓所と同じように縁(ゆかり)のある場所として看做され、何らかの思い入れを以て眺められることになる。

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→ ミケランジェロ「ピエタ(Pieta)1499年」(「サルヴァスタイル美術館 ~西洋絵画と主題解説~ ミケランジェロ」より)

 小生など、仕事柄、都内を車で走り回っている。
 すると、都内の交差点やガードレール、あるいは緑の分離帯などに花束がポツンと置かれてあるのを目にすることがある。
 それも、日に何度も、ということがある。
 何も同じ場所を通り過ぎたから、ではない。
 そう、交通事故現場なのである。それも、花束がわざわざ手向けられているということは、死亡事故だと思って間違いない。
 都内は人口比率からすると死亡事故の数は北海道や千葉その他に比べると、相対的に少ない。
 それでも年間、数百件の死亡事故がある。

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2007/03/04

藤原新也…鳥葬も地・水・火・風の証かも

[表題の「鳥葬も地・水・火・風の証(あかし)かも」については、「鳥葬」なる頁など参照。]

3月4日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗いてみる。
 気になる事件や人物が少なからずいる。
 今日が誕生日の人というと、『四季』のアントニオ・ヴィヴァルディ、『カインの末裔』『或る女』の有島武郎(高校時代に『或る女』を読んだ興奮は今も鮮やか。ガッカリしたくないので、未だに再読を控えている)、理論物理学者のジョージ・ガモフ(ガモフの本には随分、お世話になった)、俳優の天知茂、写真家の藤原新也……。

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← ジョージ・ガモフ著『不思議の国のトムキンス 新版ガモフ全集1』(白揚社) 小生はまるで理解など及ばないながらも、中学生の頃、読み漁っていたっけ。懐かしさもあって、91年頃に出た『G・ガモフコレクション』(白揚社)を揃えようとした。中途でやめたけど。

 今日が忌日の人には、考古学者のシャンポリオン、俳優でもあったアントナン・アルトー、歴史学者のカール・ヤコブ・ブルクハルト(学生時代、ブルクハルト著の『イタリア・ルネサンス期の文化』( 柴田 治三郎訳、中央公論社・世界の名著)も読んだが、カール・レヴィット著『ブルクハルト── 歴史の中に立つ人間』(西尾幹二/滝内槙雄訳、TBSブリタニカ)を読んだっけ。本書を読んだのは、小生、何故かカール・レヴィットの著作に魅せられていたこともあり、また、確か、ブルクハルトというのは、ニーチェが畏敬の念を抱いている人物だったからでもあって、これらの関心事を同時に満たしてくれる本ということで選んだような)、鈴木信太郎(ボードレールの『悪の華』)……。

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2007/03/01

クラスターなき世の中で暮らしたい!

 昨夜、ラジオでクラスター爆弾の話題を聞いた(「J-WAVE」でだったかな。曖昧な記憶で申し訳ないが、JVC清水俊弘氏がゲストだったような)。
 クラスター爆弾の廃絶を目指す「オスロ会議」が開催されていたことは、テレビ・ラジオでも報道されていた:
クラスター爆弾廃絶目指す「オスロ会議」始まる」(2007年02月22日19時28分)

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← 『So Cartola』( Elton Medeiros / Nelson Sargento / Galo Preto、レーベル:Rob Digital) 最近、毎晩、寝る前に「リベルダージ愛唱歌集」(←我が愛盤である! 必聴!)と代わる代わるに聴いている。

「市民を無差別に死傷させ、人道面からの批判が強いクラスター爆弾の廃絶を目指して、ノルウェーが提唱した国際会議が22日、オスロで始まった。48か国と国連機関、NGO(非政府組織)が参加した」というもの。

 日本はというと、安倍首相の曖昧路線を反映してか、「米国、ロシア、中国は不参加。日本政府は会議の直前に参加を決めたが、「国際的にどう論議されているか理解を深めるため。CCWの枠組みで話し合うべきだという基本姿勢に変わりはない」と一定の距離を置いている」。
 つまり、様子見である。日和見主義というべきか。

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2007/02/28

お寺の鐘が鳴ると胸が疼く

 明治は遠くなりにけり、ではないが、小生にとって学生時代は遥か昔のことになっているような気がする。
 ひたすら懐かしいばかりである。
 まして、小学校や中学、高校となると、夢のようでもある。
 いろいろ脳裏に思い浮かぶことはあるのだが、ふと、思い出されるのは始業・終業時間を告げるチャイムの音。そして懐かしい馴染みのメロディ。
 この音は、学校の傍を通りかかったり、あるいはテレビのドラマで学校のシーンが登場すると、その雰囲気を醸し出すためだろうか、格好の小道具としてチャイムの響きがメロディと共に流れてくる。

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→ ミレー 「晩鐘」 「鐘の音色に合わせ、死者へ祈りを捧げる農夫婦。本作は、夕刻の畑で、鐘の音に合わせて死者のために天使の祈りをするように祖母から教えられた、ミレーの幼い頃の思い出から描かれたとされている」(「ミレー-晩鐘-」より)

 あのメロディには当然ながら原曲があり、曲名もある。
 さらに、作曲者も分かっている。
C&K Kompany」の中の「学校でお馴染みのあのチャイムはオルガン曲」によると、原曲はオルガン曲であり、曲名は「[Pieces de fantaisie pour orque Op.54/Carillon de West minster]...「幻想的小品 ウエストミンスターの鐘」であり、作曲者は「ルイ・ヴィエルヌ(Louis Vierne 1870-1937 )」なのだとか。
学校でお馴染みのあのチャイムはオルガン曲」では、この曲が戦後、日本の学校現場で採用されるに至った経緯と同時に、7分以上あるというオルガン曲も聴くことができる!

