2008/10/07

「末期を描く…ターミナルケアの原点?」アップ

Munch5

末期を描く…ターミナルケアの原点?」をアップしました。

 本稿では、上掲書を参考に、西欧美術作品に描かれた末期の諸相を見てみたい。
 筆写によれば、これらの絵画にはターミナルケアの原点が描かれているのでは、という。

 ところで、俳優の緒形拳さんの突然の逝去は小生にもショックだった:
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/obituary/?1223367006
 日本の男優で好きな人はと問われても、返答に窮する中、緒形拳さんは文句なしに好きな方だったから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/10/03

「鰭崎英朋…今こそ大正ロマン!」アップ

2356343

鰭崎英朋…今こそ大正ロマン!」をアップしました。

 鰭崎英朋(ひれざきえいほう)は、「どこか耽美で妖艶で都会的な洗練された美意識がもたらされた時代」を象徴する一人で、「美人画・新聞紙上の相撲絵・大衆雑誌や小説の挿絵・口絵などで活躍し、一世を風靡した」人でもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/09/25

「五姓田義松…晩年の日本回帰は諦念か」アップ

27880207111

五姓田義松…晩年の日本回帰は諦念か」をアップしました。

 少年の頃、既に天才と謳われた五姓田義松(ごせだ よしまつ 1855 - 1915) の晩年の日本回帰(?)は諦念の営為なのかどうか。
 まあ、作品の数々を鑑賞するのが先だけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/09/23

「川村清雄…洋画の洗礼の果てに(後篇)」アップ

Emono

川村清雄…洋画の洗礼の果てに(後篇)」をアップしました。

 本稿は、「川村清雄…洋画の洗礼の果てに(前篇)」の後篇です。
 川村清雄の画業を通して日本における近代洋画の黎明期の苦闘を見てみます。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/08/26

風船爆弾から風船エコ発電へ

 過日、テレビで風船爆弾のことが特集されていて、折りしもオリンピック期間中だったが、ついこの悲劇の歴史的事実の場面に見入ってしまった。
「風船爆弾」とは、「太平洋戦争において日本陸軍が用いた兵器で」、「和紙で作られた気球に水素を詰め、大気高層のジェット気流に乗せてアメリカを攻撃しようとする兵器であ」った。

Japanese_fire_balloon_moffet

→ 「風船爆弾」 (画像は、「風船爆弾 - Wikipedia」より。)

 小生がこの兵器の存在を知ったのは、多分、子供の頃、何かの漫画の本でのことではなかったか。
 その時は、そんな漫画みたいな兵器があるはずがない、現実離れしている、あっても効果などあるはずがないと小ばかにしていた。
 戦況の悪化で追い詰められていたとはいえ、「「ふ号兵器」という秘匿名称で呼ばれていた」真面目で必死な作戦を非現実的と勝手に断ずるなんて、今思うと忸怩たる思いがするばかりである。
 その後、テレビや雑誌などでも何度なく特集が組まれ、何度となく見聞きしてきた。

 戦争の負の歴史であり、細々と語られていたものが、戦争を実際に体験する人が減り、記憶が劣化する中、むしろ、こうした悲しい歴史の現実こそが語り継がれていくべきなのだろう。
 
 今日は、「風船爆弾」について若干、触れると同時に、「風船」の平和利用のアイデア(?)をメモしておく。

続きを読む "風船爆弾から風船エコ発電へ"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008/08/06

原爆忌…悲劇は今も

 広島では8月6日、長崎では9日が「原爆忌」である。秋の季語だというが、そんなことは今は頓着しない。
 戦後になって生まれた季語なのだ。俳句の上でどう扱われようと、夏の真っ盛りの出来事に由来する季語であることに変りはない。
 今日は、小生がこの数年に書き綴った原爆関連の記事を、文章の一部を抜粋する形で幾つか紹介する。
 文章は公表当時のまま。今となっては書き直したい部分も多々あるが、その都度の形を曝すのがいいのだろう。

07_06300032

→ 岡本太郎作「明日の神話」(部分。小生、撮影)

祈り込め「明日の神話」これからも」(2007/06/30)
 原爆の悲惨と野蛮のことは、どんな形にしろ描ききれるものでもなければ表現し切れるものでもなかろう。ただ、誰かがその悲惨と残虐、蛮行、その中での人間ドラマを描こうとするし、訴え続けようとする。
 岡本太郎の作品「明日の神話」には、その強い意志があったことを誰しも感じるのではなかろうか。
 岡本太郎らの後に続く人の居ることを切に願う。

続きを読む "原爆忌…悲劇は今も"

| | コメント (6) | トラックバック (5)

2008/07/30

安本丹のこと(増補版)

[本稿は、「04/01/19」作の旧稿である。「富山の薬売りと薩摩藩」の周辺」なる稿を書いていて、そういえば富山の薬に関連する駄文を綴ったことがあったと思い出し、ここに本稿を再掲する。原則、原文のまま。改行など若干変更。旧稿を温める…。なんと心温まる営為だろう!]

