2009/08/13

疲弊するトンボを路上に置き去りに

 今月になってからの繁忙で、読書どころではないが、先月末、最近のヒットと言える本を読んだ。
 それは、アドリアン・J.デズモンド著の『ダーウィンが信じた道―進化論に隠されたメッセージ』(矢野 真千子 野下 祥子【訳】 日本放送出版協会 (2009/06/30 出版))という本。
 とても、感想文など書く力も余裕もないが、秀逸といっていい本。

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→ 昨日の日記には、ゴーヤなどが見事すぎるくらいに育ってくれて、右側の窓が完璧以上に緑の葉っぱで蔽われている様子を見てもらった。この写真は、右側の出窓の様子も収めてみたもの。さすがにゴーヤもここまでは手が届かないが、その分、ヘチマが張り切ってくれている。葉っぱが大きくて、ネット(網)が重く、垂れ下がっていたので、今日、アメリカシロヒトリ駆除のための薬剤を噴霧器で撒布したついでに、ネットをシュロ縄で窓の桟の上の横板に打ち付けてある釘に引っ掛けてみた。なんだか、緑の涎掛けみたい? いやいや、緑の花綵(はなづな)だ!

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2009/03/23

無為の谷底にて

 昨夜来の風雨がとうとう今日一日続いてしまった。
 日中、ちょっと凪めいた時間帯もあったのだが、雨も風も結局終日止まなかった。
 父は入院中なので、母と二人暮らし。

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→ 美達大和(ミタツヤマト)著『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)

 土曜日までの暖かさが土曜日の夜からの風雨で吹き払われ、日中は石油ファンヒーターが疎ましいほどだったのが、また頼りがいのある存在に映る。
 特に母の部屋のストーブは、停止させるわけにいかない。
 安全のため、タイマーが付いているので、3時間で自動的に停止する。
 なので、日中もだが、特に夜も停止していないか注意を払っていないといけない。

 普段なら、父母の寝所とは一番、遠い部屋で寝起きするのだが、今は、廊下を挟んだ部屋で寝ている。

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2009/03/08

カプラン著『ゼロの博物誌』と「蜘蛛のいる風呂場」と

 ロバート・カプラン著の『ゼロの博物誌』(松浦俊輔 訳 河出書房新社)を読んだ。
 ゼロを巡る本というと、チャールズ・サイフェ著の『異端の数 ゼロ』(林 大訳、早川書房)以来かもしれない:
ロゴスって言葉? 光? 尺?『異端の数 ゼロ』をめぐって

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→ ロバート・カプラン著『ゼロの博物誌』(松浦俊輔 訳 河出書房新社)

 意外な、と書くと僭越だし著者に失礼かもしれないが、とにかく掘り出し物の本だった。

 ゼロ(零)を巡る本というと、「ロゴスって言葉? 光? 尺?『異端の数 ゼロ』をめぐって」でも言及しているが、一昔前はよく読まれた(今も?)吉田 洋一著の『零の発見―数学の生い立ち』(岩波新書)などもある。

 中学か高校の頃に読んだ。数学などそのセンスの欠片もないのだが、中学から高校の途中に懸けてまでは(高3の夏に理系から文系(哲学)に転向したあとも)好きな学問というと数学が筆頭だった(今も!)。
 小生の中の英雄(将来、なりたい仕事)というと、小学生の頃は漫画家だったが、中学二年になってほんの一時期だが、数学者になっていた。

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2008/10/30

『〈出雲〉という思想』のこと(前篇:『夜明け前』へ)

 29日の雨はまさに氷雨だった。
 朝、庭に出てみたら、庭先に植えた7株のパンジー、夜半過ぎまで降り続いたややきつめの雨の勢いに負けたのか、それとも小生の植え方が甘かったのか、一株の花が茎で折れていた。
 無念!
 願わくば、残りの花たちが元気に育ってくれますように!