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2007/02/11

建国も温故知新で意義新た

2月11日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗いたら、今日は「建国記念の日(National Foundation Day)」だという。
 今日が祭日だとは、さすがに世間のことに(も)疎い小生も気づいていたが、このサイトを覗いて思い出したのだった。
 尤も、「「国民の祝日」について」なる頁の「国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)」によると、「第2条 「国民の祝日」を次のように定める 」では、他の休日は日付を決められているのに、「建国記念の日」は「政令で定める日」となっている。変?!
 趣旨は「建国をしのび、国を愛する心を養う」と立派なのだが。

2月11日 今日は何の日~毎日が記念日~」によると、下記の事情があったとか:

 建国記念の日の日附については内閣の建国記念日審議会でも揉めたが、10人の委員のうち7人の賛成により、2月11日にするとの答申が1966(昭和41)年12月8日に提出され、翌日政令が公布された。
「建国記念日」ではなく「記念の日」なのは、建国された日とは関係なく、単に建国されたということを記念する日であるという考えによるものである。

 詳しくは、下記サイトなどを覗いてみて欲しい:
建国記念の日(2.11)
「建国記念の日 - Wikipedia」

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→ 『日本の歴史 00』(網野善彦編、講談社刊) 画像はAmazon.co.jpより。本書は、網野善彦世界入門書としてもお勧めである。網野善彦は、今更ながらに瞠目すべき歴史家だったと思う。

 まあ、建国された日を探ろうというのは、そんな銘記されるべき日が実際にあったのだとしても、有史以前の話なので、雲を摑むような話であり試みなのだろう。
 あくまで、建国された日ということではなく、いつか分からないが、過去の或る日、建国されたのだろうし、先人の労苦を今日なら今日、偲んでみるのもいいことだろう。
 
 小生、建国の日を決めるに当っての明治維新当時(の政府)のドタバタ劇を読み、さらに紀元節という言葉などから、ふと、数年前に書いた小文を思い出した。
 タイトルが思い出せない。
 確か、メールマガジンで公表したはず。その後、その小文はホームページに格納したかどうか覚えていない。思考力も弱いが、記憶力も悲しいほど自信がない。
 そこはネット(検索)の有り難味である。検索してみたら、「日本神話のその昔から、そしてその後も」という文章を載せたメルマガが浮上してきた。
 ラッキー!
 以下、発表当時のままに掲載する。今なら、多少は違う文脈を立てると思うのだが、まあ、こうした形で公表したという事実は消せないので、忸怩たる思いをかみ締めつつも、改めて読み返してみるのもいいだろう(特に本文の中にある、「神話とは勝者が過去を振り返って都合のいい物語を現在に向かって措定する虚構の上の支配装置なのだと小生は考えるのである」という意見に対しては、小生自身が今なら真っ向から反対するかも!)。

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2007/02/07

何想う今日は北方領土の日

2月7日 今日は何の日~毎日が記念日~」なる頁を覗くまでもなく、今日は2月7日は「北方領土の日」であることは、ブログの記事「昨日は北方領土の日」へのアクセスが今日という日付になると増えることでも気づく。
 小生の場合、仕事柄、都内、それも都心を車で走り回るので、国道一号線の飯倉交差点周辺の警察による、日頃以上の警戒振りでも「北方領土の日」なのだと気づかされる。
 そう、今日は右翼の街宣車などがうろつく日なのである。
 暴力団の抗争事件もあって、警察も大忙しだろう。

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→ 昨年(!)1月21日の夕方に撮ったもの。今年は一度もこんな景色を見ることはない、今のところ…。

 ついでなので、昨年の2月7日には何を書いていたかというと、「白魚から歌舞伎に…」と題されていて、季語随筆というテーマの下、「白魚」についてあれこれ書き綴っていた。
 話の眼目は、「シロウオ(素魚)とシラウオ(白魚)」の混同であり異同だった。
 ここから何故に歌舞伎の話題へ飛んでいったのかは、歌舞伎好きの方なら、すぐに察せられることだろう。

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2007/01/30

ブグローの官能の美の徒(ただ)ならず

 ブーグロー(Adolphe-William Bouguereau 1825~1905)なる画家を最近、個人的に(再)発見した。既に、「草城の句境を知らず人は過ぎ」(や「会うことの叶わなざりしをただに知る」で若干の画像と共に簡単な紹介を試みている。

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← ブーグロー……ダ・ヴィンチの画を想わせる。

  ブグロー(ブーグロー) については、定番の「ウィリアム・アドルフ・ブグロー - Wikipedia」や、前にも参照させてもらった、「アドルフ-ウィリアム ブグロー(ブーグロー) の超 甘美」なる頁を覗かれるのが、彼の世界を知るに一番、小生のような初心者には無難だし相応しいのかもしれない。
「ウィリアム・ブーグロー(ブグロー)は、1884年フランス美術アカデミー会長になり、印象派の画家達(セザンヌ、ルノワール等)を、サロン出品から落選させていた人物であ」り、「古典を尊重し理想を求めて、熟練した高度なテクニックを有し、かつ、19世紀後半のフランス美術界で強烈な権力を握っていた」人物である。
 さらに、「古代神話の主題から風俗画に至るまで美の極致と言えるほど、甘美で精緻な技術を駆使し、親近感を覚えてしまう現世的な美しい顔立ちで表現」した人物でもあるのだ。

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→ ブーグロー「Childhood Idyll」……こういう画風なら所有したいと思う人は古今東西を問わず多いだろう。

 が、小生のような絵画についても素養のないものが鑑賞しても、「一目見てラファエロ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの要素がひらめく」画風である。
 通俗性がプンプン匂っていて、衒学性を事とするものは、彼の作品を好きだとは表立ってはなかなか口にしえないだろう。
 ある意味、絵画が古典的な表現ではなく、当代においてのリアルということを旨とするなら、彼において理想的であり且つリアルな女性像は臨界点に達していたと言えるのかもしれない。

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2006/12/16

裏日本・表日本…きれいは汚い!