Shi03

← 江戸時代の「反魂丹」の袋 (画像は、「置き薬>置き薬用語集>反 魂 丹(はんごんたん)」より。)

安本丹のこと

 ある本を読んでいたら、久しぶりに「安本丹」なんて言葉を目にした。その本とは、芳賀徹著の『詩歌の森へ』(中公新書)である。その言葉が出てくる脈絡が揮っている。
(念のために断っておくが、「安本丹」とは、「やすもとたん」(あるいは「やすもとあきら」)と読むのではない。そう読んで絶対に悪いとは言わないが。実際、このような名前の方がいらっしゃらないとも限らないし。ただ、文章や内容の都合上、「あんぽんたん」と読んでもらいたいのである。)

 江戸の市民は日々に言葉のエスプリをたのしんでいたという主旨の話の中で「安本丹」なる言葉が登場するのである。
「安本丹」なる人物が登場するわけではない。

続きを読む "安本丹のこと(増補版)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/07/29

「富山の薬売りと薩摩藩」の周辺

 magnoriaさんの「富山の薬売りと薩摩藩」という記事の題名に瞠目(大袈裟?)!
 何ゆえ、「富山の薬売り」と「薩摩藩」とが併記されるのか。

0563_2

→ 「社会評論社 玉川信明セレクション 日本アウトロー烈傳 第3巻 越中富山の薬売り 反魂丹の文化史 玉川信明

 記事に拠ると、以下のようにある:

文政十一年のスパイ合戦 検証・なぞのシーボルト事件」(秦新二 文春文庫)を読んで、薩摩藩が輸入した薬を富山の薬売りが独占的に扱い、薩摩藩と富山藩の間にはそのための特別なルートが出来上がっていたということを知った。

 小生、こう見えても(どう見えているのか分からないが)、富山生まれで今現在、富山在住。
 約36年間、富山を離れていたとはいえ、心は富山に置きっ放し(これも若干の嘘があるが、この際、等閑視する)。
 親戚に薬売りを生業(なりわい)にされている方も居た(今も、後継者の方がされているのかどうか分からない)。
 当然ながら、売薬さん(富山の薬売り)について多少なりとも調べて見たことがある。

続きを読む "「富山の薬売りと薩摩藩」の周辺"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008/06/22

「たばこ1箱千円」から大麻の話へ

 本稿は、「中島らもと大麻と煙草と」を転記したもの。先ごろ、「たばこ1箱千円」にという話題が世上を少々賑わせたので掲載する。
 今の小生としては書き換えたい部分もあるが、敢えて原則原文のまま旧稿を温める。

「たばこ1箱千円」については、「「たばこ1箱千円」で超党派議連 消費税アップけん制も」などを読むと、「自民党内で浮上している消費税率引き上げ論をけん制する狙いも見え隠れする」などと、やや生臭い思惑で浮上したようで、小生としては納得がいかない。
Syuukaku

← 清水登之・画「大麻収穫」 (画像は、「清水登之氏の「大麻収穫」」より。)

 何も「たばこ1箱千円」なら煙草を吸う人が減って、健康問題(伴って医療費の削減)の解決の一助になるではないか、という大上段の議論が足りないから…という意味ではない。
 例えば、「たばこ1箱千円」なら煙草を吸う人が減って…という議論にしても、やや疑問がある。アメリカなどの煙草メーカーは国内の煙草の販売量が減った分以上を、日本を含めたアジアやアフリカでの販売強化で補ってきた。
 日本の煙草メーカーも海外(アジア・アフリカ)での販売戦略を強化するのは歴然としている。
 国内で出る臭いモノに蓋をしたら、その強烈な悪臭は後進国で思いっきりぶっ放されている、というわけである。日本(国内)さえよければそれでいいのか、という議論もあっていいはず。

