2017/06/07

日本の縄文時代から中南米の現代の縄文の世へ

 今日は休み。しかも、仕事も、普段なら夜半過ぎまでで、帰宅するのは夜中の二時前なのに、昨日は夜の八時過ぎには終えて帰宅した。

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← イサベル・アジェンデ 著『精霊たちの家』(木村 榮一 訳 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第2集 河出書房新社) 「不思議な力をもつ少女クラーラは、美しい姉の死から9年間の沈黙の後、姉の婚約者と結婚し、精霊たちが見守る館で暮らしはじめる。三世代の女たちの運命を描く、驚異と幻想に満ちた傑作」だとか。

 どうも、リズムが狂うと返って気が抜けるようで、普通の人のように朝まで寝て、一日をフルに使えるとなると、なんだか途方に暮れるような感がある。
 いつもなら、気が付けば昼下がりで、あとは夕方前に外仕事をしてもう、夜なのに、午前中グズグズしていても、まだ昼前。どうしたらいい?って状態に。
 なれないと、ホント、リズムが狂う。

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2017/05/30

「先史のかたち―連鎖する土器群」を見たい

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← 『ユリイカ 2017年4月臨時増刊号 総特集◎縄文 JOMON』(青土社

 昨日もだが、庭仕事すると、ほんの二時間ほどの作業なのに、その日の夜はもう、入浴と食事で終わり。本が読めなくなる。前日の仕事が終わって帰宅したら真夜中の一時過ぎだってこともあるけど、体力がなくなったってことなのか。

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2017/05/27

群盲 縄文という巨象を撫でる

 今日は曇天から雨へ。天候からして外仕事はできない。
 週日でもあるので、プールへ行くことも考えた。けれど、体が言うことを聞かない。お昼を過ぎても、体を動かす気になれないのだ。
 体調不良?

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← 『ユリイカ 2017年4月臨時増刊号 総特集◎縄文 JOMON』(青土社

 それもあるだろうが、隔日の週日の仕事で、日中の半ばころ、いつもなら取る小一時間ほどの仮眠時間が取れないことが大きい。長年の仕事の習慣で、17時間以上の営業中、その半ばころにしっかり仮眠を取り、営業を二分割して体調を維持してきた。そのリズムが狂っているから、体調の維持を保てないのだと感じている。

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2017/02/13

「六国史」は六部の歴史書の呼称である

 病院、行きそびれた。…いや、行くの躊躇った。野菜を必ず食べるという習慣は、この五か月守ってきたが、運動をするという点は守れず。除雪や庭仕事で免罪というわけにはいかないだろうし、体重、増えちゃって、気が重いのだ。

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← 目崎 徳衛 (著) 『百人一首の作者たち』 (角川文庫ソフィア) 遠藤慶太著の『六国史―日本書紀に始まる古代の「正史」』の中で名著ということで挙げられていた。先月、正月ということで、板野 博行著の『 眠れないほどおもしろい百人一首』(三笠書房 王様文庫)を読んだものだったが、この『百人一首の作者たち』も、読んでみたくなった。

 この頃、物忘れがひどい。今日は、同僚に渡す書類を持参して約束の場所へ向かった……のだが、車を降りようとしたら、肝心の書類がない! あ、家の机の上に置いたまま、慌てて出かけちゃったのだ。
 過日は、検診のために取った検便を玄関に置いたまま、検診の病院へ。あと数分で病院という交差点で、忘れたことに気づく。慌てて取りに戻ったけど、ホント、情けない。

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2017/01/02

「邪馬台国論争」に決着を

 正月は稀有壮大にというわけで、今日は邪馬台国関連の本を、明日は、日本の将来に関わる本を紹介する。
 過去、何冊も邪馬台国の所在は何処だといった類の本を読んできた。多くは、何が何でも畿内説に持っていこうとする、そのためには恣意的な解釈も厭わない論考だった。

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→ ランス・オ・メドー国定史跡 (画像は、「ランス・オ・メドー - Wikipedia」より) この画像を掲げた理由は下記する。

 そんな中、でも、本書が一番、説得力があると感じた。
 最後に書いてあった、バイキングの話も面白かった。
 こういった呟きを読んでいる最中に某SNSサイトに記した。

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2016/10/13

三貫地貝塚 縄文人ゲノム解読 私たちのルーツは? 