 過日、折々覗かせてもらっている某ブログサイトで「裏日本」という懐かしい言葉(表現)に出逢った。
 小生の中では(思い込みに近い常識に過ぎなかったのだが)、「裏日本」という言葉は随分と昔に死語の範疇に入っているものと思っていた。
 差別用語というより、使わないのが良識だという、まあ、言葉の鬼籍に仕舞われている言葉(表現)なのだと思っていたのだ。
 当該のブログでは、裏日本という言葉を別に陰気な表現(一時期は蔑称的使われた、悲しい歴史のある用語)だとは思っていないようで、今も普通に(マスコミも含め)使われている言葉だと思われていたようである。
 無論、悪意の類いは一切、感じられなかった。
 むしろ、旅の記録(日記)では裏日本と呼称されている、我が富山を含めた地域を好意的に描かれている。

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← 「環日本海諸国図」。「この地図は、富山県が建設省国土地理院長の承認を得て作成した地図〔承認番号 平6総使第76号〕を転載し」たものだとか。詳しくは文末にて。

 ただ、少しは「裏日本」(当然ながら、相関する言葉、対となる言葉として「表日本」)という言葉の使われていた時代のこと(といっても、その末期のことを少々)知るもの、そして出身がまさに裏日本のど真ん中である富山である小生としては、若干のことを書いておきたい。
 願わくは、以下の記述が、当該の記事を書いた方への論難だとは誤解されないことを祈るばかりである。

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2006/12/10

ウタリなる名前の担う意味豊か

 街中を車で流していると、変わった名前(名称、地名、川の名前など)に遭遇することがある。
 その一つに「ウタリ」がある。表記は、メモし損ねて正確なものは分からないし、書けない。
 確か、「兎多璃」だったと思うが、「兎太里」だったかもしれない。
 居酒屋風の店構えだったような気がするが、それも曖昧模糊。
 何処で見かけたのかも確然としない。
 気になる!

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→ 昨年の正月頃に書いた、「蓬莱(ほうらい)と徐福」なる記事に使った画像。郷里の浜の松林だ。

 ただ、うろ覚えながら、アイヌの言葉に「ウタリ」があったことは記憶の端っこにかろうじて引っ掛かっている。
「大辞林 第二版」によると、「ウタリ」とは、「〔アイヌ語〕親戚。同胞。人々。…たち。」だって。
 やはり、アイヌ語だった。
 でも、もっと知りたい!

 ここはネット検索が威力を発揮すると期待しよう。

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2006/12/03

デュモンさんライトな空の旅ならず

 月曜日から車中で読み始めた灰谷 健次郎著『兎の眼』(角川書店)を、残りが百頁ほどになったので、土曜日、読了させた。
 というより、翌週の営業まで待って続きを読むなんて出来なかったのだ。
 本書に付いて今更、感想もない。
 このような先生や生徒、あるいは地域の人々との交流が現実にありえるだろうか。

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← 師走1日、都内・芝公園にて。目にも眩しい紅葉ぶりだったけど、やや逆光気味の画像になって、その鮮やかさを示せていないのが残念。

 学校の先生たちは事務・雑務が多すぎて、しかも、上からの締め付けがきつくて授業や肝心の生徒と向き合う時間もゆとりもないという。
 しかも、教育基本法の<改正>で、さらに上、今度は国家からの締め付け…どころか強制が強まるのは必至。
 もう、生徒や教育など度外視されていくのだろう。
 本書のような本を読むなんて、ありえないことになるのかもしれない。
 そうして、ただ、国家や国旗や国歌や校長や教育委員会や父兄らに平伏するばかりの、ロボットのような先生が増えるばかりなのは目に見えている。

 首相や政権で教育基本法の改変に突っ走っておられる方には是非とも本書・灰谷 健次郎著『兎の眼』を読んでもらいたいものだ。

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2006/11/27

スクリャービン神秘の扉開けてみん

 過日、車中で何気なくラジオに耳を傾けていたら、ちょっと聴いたことがないような曲調のピアノ曲が聞こえてきた。小生のような音楽音痴には全く未知な雰囲気の曲。
 曲名は聞き逃したが、作曲したのはスクリャービンだという。
 名前だけは小生も聞いたことがある。でも、どんな人物かと問われても全く分からない。

 例によって「アレクサンドル・スクリャービン - Wikipedia」なる頁を覗いてみると、アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(1872年1月6日 - 1915年4月27日)は、作曲家としてはもとより、ピアノ演奏家としても、さらに思想や人間的にも極めて興味深い人物だと分かる。
 もう、この頁を読むだけで、十分、楽しめてしまう。彼に付いては、小生如きが付け加える何もない。

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← 一夜を過ごした或る宿。

 ただ、個人的な興味から、「作曲家スクリャービンの誕生」なる項の、以下の一文だけはメモしておきたい:
「かろうじてオクターブをつかむことができたと言われるほど小さな手の持ち主だったにもかかわらず、学生時代の同級生ヨゼフ・レヴィーンらと、超絶技巧の難曲の制覇数をめぐって熾烈な競争を無理に続け、ついに右手首を故障するに至った。快復するまでの間に、左手を特訓するとともに、ピアニストとしての挫折感から作曲にも力を注ぐようになる。右手以上の運動量を要求され、広い音域を駆け巡ることから「左手のコサック」と呼ばれる独自のピアノ書法をそなえた、作曲家スクリャービンの誕生であった。」

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2006/11/25

謎の一日…原爆は誰の手に

 23日の祭日は小生は仕事だった。生憎の冷たい雨の中、車中では次々に移り変わる風景とラジオだけが友達であり慰めである。
 が、ラジオから訃報が聞こえてくるとなると、慰めとは言っておられない。
 それは、『兎の眼』(角川書店)や『太陽の子』などで知られていた児童文学作家の灰谷 健次郎氏の逝去の報。

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← 灰谷 健次郎著『兎の眼』(角川書店)

 彼に付いての話題は、これらの本が話題になった頃から、随分と見聞きしていた。
 が、だからなのだろうか、彼の本を既に読んでしまったような、妙な満腹感・食傷の気味があって、手にする機を逸し、今日に至るまで読んでいない。
 なので、追悼の文を綴るのも憚られる。

 実は、『兎の眼』なる本は所蔵している。何ヶ月か前に拾ってきたのである。刊行された83年当時に誰かが買ったものと思われ、保存の方法に問題があったのか、埃はまだしも、紙魚が一杯。
 歳月が流れ、他の多くの本と一緒に捨てられてしまったのだろう。
 汚れがひどく、手に持つのも躊躇われるような状態の本。
 でも、本の中身に紙魚が影響を与えるわけもない。
 汚いからといって、捨てられもせず。

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2006/11/10

ロビンソン漂流記…この話侮り難き思い知る

 5日の日曜日に入手した浅草サンバカーニヴァルのDVDとCD(いずれも美麗なケース入り!)のうち、今日は、CD(写真集)をスライドショー形式で眺めた。さすがに専門家が撮っただけあって、表情がいい。また、メンバーを満遍なく撮ろうとしている意図が伺えた。
 なんと、DVDにもだが、CDにも小生の雄姿(?!)が写っている。
 今なら、買えるかも。

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← クレヨンしんちゃん 伝説をよぶ 踊れ!アミーゴ! (配給:東宝)
 余談だが、昨年までのマツケンサンバブームにあやかろうというのか、「クレヨンしんちゃん 伝説をよぶ 踊れ!アミーゴ!」なる映画がこの春に公開されていて、そのDVDは近々発売されるという情報をゲットした。
「待望のシリーズ14弾!今年はサンバでカーニバルだゾ!!」だって!