 まあ、ちょっとだけ変化球をひょろひょろ投げてみようかなということである。
 一読すれば分かるが、焦点は煙草ではなく、大麻である。
 そう、「法律の目的を記した条文はない」不思議な「大麻取締法」!
 煙草を許可しているのに何故、大麻がダメなのかの理由を当局は明確に示せるのだろうか。
 あるいはアメリカへの遠慮? それとも惰性?
「(前略)第2次大戦後の占領政策の中で神道との結び付きの深い大麻に対して占領米軍が危惧をもち、また当時発達しつつあったアメリカにおける石油化学産業や木材パルプ産業の意向をうけてその市場の確保という経済的思惑などを背景として、大麻の規制が行われたのではないか」というのは、歴史的背景として真実なのか。
 「たばこ1箱千円」というのなら、「大麻1箱千円」ってのも、検討してみる値打ちがあるのでは。

 なお、この旧稿を書き下ろした当時の事情については、当該頁の冒頭に注記してある。

続きを読む "「たばこ1箱千円」から大麻の話へ"

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008/06/09

やくせん…謎の廃墟?

 昔、小生が生まれ育った町の近くに「やくせん」と呼ばれている場所があった。
 それは通称で、正式な名称は別にちゃんとあるのだが、少なくともガキの頃の小生は「やくせん」という呼称以外の呼び名を知っていたとは思えない。中学か高校の頃までにはその場所の由来なども認識してきたような気がするが、やがて小生も学生となって郷里の地を離れている間に、「やくせん」のことを思い出す機会もなくなっていった。
 
080609yaku

← 「富山薬学専門学校 富山大学薬学部 跡」などと銘された碑。夕方、買物のついでに撮ってきた。

「やくせん」という名称は、「富山薬学専門学校 (旧制)」を略したもので、まさに通称、俗称である。
 その通称がどれほどの地域で使われるものだったのかは、小生には分からない。
 あるいは、我が町の周辺で、それとも、小学校の同級生の間でそう勝手に呼んでいただけなのかもしれない。
 でも、記憶では小生の親もそんな呼称を使っていたような気がする。

続きを読む "やくせん…謎の廃墟?"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/28

「小山正太郎……書は美術ならず!」アップ

小山正太郎……書は美術ならず!」アップしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/12/14

ベクシンスキー:廃墟の美学(後篇)

[本稿は、「ベクシンスキー:廃墟の美学(前篇)」の続編です。前篇でも書いたけど、本稿は翌日(正確には日付上、当日になっていたが)に試験を控えているというのに、ついついネット散策に夢中になり、あれこれ調べつつ書いたもの。内容に、というわけではないが、書いたり画像に眺め入ったりしていたその夜の自分の胸中などがちょっと懐かしい。滅びの美学。廃墟の美学。こうしたものにどうして人は囚われるのか。ベクシンスキーの場合は、ナチ下という過酷な体験がある。なんたってポーランドの人だからね。日本だって、ほんの数十年前、多くの都市が廃墟と化した。高層ビルが林立していても高速道路や地下鉄が縦横に走っていても、ちょっとした事件で美麗なビル群が廃墟と化してしまう。天国と地獄は常に背中合わせなのだ…が、そうしたことを忘れやすい、目を背けたいと思うのも人の慣わし。……と言いつつ、この数日、訳の分からないものが詰まったダンボール類を片付ける作業に没頭していた。見えなかった壁が多少なりとも見えてきて、感激。日常にあっては、こんなことも嬉しい。天と地もあるが、極大もあれば極小もある。崇高なる美もあれば、卑近な癒えもある。その両端に股裂きなのが人間なのか…な?(14日(アップ当日)追記)]

Zdzislaw_beksinski_1978_2

→ ズジスワフ・ベクシンスキー Zdzislaw Beksinski 『??』(画像は、「Zdzislaw Beksinski」より) 何処かフリードリッヒを想わせるかのよう。けれど、徹底して乾いた絶望という名の詩情が漂うのみ。

 ズジスワフ・ベクシンスキーは、「私の絵に定義づけ、意味を問う行為は無意味だ。私自身意味は分からないしね。そのうえ、理屈にはサッパリ興味が無いんだ」と言う。
 だからなのか、彼の作品のほとんど(あるいは全て?)は、「無題」のようである。

 末尾でも示すが、「editions treville - from é.t.art lab - エディシオン・トレヴィル - アート ラボ - ベクシンスキー アーカイブ」は、覗くだけの値打ちはある。

続きを読む "ベクシンスキー:廃墟の美学(後篇)"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/12/11

ハドソンリバー派絵画:F・E・チャーチ(前篇)

[文末近くで千住博氏著『美は時を超える』(光文社新書)を紹介している。と言いつつ、この記事を書いている最中(12月3日)に知った本なので、未読。数日後、早速、予約し借りてきた。…が、本の題名がうろ覚えで、同氏著の『絵を描く悦び』(光文社新書)を借りてしまった。著者名と出版社名や新書って条件には合致している ? ! 尤も、この本も絵画に限らず創作活動に携わる人には励ましの書、初心に還る書として、なかなかの本だった。それはそれとして、やはり、本稿に関係ある本だし、『美は時を超える』は近いうちに読むぞ!]

