2024/06/17

ファンタスマゴリー

 ← 梅の実いっぱい。どうする? (06/16 21:20) (頂いたコメントに)一昔前は、嬉々として梅酒を作っていました。今は甘いものや酒はダメと医者に云われてて、梅の実を空しく眺めてる。悔しいな。 (06/17 01:27) (頂いたコメントに)回覧板! (06/17 09:43)

 今日は我輩も休日。またもハードな庭仕事。剪定ハサミを両手で操作して繁茂してる枝葉を片端からカット。掌が赤く腫れてしまった。頑張ったけど庭仕事はまだまだ先が長い。

 

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2019/11/06

“四股”はなぜ四股って書くの?

9784309464626 ← ミシェル・ウエルベック 著『闘争領域の拡大』(中村 佳子 訳 河出文庫)「自由の名の下に、人々が闘争を繰り広げていく現代社会。愛を得られぬ若者二人が出口のない欲望の迷路に陥っていく。現実と欲望の間で引き裂かれる人間の矛盾を真正面から描く著者の小説第一作」

 今日は午後から会社で研修会。実質、勉強会かな。車の運転中にスマホなどを操作はもちろん、手に持っているだけで違反となる。それは従来もだったが、12月からはその違反点数や反則金が3倍になるという。
 あとは、DVDを使ってタクシーの事故の傾向や対策などのレク。

 タクシードライバーの事故は60歳を超える頃から急カーブで増加するというデータがある。用心用心である。

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2011/08/07

8月5日は「タクシーの日」でした

 8月5日は「タクシーの日」であった。
 なんて言っても、世の中の大半の方には、ちょっと、へえー、そうでしたか、でも、それがどうしたの、くらいのものだろう。

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← 謎の画像の正体は、「ここ」にて明かされる。

タクシーの日|東京のタクシー 東旅協[社団法人 東京乗用旅客自動車協会]」によると、「わが国で最初にタクシーが誕生したのは大正元年8月5日、麹町区有楽町の元数寄屋橋際(現在の有楽町マリオンの地点)に設立されたタクシー自動車株式会社で」、「まずフォード6台でスタートし、上野と新橋に営業所ができ」たとのこと。
 最初はフォードの車だったってのが、時代を表しているような。
 
 実を言うと(やや大げさ?)、来年はタクシーが日本で稼動し始めて百年目となるわけである。
 だから、何? と言われると苦しいが。

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2010/09/23

鶏冠(とさか)」と「冠」は似て非なるもの ? !

 今日は寒い。
 とうとう長袖シャツを羽織った。
 確か三ヶ月ぶりに風呂に入った。銭湯へ行ったのだ。

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→ 「李淵の肖像。髷にあった冠をかぶる」 (画像は、「冠 - Wikipedia」より)

 一昨日の日記で、以下のツイート(呟き・投稿・発言)をメモしている

「空」は、「ウ冠」じゃなく、「穴冠」だって。「アナ冠」は、初耳。

「空」が「穴冠(あなかんむり)」なのは、ぽっかり「穴」があいているように中に何もない状態が「空(から)」で、 「空(そら)」もそのようなものとして理解されていたからだとか。

 小生は、耳が敏感というわけじゃないし、音韻に耳聡いわけでもないが、「あなかんむり」ならぬ「うかんむり」から、音的にすぐに連想するのは「おかんむり」である(小生だけか?)。

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2010/06/07

「はやぶさ」よ あれがヒマワリ咲く地球

 富山には珍しく、天気晴朗風も緩やか。
 水シャワーしたくて、午後から草むしりなど外作業。
 ヒマワリ、ネギがスクスク。ついでに雑草はもっと育ってる!
 思ったほど汗は流れず、火照った体や頭に水ってわけにはいかないけれど、数日振りの水浴びで痒かった髪が気持ちいい。作
 業着なども洗濯、気分もスッキリしたところで買物へ。

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→ すくすく育っているヒマワリ(多分)。根元付近の雑草を毟り、(野菜用の)堆肥を加えてやった。

 買物は自転車で。天気さえ良ければ、自転車が楽しい。
 洗い髪を自転車を駆って風で乾かしたりして、学生時代みたい。
 仕事先へは車、仕事はバイク(スーパーカブ)、買物など日常の用足しは自転車、家の内外は歩き(←当たり前)と、機動力を駆使している?!
 但し、走るなど運動はしていないので、体重は増加傾向だ。

 ところで昨日、宇宙を舞台にしての朗報があった。
はやぶさ」の地球帰還が確実になったのである。
(「満身創痍「はやぶさ」の帰還確定…小惑星の砂期待」参照)。

 実際に<無事>帰還となれば、まさにドラマチックな宇宙劇である。

 この大いなる生還を記念して(?)、数年前、「「はやぶさ」が「イトカワ」への2回目の着陸の成功とサンプル採取にも成功したと見られること」に感激して書いた当時の小文「二つのおめでとう! 朝青龍とハヤブサと」から関連の記事を抜粋掲載する。

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2010/04/02

写真は嘘を吐きません!