 火曜日は、鶴岡真弓/鎌田東二編著の『ケルトと日本』(角川選書)を、木曜日は西田治文著『植物のたどってきた道』(日本放送出版協会)をそれぞれ読了した。
 前者は、「蛍光で浮ぶケルトと縄文か」で間接的にだが、触れている。

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2006/10/06

飛越地震…「地震」は遭っても「なゐ」とはこれ如何

 小冊子「富山県人」が過日、届いた。
 富山関係の情報がいろいろ載っていて、懐かしかったり、こんなこともあったのか、この人が富山に関係する人だったのか、など、毎月、読むのが楽しみである。
 せっかくなので、久しぶりに富山関連情報を。でも、別頁の地震情報は広く一般にも関心を持たれていい情報をも提供できていると思う。

2005年05月の索引…富山情報…浅野総一郎」の中で、「浅野総一郎の青春を描く映画の撮影が始まった」と伝えていたが、その映画の上映が「ラゾーナ川崎プラザ」にて始まっている。「延長も決まった」という情報を出演している歌手の仲代奈緒さんのブログ「仲代奈緒 オフィシャル・ブログ」で得た(仲代奈緒さんのオフィシャルサイトは「Nao Nakadai Official web site n++」):
九転十起の男 -浅野総一郎の青春- - シネマトゥデイ
 なお、この映画が上映されているのは「ラゾーナ川崎プラザ」内にあるシネコン「109シネマズ川崎」で、そのこけら落としとして上映されているものだとか(「映画:浅野総一郎描いた「九転十起の男」、26日に川崎のシネコンで上映 /神奈川:MSN毎日インタラクティブ」参照)。

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← 「九転十起の男 -浅野総一郎の青春- - シネマトゥデイ」(監督:市川徹  原作:新田純子) 浅野総一郎役の網本圭吾さん。他に、寺田農、仲代奈緒、武蔵拳、六平直政、高瀬秀司、堀田眞三、伊藤裕子らが出演

 その他、「世界3大バイオリン一同に こしのくに音楽祭(立山町・富山市)」など、メモしておきたいことがいろいろあるが、今日は、「特集 市民も進める黒部市のまちづくり  富山平野守る大事業 常願寺川砂防100周年」に焦点を合わせてみる。
(ちなみに、世界3大バイオリンとは、「バロン・ヴィッタ」「ストラディヴァリ」そして「ニコロ・アマティ」のこと。この音楽祭が富山は立山で開催されるのは、ヴァイオリニストの故シモン・ゴールドベルク氏が「1993年7月19日立山山麓で84年の生涯を閉じ」たことに機縁しているようだ。)

 常願寺川砂防事業というのは、1858年の「「安政の大地震」で、源流にたまった土砂が土石流となって下流に流れ、降雨のたびに富山平野に大災害を起こしたのが発端」という。

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2006/10/05

作曲家・市川昭介氏 死去…演歌とは顔で笑って茨道

 訃報を初めて聞いたのは車中だったろうか。
 作曲家の市川昭介氏が亡くなられたという。知ったのは9月27日のことで、「9月26日午前5時、肝不全のため都内病院にて死去した。73歳だった」という(「作曲家・市川昭介氏 死去 CONFIDENCE ランキング&ニュース -ORICON STYLE-」。あるいは、「メディア・【夕刊JanJan】さよなら市川昭介さん~名曲をありがとう」など参照)。
 今時の若い人は市川昭介氏といってもピンと来ないかもしれない。演歌や歌謡曲の時代ではなくなったようだし。

 ただ、影の薄くなったような演歌だが、今もドンドン、素晴らしい新人歌手が生まれていることは断固、明記しておきたい! 時流とは、直接重ならなくなったというだけのことであって、演歌というのは明治以来の歴史があり、これからも歌い継がれていくに違いない。
 そうはいっても、波止場、北(何故か北へ流れる)、霧、海峡、カモメ、涙、酒、酒場、女(あるいは男)、煙草、捨てる(捨てられる)といった紋切り型の歌詞(言葉)は、ますます使いづらい、時代とは齟齬する傾向を強めていくのだろう。

 市川昭介氏が亡くなられて既に十日となるが、演歌大好きで演歌・歌謡曲にドップリ浸ってきた小生としては、同氏とは直接の関わりは何もないのだけれど、簡単にでも触れておきたい。

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2006/09/26

三木清…非業なる最期も知らず恋路かな

今日は何の日」というサイトを覗いていたら、今日9月26日は、「ワープロの日」だという。
 何故に今日がワープロの日なのかというと、「1978(昭和53)年、東芝が世界初の日本語ワープロを発売した。値段は630万円だった」とか。
 日付はともかく、「東芝が世界初の日本語ワープロを発売した」こと、「値段は630万円だった」ことなどは、テレビで折々特集などで紹介されたりするので、知る人も多いだろう。
 小生が初めて自前のワープロを持ったのは、1989年1月15日(当時は成人の日で祭日だった)。この休日を利用して以前から欲しいと思っていたワープロを求めて秋葉原へ向ったのだった。
 友人たちがその数年前から仕事で使っていたので、その姿を見て単純に格好いいと思った小生、欲しくて堪らなくなったのだ。

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→ PJ-100(ソニー) 「日本の歴史的コンピュータ」より。懐かしい!