4334032478

← 千住博著『絵を描く悦び』(光文社新書) 冒頭に書いたように、『美は時を超える』と間違えて借りてきた本。でも、いい本だった。創作活動には無縁の小生だが、アーティストの真率な姿勢に感銘を受ける。

 ギャヴィン・プレイター=ピニー 著『 「雲」の楽しみ方』(桃井 緑美子 訳 河出書房新社)を読んでいたら、「雲」を描いたフレデリック・エドウィン・チャーチ (Church, Frederic Edwin(アメリカ1826-1900))という名の画家の絵に言及している箇所があった。
 小生は全く知らない画家。

100058539862

→ フレデリック・エドウィン・チャーチ 『Blueberry Hill, Vermont』 (画像は、「古き佳きアメリカンアートなど|★マーケティング戦略ビューロー@P-styleブログ★」で発見)

 フレデリック・エドウィン・チャーチという名だけでネット検索したら、下記のサイトがトップ近くに浮上:
肉筆複製画・美術品・絵画販売 ハドソンリバー派絵画

続きを読む "ハドソンリバー派絵画:F・E・チャーチ(前篇)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/12/03

オランダ風景画の巨匠アルベルト・カイプ(前篇)

[このところ半端なままに放置している草稿が多い。本稿も、11月19日頃に書きかけていたもの。やはり、アップするタイミングを探しているうちに二週間が経過してしまった。情報をもっと充実させてからアップさせたかったが、そんな時間を今の小生には見出すことは無理そう。 
 尚、「夢の話・二題半」なんて得体の知れない小文をアップした。
 実際に見た夢の話なのだが、それが二題半というのには、事情がある。
 三題になるはずが、、目覚めた瞬間には大よそは覚えていたのが、いざ書き始めてみたら、三つ目の夢が既に半ば以上は記憶の彼方に消え去ってしまったから、二題と半端になってしまったという情けない事情があるのだ。(アップ時に記す)]

Cuyp9911

← アルベルト・カイプ Aelbert Cuyp 『River Sunset』 (画像は、「Aelbert Cuyp paintings prints reproductions」より)

オランダ風景画の巨匠アルベルト・カイプ(前篇)

 過日、『プルースト評論選 Ⅱ芸術篇』(保苅瑞穂編 ちくま文庫)を寝床で読んでいたら、アルベルト・カイプという画家への言及が気にかかった。
 プルーストの文章では褒められているのかどうか定かではないが、ある山野の風景を叙述する際に、彼(の絵)が参照される形で名が挙がるとは、少なくともプルースト(1871-1922)の生前(のフランス)においては人気があった、あるいは知名度があったということなのだろう。

続きを読む "オランダ風景画の巨匠アルベルト・カイプ(前篇)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/11/26

織田一磨…消え去りし世を画に遺す

 横須賀美術館にて催されている展覧会「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」を観に行ってきた。
(この展覧会が開催されていることは、拙稿「「清宮質文展 生誕90年 木版画の詩人」 ! !」で案内してあった。)

Odka010001_08

→ 織田一磨《駿河台(自画石版画集「東京風景」より)》1916年5月 (画像は、「横須賀美術館」の中の、「イベント」頁より)

 この展覧会で感じたことそのほかは追々書いていくとして(日記風レポートは既に「「清宮質文展」:図録に始まりパンフレットに終わった一日でした」にてメモした)、今日は、この展覧会で得た収穫の一つである、織田一磨という名の版画家を採り上げたい。

 横須賀美術館では、「「清宮質文展」:図録に始まりパンフレットに終わった一日でした」の文末にもメモしたが、所蔵品展として、「小特集:織田一磨《東京風景》」が開かれていたのだ。

続きを読む "織田一磨…消え去りし世を画に遺す"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/10/06

埴谷雄高「死霊」の構想メモ見つかる!

