2008/03/20

アーサー・C・クラーク死去

SF小説の大家、アーサー・C・クラーク氏が死去 」(ホビー マイコミジャーナル)というニュースが20日の新聞でもテレビでも流されていた。
「英国人小説家アーサー・C・クラーク氏が19日、移住先のスリランカで死去した。享年90歳、死因は心肺機能不全」という。

 小生にとってはアーサー・C・クラーク(Sir Arthur Charles Clarke, 1917年12月16日 - 2008年3月19日)の『2001年宇宙の旅』や『太陽系最後の日』、『銀河帝国の崩壊』なども印象深いが、ノンフィクションものの『未来のプロフィル(Profiles of the Future)』 が彼の著作の中では思い出深い。
 SF作家としては、同じく大家のアイザック・アシモフとかハインライン、『スカイラーク』シリーズや『レンズマン』シリーズ等のE.E.スミス、エドガー・ライス・バローズのほうが好きだった。
 ジュール・ヴェルヌ、H・G・ウェルズ、アーサー・コナン・ドイル(小生にとってドイルは、『シャーロック・ホームズ』の作家ではなく、恐竜の作家だ)などなど。
 メアリー・シェリーが書いた『フランケンシュタイン』はSF小説の先駆け的な作品? 彼女はこれを19歳の時に書いた!

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2008/02/08

想いは消えない

 一体、この世に何が残るのだろうか。そもそも何か残したいのだろうか。
 あるいは残さないほうが潔い?

 この掛け替えのない自分。確かに自分というのは一人しかいないし、段々自分のことを気遣うのは自分しかこの世にないのだと、しみじみと感じてきている。
 だから、その意味で世間に迷惑を掛けないよう自分のことは自分で始末をつけたいとは思うけれど、さて、それも生きている間のことで、その後のことは、どう思えばいいのだろう。

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← 『Blue Myth』 (from 「La Moon」)

 ここで思うのは、一頃流行ったカオス理論でのバタフライ効果って奴である。
 まあ、正確さなど一切、度外視して説明すると、逐一の些細な差異が、継続して加算・加重されると、後に至っては非常に大きな違う結果に到る、という理屈である。

 で、敢えて卑近にも自分のことを思うなら、ここ、この世の片隅に一個の平凡なる人間がいる、それは極小の小宇宙に過ぎない。
 その取るに足りない人間のささやかな思いや願いや祈りや期待など、それこそ蝋燭の焔であって、気紛れな風の一吹きで掻き消されるような、存在自体があやうい、あれどもなきが如きものでもある。

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2007/10/24

雪の関越自動車道遭難未遂事件(3)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(2:高速道路の真ん中にも側溝がありました篇)」より続く)

 そんな時だった。ふと、閃いたことがあった。
 紐はもうない!
 みんな使って切れ果ててしまった。
 でも、ワイヤーチェーンがあったことを思い出した。

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← 「ホンダ ベンリイ CB125T-I」(但し、小生が乗ったのはこれより前の世代の「ホンダベンリイCB125T」だった。残念ながら我が愛車と同じタイプのバイクの画像は見つからなかった。詳しくは後記する。画像は、「Hondaホームページ 本田技研工業株式会社」より)

 ワイヤーチェーンといっても、雪道走行用のタイヤに巻くチェーンではなく、盗難防止のためのワイヤーロックである。
 そう、ワイヤー錠(ワイヤーロック)である。しかも、装備重量が300キロに達しようという大型バイク用の、がっちりした、1メートル余りのワイヤーロックなのだ。
 それが標準装備されていたのである!

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2007/10/20

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2):高速道路の真ん中にも側溝がありました篇
ノリック追悼記念レポート:本稿は、「雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇」より続く)

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← 掲げた写真は、04年7月25日、スクーターを駆り中央高速を使っての帰京途上、某SAの施設で小生が偶然、目にし、撮った燕の巣。燕の子供たちへ親燕が懸命に餌を運んでいた(「鳥雲に入る」参照)。

 その場を取り仕切る係員のような人が居たが、何を相談する知恵も浮ばない。

 間もなく、タイヤはボウズのままに、つまりノーマルタイヤそのままに、チェーン装着場をそろそろと…恐々と抜け出し、本線へ参入。
 そう、戦線復帰。

 だが、戦意はまるでなかった。
 戦意喪失していた。
 でも、走るしかない。誰も助けては呉れない。

 雪は止む気配がまるでない。少なくともその日一杯は降り続けるに違いない。
 雪国育ちの経験からして、止みそうにない空模様だと、痛いほど分かるのである。

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2007/10/19

木原光知子さん、死去!