 それに会社で孤立を深めていた小生は、個人的にも曲がり角にあった。詳しくはスペースの都合もあり書かないが、自分は何のために生きていると問い詰めていって、書くこと、文章表現に全ての情熱を注ぐことと思った。
 けれど、生来の不器用で、文章を書くと、すぐに腕が上がってしまう。
 鉛筆は夢中になるとすぐに芯が折れる。ボールペンは、さすがに切っ先が折れることはないが、力の加減をせずに書くものだから、少し長い文章を書くと、すぐに腕が上がってしまうのだ。
 その辛さを大学の卒論を書いた際(最初に出した卒論は不採用になった!)に、何度も書き直したりして、散々味わった。

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2006/09/07

持衰(じさい)のこと

 昨日から今朝にかけて、「秋篠宮家に新宮さまが誕生した」というニュースでラジオもテレビも、マスコミ全般が持ちきりだった。
 何処の誰であれ、子どもが生まれ母子共に健やかであることは目出度いことである。

 けれど、へそ曲がりな小生は、「秋篠宮家に新宮さまが誕生した」というニュースを聞きながら、ちょっと古代のことなど想っていた。
 古代には「持衰(じさい)」という存在があった。

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→ 永井 俊哉 著『縦横無尽の知的冒険』(プレスプラン)

「持衰(じさい)」については、下記サイトが詳しい。
天皇のスケープゴート的起源」(ホームページは、「永井俊哉ドットコム」である。「縦横無尽の知的冒険」と題されたメールマガジンがお勧め。)
 このにおいて、永井俊哉氏は、「天皇の起源がスケープゴートだった」という論を展開されている。
 詳しくは、「天皇のスケープゴート的起源」なる頁を覗いて読んでみてほしい。
(但し、参照させてもらったが、以下で示す論旨については、責は小生にある。)

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2006/08/20

靖国と歴史認識に関連して

 このところ、小泉首相の靖国神社参拝を契機に靖国問題、ひいては先の戦争など歴史認識の問題がクローズアップされつつある。
 靖国神社側は、どういう権能があってのことか分からないが、A級戦犯者たちを合祀した。
 そのことにより、天皇家の靖国神社への参拝を阻むことになった。ある意味、後戻りできない形で靖国神社側は戦前の体質を露呈させてしまったということなのだろう。

 でも、それもまた仕方がない。靖国神社はあくまで民間の一つの宗教的施設なのであり、どのような思想・信条で運営されようと国家も政治家も忖度はしても、介入はできないわけで、ご自分たちの考えで存続を計るしかないのだろう。

 いずれにしも、今更、A級戦犯者たちの分祀など出来ない相談なのだろうし(そもそも分祀ってどういうことなのか、分からない)、分祀が可能だとしても、それはあくまで靖国神社からの分祀という経緯が付き纏う。
 一度、やってしまった(合祀という)事実は消えないのである。

 要は、明確になったのは、靖国神社が果たした役割に取って代わるという意味ではなく、天皇家も、アジアの犠牲となった方々も、戦争に行かされ犠牲となった人々も、クリスチャンの方たちも、共に追悼し平和を祈念するには、新たに国立追悼施設を作るしか他に道はないということだろう。

 そうした追悼施設ができて、一定の役割を日本において、またアジアにおいて果たすようになった段階になれば、そのときには、国家の指導者も靖国神社に(何処かの誰かさんのように、こっそり)参拝しても、他国にも日本の心ある人にも顰蹙を買われることはあっても、殊更、問題にはしなくなるだろう。

 それには、今から少なくとも五十年以上の反省の時間を要すると思われる。気の短い日本人には戦後60年余りは長いと感じるかもしれないが、アジアレベル、世界レベルからしたら60年など、つい昨日のことなのだ。特に、経済復興に邁進し、倫理的道徳的問題という辛い問題から眼を背け逃げてきた日本の人々には、これからようやく戦争の現実と歴史に向き合うことになるのだと思う。
 ようやく!

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2006/08/11

戦争体験の継承

 小生は毎年、今頃に照準を合わせる形で、15年戦争に関するあれこれを綴ってきた。
 例えば、原爆モノとして虚構の形で:
闇に降る雨」(04/08/13 記)
黒い雨の降る夜」(03/04/07 記)
日蔭ノナクナツタ広島ノ上空ヲトビガ舞ツテヰル」(August 09, 2005)

 戦記・戦争記録モノとして:
本間猛著『予科練の空』を読んで」(02/12/15)
堀川潭/著 『悲劇の島』(March 27, 2005)
常石敬一著『七三一部隊』」(March 14, 2005)

 敗戦後の日本に関連して(02年3月から4月にかけて):
『敗北を抱きしめて』雑感(1-3)
ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』雑感(4-6)
ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』雑感(7-9、余談)

出発は遂に訪れず…」(2005/06/30)
荷風散人『断腸亭日乗』雑感」(01/06/04-08)
山田風太郎『戦中派不戦日記』あれこれ」(June 27, 2005)

西野 瑠美子著『なぜ「従軍慰安婦」を記憶にきざむのか』」(May 09, 2005)

富山大空襲と母のこと」(2005年09月19日)

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2006/08/02

この花の名は…月下美人

 折々覗かせていただいている「花の俳句」というサイト、数日振りに開いてみた。
 今日の花は、「鹿の子百合(カノコユリ)」なのだが、小生、実物を観たことがないような。
 記述を読むと、「四国から九州にかけて分布し、海岸の崖や山中の岩場に生える。また、栽培もされる。」とある。テレビや写真はともかく、栽培された鹿の子百合は見たことがある…のかどうか、はっきりしない。

