2019年の読書メーター
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。旧年中はお世話になりました。
目標の150冊は読めたから、ま、いいか。平家物語や「失われた時を求めて」の読了など、読書のエポックの年だったというと、大袈裟かな。
2019年の読書メーター 読んだ本の数:151冊 読んだページ数:52696ページ ナイス数:41779ナイス
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。旧年中はお世話になりました。
目標の150冊は読めたから、ま、いいか。平家物語や「失われた時を求めて」の読了など、読書のエポックの年だったというと、大袈裟かな。
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夕方近くになってまた自転車に乗って海鮮市場へ買い物へ。
今夜の分と明日の朝食のためのあれこれや乾電池、お菓子などを買って、いつもの道を自転車で走って帰ったら、富山ライトレール線(旧富山港線)の踏み切りに差し掛かったところでカンカンと踏み切りの音が聞こえてくる。
電車だ。その名もポートラムだ。絶好のタイミング。
電車が踏み切りを通り過ぎると、踏み切りの棒が上がる。
電車は踏み切りの直後に上り下りのホームがある。電車は駅に止まっていて、客の乗り降り。
絶好のシャッターチャンスだとばかりに携帯電話をポケットから取り出し、止まっている電車を撮った。
急いでいたことと、ズームしたこともあり、やや画像のピントが甘いが、ま、仕方ないだろう。
→ 富山ライトレール線を走るポートラム!
今日は三食の準備と片付けのほか、草むしりをやった。父がタマネギを植える畑の区画周辺を小さな移動式の腰掛に腰を下ろしながら鎌を手にやっているので、黙ってみているわけにいかない。
決して広いわけではないが、庭や畑などを合わせると少々の土地がある。野菜類を植えない場所は除草剤を撒くが(以前は除草剤を撒くことを知らなくて、庭もせっせと草むしりしていたっけ)、タマネギ、チューリップ、ナス、キュウリなどを育てるエリアは、小まめに草刈、草むしりするしかないわけだ。
草むしり。当然、雑草を刈るわけである。
けれど、雑草とは状況によるもので、路傍に咲いていたなら可憐な紫露草 (むらさきつゆくさ)も、タマネギ畑のフィールドで咲かれると、雑草扱いせざるをえない。もう少し、ほんの少し違う場所で咲いていてくれたなら、引っこ抜いたりせずに済むのだけれど。
何が雑草で何がそうでないのか。結局のところ、人間の我がまま勝手が決めると言うことか…。
そういえば、路肩や中央分離帯などグリーンベルトの植物としてよく使われるツツジのことを好きだと、あれこれ綴ってきたが、そもそもその場にあって動くことの侭ならない植物の花や葉っぱについてあれこれ思いをめぐらしたことがあったっけ。
草むしりといっても、普段は小生がするわけじゃない。大概は父が、あるいは可能な時は嫁いでいる姉が来てやる。
今は五月の初めだが、梅雨が来ると、雑草はうんざりするほど生えてくる。
梅雨が明けると夏。
夏は夏で炎天下での草むしりは難行苦行となる。麦藁帽子を被っているけど、辛さに変わりはない。蚊も纏いつくので、蚊取り線香は常備する必要があるし、虫除けのスプレーも使ったりする。
小生は、帰省の折に、気まぐれに草むしりするだけ。
その前は、草むしりなどしたことがなかった。父や母が小生がいない間、せっせとやっていたのだ。
父は田圃や樹木の世話を主にやっていて、母は畑や植木、草花の世話をするという役割分担があったから、普段、草むしりはほとんど母が炊事やその他の仕事の傍ら、時間を見つけてはやっていた(他にも習っている民謡の腕(三味線と歌)を生かすべく、福祉活動で仲間と一緒に福祉施設を回る活動などもやっていた)ようである。
小生にしても、そんな父母の姿を気付かない筈がないのだが、生来の怠惰さと勘の鈍さがあって、分かっていても気が回らない。頭が動かない。
そんな人間なのである。ボーとしているばかり。何を考えるわけじゃないのだが、我ながら自分が掴めない。
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「庭のチューリップと衣更えと」で書いたけど、夕方、夕食や明日の朝食のための買出しに行った。その帰り、ポートラムの駅舎脇を通るので、電車を待ち受けて、パチリ、パチリ。五枚目を撮ったら、バッテリーが切れてしまった。
ポートラムのことは、「帰省の列車から」などにて簡単に説明してある。
来年の秋(?)までは大人は百円、子供は五十円という乗車賃。今が乗り時だ!
携帯電話のカメラ機能で撮るので、撮るのはともかく、画像の保存に若干の時間を要し、電車の近影をタイミング良く撮影、というわけには行かなかった。電車の運転士やお客さんたちにジロジロ見られて、ちょっと恥ずかしかった。
驚いたのは、お客さんが一杯で、席は埋まっているのは勿論のこと、立っている方もいたこと。
でも、一両編成だからね。バスの電車版みたいなもの。
風景に溶け込んでいるようで、キャワイイ!
英語で言うと、キャイーンってか。
乗る人も撮る人一緒にキャイーン
[ この、「富山ライトレール」の「ポートラム」については、「富山 女二人旅 ~ライトレールに乗って~ 小川もこ&FMとやまアナウンサー・田島悠紀子のやじきた旅日記~【YAJIKITA ON THE ROAD】」が読んで楽しいし画像も情報も豊富。
沿線にはさまざまな、ややローカルな名所(観光地)があるが、この記事では終点の岩瀬近辺についてのレポートが載っている。
しかも、この記事、レポーターが可愛い女性二人組!