 10月18日未明、木原光知子さんが亡くなられた(本名は「木原美知子」)。くも膜下出血のためという。
 享年60(59歳没)というのは、あまりに若い。若過ぎる!

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← 16日の営業も終わりに近付いた17未明。都内某所にて。ぼやけてしまった…。

 小生は彼女と面識があるわけではない。
 でも、彼女のテレビでの一言のお蔭で泳げるようになったと思っている:
泳げたぞ!

 ひたすら冥福を祈るばかりです。

参考
木原光知子さん死去…東京五輪競泳代表、タレントでも活躍」(YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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2007/10/14

雪の関越自動車道遭難未遂事件(1)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇
(本稿は、「ノリック追悼記念レポート:雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)」より続く)

 確か91年だったと思う。
(「趣味 オートバイ」にバイク乗りとしての大雑把な履歴を書いている。参照するも良し。)

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← ありし日の富山の海。電車であるいはオートバイで帰省する折、富山の海を見ると、ホッとする。帰ってきたという感覚が胸の底から湧いてくる。なんて透明度の高い海だろう!

 当該部分を転記する(太字部分に注目):

1991年8月 7代目のオートバイ入手   パシフィックコーストPC800本田技研工業株式会社
ツーリングに行かなくなり荷物を積めるという利便性に走る。入手したその日は8 月5日。つまり本田総一郎氏の逝去の日。それ故か8年以上乗った。91年の12 月29日に東京から富山へ関越自動車道を走った。関越トンネルを抜けるとそこは雪国だった。あやうく関越自動車道で遭難しかけた。深い雪の中を数十キロも転んでは起こしを百回以上も繰り返してやっと塩沢・石打ICを降りた時、命のありがたみを知った。そのICを降りるだけに一時間以上を費やしたものである。その夜、やっと見つけた宿で凍て切った心身を炬燵で一晩中癒し続けたけれど、体の震えは止まらなかった。さすがにバイクはオートバイの店に置かせてもらい、列車で帰省。春3月になって引き取りに出向いた

 91年の12 月29日は、東京は快晴だった。だけど、やたらと寒かった。

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2007/10/12

雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)

ノリックが交通事故死、トラックと衝突」(モータースポーツニュース nikkansports.com)といったニュースがあったのはつい最近のこと。

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← 列車で、時にオートバイで眺めた雪原の関越道。<事件>のあった日は降る雪も激しく…。

 一部、転記させてもらう:

 7日午後6時20分ごろ、神奈川県川崎市の市道で、2輪ロードレースの人気ライダー、阿部典史(のりふみ)さんが乗ったバイクがトラックと衝突、阿部さんは病院に運ばれたが間もなく死亡した。32歳だった。93年に全日本ロードレースにデビューすると、いきなり史上最年少の18歳で総合優勝を達成。世界選手権(WGP)でも通算3勝を挙げるなど「ノリック」の愛称でファンに愛され、日本に2輪ブームを再来させた立役者だった。
 世界を舞台に活躍したライダーが非業の死を遂げた。川崎署によると、阿部さんは同市川崎区大島1丁目の片側2車線の市道の右車線をスクーター型の500CCバイクで北上中、前方の左車線からUターンしようとした4トントラックを避けようとしたが、衝突して対向車線に放り出された。当初は意識があったものの、午後8時52分、搬送された市内の病院で死亡が確認された。阿部さんは胸を強打し、ろっ骨骨折や臓器の損傷などもみられたもようだ。

 阿部典史さんの事故に付いてはひたすら痛ましく思うばかりである。

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2007/08/04

阿久悠「愛すべき名歌たち」よ、永遠に

 作詞家(小説家でもあった)阿久悠さんが8月1日に亡くなられた。
 奇しくも一昨日、読了したジョージ・エリオット著『ロモラ』関連の記事を書こうと思ったが、急遽、変更する。

 8月1日というのは、小生自身にとっても因縁の日。
 小生の名前・国見弥一の弥一(81)は、「国見弥一のプロフィール」で若干、触れておいたように「高校三年の夏、この日、小生は、神通川の土手に立ち、川面や向こう岸の呉羽山などを眺めながら、それまでの理科系志望から哲学志望に変更することを選んだ」、忘れ難き日なのである。