Sionsunflower

→ 紫苑さんにいただいた書中お見舞いの画像です(勿論、これ、表題の月下美人とは違います!)。

 ぼんやり記憶を辿りつつ、画面をスクロールしてみたら、「月下美人(ゲッカビジン)」が7月30日に扱われている。
 月下美人! 花の名前はどれもこれも妙があり、その命名のうまさに感嘆するばかりだが、この月下美人というのも、よくぞ付けたりと言いたくなる。
「開花時期は7~11月である」とあるが、季語上は、夏の扱いとなっている。
「芳香のある白い花を咲かせる。大輪の豪華な花で、夜8~9時ころに開花し、4時間ほどでしぼむ。美人薄命の喩えから「月下美人」の園芸名がつけられた」とあって、そういう事情もあるから「月下美人」なのか、と納得させられる。
花と観葉植物(葉っぱの岬)」の中の「月下美人」なる頁を覗くと、My月下美人と題されていて、愛されているのだと感じさせられる。
「香りが強く、匂いで花が咲いてる事によく気付きます」というが、小生は嗅覚に障害があり、そんな話を聞くと、羨ましくなる(その代わり、トイレの匂いに鈍感だったりするが、これは人に羨まれる能だろうか)。
 町中などで女性と通り過ぎて、ふと、香水なのか化粧品の香なのか、ふんわり漂ってくるのを感じる、そんな機会にも、あっても、気付かずに逃しているのだろう、きっと。

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2006/07/14

鶴見俊輔…戦争が遺したもの

 今更ながらなのだが、「思想の科学」を創刊したことなどで有名な鶴見俊輔氏に関心を抱いてしまった(以下、尊敬の意味を篭めて敬称は略させてもらいます)。
(以下、雑文となるので、「鶴見俊輔 - Wikipedia」で確かな知識やプロフィールを確かめてください。)
 名前は小生も知らないわけではない。が、そもそも「思想の科学」という言葉の組み合わせに最初から毛嫌い状態となってしまった。「思想」にも「科学」にも、まあ、捉えようによっては含むものも一様ではないし、要は篭める意味合いや使われる脈絡次第なのだが、「思想の科学」となると、そんなのあり? と、即座に拒否反応を起こしてしまった。
 多分、その雑誌は一冊も読んでいないだけではなく、そもそも興味本位にしろ、手に取ったことすらないに違いない。
 人によっては、「共同研究 転向」で彼を知る人もいるだろう。
 小生などは、アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者として名前だけは知っていた。
 プラグマティズムという思想がが皮相な気がして、その紹介者である鶴見俊輔まで関心の対象外に追いやったわけでもない。

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→ 小熊英二 著『〈民主〉と〈愛国〉』は大部な本。せめて、冒頭の第一部 第一章「モラルの焦土」だけは目を通してもらいたいと思う。

 そもそも、小生が哲学に興味を抱き始めたのは高校二年の夏前後の頃からだが、その最初の頃に読み浸った哲学者の本というと、ラッセルだった(「ラッセル『数理哲学入門』を読んだ頃」参照)。
 詳しいことは略すが、「ラッセルの『数理哲学入門』は私を直ちに虜にした。ペアノからフレーゲへのラッセルの論の運びは、数学的論理の厳しさと厳密さとで頭の芯が痺れるような明晰感を私に与えてくれた。その先、ラッセルは彼の階型理論へと論を進めていくのだが、その明晰・厳密な運びは、それまでに私が読んだどんな本にもない全く異質な世界を垣間見せてくれたの」だった。

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2006/07/08

探検家リチャード・バートン

月の山脈と天の川と」の中で、那須国男著の『アフリカ探検物語』(現代教養文庫)を紹介しているサイトということで、ネット検索の結果として「リチャード.F.バートン(Richard Francis Burton)」なるサイトを示している。
 が、その時は、掲げるだけに終わっていて、先へ進む必要もあったし、その頁内をじっくり読むことができなかった。
 書き終えてから読み返したら、懐かしい本の数々が載っているではないか。
 前回は、ホームページも示していない。「谷底ライオン」がそれで、このサイトの中に、「リチャード.F.バートン(Richard Francis Burton)」なるサイトがある。
 
 バートン! 何処かで聞いたことがあるな、とは感じていたが、あのバートンではないか!

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→ 『バートン版 千夜一夜物語』(ちくま文庫)

 懐かしい本の数々とは、まず大場 正史訳の『バートン版 千夜一夜物語』(ちくま文庫)のことで(無論、小生が手にしたのは別版)、小生は長編のこの物語を全て読破したわけではないが、古沢 岩美氏のイラストだけは、どの巻についても眺め入り妄想に耽ったものだった。
古沢 岩美氏に付いては、「古沢岩美」なる頁の挿画がことのほか宜しい。ちょっとピカソ的?
 内容案内によると、「花園の中の噴水のほとりで、たぐい稀な美貌の王妃と従う女たちは着物をぬぎすてた。そこに同じ数の男たちが挑みかかり、抱擁し交会し、いつ果てるともない淫欲に耽り始めた…妃の不倫に怒り苦しむシャーリヤル王は、夜ごと一人の処女と交わり、あくる朝に殺すようになる。大臣の聡明な娘シャーラザッドは、みずから王のもとに上り、世にも不思議な物語を夢の…(以下略)」とあって、学生時代になって、童話風のアラビアンナイトではない千夜一夜物語の奥の院への、その入り口ぐらいは覗いたのだった。

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2006/07/07

月の山脈と天の川と

 今日は七夕の日ということで、少しだけ七夕に関係する話を書きたい。
 といっても、今回は天の川に関連するかな、という話なのだが。
 それにしても、小生の織姫様は何処にいるのだろう。会えないのは天気のせい?

 短冊の願いを読まれ恥を掻き
 短冊に書けぬ願いは如何せん

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→ 昨日の営業中、街頭で見かけた織姫さんたち…。

「月の山脈」といっても、ここでは、「巨大クレーターができた時の周囲の盛り上がりによってつくられたと考えられてい」る、あの月の山脈のことではない(「」参照)。
「ルウェンゾリ。伝説の月の山脈」、「そこは、かつてナイル河の源と目され、多くの探検家達の憧憬の地であった」という、月の山脈である(「月の山紀行」参照)。
「月の山脈」(時に「月の山」と訳される)というと、「2世紀、アレキサンドリアの天文学者、天動説で有名なかのプトレマイオスがその著書の中で記した“ナイルの源流”」であり、「かつてはヨーロッパの名だたる探検家達の心を熱くさせた憧憬の地」、そして伝説の地なのである(「ウガンダの見どころ・行きどころ∥旅行ツアー情報∥アフリカ大辞典」参照)。
今現在、ナイル川には複数の水源があることが知られていますが、ルウェンゾリもその一つであるばかりか、アフリカ第二の大河ザイール川の水源の一つとしても知られています」という。