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← ある化粧品メーカーによるテレビCMの一場面。  影女? 違う、影女は、「物の怪のいる家で、月影に照らされた女の姿の影が家の障子に映るもの」のはず。…そうか! 砂の女だ! 男を穴に置き去りにして逃げ出してきたんだ!

 今日は、さすがに、「万愚節(ばんぐせつ)」へのアクセスが多かった。「万愚節」とは、エイプリル・フールの別称。

 ということで、今日は何を書いても嘘っぽくなりがちなので、写真日記風な記事に仕立てました。

 写真は嘘を吐(つ)かないからね…、ってのも、嘘っぽいが。


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2009/08/25

永田耕衣の禅味俳諧へ

 今日8月25日は、俳人の永田耕衣の命日である(1900年生。1997年死去)。
 といっても、小生は永田耕衣(ながたこうい)のことは名前を仄聞していること以外、何も知らない。

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← 自伝的評論集『耕衣自伝-わが俳句人生』(沖積舎)

 本ブログは、実際には季語随筆を謳って始めたようなもの。
 04年の9月初めから始めて、最初の2、3年は、それらしいことを書き連ねてきたが、次第に季語を巡る連想を働かす想像の翼も感性の刃も息があがってしまい、逆にこの2、3年は、思い出したように季語随筆を綴るだけ。
 たまにはらしいことを綴っておく。

永田耕衣 - Wikipedia」によると、「日本の俳人、評論家」とあって、詳しく履歴(経歴)などを記載してあるが、特に何をしたという記述がない。
 いや、いろんな活動は活発に行なっているし、句作もほぼ晩年まで続けている。
 ただ、世に、永田耕衣というと、こういう人と、紹介できる、特筆すべき項が素人の小生には分からない。

 永田耕衣とは、一体、どういう人物なのか。

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2009/05/06

ツツジを巡る随想の数々

 我が家の庭もいろんな花々が咲いてくれる。そんな中にツツジがある。
 分からないのだが、今年は庭のツツジがやけに見事なのである。
 昨年だって、ちゃんと咲いていたのに、自分の記憶があやふやなのか、ツツジの咲き誇る光景に恵まれたという印象があまりない。
 帰郷して一年余りとなる。

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 東京では最後の12年余りをタクシードライバーとして主に都内の路上を走り回った。休憩時もほとんど車内で過ごしたようなものだし、週に60時間ほどは車内にいた。つまり、公園の脇も含め、路上にいたわけである。
 路上での街中ウオッチングは、それはそれで楽しくもあったが、季節の花を、木々の葉の変幻を愛でるのもまた楽しかった。
 季節ごとに楽しみの花はいろいろあったが、春というと、呆気なく散っていく桜よりも、ツツジのほうがずっと印象に強い。
 毎年、一ヶ月余りもグリーンベルトならぬ濃紫のツツジの帯が我が目を癒してくれた。
 疲れがちな目に直接に効く花の形をしたブルーベリーでもあった。
 夜でもヘッドライトに浮かび上がる赤紫の花々は、妖しくもあるけど、闇に沈んで黒く見える葉っぱを背景に生命の横溢感を覚えさせる。

 実際、東京在住最後の数年だけでも、ツツジを巡る随想は幾つも書いた。
 その幾つかを抜粋してみる。

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2009/03/25

国見弥一という名前について

 WBCで日本が優勝し2大会連覇を果たしたこの佳き日、久々にペンネームである国見弥一という名前を使う機会に恵まれた。

 奇特にも小生の拙著を所望する方が現れたのである。
 今年、二人目。
 まあ、拙著がどんな内容のものか、知らないからこそ出来した椿事であろう。

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→ 国見弥一著『フェイド・アウト』(文芸社)

 せっかくなので、自己紹介を兼ねて、ほぼ5年前に書いた「国見弥一という名前について」という雑文に脚光を浴びさせてみる。
 戯作調であり自虐的でもあって、ほとんど駄文というか、まさに雑文と呼ぶしかない代物である(しかも未完!)。
 めったに読まれる文章ではないようだが、こういう機会でないと自分でも読み返さない。

 多少、錆びついているというか、黴が生えているようで、根腐れの気味さえ窺えるようなのだが、まあ、日光浴というか日干ししてみようというわけである。
 

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2009/02/19

村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチ

村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチの日本語訳が読めます:
はんどー隊ブログ 村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチ

小説家としての、さすがのメッセージでした。

個人的なメッセージとして、「私はこれを心の壁に刻んでいるだけ」として、以下の意味深な言葉を伝えてくれた:
高くて硬い壁と一つの卵との間で衝突が起こったら、私はいつでも卵の味方をするだろう

このメッセージに籠めた意味合いは、上記のブログにてどうぞ。

以下は、「YouTube」での動画(ニュース画像)。堂々たる演説ぶり:
村上春樹 「エルサレム賞」受賞スピーチ
(何処かの首相や辞めた大臣に見せたい、なんて野暮なことは言いっこなし!)


村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチ:カイエ」が非常に充実している。


無関連拙稿:
村上春樹著『神の子どもたちはみな踊る』
寒波の中の帰郷

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