ゾラ『居酒屋』を読む
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島崎藤村の『夜明け前』を過日、読了した。
11年ぶりで、通算、三回目。
初めて読んだのは、若い頃だったが、体力と意地で読んだようなもので、味わうより、読むこと自体が目的化していた。中央公論社の日本文学全集の中の一巻で、ドストエフスキーの作品などのようには、一気呵成に読めず、難行苦行した印象だけが残っている。
二回目は、11年余り前。
その時は、敢えて中身を要約しつつ、ゆっくりじっくりを心がけて読んだ。それでも、二か月ほど。その頃は藤村の小説群を読み漁り、読み浸っていて、藤村の世界に少しは馴染んでいた。
だからこそ、肝心の代表作である『夜明け前』を味読したかったし、楽しみたかった。
そして、その日本文学の中でも際立つ独自性と先進性、何より物語る構想の骨太さを思い知った。
今回は、四か月以上を費やして読み進めた。またいつか、それほど遠くない将来、読み返したい。今度は、木曽路を旅しながら!
以下、前回、読んだ時の感想文を載せておく(掲げた画像は全て、小生が利賀村で撮影したもの)。
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半蔵は静の屋とも別名観山楼とも呼ばれる別宅に住んでいる。恵那山に連なる山々を眺められる絶好に位置にある。彼、半蔵が余生を楽しめる人間なら、風物を友としての生活を送るにふさわしい住まいのはずである。
が、鬱々とする半蔵には檻のようなものだった。時折、何を思ったかと周囲に訝しがられるような素行をすることもある。女房のお民にさえ、理解できないことも多い。
→ 「恵那山は長野県阿智村と岐阜県中津川市にまたがる、木曽山脈(中央アルプス)の最南端の標高2,191 mの山」で、「北山麓には中山道の馬籠宿と妻籠宿がある。馬籠で生まれ育った島崎藤村が幼少時代に眺めていた山であり、『夜明け前』で描かれている」。 (文と画像は、「恵那山 - Wikipedia」より)
そうしたある日、長男の宗太が青山の家の整理を言い出す。本陣でも問屋でもない青山には借財が嵩むばかりだったのだ。耕地や、宅地、山林、家財などを売り払って弁済することにするという。
旧本陣の母屋は土蔵を含めて医者に貸すことになる。半蔵夫婦は別居を余儀なくされるし、下女にも暇を出す。宗太ら家族も裏の二階に住み込む。
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一昨日のブログ記事「島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(12)」には、以下の記述がある:
→ 時折、休憩する場所に、百舌鳥(?)がいた。その前日の日曜日、我が家の鳥餌果実であるミカンの木から小生の気配を感じてか、慌てて飛び立つ百舌鳥を見かけた。そうか、百舌鳥が我が家のミカンを食い散らしていたのか。
半蔵は妻のお民も含めて家族を馬篭に残し、一人、飛騨の水無神社 に赴いていた。四年の歳月の中で二度ほど帰郷しただけだし、その間、お民が一度、飛騨を訪ねたくらいである。
(中略)
飛騨において半蔵は空しく過ごしたばかりではない。何しろ、飛騨の位山 (くらいやま)は平安朝の昔より、山は位山とされ、歌枕にさえなるほどの山だった。その近くに水無神社 はあるのだ。
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青山半蔵は不思議な縁故から教部省御雇いとして奉職する身になったのである。田中不二麿の勧めによるものだった。
→ 青木繁作『わだつみのいろこの宮』(1907年 油絵 180.0 cm × 68.3 cm 石橋美術館) (画像は、「青木繁 - Wikipedia」より)
半蔵が上京したのは、どこかの古い神社へ行って仕えたい、その手がかりを得たい一心だった。が、徒食を続けることが心苦しくなっている中、平田一派が残る教部省(神祇局の後身)に奉職することを決心したのである。
が、その教部省を半蔵は半年で辞めることになる。現実の役所は、彼の理想には遥かに遠いものだった。
役所にいると、ある時、同僚の雑談が半蔵の耳に入ってきた。それは彼の尊信する本居宣長翁のことについてだから聞き流すわけにはいかない。
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島崎藤村作『夜明け前』も今回から、いよいよ第二部の下巻となる。明治である。
