2024/02/12

隣家との間の側溝が地震で破損

Balzac_20240212133901 ← シュテファン・ツヴァイク 著『バルザック(下)』(水野亮 訳) 「『マリー・アントワネット』『ジョゼフ・フーシェ』などで知られる伝記作家が五一年の生涯を情熱的に描いた遺作にして最高傑作。」

 今日は洗濯二度のあと、買い出しの日になった。水を箱買いし、冷凍食品を買い込んだ。いよいよ電子レンジが唯一の調理器具になりつつある。冬はまだ続くが、薪ストーブの活躍の機会は減りそう。納屋での柴作りに慌ただしかった日々も今冬は終わりに近いか。買い物もスーパー通いに加え、通販利用の機会が増えそう。注文して三日もしないうちに届くのが嬉しいというかビックリする。 (02/12 13:54)

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2022/02/08

西之島の運命を気にしてる場合か

Kiryu ←  井出 孫六 著『抵抗の新聞人 桐生悠々』(五男による回想「私にとっての〈親子関係〉」も収録。[解説=青木理] 岩波現代文庫)「開戦前夜まで反戦と不正追及の姿勢を貫き、ジャーナリズム史上に屹立する桐生悠々。烈々たる反骨の生涯。」

 

 買い物から帰宅後、ママさんダンプでせっせと除雪。表の庭から裏口までの道作り。四時過ぎからは雨に。雪にはならないかな。腰への負担。安静にしてたいが、体を動かさないと。読書しながらの腹筋背筋作りも継続。(02/08 16:24)
 午後四時過ぎからの雨。いや、雨でよかった。これが雪なら新潟か北海道か、昨年の富山になっちゃってる。ほんの数度の違いで、豪雪か雪融けの雨。自然の中の微妙な界域に生きてる…… (02/08 19:33)

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2007/12/28

富田木歩の周辺

 今日は一挙に二つの記事をアップ。
 一つ目の「アルトドルファー追記」はすでに未明、アップ済み。以下は、今日の第二弾だ。

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→ 版画「富田木歩」(昭和38年作・吉屋信子「墨堤に消ゆ」 小説新潮) (画像は、「版画「富田木歩」」より) 「墨堤に消ゆ」は吉屋信子のエッセイで、富田の句をいろいろと紹介している。この版画は、(小生の推測では)このエッセイに付せられたものなのだろう。『鬼火・底のぬけた柄杓 吉屋信子作品集』(講談社文芸文庫/2003)に所収となっているようである(本書については下記する)。

 さて、一昨日、「紙魚・白魚・雲母虫・本の虫」なる記事を書き綴っていて、あれこれ調べる中で富田木歩(とみたもっぽ)という俳人の存在を知った:

 ネットで紙魚という季語を織り込んだ句を探してみたら、下記の句が見つかった(「落葉のささやき 富田木歩 その6」にて):

なりはひの紙魚と契りてはかなさよ   富田木歩

 富田木歩なる人物は小生にとっては未知の方である。
 下記のサイトが非常に参考になる:
書評 (中島) 「鬼気の人 ー 俳人富田木歩の生涯」
 大して長くはない。一読することを願う。


「なりはひの紙魚と契りてはかなさよ」という句の中の「紙魚」、さらには「契り」に、いかに切ない、断腸の思いが篭っているか。それは彼の生涯を知れば自ずから分かるだろう。

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2007/11/30

ベラスケス「侍女たち」の風景(前篇)

「furiae」…ベルグクヴィストの周辺(前篇)」でも書いたけど、「「ケプラーの夢(ソムニウム)」再び」で言及していたジョシュア・ギルダー、アン-リー・ギルダー 著『ケプラー疑惑 ティコ・ブラーエの死の謎と盗まれた観測記録』(山越幸江 訳、地人書館)を読了した。

 本書はいろんな理由があって手にしたのだが、その一つは、西洋における風景画の誕生、あるいはその画法などの変遷の歴史との絡みがある。
 西洋において風景画がどのように変遷してきたか。

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← Diego Velazquez『 Las Meninas (1656)』 (画像は、「ミシェル・フーコーによるベラスケス「侍女たち」の読解」より。この記事は後出する。本文共に参照のこと。)

 その全貌など小生には語るすべもない。せめて少しは勉強をと思い、越宏一著の『風景画の出現 ヨーロッパ美術史講義』(岩波書店)も過日、読了している。
「17世紀ヨーロッパにおける風景画の出現は,美術史のなかでどのような意味を持つのだろうか.絵画の画面から人物が消えてゆくプロセスを,古代壁画,聖堂壁画,タピスリー,中世書物の挿画,暦の飾画などをつぶさに見ながらたどってゆくことで,<風景>が芽生える長い道程が解き明かされる.ユニークな西洋美術入門.」といった内容。