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← 8月2日、皇居の前を通りかかった。雲が妖しい。この日の夕方、遠く九州に台風が上陸したのだった。

 幸い、今夜、「NHK総合テレビの「プレミアム10」は急遽放送予定を変更して追悼特別番組「ありがとう阿久悠さん 日本一のヒットメーカーが生んだ名曲たち」を放送し」てくれたので、その番組を最初から最後まで見ていた。聞いていた。
 彼はテレビという映像の時代を強く意識した作詞家であって、ラジオやLP(あるいはCD)などで聴くのもいいが、歌手の衣裳や舞台も含め、トータルに歌手を歌を演出しようとしてた。
 何故、そうなのか。それは、歌が時代に即しているものであり、時代という舞台があってこその歌だからということとも深く関わっているのだろうと思う。

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2007/03/15

生きるとは今日を限りの回り道

 つい先日、小生の知るある方が亡くなられた。直接、会う機会は近年、まるでなかったのだが、逝去の報を昨晩、電話で聞いて、がっくりきている。
 そういえば、昨日は、「朝まで待てない」(作詞 阿久悠・作曲 村井邦彦)や「たどり着いたらいつも雨降り」(作詞・作曲 吉田拓郎)などのヒット曲(ボーカル)や役者としても有名だった「鈴木ヒロミツ」氏の訃報を聞いたのだった。
 享年60! 若い!

 今日は、何も書く気になれない。
 なので、以下、ネット上のみではあるが、心情的には深い付き合いのあった(少なくとも小生は勝手にそう思っていた!)、小生にとってはヒロインだったある方の訃報を聞いて書いた追悼文、あるいは、その頃書き綴った葬送、あるいは死を巡る随想といった文章群の中から幾つか転記する。

 思えば、小生はこの女流作家さんに刺激を受け、随分と創作意欲を掻き立てられたものだった。彼女と創作の応酬をしたりもしたが、それ以外にも、彼女と交流があった一年前後の間に百を越える掌編を書いたものだった!

 誰にも遅かれ早かれ、生きるという回り道などできなくなる日が来る。
 だからこそ、その日その日を大事に、とは思うけれど、時にはしんみりしてしまうのも、仕方ないよね。

 

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2007/01/10

安藤百福…我あるは即席麺の賜物さ

 日清食品の創業者で元社長の安藤百福(ももふく 1910年3月5日 - 2007年1月5日)さんが、5日、96歳で亡くなられた。
 7日には告別式も盛大に行なわれたようである。
祭壇には、柔和な表情の遺影と法名「清寿院仁誉百福楽邦居士」と書かれた位牌(いはい)を安置、棺には愛用のサングラスやチキンラーメンが納められた」とか。

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← カップヌードル! 随分とお世話になってきた。今も常備!

 関連して「「ミスター・ヌードル」安藤百福氏の功績評価 米紙」といったニュースも聞こえてきた。
「9日付の米紙ニューヨーク・タイムズは5日に死去した日清食品創業者で即席ラーメンを開発した安藤百福氏の功績を称える社説を掲載。「ミスター・ヌードル」とのタイトルに感謝を示すカットをつけた異例の扱いで同氏を追悼した」というのだ。
 さらに、「社説は即席ラーメンが、ホンダの「シビック」やソニーの「ウォークマン」などのように戦後日本の会社組織が生み出した「奇跡」でなく、あくまで安藤氏個人の開発であることを強調。この開発で日清食品は大企業になり、現在「世界中の1億人が毎日食べ、2006年にはカップヌードルは250億食に達した」と世界の国民食ともいえる存在になったサクセス・ストーリーとして紹介している。」とか。

 一人暮らし歴の長い小生、即席ラーメン歴も長い。
 高校までは田舎で家族と一緒だったから、兼業農家でもあり、畑もあって、食に関しては恵まれていた…。
 但し、逆に野菜が嫌いで、しかも、お袋の作ってくれる料理より外食、それが無理なら、出前が楽しみだったような。

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2006/12/20

思い出は淡き夢かと雪の降る

思い出は淡き夢かと雪の降る…テーマは、ナダレンジャーやエッキーなどでも有名な納口恭明氏、そして雪形など]

