2009/06/28

初めての三枚おろし!

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→ マイケル・ジャクソンさん急死の報が昨日、飛び込んできた:「asahi.com(朝日新聞社):マイケル・ジャクソンさん急死 「スリラー」1億枚 - 文化」 「82年のアルバム「スリラー」で売り上げの世界記録を打ち立て、「ポップの帝王」と称された米歌手マイケル・ジャクソンさんが25日午後2時半(日本時間26日午前6時半)ごろ、米ロサンゼルスのカリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)医療センターで死去した」…このニュースは世界中を駆け巡った。

 今日の午後、窓に虫除けネット張り作業。ついで、草むしり作業に取り掛かろうとした。
 そこへ、近所の方が通りかかった。

 なんだか、にこやかな顔。
 手に何やらぶら下げている。

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2009/03/02

「香西と久世と無言坂」から6年!

 今日3月2日は 演出家・脚本家(『時間ですよ』などで知られる)で小説家の久世光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 2006年3月2日)さんの命日である。

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← 日曜日、草むしりに没頭。少しは綺麗になった畑に水仙を3株、追加し6株にした。比較的見晴らしのいい場所。人も花も観られて華になる ? !

 といっても、今、気づいた(思い出した)ので、この日にあわせて何かを読むといった準備もしていない。
 彼が脚本を書いたドラマ『時間ですよ』は、結構、見ていた。
 だけど、彼の名前は見聞きしていても、ドラマの制作などに関わっているという意識は当時は余りなかった。
 むしろ、彼が小説を書くようになって、へえー、小説家に転身したんだ、くらいの認識。
 彼が富山にゆかりのある人物だと気づいたのも、ほんの数年前、小説を読む機会を持ってからようやくだった(だが、実は…)。

 たとえば、「土屋輝雄・久世光彦・高島野十郎…」(2006/03/06)なんて表題の小文がある。

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2009/01/19

アンドリュー・ワイエス氏が死去

 今朝(18日)の新聞の片隅に小さく、「米画家、アンドリュー・ワイエス氏が死去 91歳」という記事が載っていた(以下、例によって畏敬の念を篭め、敬称は略させてもらう)。
 なので、急遽、昨夜、この記事を書きおろした。
 いつも以上に取り留めのない日記だが、哀悼の意を篭め、訃報の記事を載せさせてもらう。

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← 「アンドリュー・ワイエス展」(1995/4/15~6/4) 小生が初めて、アンドリュー・ワイエスの画に対面したのはこの展覧会。あまり好きではない渋谷へのこのこ出向いたものだった。複製画など買ったりして(今も所蔵)。(画像は、「弐代目・青い日記帳  「アンドリュー・ワイエス」展」より。)

 また一つ、天の星が消えてしまった。
 世界が寂しくなる時でもある。

 A・ワイエスの訃報に小生は驚いた。
 恥ずかしながら、同氏は既に歴史上の人物と勝手に思い込んでいたのである。

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2008/10/07

「末期を描く…ターミナルケアの原点?」アップ

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末期を描く…ターミナルケアの原点?」をアップしました。

 本稿では、上掲書を参考に、西欧美術作品に描かれた末期の諸相を見てみたい。
 筆写によれば、これらの絵画にはターミナルケアの原点が描かれているのでは、という。

 ところで、俳優の緒形拳さんの突然の逝去は小生にもショックだった:
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/obituary/?1223367006
 日本の男優で好きな人はと問われても、返答に窮する中、緒形拳さんは文句なしに好きな方だったから。

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2008/03/20

アーサー・C・クラーク死去

SF小説の大家、アーサー・C・クラーク氏が死去 」(ホビー マイコミジャーナル)というニュースが20日の新聞でもテレビでも流されていた。
「英国人小説家アーサー・C・クラーク氏が19日、移住先のスリランカで死去した。享年90歳、死因は心肺機能不全」という。

 小生にとってはアーサー・C・クラーク(Sir Arthur Charles Clarke, 1917年12月16日 - 2008年3月19日)の『2001年宇宙の旅』や『太陽系最後の日』、『銀河帝国の崩壊』なども印象深いが、ノンフィクションものの『未来のプロフィル(Profiles of the Future)』 が彼の著作の中では思い出深い。
 SF作家としては、同じく大家のアイザック・アシモフとかハインライン、『スカイラーク』シリーズや『レンズマン』シリーズ等のE.E.スミス、エドガー・ライス・バローズのほうが好きだった。
 ジュール・ヴェルヌ、H・G・ウェルズ、アーサー・コナン・ドイル(小生にとってドイルは、『シャーロック・ホームズ』の作家ではなく、恐竜の作家だ)などなど。
 メアリー・シェリーが書いた『フランケンシュタイン』はSF小説の先駆け的な作品? 彼女はこれを19歳の時に書いた!

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2008/02/08

想いは消えない

 一体、この世に何が残るのだろうか。そもそも何か残したいのだろうか。
 あるいは残さないほうが潔い?