 越宏一著の『風景画の出現』を読んで学んだことは多々あるが、同時にちょっと物足らないような気もしたのは事実。
 絵画の宗教的側面や時代を追っての徐々に風景が全面に出現していく、その移り変わりが分かるのは有り難いが、何故にそのように中世から近世へという時代にあって絵画における風景(画)の位置付けが変ったのかの、肝心の背景の説明が物足りないのだ。

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2007/11/17

命と引き換えの自然描写:大下藤次郎(後篇)

[本稿は、「命と引き換えの自然描写:大下藤次郎(前篇)」に続くものです。大下藤次郎の澄明で静謐な世界をお楽しみください。]

 大下藤次郎は友人の三宅克己(文末近くに彼の作品画像を掲げる。近代日本水彩画の第一人者である彼に付いても単独に特集するに値する人物である)と共に、但しそれぞれ別々の地で、バルビゾン派などの絵画に影響を受け、日本におけるバルビゾン村を作ろうとまで決意する。

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→ 大下藤次郎『久々子湖』(1911(明治44)年作 紙・水彩 35.0×24.5(cm)) (画像は、「千葉県立美術館」より) なんて澄明で静謐な世界なんだろう。ちなみに、久々子湖(くぐしこ)は、「三方五湖」の一つである。

 大下はやがて『日本風景論』で有名な志賀重昂と、ついで小島烏水と出会うことで決定的な転機を迎える(「松岡正剛の千夜千冊『日本風景論』志賀重昂」参照)。
 以下、「「コンスタブル」と「大下藤次郎」」より転記する:

小島と知己を得たのをきっかけに、大下は当時小島が設立に努力した「日本山岳会 (山岳会の後身) 」に入会します。入会後、大下は上高地、穂高、木崎湖、青木湖などを旅行することが多くなり、したがって描く絵も山岳風景が多くなっていきます。

当時は上高地といっても、現代からは想像もできぬ未踏の地でした。

登山姿で画架をかつぐ大下の姿には、産業化への足音が聞こえだした今こそ日本の風景を採集しておかなければならない、という使命感に満ちたものが感じられます。

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2007/11/12

命と引き換えの自然描写:大下藤次郎(前篇)

 外を出歩く余裕がない!
 ストレスが溜まっている。
 せめてもの慰みに、ネットで美術巡りの旅をする!

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→ 大下藤次郎:『穂高山の麓』 (1907) (画像は、「独立行政法人国立美術館」より) 是非、クリックして拡大画像で見てほしい。この作品は、小生にとっても発見だった!

 コンスタブルの周辺をネットであれこれ探っていたら、その過程で「「コンスタブル」と「大下藤次郎」」という頁(ホームページ:「笹山登生の政策道場」)に行き当たった。

 この頁には、ルソー、ミレーなど、いわゆるバルビゾン派と言われる、自然を描いた多くの画家たちにその切っ掛けを与え、自然を描くことに目覚めさせた画家コンスタブルに焦点が当てられている。
 それまでの宗教上のテーマを描くための背景でしかなかった風景に、まさに描かれるべき主体としての魅力が溢れていることを教えたのがコンスタブルだったわけである。

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2007/05/24

レイチェル・カーソン生誕百周年!

 NHKラジオ(第一)の「ラジオ深夜便」でこの月曜日の深夜から4日間に渡って(今夜が最後!)、下記の番組が流されている:

自然と共に生きること~生物学者レイチェル・カーソンの贈り物
レイチェル・カーソン日本協会理事長 上遠恵子

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← リンダ・リア著『レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯』(上遠 恵子訳、2002/08東京書籍刊) 秀逸! レイチェル・カーソンを知らない人も、本書を読むことで身近に感じられる。生物学者であると同時に一人の女性として病を抱えつつ(『沈黙の春』を執筆中に癌宣告された!)、信念に生き抜いた方だったのだ。

 どうやら、今週末の5月27日(日)はレイチェル・カーソンの生誕百周年となることにちなんでの特集のようだ。さすがにテレビで扱うにはもう過去の人になりつつあるということなのか。
 これほどに社会に警鐘を鳴らした人もなかったように思うのだが。
 小生は、彼女の生誕40周年である2004年に一年遅れる一昨年、彼女の本、彼女についての本を纏めて読む機会を持ったので、今、改めて繰り返すつもりはない:
「沈黙の春」(2005/05/23
「センス・オブ・ワンダー…驚き」(2005/06/04
「レイチェル…島尾敏雄…デュ・モーリア」(2006/05/04