 前都知事の青島幸雄氏が今朝、亡くなられた(「<訃報>青島幸男さん74歳=前都知事、放送作家、タレント」より)。小生にもと知事時代の青島幸雄氏にはあれこれ思うことがないわけではない(なんとなく反骨精神と反権力意識だけで都知事になってしまったようで、ビジョンを持っているようには思えなかったから、都知事になることを危ぶんでいた…)。

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← 『長谷川町子全集 (24) いじわるばあさん 1』(朝日新聞社)

 でも、物心付いて間もない頃、我が家にもテレビがやってきて、小生は呆気なくテレビっ子になった。今はまともなテレビがないが(それは買えないという事情もあるが、買うとテレビ三昧になるのは目に見えているから、でもあるような気がする)、自分の世界を豊かには育めなかった小生には、テレビ中心(あとは漫画!)の生活となり、テレビのない生活なんて考えられなくなった。

 そんな小生には青島氏は都知事よりも、まずは放送作家でありタレントであり役者でもありという、テレビを中心にした多彩ぶりを発揮された方として印象に鮮明である。
「ハナ肇とクレージーキャッツ」の曲の作詞も手がけられていたが、小学生だった小生には知らず知らず青島氏の影響を受けていたようである。

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2006/12/02

夢の中大河を見しも枯れ葉道

 年末の繁忙期が始まったのか、昨日の営業は忙しかった。
 とにかく回数だけはあった。
 が、こんな日に限ってトラブルめいた、ちょっとした出来事も多くなる。
 書きたい、書いて鬱憤を晴らしたいけど、愚痴にしかならないし、営業の中身に関わるから、手元の手書きの日記帳(メモ用紙)に書き留めるだけにする。

 こういう忙しいときだと、稼ぎ時のはずなんだけど、忙しさに久しく縁遠かったせいもあるのか、体がびっくりしてしまって、夜半を回ってから疲労が出てきたりして(過日の洗車の疲労が今頃になって出たのか?!)、肝心の丑三つ時前後に、グッスリ、寝込んでしまった。

 水銀灯の灯りに照らし出される枯葉の舗道の光景があまりに綺麗で、車を路肩に止め、ちょっと見物のつもりが、夢の中で大河映画を見てしまったようだ!

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→ 水銀灯に照らし出された枯葉の並木を撮りたかったけど、失敗。撮れたのは、うら寂しい落ち葉の舗道。ここでしばし…じゃなく、グッスリ寝入ってしまった!

 忙しいと言っても、実際の稼動(実車になっている)時間というのは、多いなと感じた場合でも、拘束時間帯の半分もあればいいほう。まあ、せいぜい4割くらいの時間だろうか。
 ということは、残りの時間は空車か回送か、いずれにしても空気を運んでいる状態。車内の空気とお友達ってわけである。
 そんな中、さすがに本を読む時間は取れなかったが、ラジオは健在。
 ラジオから音楽は勿論だが、あれこれ雑学的情報も得た。

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2006/11/25

謎の一日…原爆は誰の手に

 23日の祭日は小生は仕事だった。生憎の冷たい雨の中、車中では次々に移り変わる風景とラジオだけが友達であり慰めである。
 が、ラジオから訃報が聞こえてくるとなると、慰めとは言っておられない。
 それは、『兎の眼』(角川書店)や『太陽の子』などで知られていた児童文学作家の灰谷 健次郎氏の逝去の報。

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← 灰谷 健次郎著『兎の眼』(角川書店)

 彼に付いての話題は、これらの本が話題になった頃から、随分と見聞きしていた。
 が、だからなのだろうか、彼の本を既に読んでしまったような、妙な満腹感・食傷の気味があって、手にする機を逸し、今日に至るまで読んでいない。
 なので、追悼の文を綴るのも憚られる。

 実は、『兎の眼』なる本は所蔵している。何ヶ月か前に拾ってきたのである。刊行された83年当時に誰かが買ったものと思われ、保存の方法に問題があったのか、埃はまだしも、紙魚が一杯。
 歳月が流れ、他の多くの本と一緒に捨てられてしまったのだろう。
 汚れがひどく、手に持つのも躊躇われるような状態の本。
 でも、本の中身に紙魚が影響を与えるわけもない。
 汚いからといって、捨てられもせず。