 過日、NHKで『「縄文人ゲノム解読 私たちのルーツは?」(時論公論)土屋 敏之 解説委員』という番組があり、録画して、じっくりと観た。

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→ 三貫地貝塚(新地町) (画像は、「三貫地貝塚」より) 「昭和27年に日本考古学協会、翌28年に東京大学人類学教室によって発掘調査が行われ、総数100体を超える縄文人骨が出土したことで一躍全国に知られるようになりました。東大が所蔵するこれらの人骨は「三貫地貝塚人」と呼ばれ、縄文人そのものを研究する素材として今も役立ってい」るという。その成果の一端がこの度、公表されたわけだ。


 小生(に限らないだろうが)は、生命の起源、人類の起源、そして日本人のルーツといったテーマには興味津々である。

 生命論や生物学、人類学、考古学や遺伝学関連の本は、目を引く限りは読んできた。

 以下、ほとんどが転記となるが、自分のメモのためにも、記録しておきたい。


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2016年10月10日 (月) 

「縄文人ゲノム解読 私たちのルーツは」(時論公論)

土屋 敏之 解説委員


日本人の祖先と思われている縄文人。そのイメージが大きく変わろうとしています。
福島県で発掘された人骨からゲノムが解読され、「縄文人はアジアの他の地域の人たちと大きく異なる特徴を持っていた」とわかったのです。そればかりか、現代の日本人とも予想以上に違いが大きかったと示されました。
では一体、縄文人とは何者だったのか?私たちのルーツにも関わる最新科学の意味を3つのポイントから読み解きます。


まず、「核DNA解析」と呼ばれる今回の手法が、これまでと何が違うのか整理します。

(途中、略)

先月、国立遺伝学研究所などのグループが「縄文人の核ゲノムを初めて解読した」とする論文を 専門誌に発表しました。この「縄文人」とは、福島県新地町にある三貫地貝塚で発掘された3千年前の人骨です。三貫地貝塚は、昭和20年代に100体以上の人骨が発掘された、縄文時代を代表する貝塚のひとつです。研究グループは、東京大学に保管されていた人骨・男女2人の奥歯の内側からわずかなDNAを採取し、解析に成功しました。


DNA解析と言えば、今や犯罪捜査から薬の副作用の研究まで様々な分野で使われていますが、今回の研究では「核DNAの解析」というのがポイントです。実はこれまで「古代人のDNA」というと、行われてきたのは「ミトコンドリアDNA」というものの解析でした。

私たちの細胞には「核」があってその中に「核DNA」が入っていますが、これとは別にミトコンドリアという小さな器官の中にもDNAがあります。ミトコンドリアはひとつの細胞に数百個もあるため分析に広く使われてきました。ただ、ミトコンドリアDNAの持つ情報は限られていて、文字数に例えると2万文字以下の情報しかありません。これに対し、核DNAは32億文字にも上り、私たちの姿形や体質など膨大な情報を含んでいます。技術の進歩で新たな分析装置が登場したこともあって、今回、日本の古代人では初めて核DNAの一部が解読されたのです。


では、縄文人とは何者だったのか?こちらは解析の結果、三貫地縄文人が現代のアジア各地の人たちとどれぐらい似ているのか、プロットした図です。近い場所にある人同士は核DNAがより似ていることを示します。すると、縄文人はアジアのどこの人たちとも大きな隔たりがあるとわかりました。それだけでなく、現代の日本人ともかなり離れています。現代の日本人は、縄文人よりむしろ他のアジアの人たちに近い位置にあるのです。


こうした距離は、人々が共通の祖先から別れて別々に進化を始めた時代の古さを示すと考えられています。DNAには時間と共に突然変異が起きるため、別れてからの時間が長いほど違いが大きくなるためです。


そこで、この結果を共通祖先からの分岐の古さを示す「進化の系統樹」にするとこうなります。「ホモ・サピエンス」と呼ばれる私たち現生人類は20万年前にアフリカで誕生し、その後他の大陸に進出しました。ヨーロッパに向かった人たちと別れ、東に進んだグループのうち、最初に分岐したのはパプアニューギニアからオセアニアへ渡った人たちです。そして解析の結果、次に別れたのが縄文人だったのです。これは、縄文人が他のアジア人ほぼ全てと別のグループであることを意味します。他のアジア人はその後、中国や東南アジア、さらにはアメリカ大陸に向かう集団へと別れました。現代の日本人もこちらのグループに入っています。これを見る限り、縄文人は日本人の祖先には見えません。ただ同時に、この矢印は、縄文人と現代の日本人のDNAのうち12%は共通だということを示しています。一体どういうことなのか?研究者が考えるシナリオです。