 この掛け替えのない自分。確かに自分というのは一人しかいないし、段々自分のことを気遣うのは自分しかこの世にないのだと、しみじみと感じてきている。
 だから、その意味で世間に迷惑を掛けないよう自分のことは自分で始末をつけたいとは思うけれど、さて、それも生きている間のことで、その後のことは、どう思えばいいのだろう。

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← 『Blue Myth』 (from 「La Moon」)

 ここで思うのは、一頃流行ったカオス理論でのバタフライ効果って奴である。
 まあ、正確さなど一切、度外視して説明すると、逐一の些細な差異が、継続して加算・加重されると、後に至っては非常に大きな違う結果に到る、という理屈である。

 で、敢えて卑近にも自分のことを思うなら、ここ、この世の片隅に一個の平凡なる人間がいる、それは極小の小宇宙に過ぎない。
 その取るに足りない人間のささやかな思いや願いや祈りや期待など、それこそ蝋燭の焔であって、気紛れな風の一吹きで掻き消されるような、存在自体があやうい、あれどもなきが如きものでもある。

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2007/10/24

雪の関越自動車道遭難未遂事件(3)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(2:高速道路の真ん中にも側溝がありました篇)」より続く)

 そんな時だった。ふと、閃いたことがあった。
 紐はもうない!
 みんな使って切れ果ててしまった。
 でも、ワイヤーチェーンがあったことを思い出した。

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← 「ホンダ ベンリイ CB125T-I」(但し、小生が乗ったのはこれより前の世代の「ホンダベンリイCB125T」だった。残念ながら我が愛車と同じタイプのバイクの画像は見つからなかった。詳しくは後記する。画像は、「Hondaホームページ 本田技研工業株式会社」より)

 ワイヤーチェーンといっても、雪道走行用のタイヤに巻くチェーンではなく、盗難防止のためのワイヤーロックである。
 そう、ワイヤー錠(ワイヤーロック)である。しかも、装備重量が300キロに達しようという大型バイク用の、がっちりした、1メートル余りのワイヤーロックなのだ。
 それが標準装備されていたのである!

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2007/10/20

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2):高速道路の真ん中にも側溝がありました篇
ノリック追悼記念レポート:本稿は、「雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇」より続く)

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← 掲げた写真は、04年7月25日、スクーターを駆り中央高速を使っての帰京途上、某SAの施設で小生が偶然、目にし、撮った燕の巣。燕の子供たちへ親燕が懸命に餌を運んでいた(「鳥雲に入る」参照)。

 その場を取り仕切る係員のような人が居たが、何を相談する知恵も浮ばない。

 間もなく、タイヤはボウズのままに、つまりノーマルタイヤそのままに、チェーン装着場をそろそろと…恐々と抜け出し、本線へ参入。
 そう、戦線復帰。

 だが、戦意はまるでなかった。
 戦意喪失していた。
 でも、走るしかない。誰も助けては呉れない。

 雪は止む気配がまるでない。少なくともその日一杯は降り続けるに違いない。
 雪国育ちの経験からして、止みそうにない空模様だと、痛いほど分かるのである。

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2007/10/19

木原光知子さん、死去!

 10月18日未明、木原光知子さんが亡くなられた(本名は「木原美知子」)。くも膜下出血のためという。
 享年60(59歳没)というのは、あまりに若い。若過ぎる!

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← 16日の営業も終わりに近付いた17未明。都内某所にて。ぼやけてしまった…。

 小生は彼女と面識があるわけではない。
 でも、彼女のテレビでの一言のお蔭で泳げるようになったと思っている:
泳げたぞ!

 ひたすら冥福を祈るばかりです。

参考
木原光知子さん死去…東京五輪競泳代表、タレントでも活躍」(YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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2007/10/14

雪の関越自動車道遭難未遂事件(1)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇
(本稿は、「ノリック追悼記念レポート:雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)」より続く)

 確か91年だったと思う。
(「趣味 オートバイ」にバイク乗りとしての大雑把な履歴を書いている。参照するも良し。)

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← ありし日の富山の海。電車であるいはオートバイで帰省する折、富山の海を見ると、ホッとする。帰ってきたという感覚が胸の底から湧いてくる。なんて透明度の高い海だろう!

 当該部分を転記する(太字部分に注目):

1991年8月 7代目のオートバイ入手   パシフィックコーストPC800本田技研工業株式会社
ツーリングに行かなくなり荷物を積めるという利便性に走る。入手したその日は8 月5日。つまり本田総一郎氏の逝去の日。それ故か8年以上乗った。91年の12 月29日に東京から富山へ関越自動車道を走った。関越トンネルを抜けるとそこは雪国だった。あやうく関越自動車道で遭難しかけた。深い雪の中を数十キロも転んでは起こしを百回以上も繰り返してやっと塩沢・石打ICを降りた時、命のありがたみを知った。そのICを降りるだけに一時間以上を費やしたものである。その夜、やっと見つけた宿で凍て切った心身を炬燵で一晩中癒し続けたけれど、体の震えは止まらなかった。さすがにバイクはオートバイの店に置かせてもらい、列車で帰省。春3月になって引き取りに出向いた

 91年の12 月29日は、東京は快晴だった。だけど、やたらと寒かった。

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