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2006/11/23

永沢光雄氏追悼:男女とは絡み絡まれ赤い闇

 あるブログ(「天にいたる波 永沢光雄」)を覗いたら、今日の記事の題名が「永沢光雄」となっている。
 おや、小生の敬愛する書き手・永沢光雄氏であり、永沢光雄氏というと、彼の出世作であり且つ小生も二度も既に読んだことのある本『AV女優』(文藝春秋)の題名をすぐにも思い浮かべてしまう。
 これは読まずには居られない。
 ブログの内容に付いては、リンク先へ飛んで確かめてもらいたい。

 ただ、彼・永沢光雄氏が11月の1日に亡くなっておられたという厳粛なる事実だけは記しておく。
 以下、彼に関連する…というより、小生らしく彼の周辺を巡るような一文を綴る。

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← 永沢光雄著『AV女優』(文藝春秋)。文庫本版があるが、小生は単行本で出た直後に買った。『AV女優 (2)』(文芸春秋)も買ってすぐに読んだ。

 ネット検索すると、「MovieWalker編集長ブログ 【追悼】永沢光雄「AV女優」「声をなくして」なる頁が見つかった。
(この記事をショパンのCDを聞きながら書いている…。)

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2006/11/05

白川静…日本語は仮名しき漢字の迷宮か

 11月一日(ついたち)、車中でラジオ三昧していたら、不意に白川静氏が亡くなられました、というニュースが飛び込んできた!
10月30日午前3時45分、多臓器不全のため」で、96歳だったという。
 小生如きに漢字研究の第一人者、中国文学者である白川静氏に付いて特別の個人的感懐があるはずもない。
(「Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <訃報>白川静さん96歳=漢字研究の第一人者、中国文学者」参照。)
 それでも、漢字、仮名、表記、柿本人麻呂と、日本語表現の淵源への関心は少しは抱いてきた。
 そうした関心の赴くところ、柿本人麻呂は別格として、漢字に拘り続けた白川静氏に至るのは当然のことだったろう。

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→ 11月3日、夜半過ぎ、都内某所の公園脇にて。車内から撮ったもの。あと数日(6日の夜か)で満月となる

松岡正剛の千夜千冊『漢字の世界』1・2白川静」なる頁が漢字に付いて、そして白川静氏の業容を知るに素晴らしい。
 特に「第1には、神の杖が文字以前の動向を祓って、これを漢字にするにあたっては一線一画の組み立てに意味の巫祝を装わせたと見ている。これがすばらしい。漢字はその一字ずつ、一画ずつが神の依代づくりのプロセスであって、憑坐(よりまし)なのだ」以下、白川氏の思想をまとめた項だけでも、読んで欲しい。

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2006/10/05

作曲家・市川昭介氏 死去…演歌とは顔で笑って茨道

 訃報を初めて聞いたのは車中だったろうか。
 作曲家の市川昭介氏が亡くなられたという。知ったのは9月27日のことで、「9月26日午前5時、肝不全のため都内病院にて死去した。73歳だった」という(「作曲家・市川昭介氏 死去 CONFIDENCE ランキング&ニュース -ORICON STYLE-」。あるいは、「メディア・【夕刊JanJan】さよなら市川昭介さん~名曲をありがとう」など参照)。
 今時の若い人は市川昭介氏といってもピンと来ないかもしれない。演歌や歌謡曲の時代ではなくなったようだし。

 ただ、影の薄くなったような演歌だが、今もドンドン、素晴らしい新人歌手が生まれていることは断固、明記しておきたい! 時流とは、直接重ならなくなったというだけのことであって、演歌というのは明治以来の歴史があり、これからも歌い継がれていくに違いない。
 そうはいっても、波止場、北(何故か北へ流れる)、霧、海峡、カモメ、涙、酒、酒場、女(あるいは男)、煙草、捨てる(捨てられる)といった紋切り型の歌詞(言葉)は、ますます使いづらい、時代とは齟齬する傾向を強めていくのだろう。

 市川昭介氏が亡くなられて既に十日となるが、演歌大好きで演歌・歌謡曲にドップリ浸ってきた小生としては、同氏とは直接の関わりは何もないのだけれど、簡単にでも触れておきたい。

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2006/05/31

訃報二題

 米原万里さん(56歳=エッセイスト)が亡くなられたね。一度だけ、小生のタクシーに乗ってもらったことがある。多分、自宅へ。
 そのころはテレビでのコメンテーターは辞めていたけど、サイン、貰っておけばよかった。
「駄洒落と下ネタが得意」ってことだったから、車中で駄洒落合戦でもすればよかったなー。
 合掌!