 2日(火)、テレビのニュースで、興味を掻き立てられる情報が伝えられていた。
 それは、「埴谷雄高「死霊」の構想メモ見つかる」(「asahi.com:朝日新聞の速報ニュースサイト」より)というもの。

740131

→ 『埴谷雄高  新たなる黙示』(対談・島田雅彦×鹿島徹、埴谷エッセイコレクション 河出書房新社)

 一部、転記する:

 戦後文学の代表作の一つ、作家埴谷雄高(1909~97)の大長編小説「死霊(しれい)」の構想メモが見つかった。神奈川近代文学館が2日、発表した。30年代後半に書かれたものと推定され、戦後に発表された小説とは異なる設定・人物造形がみられる。戦後の思想界にも大きな影響を与えた哲学小説の生々しい原形を示す貴重な資料だ。
(中略)
 「主題」と題したメモからは、当初から哲学と文学とを融合した作品を構想していたことがわかる。一方、人物造形メモからは、当初は主役の設定が異なり、主人公と活動家の2人がメーンだった。活動家がのちに実兄と異母兄とに分裂していったことがうかがえる。

 また、主人公の婚約者はエキセントリックな女性とされ、活動家と「強姦(ごうかん)」について語る場面の草稿も見つかったが、こうした場面は小説には出てこない。
(中略)
 構想メモは、6日から11月25日まで同文学館で開催される「無限大の宇宙――埴谷雄高『死霊』展」で展示される。また今月6日発売の文芸誌「群像」11月号に構想メモ全文と解題が掲載される。


無限大の宇宙―埴谷雄高『死霊』展」(「会期 : 2007年(平成19年) 10月6日(土)~ 11月25日(日)」「神奈川近代文学館/(財)神奈川文学振興会」参照)

続きを読む "埴谷雄高「死霊」の構想メモ見つかる!"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/09/15

静かに静かに「里の秋」を

 あるサイトを覗いていたら、「「イナンナ」連載開始!|May Allah smile upon you always...」と題された記事が載っていた。
 記事に拠ると、「「週刊・モーニング」で、ベリーダンスのマンガの連載が、今週から始まった」こと、「作者さんは、アノ「陰陽師」を描いた「岡野玲子」さん」だということなどとあり、さらに、「バレエ・マンガは多数出ていますが、ベリーダンス・マンガは、日本では、初めて」だろうと書いてある。
 ベリーダンス・マンガが、しかも、かの岡野玲子の手により描かれ連載となる!

Image_41

→ 岡野玲子作『イナンナ』 (画像は、「モーニング NO.41 2007年09月13日(木)発売」より) 「新連載肉体の魔術の物語、ここに開幕!」だって!

 ベリーダンスの俄かファンの小生、ちょっと驚き、ちょっと嬉しい。サンバも好きだが、ある意味、テンポというかリズム感のまるで違うベリーも凄く魅せられるものがある:
ベリーなる美神の舞いを見てきたぞ

 岡野玲子さんの公式サイト:「OGDOAD
 始まる(9月13日に発売されている)漫画「イナンナ」については:
モーニング 連載マンガの部屋
(「週刊・モーニング」は週刊だが、「イナンナ」は月に一度の連載となるとか。)

 ストーリーは、下記しか示されていない:

女神が踊るベリーダンス。
その肉体の魔術をご覧あれ!

 題名の「イナンナ」とは、どうやら「古代メソポタミアのシュメールの女神様の名前」であり、「金星をシンボルとする豊穣の女神」のようである。

続きを読む "静かに静かに「里の秋」を"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/19

人間と経済の実態を描くタフさを思う

 今日は思うところがあって、テレビアニメ「忍たま乱太郎」(「NHKアニメワールド:忍たま乱太郎」参照)にちなむ思い出を書こうと思ったが、少々思い入れがあり過ぎて(?)、取りやめ。

Top_chara1

← テレビアニメ「忍たま乱太郎」(「NHKアニメワールド:忍たま乱太郎」参照)

 このところ愚痴のようにして、何度となく書いているが、今、担当している車にはFMが受信できない。AMのみ。
AMだって、ヴァラエティに飛んだ放送があるとは思うけど、夏ともなると、NHKは高校野球(甲子園)、夕方六時ともなると民放はプロ野球で、必ずしも野球ファンではない小生(大リーグの日本選手の活躍ぶりは気になるが)、聴く番組がなくなってしまう。
 それでも、夜になると、少しは聞ける番組も出てくるし、選ぶ余地が生まれてくる。

44780012861

→ 高杉 良著『消失―金融腐蝕列島・完結編』(ダイヤモンド社)