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→ 原武史著『〈出雲〉という思想』(講談社学術文庫)

 原武史著の『〈出雲〉という思想』(講談社学術文庫)を過日、読了した。
 副題が「近代日本の抹殺された神々」とあって、なかなか面白い本だったので、感想とまではいかないが、大よそのことをメモっておきたい。

 古代史や考古学関係の本は基本的に新刊しか手にしない方針でいるのだが、図書館でCDを借りる手続きをしている合間、ちょっと手持ち無沙汰になり、出口付近にある文庫本の書架をチラッと眺めやったら、本書が目に飛び込んできた。

<出雲>という言葉が題名にあるだけで、気になってならなくなる。
 まして、<出雲>という思想って、どういうことなのと、手に取るしかなくなったのだ。

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2008/10/06

月長石…ムーンストーンは妖しく光る

 過日、久世光彦著の『早く昔になればいい』(新潮文庫)を読んでいたら、文中、(少なくとも)三度、「月長石」という言葉が使われていることに気づいた。
 それなりのイメージというかオーラを発散している言葉であり、物象だとは思うけれど、必ずしも長くはない小説に三度も使われると、ちょっと気になってしまう。

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← 「ムーンストーン(月長石)」((c)KAGAYA) (画像の出典は、「天然石図鑑 ムーンストーン(月長石)」より。本画像は、天然石・アクセサリーショップ「アクエリアスステージ」の許可を得た上で転載したものです。)

 小説家に限らず、表現にこだわるならよほどのことがない限り、(やや)珍しい言葉は比喩として複数回は使わないはず。
 時に目障りになりかねない。
 でも、同氏は敢えて何度となく使っている。
 もしかしてエッセイか何かでこの「月長石」を巡っての思い入れなどを語っているのではなかろうか。

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2008/10/05

ユンガー「砂時計の書」をめぐって

 エルンスト・ユンガー著の『砂時計の書』(講談社学術文庫)を読んでいる最中である。

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↑ 10月6日のこと、富山城近くの某公園内に花時計を発見。何度もこの公園の中を自転車で通っていたのに、初めて気がついた。早速、携帯電話を取り出し、パチリ!


 同書の詳細によると:

暖かな書斎の一隅で、白い砂粒が音もなく滑り落ちていく。
この静謐を、知的観想の時を、わたくしたちはいつくしむ。
砂時計は地球的時間の象徴である。
夜明けとともに起き、一頭の獲物を得るまで狩りをした“アド・ホックな”行動様式の忘れ形見である。
自ら作り出した歯車時計に支配される近代文明の逆説を、ドイツの文豪ユンガーは勁く静かに批判する。
古今の文献を駆使して語る、ユニークな宇宙論。

 結構、力の入った内容紹介ではなかろうか。

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2008/09/27

読書・音楽拾遺…モーツァルトとシンクロもエンヤない?

 富山に帰郷して今日(26日)で丁度、半年となる。
 帰郷のドタバタの一端は、例えば、「テラ・アマータ」にメモしている。

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← Enya / エンヤ『A DAY WITHOUT RAIN / ア・デイ・ウィズアウト・レイン

 その中で、ちょっと殊勝にも以下のように書いている:

 このような人間なのだけど、我が地を愛そうと思う。
 誰も自分を愛することはなく、我が愛すべき土地さえも自分に対して無関心であり続けるのだとしても、縋りつくように、しがみ付くように、この地に生きる。

 郷里に半年住んで、少しでもそのようでありえたかというと、なかなかうまくはいかないというのが正直なところだろう。
 それでも自分で自分を叱咤して、郷里の地に馴染もうとしているけれど、道半ばどころか、緒にさえ着いていないと痛感するばかり。
 あれこれ書くと切りがないが、とにかく楽しみを見出せていない。語り合う友(パートナー)もいないのが大きい。
 この辺り、自分の人間性も関係するところなので、自業自得なのかなと、やや諦めの心境でもある。