 今村昌平監督が亡くなられた。映画はあまり観ない小生も監督の映画は幾つか観た。「復讐するは我にあり」は、上京した年か、翌年に見たので今も印象的。
 緒形拳さんに痺れたね。小川真由美さんや倍賞美津子さんの肉体(と演技)にも圧倒された(倍賞美津子さん……というと、映画を観つつ、そのころ、バイト先でお世話になった女性とイメージをダブらせていたっけ)。
黒い雨」「うなぎ」「楢山節考」」「にっぽん昆虫記」「神々の深き欲望」……。タイトルを並べるだけでも壮観だ。
 合掌!

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2006/04/07

絵門ゆう子さん、逝く

村上元三氏死去」に続いての訃報記事となる。

 絵門ゆう子さんが亡くなられたことを知ったのは、6日の朝だった。仕事に出かける準備をしながらテレビを見ていたら、そんなニュースが飛び込んできたのだった。

 絵門ゆう子さんがガンに罹患していることを知ったのは、朝日新聞・東京版(「いのち」欄連載(通常木曜日))に絵門ゆう子「がんとゆっくり日記」が載ったからである。が、情けないことに我が家の財政状況が破綻寸前に陥り、昨年四月から新聞の購読を辞めていて、以来、当然ながらそのコラムも目にしていない。
(但し、「週間ポスト2003/5/30」に「私は全身がん」壮絶告白」という記事が載ったというから、ワイドショーを朝食時に見る習慣のある小生、この前後に知った可能性がある。末期ガンとご自身、その時点で申し渡されていたのだから、ワイドショー的に話題性は十分である。多分、小生も彼女の状況は認識はしていたはずだ。が、後に書く理由もあって、それほど関心が持てなかった。)

 幸いにもというべきなのか、偶然にもなのか、この三月からお試し期間ということで、朝日新聞を取り始めている。なので、「がんとゆっくり日記」の最後の第89回「真摯な無心の闘い感動呼ぶ」から第92回「薬に耐性・・・玉手箱が開いた」の四回分は目を通すことができた。第93回になるはずの記事は追悼の記事で彼女の手になるものではなかった。あるいは、彼女の手元に草稿でも残っているのだろうか。
 とにかく、これも縁なのだろう。お前も、ちょっとは向き合えよという、天の声なのか。

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2006/04/06

村上元三氏死去

 昨夜(4日の深夜)だったか、ラジオを聴いていたら、作家の村上元三氏死去のニュースが流れてきた。
 小生には懐かしい作家の一人という感がある。といっても、この大衆性のあるこの作家に傾倒したというわけではない。
 ある時期、彼の作品である「次郎長三国志」を夢中になって読んだことがあっただけのことなのだ。

 念のため、ネット上で読める記事の一部を転記しておくと、以下のとおり:
「「佐々木小次郎」「水戸黄門」などの時代小説で知られる直木賞作家の村上元三(むらかみ・げんぞう)さんが3日、心不全のため死去した。96歳だった」
「10年、韓国・元山生まれ。41年、「上総風土記」で直木賞を受賞した」
「49年から本紙に連載した「佐々木小次郎」で大衆文壇の第一人者の地位を確立。その後も、「源義経」など、歴史の流れにほんろうされた人物を、徹底した時代考証をもとに描いた」
(以上、「作家の村上元三さんが死去 (朝日新聞) - goo ニュース」より)
「時代小説で活躍、村上元三氏が死去 (読売新聞) - goo ニュース」から若干、補足しておくと、「1938年、長谷川伸の門下に入り」、「、41年「上総風土記」他で直木賞を受賞」と続くわけである。

村上元三 - Wikipedia」を覗いてみても、あまり詳しい記述があるわけではない。彼(1910年3月14日生まれ)はもう忘れられた作家だったのだろうか。
 ここから追記しておくと、「1934年、「サンデー毎日」懸賞小説で選外佳作となった『利根の川霧』でデビュー」や、「戦後に朝日新聞夕刊に当時タブーであった剣豪小説『佐々木小次郎』を1年程掲載。大衆文学復興の旗手となる」だろうか。

 時代小説、歴史小説は父ほどではないが(父は今でも好んで読んでいるようだ)小生も中学から大学生の頃、結構、楽しんだという記憶がある。さすがに「立川文庫」世代ではないが、吉川英治の小説『宮本武蔵』は勿論のこと、山岡荘八の「徳川家康」、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」などは、漫画の本を読むより頁を捲る手が早かったような。