およそ4万年前から2万年前の間に、大陸から日本に渡った人々がいました。大陸とは海で隔てられていたため、この人々はその後大陸のアジア人と交わること無く進化を遂げ、縄文人の祖先になります。その間、大陸のアジア人も様々に別れていきました。

そして、縄文時代の末以降、再び大陸から日本に大勢の人が渡ってきました。いわゆる渡来系の弥生人です。稲作文化を持ち込んだ渡来系弥生人は人口の多くを占めるようになりますが、その過程で縄文人と幾らか交わりを持ったため、現代の日本人には12%だけ縄文人のDNAが伝えられたのです。従来の研究では、現代日本人には縄文人の遺伝子が2割~4割ほど入っているとも考えられていましたので、それよりかなり少ないという結果です。

ただし、これはあくまで福島県・三貫地貝塚のわずか2人のDNA解析の結果です。「縄文人の中にも多様な人達がいて三貫地縄文人は現代人との共通性が低かったが、西日本の縄文人はもっと共通性が高いかもしれない」と考える専門家もいます。現在、国立科学博物館などのグループでも、北海道から沖縄まで各地の古代人の核DNA解析に取り組んでおり、今後、日本人のルーツはより詳しく解明されていくでしょう。

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 以下は、略すが、この先の説明も興味津々である。


 関連情報は、「日本の人骨発見史11.三貫地貝塚(縄文):福島県最大級の縄文時代人骨出土遺跡 - 人類学のススメ」が詳しい。

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2016/06/25

「ゆかり発言」の上田正昭著『渡来の古代史』を読む

 今春、筆者は亡くなられた。古代史には素養も何もないのに、ひたすら好奇心に駆られて、いろんな学者の本を読み漁って来た。森浩一や三浦氏、大和氏など。あるいは、松本清張や梅原猛氏の諸著すら、古代史に絡むということで、図書館の本を中心に読んできたものである。

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← 上田 正昭著『渡来の古代史 国のかたちをつくったのは誰か』( (画像は、「KADOKAWA公式オンラインショップ」より)

 そうした著者の一人に上田正昭が居た。ほんの数冊を読んだだけだが、信頼の念を以て安心して読める学者(書き手)だった。
 それだけに、何とか同氏の本を読みたいと思ってきたが、ようやく手にすることができた。

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2016/06/09

岩峅寺と磐座信仰?

 雄山神社は、「霊峰立山を神体とし、立山の神として伊邪那岐神(立山権現雄山神・本地阿弥陀如来)・天手力雄神(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)の二神を祀る。神仏習合の時代には仏教色の強い神社であり、立山修験の源であった。また、元明天皇や後醍醐天皇の勅願所でもあった」(「雄山神社 - Wikipedia」より)。

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→ 雄山神社 峰本社 神殿・鳥居 遠景 (画像は、「雄山神社 - Wikipedia」より)。

「峰本社(みねほんしゃ)、中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)、前立社壇(まえだてしゃだん)の三社をもって雄山神社と」し、「所在は富山県中新川郡立山町芦峅寺(あしくらじ)から岩峅寺(いわくらじ)にかけた一帯、広くは地獄谷や弥陀ケ原を含む立山連峰全域である」。

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2016/02/28

海部 陽介『日本人はどこから来たのか?』に納得と期待

 海部 陽介著の『日本人はどこから来たのか?』を読了した。
 同氏の本は、『人類がたどってきた道 “文化の多様化”の起源を探る』(NHKブックス No.1028)以来である。

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← 海部 陽介【著】『日本人はどこから来たのか?』(文藝春秋)

 本書の内容説明によると、「著者が10年に及ぶ研究の末に積み上げた新説とは」、「4万8000年前、アフリカを出た私たちの祖先は、ヒマラヤ山脈をはさんで南北に別れて拡散。1万年後、東アジアで再会する。そして私たちの遙かなる祖先は、古日本列島に、3つのルートから進出した」というもの。

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2015/10/17

北陸新幹線を掘る:小竹貝塚

 連日、組合の大会のための議案書作りのために忙殺されている。
 ほかにも、ある問題児のために周りが迷惑を被っており、そのための対処をも迫られている。

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→ 「発掘調査された日本列島2015」地域展「北陸新幹線を掘る」 (「富山県埋蔵文化財センター」にて)

 それでも、大会の準備のほうは、完ぺきとはいかずとも、ほぼ作業の見通しが立ったので、気忙しい合間を縫って、思い切って外出してきた。

 今、富山県水墨美術館では、「旅に生きた水墨画の巨匠たち 雪舟から等伯へ」を開催している。

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