「冬の夜空に輝くシリウスは古代のエジプトでは重視され、「アヌビス神の星」として神格化されていました。 「エジプトはナイルの賜物」という言葉があります。この言葉はナイル川が上流の肥沃な土砂を運んでくることにより、農耕が始まり、エジプトに文明が起こったことを意味しています。当時の人々にとっては1年の決まった季節にあるナイル川の氾濫の時期をあらかじめ予測して、農耕の準備を始めることは生きていく上で必要不可欠なことでした」(「こども文化科学館-古代人からのメッセージ1」より。太字は小生の手になる)。

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2006/05/30

わが名はヴィドック…液状化する社会

 ジェイムズ・モートン著の『わが名はヴィドック』(栗山 節子訳、東洋書林)を読了。借り出した直後に若干、言及しているが、ここで簡単な感想と余談を。

 まずは、扱われているフランソワ・ヴィドックについて説明すべきだろう。
 といっても、ネットの世界ではひたすら便利なサイトでの情報源「フランソワ・ヴィドック - Wikipedia」で大凡のことは尽きている。
「脱獄と逮捕を繰り返し多数の重罪犯人と知り合い、暗黒社会の裏表の情報・犯罪の手口を詳細に知り、脱獄と変装のプロとなる。出獄するとパリ警察の手先として、徒刑場で得た情報を売る密偵となる」が眼目だろうか。
 あるいは、「密告とスパイを常套手段とし、犯罪とすれすれの摘発方法を用いて成功したが、一方入手した犯罪者と犯罪手口を分類して膨大なカードを作り、各地の警察に配備するという科学的捜査方法を確立した。後に捜査局を辞して、世界最初の私立探偵事務所を開設したが、その利用者は3000人と記録されている」というのも、時代が違うと言えばそれまでだが、いかにも警察(機構)の草創期ならではの逸話なのだろう。

「著書に『ヴィドック回想録 Mémoires de Vidocq』(1827年)があ」るとか。
 小生は未読だが、「脱獄王、密偵、私立探偵の元祖。ジャン・ヴァルジャンのモデルとも言われる男の描く、欲と狡智が渦巻くフランス大革命下の庶民・風俗・犯罪を記録した、まさに悪の百科全書。初の完訳!」となると、フランスでは知らぬものはいないという英雄(?)である以上、一読はしておいてもいいだろう。

 とにかく、フランソワ・ヴィドック (Eugène François Vidocq)の生涯が「1775年7月23日」から「 1857年5月11日」だという点に留意しておいていいのではとも思う。

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2006/02/20

今日は小林多喜二の忌日

 今日2月20日は、「季題【季語】紹介 【2月の季題(季語)一例】」にも載っているように、「鳴雪忌(内藤鳴雪翁の忌日。別名、老梅忌とも)」でもあるが、これは既に若干だが昨年の今日、季語随筆日記「木の実植う」にて触れている。
 そこで「今日は何の日~毎日が記念日~」の「2月20日」の頁を覗いてみる。
「旅券の日」「歌舞伎の日」「普通選挙の日」といろいろあるようだ。
 人物について一覧してみると、「伊波普猷 (言語学者,民俗学者,歴史家,「沖縄学」を創始) 」「ハルトマン (独:哲学者)」「志賀直哉 (小説家『暗夜行路』)」「石川啄木 (詩人,歌人,評論家『一握の砂』『悲しき玩具』) 」「左卜全 (俳優) 」「シドニー・ポワティエ (米:俳優) 」「長嶋茂雄 (野球(巨人/監督[元],内野手[元])) 」「志村けん (タレント(ドリフターズ)) 」……と錚々たる方々の誕生日である。

 一方、「惟喬親王 (皇族,文徳天皇の子,歌人) 」「バールーフ・デ・スピノザ (蘭:哲学者,神学者) 」「村山槐多 (詩人,洋画家)」「内藤鳴雪 (俳人)」「小林多喜二 (プロレタリア小説家『蟹工船』) 」「中野好夫 (評論家,英文学者) 」「武満徹 (作曲家『ノヴェンバー・ステップス』) 」……らの忌日でもある。

 この中で今日は、小林多喜二のことに若干、触れてみたい。『蟹工船』の作家・小林多喜二としてより、「特高警察に捕らえられ拷問によって虐殺」されたことのほうが知られているかもしれない。
 ちなみに、拙稿「『日本語の起源を探る』の周辺」の中でも触れたが、安田徳太郎氏の項で、「彼は反骨の医師で、獄中で拷問死した小林多喜二の遺体の解剖のために奔走した方である」と書いている。
 但し、である。小生の調査不足で、「33年2月小林多喜二の遺体を引き取り、解剖するため奔走したが、官憲の妨害で出来なかった」ことを迂闊にも知らないまま(当然ながら書いていないまま)である(太字は小生による)。

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2006/02/10

富山関連記事:猫又ダムで雪崩

 今朝未明、暇の徒然にラジオ(NHK)に耳を傾けていたら、「今日は何の日」というコーナーで「猫又ダムで雪崩」という文言が。しかし、生憎というか、ありがたいことにお客さんが乗ってこられたこともあり、ラジオに神経を集めるわけにはいかなくなった。
 が、不謹慎とは思いつつも、富山は黒部に関係するらしい話題ということもあり、頭の中で「猫又ダム 雪崩 黒四 作業小屋 生き埋め」という単語が浮かんできてならない(「猫又」と漢字で表記しているが、これは帰宅して調べてみて表記が分かったもの。当初は「ネコマタ」だった)。
 立山はともかく(これも一度限りかも)、立山黒部アルペンルートには一度、家族でバス旅行の形で行った事があるだけ。両親共に足腰が健在だった頃の話だが。

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→ 10日未明の都内某所。窓を開け後方に現れつつある朝焼けをパチリ。そろそろ仕事も引き上げ時。街灯もお役御免だね。お疲れさん!