 言えることは、FMが聞けない分、音楽に親しむ機会(時間)が車中で減ってしまったということ、その結果、多彩な音楽ジャンルに触れる機会が減ったことだ。
 ま、これは仕方がないとして、それでも、小生の苦手なインタビュー番組などを聴く機会は間違いなく増えている。
 小生、人の話を聴くのが苦手(学校の授業も含めて)。まして、一応は営業中である。最初から聞きかじりになるのが分りきっている。音楽なら、1分でも2分でも聞ければ、ある程度、纏まったメロディなり音楽世界に束の間であろうと、浸ることはできる。
 が、人の話となると、多少でも起承転結の一節を聞かないと、何がなんだか分らない。

続きを読む "人間と経済の実態を描くタフさを思う"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/17

「漱石の白くない白百合」の色話

 自宅では、昨日のブログ日記にも書いたように、F.キングドン・ウォード著の『植物巡礼 ―― プラント・ハンターの回想 ――』(塚谷 裕一訳、岩波文庫)をヒマラヤやチベットなどの高峰や奥地を想像しながら読んでいる。
 車中では、半藤 一利 著の『漱石先生ぞな、もし』(文芸春秋社)を寸暇を惜しむようにして(このところ忙しくて本を読む時間が侭ならない…)読んでいる。

51qeq68j80l1

→ 半藤 一利 著『漱石先生ぞな、もし』(文芸春秋社) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より)

 本書については、前々から読みたかったし、唾も付けていたのだが(拙ブログ日記「漱石とモナリザ・コード」で、「「妻の半藤末利子は、作家松岡譲と夏目漱石長女筆子の四女で随筆家」だという半藤氏の書いた「漱石先生ぞな、もし」などの漱石関係の本も読み浸ってみたい」などと書いている)、過日、図書館の書架を物色して歩いていて目が合ったので、即、手に取ったのだった。

 さて、本書をひも繙(ひもと)いていて、びっくりする記述に出会った(大袈裟か)。
『植物巡礼』も『漱石先生ぞな、もし 』も、並んでいる書架(コーナー)がまるで違う。たまたま、それぞれの興味・関心に従って手にし、両者を自宅で、あるいは車中で読み進めているに過ぎない。

 その『漱石先生ぞな、もし』の中で、『植物巡礼』の訳者である塚谷裕一氏の名前を目にしたのである。
 当然ながら植物学者として参照されているのだから、登場したって不思議ってことはないが、たまたま手にしている二冊が「塚谷 裕一」氏繋がりということに、ちょっと縁を感じたという(考えようによってはつまらない)話である。

続きを読む "「漱石の白くない白百合」の色話"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/08/15

花火大会と空襲の間に佇む

 お盆の真っ最中である。お盆の帰省ラッシュが今度は往路のラッシュとなっている。
 猛暑日(「群馬県の館林で気温が40・2度を記録」!)の続く夏も、さすがに今頃ともなると、花火大会というイベントも大方は終ったようだ。

 尤も、東京に付いては、「日刊スポーツ主催 2007 神宮外苑花火大会」(公式サイト)が「2007年8月16日(木)」に催される。明日だ!
 しかも、予備日(17日(金))まで設けてある。

D21

→ 山下清『富田林の花火』(画像は、「山下清「富田林の花火」 ギャラリー小山 自由が丘にある画廊 山下清の絵画,版画を通信販売(通販」より)

 東京23区在住のものにはこれが最後のチャンスなのか(他にもこれから開催されるものがあるのかどうか、小生は知らない。調べたら、「世田谷区たまがわ花火大会」が「多摩川河川敷」にて「8/18(土)に開催されるようである)。

 今の所、小生は今年も一つも花火大会の会場へ足を運んでいない。

 ただ、都心を中心に都内をうろうろするという仕事柄、花火大会会場、あるいは見物スポットへのニアミスは少なからずある。

続きを読む "花火大会と空襲の間に佇む"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007/08/08

『アフリカの音の世界』は常識を超える!

 文化人類学者である塚田健一氏著の『アフリカの音の世界―音楽学者のおもしろフィールドワーク』(新書館)を先週末に読了。2000年に刊行された本なので、新しい本とは言い難いだろうが、面白かったとは言い切ることができる。
 謳い文句では、「耳を圧倒するハーモニー、ずらして組み合わせる巧妙なリズム、西洋音楽の常識を解体するゆたかな音の世界。灼熱の大地を縦横にフィールドワークする音楽学者が、その魅力をいきいきと描く。」となっている。

44032307681

← 塚田健一著『アフリカの音の世界―音楽学者のおもしろフィールドワーク』(新書館)