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2007/04/01

バルザック誰もが主役の小説か

 今日4月1日はエイプリルフールの日。「四月馬鹿」とか時に「万愚節」とも言う。
 小生は、一昨年「万愚節(ばんぐせつ)」で大凡のことは書いたので、今日は、まさに人生がエイプリルフールそのもののような作家を俎上に載せる。

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← バルザック『ウジェニー・グランデ』(山口年臣訳、「グーテンベルク21」)

 つい、一昨日、「一杯のコーヒーが紡ぐもの」と題した記事を書いた。
 別にコーヒー繋がりを意識したわけでもないし、やがてはこの話題を持ち出すつもりで上記の日記を書き連ねたわけではないのだが、昨日、土曜日、過日より読み進めていたオノレ・ド・バルザック著の『ウージェニー・グランデ』を読了した。

 ただし、小生が読んだのは、『コレクターズ版 世界文学全集 23』(日本ブック・クラブ)で、この第23巻には、デュマ・フィスの「椿姫」(鈴木力衛訳)とバルザックの「純愛」(安川茂雄訳)が所収となっている。
 このうち、バルザックの「純愛」とは、「ウージェニー・グランデ」のことなのである。

 ととと。冒頭でコーヒー繋がりがどうした、などと書いているのに、肝心のことを書いていない。
 実を言うと、バルザックファンなら知っているだろうが、バルザックは無類のコーヒー党なのである!

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2007/01/10

安藤百福…我あるは即席麺の賜物さ

 日清食品の創業者で元社長の安藤百福(ももふく 1910年3月5日 - 2007年1月5日)さんが、5日、96歳で亡くなられた。
 7日には告別式も盛大に行なわれたようである。
祭壇には、柔和な表情の遺影と法名「清寿院仁誉百福楽邦居士」と書かれた位牌(いはい)を安置、棺には愛用のサングラスやチキンラーメンが納められた」とか。

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← カップヌードル! 随分とお世話になってきた。今も常備!

 関連して「「ミスター・ヌードル」安藤百福氏の功績評価 米紙」といったニュースも聞こえてきた。
「9日付の米紙ニューヨーク・タイムズは5日に死去した日清食品創業者で即席ラーメンを開発した安藤百福氏の功績を称える社説を掲載。「ミスター・ヌードル」とのタイトルに感謝を示すカットをつけた異例の扱いで同氏を追悼した」というのだ。
 さらに、「社説は即席ラーメンが、ホンダの「シビック」やソニーの「ウォークマン」などのように戦後日本の会社組織が生み出した「奇跡」でなく、あくまで安藤氏個人の開発であることを強調。この開発で日清食品は大企業になり、現在「世界中の1億人が毎日食べ、2006年にはカップヌードルは250億食に達した」と世界の国民食ともいえる存在になったサクセス・ストーリーとして紹介している。」とか。

 一人暮らし歴の長い小生、即席ラーメン歴も長い。
 高校までは田舎で家族と一緒だったから、兼業農家でもあり、畑もあって、食に関しては恵まれていた…。
 但し、逆に野菜が嫌いで、しかも、お袋の作ってくれる料理より外食、それが無理なら、出前が楽しみだったような。

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2006/12/21

貫之の渡りし川を空に見ん

今日は何の日~毎日が記念日~」の「12月21日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗いて、今日という日を古今東西に渡って想いを馳せるのがこの頃の習いになっている。
 さて、今日はとツラツラ眺めていたら、補足の項に「『土左日記』起筆」とある。「土佐日記(土左日記)」の冒頭に、以下のようにあるとか:

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年の、しはすの、二十日あまり一日の、戌の刻に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。

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→ 19日、六本木ヒルズのけやき坂にて。毛利庭園が凄いらしい!

土佐日記 - Wikipedia」とは、「紀貫之が土佐の国から京まで帰京する最中に起きた出来事や思いなどを書いた日記」で、「930年(延長8年)から934年(承平4年)土佐の国の国司だった貫之が、任期を終えて土佐から京へ戻るまでの55日間の紀行を、女の作者を装って平仮名で綴った」もの。
「この時代男性の日記は漢文で書くのが当たり前であり、そのため、紀貫之に従った女性と言う設定で書かれた」などなど、古典の授業が嫌いだった(というか、授業が嫌いだった)小生も、そういった知識を聞き及んだように記憶する。
 小生が、学校という場を離れて「土佐日記」を読んだのは、大学生になってからではなかったか。
 世の人が読む土佐日記なるものを弥一も読んでみんとて読んだのである。

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