 朝焼けの日を背に負って家帰る

 そういえば、帰りのバスの中で疲れていてボンヤリテレビを見ていたら、「ちびまる子ちゃん」が放映されていて、その日の話の中で、「大きな古時計」という歌が流れてきた。元気ぶりを発揮した両親。でも、こうしてみんなで旅行できるのもあと何年だろうかとしんみりしてしまったものだ。
(思えば、この頃までは小生の自宅のテレビも健在だった。「ちびまる子ちゃん」や「忍たま乱太郎」も欠かさず見ていたっけ…。)
[「大きな古時計」という歌は、どうやら劇場版(92年)の「私の好きな歌」の中で歌われていたようだ。はまじ(浜崎 のりたか)の好きな歌という設定になっているみたい。(当日、追記)]

 旅行の何年後だったか、「大きな古時計」は、平井堅の歌唱でヒットした。
 となると、今から5年前の夏に立山黒部アルペンルートのバス旅行に出かけたことになる(??)。

 さて、富山県人でありながら富山の歴史に(も)疎い小生、せっかくなので調べてみることにした。
 念のため断っておくと、「雪崩」は初春の季語である。

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2005/07/10

廃仏毀釈補遺

 本季語随筆の「出発は遂に訪れず…廃仏毀釈」(July 01, 2005)において、「廃仏毀釈」について若干、触れておいた。
 偶然というものか、今、車中で読んでいる関秀夫著『博物館の誕生―町田久成と東京帝室博物館』(岩波新書)の中で、まさにこの件について触れている章があった。「廃仏毀釈」についてはネットでも情報は少なからず見出せる。が、自分の勉強のためにも、本書の記述をネット世界に参入させておくべくメモしておく。

その前に本書の性格に付いて触れておくべきだろう。書評エッセイを綴るゆとりはないので、出版社サイト(岩波新書 博物館の誕生)をリンクさせておく。
 紹介文もいいが、画像が岩波新書よりも大きいし見易かったりするのが嬉しい。
 冒頭付近に、「現在、博物館の裏庭に残っている一つの石碑の紹介からこの本は始まります。それは、初代館長、町田久成を顕彰する碑文です。今ではほとんど忘れられてしまった人物ですが、この町田久成こそ、東京国立博物館の前身となる東京帝室博物館の創設に生涯を捧げた、博物館誕生の生みの親というべき人なのです」とある。
 この町田久成は、政争の混乱(「英国王子の接待をめぐる政争にまきこまれて外交官として挫折」←上掲の岩波のサイトより)で出世コースからは外れてしまったけれど、場合によっては大久保利通にも匹敵する国家の枢要な人物たりえたはずの人材だった。
 事情があって博物館の誕生に携わるが、その経過でも大久保利通などとの交流が見え隠れする。

「私財を投じて、古書・古美術品を買い求め、少しでも散逸を止めようとした彼は、文化財調査や保護を提唱し、自ら実践した最初の人物といってよいでしょう」という町田久成のことは、頭の片隅に置いておいてもいいかもしれない(「町田久成墓」より)。

「いまに残る東京国立博物館の膨大なコレクションは、急激な明治の欧風化と開発の波の中で、町田久成が守り抜いた日本人の大きな遺産でもあ」り、「博物館づくりを通して、新興日本の国威と特色ある民族の伝統を欧米に示したいとする、若い町田久成の熱い思いが込められている」というが、実は「廃仏毀釈」という悲劇も深く関わってくるのである。

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2005/07/01

出発は遂に訪れず…廃仏毀釈

出発は遂に訪れず…」において、「ネット検索していて、かの哲学者の梅原 猛氏も特攻隊に志願したことがあったことを知った」として、「日本財団図書館(電子図書館) 私はこう考える【教育問題について】」なるサイトを紹介した。
 その際には、このサイトの中で示されている梅原 猛氏の考えについては、あまり触れることはなかった。読まれた方もいるだろうが、小生としても気になる点があるので、若干、補足しておきたい。

 文中において、「「勤労奉仕」で人間がよくなるとは全然信じられない。奉仕というのはボランティアでしょう。まず信仰があって奉仕するというのならわかりますが、「奉仕の義務化」とは矛盾する言葉です」とした上で、「これは私の考え方ですが、明治以降の日本の天皇制は仏教的であるよりも多分にキリスト教的だったという気がします。一神教的で、絶対的。靖国神道なんていうものは、国家主義に改造された神道で、とても伊勢神宮と一緒にできない。伊勢神宮の神道は御遷宮の儀式で明らかなように、生命の継続の崇拝を中心においているのです」という理解を示されている。
 そして、「もしそれ(明治維新、急遽作られてた日本の神道)を近代に生かすのだったら、まず日本のした戦争の犠牲になった中国や韓国の人たちのための神社をつくるべきです。それから靖国神社をつくるならわかるけれど、そういう戦争で犠牲になった敵の人を祀る神社をつくらず、自国のために死んだ人間を祀るなど、日本の神道の精神に背くというのが私の考えです」とも語っている。

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2005/05/24

沖ノ鳥島

季語随筆日記拾遺…タクシー篇」(May 21, 2005)の中で、車中、ラジオを聴いていて、いろんな雑学的知識・情報を入手するという雑談をした。が、昨日、営業していて、その金曜日の仕事中に幾度となく聴いたニュースで触れていないものがあることに気づいた。
 それは、表題にある「沖ノ鳥島」の件。「石原慎太郎東京都知事が20日、日本最南端の沖ノ鳥島(東京都小笠原村)を視察した。周辺が日本の排他的経済水域(EEZ)であることを強調するため、島の管理状況や活用法を調べるのが目的。都知事の沖ノ鳥島視察は初めて」とか「都は漁礁や海洋温度差を利用した発電所を設置する方針」という「石原知事が沖ノ鳥島視察 自ら潜水、海中調査も」といったニュースとか、「視察後、石原知事は「キハダマグロなどがくる可能性がある」と漁業への期待感を示した。一方で、「中国がEEZをうろうろするのは潜水艦の行動範囲を調査するためだ。ますます日本にとっての沖ノ鳥島の意味合いは深いものになった」などと述べた」といった「石原都知事、沖ノ鳥島を視察 海洋調査の中国牽制」といったニュースが、その日、何度となく流れていた。

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