 過日、「ラジオ聴き音の風景たっぷりと」の中で、「東南アジアの民族音楽、サウンドスケープ、サウンドアートを研究する。ジャワ音楽をシスワディほかに師事。1980年代よりガムラングループを主宰し、カナダ、インドネシアへの海外公演を成功させる」という人物であるマルガサリメンバーの中川 真氏を紹介した。
 あるいは、「秀逸! 工藤隆著『古事記の起源』」の中で、「古事記」研究が、21世紀に入って、中国を初めとするアジア規模で、そのルーツや淵源を(今に残る形を通じて)探る新しい段階に入りつつあることを紹介している。
 音楽の世界でも、日本の研究者が既にアフリカへのその始原の音を求めての研究の旅に出ていることが本書で分った。
 西欧の<楽譜>に象徴される音楽とは実に対照的な<音の世界>が塚田氏の、積極的に現地の人びとに溶け込む人柄も相俟って、興味深く示されている。
 本書で小生がサンバを初めとする音楽の探索を試みてきたことの、かなりの事柄に付いて、その淵源に逢着したような気がして嬉しかった。
 単純に、ヘエー、そうなのという感動を覚えたりしたことも何度もある。

続きを読む "『アフリカの音の世界』は常識を超える!"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/06/22

「永遠の歌姫伝説~美空ひばり生誕70年」から

 明後日6月24日は、美空ひばりさんの命日である。
 だからだろうか、彼女にちなむ番組がラジオでもちらほらと(数年前に比べると随分と少なくなったような気がする。24日の前日や当日になると、一挙に関係する番組が増える?)。

311088071

→ 『川田晴久と美空ひばり アメリカ公演』(橋本治/文 岡村和恵/文、中央公論新社) 「昭和25年5月16日~7月24日初公開秘蔵版(写真・日記・録音)。歌と肉声CD付き(ロスアンゼルスでのプライベート録音を含む)」という。

 美空ひばりさん(1937年5月29日 - 1989年6月24日))について、小生如きが何を語る話題もない。
美空ひばり - Wikipedia」や「美空ひばり公式ウェブサイト」などを参照願いたい。
 特に後者は画像も多く、覗き甲斐がある。

 ついさっき、「美空ひばり - Wikipedia」で美空ひばりさんの生没年を見て、驚いた。
 彼女は、52歳で亡くなっている。彼女が亡くなられた時、小生は35歳だった。
 なので、彼女は小生にしてみれば、ずっと年上(貫禄もあったし)だったなという思いがあったのだが、なんと、彼女、今年の時点で小生より一つ年下!
 若い! あまりに若すぎる死だ。

続きを読む "「永遠の歌姫伝説~美空ひばり生誕70年」から"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/24

レイチェル・カーソン生誕百周年!

 NHKラジオ(第一)の「ラジオ深夜便」でこの月曜日の深夜から4日間に渡って(今夜が最後!)、下記の番組が流されている:

自然と共に生きること~生物学者レイチェル・カーソンの贈り物
レイチェル・カーソン日本協会理事長 上遠恵子

51tt7j3x4zl1

← リンダ・リア著『レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯』(上遠 恵子訳、2002/08東京書籍刊) 秀逸! レイチェル・カーソンを知らない人も、本書を読むことで身近に感じられる。生物学者であると同時に一人の女性として病を抱えつつ(『沈黙の春』を執筆中に癌宣告された!)、信念に生き抜いた方だったのだ。

 どうやら、今週末の5月27日(日)はレイチェル・カーソンの生誕百周年となることにちなんでの特集のようだ。さすがにテレビで扱うにはもう過去の人になりつつあるということなのか。
 これほどに社会に警鐘を鳴らした人もなかったように思うのだが。
 小生は、彼女の生誕40周年である2004年に一年遅れる一昨年、彼女の本、彼女についての本を纏めて読む機会を持ったので、今、改めて繰り返すつもりはない:
「沈黙の春」(2005/05/23
「センス・オブ・ワンダー…驚き」(2005/06/04
「レイチェル…島尾敏雄…デュ・モーリア」(2006/05/04

続きを読む "レイチェル・カーソン生誕百周年!"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007/05/10

文人は命からがら辛いもの

 小生は、過日より、ドナルド・キーン著『渡辺崋山』(角地 幸男訳、新潮社)を読んでいる。最相葉月著『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)も秀逸の伝記だったが、本書も単に渡辺崋山だからというのではなく、読み応えのある評伝である。

C0282

← 高士観瀑図(こうしかんばくず) (「渡辺崋山 田原市博物館」収蔵品より)

 これまで、本書から枝葉的な雑文として「君の貞節堅固は、松や柏と同じである」や「歌舞妓人探しあぐねて木阿弥さ」を書いてきたが、本稿も同じく、本書の記述から本書のテーマに直接は関係のない話題をピックアップしてメモしておく。

 先に進む前に、渡辺崋山を紹介するサイト(博物館)を掲げておく:
渡辺崋山 田原市博物館
 崋山の画には、多用な画風が見られる。「華山の代表作 田原市博物館」なる頁参照。小生などは、「一掃百態図」や「四州真景図」など市井の風景などを旅の道すがら、サッと描いた画が好きだ。
(残念ながら、「四州真景図」の画像が見つけられなかった。)

続きを読む "文人は命からがら辛いもの"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/04/29

いいじゃないの今が幸せならば?!