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2006/03/02

久世光彦氏が死去

「人気テレビドラマ「時間ですよ」の演出や小説やエッセーなど文筆でも活躍した演出家で作家の久世光彦(くぜ・てるひこ)氏が2日午前、東京都世田谷区の自宅で死去した。70歳。東京都出身」とか:
中日新聞ホームページへようこそ

 同上の記事に拠ると、「東京大文学部美術史学科卒業。1960(昭和35)年、現TBSに入社。脚本家の向田邦子さんとともにドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などを手掛けた。斬新な演出で高視聴率を稼ぎ、名物プロデューサーと呼ばれた。79年に独立しテレビ番組制作会社「カノックス」を設立。テレビだけでなく舞台演出にも活動を広げた」ともある。

 富山出身ではないが(?)富山高校卒ということで、小生にとっては先輩ということになる。
 彼に付いては何とか採り上げたいと思っていたが、果たせないで来た:
シャラワジ風日記
(尚、富校の在校生が作る「富校の杜~県立富山高校~」は覗いて楽しいサイトになっている。)

 源氏鶏太氏も含め久世光彦氏の本を読み、いずれ彼を特集したい。

 謹んで久世光彦氏のご冥福を祈ります。


[ 「livedoor ニュース - 久世さん遺影 荒木氏が1月に撮影」という情報を得た。関係する情報なので一部、転記させていただく。
「胡蝶(こちょう)蘭やかすみ草など、白い花の祭壇に飾られた久世さんの遺影は、写真家の荒木経惟氏が1月下旬に撮影したもの。久世さんが、大好きなたばこをくゆらせているワンカットで、月刊誌「ダ・ヴィンチ」のグラビア用だった」とか。
 これは、「久世さんは撮影時、荒木氏に「遺影は荒木さんに撮ってもらおうかな」と冗談っぽく話していたといい、この会話を覚えていた編集者が遺族に届けた。久世さんの死後、自宅から裏に「葬儀用」と書かれた別の写真も見つかったという」のだ。
 また、「棺には、久世さんが思い入れの深い作家や作品への思いをつづった「美の死」(ちくま文庫)が納められる予定。筑摩書房から発行された単行本の文庫化で、10日発売。亡くなった2日に届き、久世さんが目にすることはなかった」のだとも。
 さらに、「長男の烈さん(28)が贈ったマグカップ、原稿の続きを書いてほしいとの願いを込めた原稿用紙や鉛筆、万年筆に加え、愛用の眼鏡、腕時計、トレードマークだったたばこのピース缶も納められる」という。(06/03/08 追記)]

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2005/06/14

倉橋由美子さん死去…旅の重さ

 倉橋由美子さんが亡くなられていたという一報を車中、ラジオで聞いた。
Sankei Web おくやみ 倉橋由美子さん(反リアリズムの作家)(06-14 0500) 」によると、「倉橋由美子さん(くらはし・ゆみこ=作家、本名・熊谷由美子=くまがい・ゆみこ)10日、拡張型心筋症のため死去、69歳。自宅は非公表。葬儀・告別式は近親者で行われた」という。
Hililipom>レファランスルーム」の「倉橋由美子」の頁を覗くと、彼女のProfileや著作リスト、翻訳リストを見ることができる。
 学生時代から文学活動を始め、明治大学在学中に「パルタイ」を発表し(60年)、芥川賞候補になったりなど、注目を浴びた。執筆活動を続けたが、「71年からしばらく小説の執筆から遠ざか」り、「80年創作を再開」という。
 その後は翻訳活動を中心に活躍していたようだが、小生は、皮肉にもというか、80年以降は関心を抱かなくなり、僅かにロングセラーとなった『大人のための残酷童話』を読んだだけである。
 それも、何処かの書店に立ち寄ったら、文庫版の『大人のための残酷童話』が目に付き、書き手の名を見ると、倉橋由美子とあり、懐かしさを覚えたくらいだった。
 数年前のこと。その頃、グリムやアンデルセンなどの童話や民話、昔話に興味を持っていたので、おお、こんな作家も、「大人のための残酷童話」というような際物的な仕事に手を染めていたのかと、やや驚いてしまったり(驚く小生が、迂闊で彼女の近年の仕事をフォローしていないだけのことなのに。まして最後の仕事がサン・テグジュペリの「星の王子さま」の翻訳だったとは、知る由もない)。

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