 殺伐、茫漠といった言葉が自分の心から浮かんでくる言葉なのだ。
 

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2008/09/21

千木のこと

 長部日出雄/著の『「古事記」の真実』(文春新書)を読んでいたら、「千木」という言葉に出会った。
千木(ちぎ)」という言葉、というより古来より伝わる、今となっては神社にのみ(?)残る、神社建築の象徴ともいえる、ある種の建築技法というべきか。

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→ 屋根の上にあるのが鰹木、両端で交叉しているのが千木(多田神社本殿) (画像は、「千木・鰹木 - Wikipedia」より。)

 上掲書から当該箇所を転記してみる:

 国会図書館で読んだ佐伯英雄『宮崎懸新誌』(昭和26年刊)はまだ見ぬ高千穂の独特な佇まいを、つぎのように伝えていた。
「農家は多く萱(かや)で葺かれてその上には千木があり、古代の建築を思わせるものがある。早朝渓谷から湧く雲の上に雄渾な九州山脈の頂きが浮かび、山の端をはなれた太陽の光が千木古(ふ)りた農家の屋根を照らし、遠くからの鶏鳴を聞くとき古代の世界に遊ぶ気持ちを覚える」
 千木とは、神社建築の象徴ともいうべきもので、社殿の屋上に破風(はふ)の先端が交差して高く突出している部分をいい、今日では神社以外では見られない。だが、高千穂では何十年か前まで、農家の萱屋根にもその千木が備わっていたというのだ。その一点だけでも、なにやら尋常の里とはおもえない。
『宮崎懸新誌』はさらに、他には見られない高千穂の特徴をこう伝える。
「(この地方に多い清冽な)泉の水は場合によっては懸樋(かけひ)によって家に運ばれる。沿道に多くの竹製の懸樋を見、特殊な場合は懸樋がワイヤーに釣られて幾十米の河谷を越えている場合も少なくない。

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2008/09/15

メビウスとエオゾーン

[本稿は、東京・浅草へ向う当日の夜に書いていたもの。載せる機会を逸していた。]

 クリフォード・A.ピックオーバー著『メビウスの帯』吉田三知世/訳 日経BP社)を読んでいたら、「エオゾーン」という言葉に出会った。
 小生は初耳(多分)。
 何やら化石の歴史や岩石などに関係する言葉らしい。

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→ アウグスト・フェルディナント・メビウス(August Ferdinand Möbius、1790年11月17日 - 1868年9月26日) (画像・情報:「アウグスト・フェルディナント・メビウス - Wikipedia」より。)

 本書は、「メビウスの世界へようこそ!!エッシャーの版画作品でお馴染みのメビウスの帯のトリビアに加え、結び目理論、クラインの壺、ペンローズ・タイルなど、トポロジーの旅を味わう」といった本で、メビウスの輪(帯)で有名な数学者アウグスト・フェルディナント・メビウスの生涯や研究に付いての本であり、凡そ、そういった分野とは関係ないのに、なにゆえ「エオゾーン」なんて言葉に言及されているのか。

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2008/08/30

二週間ぶりに図書館へ

富山で久しぶりの図書館」なる日記を書いたが、その時借りた本の返却の日が来た。
 返却の前日、なんとか読了。
 空模様が心配されたが、幸い雨に祟られることもなく、自転車で散歩を兼ね、街中へ。

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← 図書館の近くで見つけた噴水。夏の真っ盛りだったら、涼しげだったろうけど…。

 借りていたのは、ジョン・D・バロウ 著の『宇宙に法則はあるのか』(松浦 俊輔 訳 青土社)である。
「2004-06-24」の出版なのだが、実際には改装した本。最初に刊行されたのは、日本において宇宙論がまるでバブル経済の象徴の如く白熱していた頃で、その頃、スティーヴン・ホーキング著の『ホーキング、宇宙を語る』 (早川書房)がベストセラーになったというと、ピンと来る人も居るかもしれない。
 ということで本文が書かれたのは下手すると今から二十年ほど以前となる。

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