 27日は営業の日だった。金曜日で月末で連休前ということもあり、営業の回数は予想通り、多かった。
 そんな中、ラジオで断片的ながら注目すべきニュースを聴くことができた。
 最高裁判所で、ある裁判について判決・判断が下されたのだ。

 翌日のテレビでこの問題がどのように採り上げられるのか見たかったが、会社の行事=明け集(明け集会:明け集とは何ぞやについては、拙稿「読書拾遺:装幀家・菊地信義氏」に若干の説明がある)があって、見ることが叶わなかった。
 保守的な論調、タカ派有利の風潮が高まっているから、娯楽番組全盛の昨今の事情を鑑みると、裁判結果が報じられるのみだったのかもしれない(それさえも、あったのかなかったのか分からない)。

続きを読む "いいじゃないの今が幸せならば?!"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/20

銃と薬コズモポリスの主役なり?!

 ドン・デリーロ 著の『コズモポリス』 (上岡 伸雄訳、新潮社)を読了した。
 一気に読んだ。ということは面白かったから?
 とも言い切れない。評価乃至は読後感は自分の中で二分している。高い評価と無駄を配した、いかにもアメリカ流の小説の典型の一つに過ぎないのではないか…。

410541804109

← ドン・デリーロ 著『コズモポリス』 (上岡 伸雄訳、新潮社)

 どこか殺伐な会話に辟易して、幾度も読むのを放棄しようと思ったのも事実なら、これがアメリカのある種の現実…というより現実感そのものなのではないかという思いとが交錯して、最後まで揺れて止まなかったのである。
 一番、放棄したくてならなくなったのは、最初から最後まで主人公へ感情移入できなかったことに最大の理由がある。
 犯罪者、それこそ、長崎市長を銃殺した暴力団の奴だって、文学の主人公として描かれたなら、作家次第では愛憎半ばしつつも読み手の心を掴んで最後まで放さないということは十分ありえる。
 が、本書を読んで、最初から主人公にまるで魅力を覚えなかった。反感さえ抱かなかった。

 少し読み進めたら、あるいは憎みつつも、こういう人間が存在している! ここにいる! という強烈な現実感で共感する感覚を覚えるかもと思ったが、最後まで他人事に終始してしまったのである。
 そもそも、小説の主人公の設定は、安っぽい大衆小説なら魅力的、あるいは出来すぎのはずである。
 若くして投資家として成功を収め巨額の富を得た男。巨大なリムジンでマンハッタンを流す男。
 だが、それだけにはとどまらない。

続きを読む "銃と薬コズモポリスの主役なり?!"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007/04/19

徳川恒孝…江戸の世や今こそ思うありがたさ

 最近、何か扱い忘れているテーマがある…。
 何だろうと思ったら、読書拾遺!
 それもあるが、夕べ、ラジオで聴いた話シリーズを最近、全く、書いていない。
 って、そんなシリーズがあったかどうかも定かではない。
 あったことにして、久しぶりにメモってみる。

456965830x

→ 徳川恒孝著『江戸の遺伝子―いまこそ見直されるべき日本人の知恵』(PHP研究所)

 昨日は営業。冷たい雨の降る都内を車でウロウロ。
 といっても、景気が悪いこともあり、都内というのは大袈裟で、ほとんど城南の域を出ない。
 それも、渋谷や六本木を避けているから、海辺の城南限定。
 オートマ限定の免許は聞いたことが誰しもあるだろうけど、城南限定のタクシードライバーってのも珍しい?!

 家を出るのは朝の9時半過ぎ。営業は10時半過ぎの開始(朝礼から)で、途中必要以上の(異常なほどの)休憩を三度は断固取り、翌朝の6時過ぎまで車中で過ごす。
 そう、営業のたび、車中泊している…じゃない、車で営業しているのだ!

続きを読む "徳川恒孝…江戸の世や今こそ思うありがたさ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)