「流線型の車体と大きな窓がヨーロッパの雰囲気を漂わせていてオシャレ」な外観。実は、「車体デザインは、成田エクスプレスでデザイン賞を受賞した「チームGK」が手がけている」ことを初めて知った。乗っていても、オシャレで乗り心地も滑らかでグッド。
富山駅の南側も工事が始まって、やがては北側と繋がる、その日が早く来ることを願う。(06/10/03 追記)]
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田舎の我が家の庭に今を盛りにと咲き誇っているチューリップ。
我が寓居の机にも3輪のチューリップが籐の花瓶に生けられている。
もう、十年ほどの昔、富山は礪波市のチューリップフェアにお袋を連れて行ったことがあったな。
その頃はお袋も歩くのも達者だったし。
今は小生が歩くのがしんどくなっている。
それでも、昼前は姉と一緒に炬燵を片付け、居間の大掃除。炬燵の上掛け類をコインランドリーで洗濯。持ち帰って庭で干す。今日は快晴なので、気分良く部屋の衣更えだ。
ただ、今日の午前まで炬燵に入っていただけに、体の弱いお袋には炬燵なしでは寒く、灯油のストーブに頼ることに。
夕方は自転車に乗って買い物へ。夕食の準備と世話。洗い物。
そうそう、買い物の帰りに、ポートライナーの駅前を通ったので、電車の来るのを待ちうけ、雄姿をパチリ。
咲く花に面影探しただ見入る
衣更え母の監督背に受けて
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画像は、帰省の列車中から撮ったもので、そろそろ越後湯沢に到着かなという場所からの景色。窓に車内の模様が映っていて、外の様子が分かりづらいけど、遠くに雪の残る連山が見える。
窓に映る弁当は小生のものじゃなく、お隣の男性のもの。
小生は、自宅で炊いたご飯が余ったので、でっかいおにぎりを作った。中には梅干を三つ、外には焼き海苔を二重、三重に巻いて。
海苔が分厚すぎて、食べるのに難儀したけど、案外と美味しかった。
これが小生のおにぎり作りの初体験なのだった。
おにぎりの我が手に余るでっかさよ
そうそう、列車のお供に、本は当然、持参している。
一冊は、菊池寛著の『真珠夫人』(文春文庫)、一冊は、マーカス・デュ・ソートイ著の『素数の音楽』 (冨永 星訳、新潮クレスト・ブックス)である。
前者は、割合と最近(もう昨年?)、テレビドラマ化されたから、題名を知っている人は多いだろう。昔の大ベストセラーなのだね。
後者は、「世界で最も乾いた土地」の末尾で若干、触れているが、後日、改めて紹介するかもしれない。面白い。数学(数式)が苦手な人にも楽しめるように叙述する技術に欧米の学者はホント、長けているね。
出版されて十ヶ月にもならないのに(図書館の蔵書になってからは、当然、もっと短いはずだ!)、本はかなり手垢が付いている。
ということは、相当、借り出され読まれているということを意味するし、たまたま図書館で物色していて発見できたのは運がよかったということか(実際、数学の本のコーナーは行けば必ず物色するが、目にした記憶はない。素数というのは、小生のお気に入りのテーマだし、見逃すはずがないのだ!)。
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野暮用があって、雨模様の中、バスで大森駅前へ。
雨模様と書いたが、自宅を出た時点では、幸いにも小ぬか雨になっていたので傘を持たずに出た。
手には過日、某所で拾った塩野七生著の『ローマ人の物語 1』(新潮文庫)を持って。駅のみどりの窓口で切符を買う必要があり、どうせ待ち時間があるだろうからと、用心のために持っていったのだ。
所要を済ませ、帰途は徒歩で。途中、図書館に寄ろうと思ったから。
そこで一休みすれば、疲れることもないだろうし。
前日の月曜日も図書館に行ったのに、連日、行くのは、小生が勉強好きだからでも、本の匂いが好きなわけでも(嫌いじゃないが)、図書館の女性たちの働く姿を見たいからでも(見たいのは山々だが)なくて、月曜日に予約した二冊の本のうち、一冊が早くも翌日の今日、届いたという連絡を昼過ぎに貰ったからだ。
ならばと読了していた一冊を手に図書館へ。
届いた本とは、志治美世子氏著の『逆癒しの口紅(ルージュ)』(社会評論社)である。
選書の大きさの本なので、車中で読むことにする。楽しみだ。
図書館を出てしばらくすると、ツツジが一叢(ひとむら)咲いているのが目に。雨上がりで日頃、陽光を真正面から浴びて、へたれかかっている花びらたちが、一息ついている。
ホッとする、その溜め息が聞こえてくるようだ。雨滴が花びらに付着していて、シャワーを浴びたあとの女性という風情。
思わず、携帯電話のカメラ機能を生かして撮影。
陽を浴びし日頃を忘れ吐(つ)く息仄か
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→ 数知れず散っていく花びらたち。風に舞い、吹き寄せられ、踏みつけにされ、見向きもされなくなる。せめて、このようであったら、花びらたちは喜ぶのだろうか。それでも行く末は同じなのではないか。一瞬の輝きに命の限りを尽くす。役目を終えたら、あとは散る。その潔さこそが桜の花の粋であり意気なのではないか。
散った花後を追うなと潔く
「無精庵方丈記」更新しました。「落句拾遺 3-2」だよ。
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← 土曜日(26日)の夕方、図書館を出ようとしたら、夕景が目に。思わず携帯で撮ってみた。画像が鮮明じゃないのが残念。この日の真夜中過ぎから大変なことになったのだった。
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