明治の世になり制度の改正は混乱を伴わずにはありえない。
木曽の地にある半蔵にも、例えば地租改正による非常な苦難の最中にあった。海の民なら海での漁、野の民なら米作りが枢要であるように、木曽の山の民にとって、山の木々に絡む様々な生業は命である。
→ 渓斎英泉「木曽街道六十九次・馬籠」 (画像は、「馬籠宿 - Wikipedia」より)
が、新しく赴任した役人は地元の事情に疎い。いきなり先祖代々山の民の生業の森や山を、官のものと宣言して、一切、地元の者の陳情を受け付けないのである。尾州藩の役人が権限を持っていた頃は、細々と事情を忖度していたのも、昔のことになってしまった。
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その呼び名には未だ慣れない東京に新帝も無事に着き、東京城の行宮(かりみや)西丸に着御(ちゃくぎょ)したもうたという知らせも馬篭に届くころだった。馬篭の宿場界隈では、子供たちは、戦(いくさ)ごっこに夢中だった。
→ 関秀夫著『博物館の誕生―町田久成と東京帝室博物館』(岩波新書)
ある子供が長州、別の子供は薩摩、また何処かの子供が土佐とかで、戦ごっこをするわけである。中には尾州の役を引き受けるものもある。が、会津の役にだけは誰もなりたがらない。大事な宝物を褒美にして、やっとしぶしぶ会津を演じる…。無論、みんなで会津を崖っぷちへと追い詰めていくのである。
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西からは、岩倉具視(いわくらともみ 1825-83)の子息らを総督とする東山道軍がやってくる。江戸城攻撃の一行が木曽を通るのである。半蔵らは、そのための準備を骨身を惜しまずする。松明一万把の仕出しなどを村民を励ましつつ、王師に応じようというのだ。新しい春がもうすぐそこにやってくる、半蔵はそう信じて疑わない。
新政府は地方の人民の応援なくしてありえない。人民の信頼を勝ち得るために、この度の進発は、「諸国の情実を問い、万民塗炭の苦しみを救わせられたき叡旨(えいし)であるぞ」という触書も出たりする。未だ、諸藩の向背のほどは新政府も測り難いものがあったのだ。
苛政に苦しめられたものの訴える先は、本陣であると新政府は指定してもいる。あるいは諸藩の藩主等が勤皇の意志を表明すべき場所として指定されたのも本陣だった。庄屋であり問屋をも兼ねる名家である半蔵の本陣の負う責任は重いのだった。
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いよいよ島崎藤村の『夜明け前』も今回より第二部に入る。
時代は大きく動いている。幕府の中にも参勤交代を復活を試みるなど、揺り戻しを試みる動きが出たりする。このままの動きを座して眺めていれば、武家屋敷などがなくなり、江戸の町が衰亡すると憂える人も、町の中にはいるのである。
→ 「鈴木春信画。眼鏡絵を覗く様子を描く。画面上部に設けられた色紙形には、高野の玉川を詠んだ弘法大師の和歌が記され、眼鏡を通して見ている絵も高野の玉川と見られる」 (情報及び画像は、「眼鏡絵 - Wikipedia」より)
第二部(上巻)冒頭、円山応挙なる名前が目に飛び込んでくる。
応挙(1733-95)とは江戸中期の画家であり、狩野探幽の流れをくむ画家に入門して絵を学んだ人である。が、彼は「眼鏡絵(めがねえ)」の制作を通して西洋画と出会い、写実的な画風に傾いていった人でもある。
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さて、一旦は参勤交代の制を実質的に廃した幕府だったが、幕府の権威の失墜、更には江戸市中の急激な衰亡、治安の乱れ、そして権威の復活を求め、復活を画するのだった。
一方、長州再征のため将軍(家茂)自らが出御あそばされる事になった。この進発には各藩から反発の声が上がる。反対の建白書も方々からくる。長州による京都包囲については長州は既に尾州等に責めを問われ、老臣や参謀等の処刑など、謹慎の意を示している。その上の進発はなすべきでないというのである。敢えて長州を追い詰めれば、血を見ずに鎮静した争いが、一気に騒乱に至ってしまう恐れもある。
が、幕府は耳を貸さない。己に背くものは厳罰を持って望む所存だし、日光大法会の余勢もある、東照(徳川家康)二百五十回忌を期に、慶応元年と年号も改めた。
幕府は回天、回陽と命名されるべき軍艦の準備中でもあった。
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