「異端の画家か 絵金!」アップ
「異端の画家か 絵金!」アップ!
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「葛湯から古代を想う」にて、「葛湯」「葛飾」「葛西」と、「葛(くず)」繋がりの雑文を書いたことがある。

→ 桜瀬琥姫(Kohime Ohse)『葛之葉姫』 (画像は、「桜瀬琥姫-葛之葉姫の販売、買い取りは絵画専門店アートひろばへ!」より) 「葛之葉姫」とは、安倍晴明の母。
ことに「葛飾」「葛西」の「葛」繋がりについては、以下のように書いたまま、頓挫してしまっている:
「葛西」とか「葛飾」という地名に「葛」が用いられたのは、古代において「葛」その地において印象的だったからなのだろうか。それとも、「中国では、「葛」の名前で呼ぶ」ことからして、朝鮮半島を含む大陸からの渡来人が土着した名残なのだろうか。
あるいは、「やせ地にも育ち、土砂が雨で流されるのを防ぐ働きがあるので、砂漠の緑化に使われる」ということで、「中国の砂漠に日本のクズを植える努力が鳥取大学の遠山先生を中心に行われた」というが、関東ローム層という火山灰の多い、痩せた地には葛が育ちやすかったのでもあろうか。今は根拠が何も得られていないので、ただただ想像を逞しくするしかない。いつかまた、古代や中世の葛飾近辺の「葛」をテーマとして採り上げてみたい。
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ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日)の言葉に、「人間は考える葦である」がある。
「クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、大地の全表面は変わっていたであろう」と共に有名な言葉である。
→ 「冬に穂が残るヨシ」 (画像は、「ヨシ - Wikipedia」より)
「人間は考える葦である」のくだりをもう少し示しておこう(前田陽一/由木康訳『世界の名著 29 パスカル パンセ』中央公論社)。
人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一適の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すよりも尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
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十年来、ちびちびと読み続けてきたヘーゲルの『精神現象学』( 長谷川 宏の手になる訳で。学生の時は樫山欽四郎訳で読んだ。内容は全く理解できなかったものの、何か神秘主義の匂いのようなものを嗅ぎ取っていたっけ。いずれにしてもヘーゲルにしか書けない(創造・妄想?)できない作品だと当時、感じたっけ)もようやく読了の日が近付いている最中に「瘴気(しょうき)」なんて言葉に行き当たってしまった。
→ 野原じゃなくて、我が家の畑。
一方、「草いきれ」という言葉がある。辞書に依ると、「夏の強い日ざしをうけて、草むらから立ちのぼる、むっとする熱気」だとか。
「瘴気」とか「草いきれ」なんて言葉を持ち出したくなったのは、「帰郷して待っていたのは草むしり」で書いているように、このところ草むしりの日々が続いているからであろうと思う。
生命力の横溢、生き物の弱さと逞しさと。
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今年、小生の大好きな歌手香西かおりさんが富山にやってくる(以下、例によって敬愛の念を籠めつつ、敬称を略させてもらう)。
→ 香西かおり『無言坂』 (CDジャケット画像は、「かおり倶楽部」より)
「伍代夏子・香西かおり ジョイントコンサート~二人の美艶歌~」
◆開催日 2008年6月13日(金)
◆開催場所 オーバード・ホール
◆開催時間 昼の部 午後2時開演 夜の部 午後6時30分開演
困窮していて、読書好きな小生なのに、今年に入って文庫本を一冊買うのがやっとの始末。六月に催される伍代夏子とのジョイントコンサートも、チケットを買うなんて夢のまた夢である。
ああ、でも、せっかくの機会なのだ…。
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過日、家族らで「富山県中央植物園」へ行ってきた。
そのレポート(日記)は時間があれば別個に書く(かもしれない)が、ここでは番外編的にあることについてメモしておきたい。
富山県中央植物園でちょっと自分には驚きの出会いがあったのである。
→ 「富山県中央植物園」で遭遇した「サルガオセモドキ」
出会いといっても、人との遭遇という意味ではない。
ある植物との思いがけない、しかし場所が亜熱帯の植物も鑑賞できる植物園であれば意想外と感じるほうが無知にすぎない、そんな出会いがあったのだ。
それは、別名を「スパニッシュ・モス」時に「フロリダ・モス」とも呼ばれる「サルガオセモドキ」というエア・プラントの一種との思いがけない対面なのである。
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富山市も桜が昨日辺り一気に満開となった。
金曜日に前夜祭のあったチンドンコンクールや週末の行楽に合わせてくれた?
← 「全日本チンドンコンクール」:
富山の春の風物詩として、今回で54回目を迎える「全日本チンドンコンクール」は、富山市が戦災の焼け跡から立ち直り復興した昭和30年に、市民の心に明るさを取り戻そうと、富山商工会議所や富山市などが中心となり誕生しました。
このイベントは、プロのチンドンマンがその技とアイデアを競い合う全国唯一のユニークなコンクールです。
桜をめぐってはこれまであれこれ綴ってきたが、旧稿から一部転記しておきたい。
ややひねくれているようだが、こういう考え方もあるということと思ってもらえたらそれでいい。
→ 夫婦のスズメ? 言い寄ってる?
その上で、扱うのはツツジで時期は違うのだが、花びらの潔いというか鮮烈でもある咲き方・魅せ方・散り方をめぐっての、これまた小生なりの異見を旧稿から転記する。
花や花びらを強烈に意識する時期(但し刹那的なものに終始しがちだが)だから、敢えてこんな試みをするわけである。
尚、挿入する画像は本文とは関係ない。最近、小生が撮った写真の一部を紹介するだけのこと。
1)「坂口安吾著『桜の森の満開の下』」より
2)「日の下の花の時」より
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「雑草という名前の草は無い」という有名な言葉があるが、雑草とは一体どんな草花なのだろう。
雑草とそうでない草花との違いは何処にあるのだろう。
← 「東照宮の石垣」 (画像は、「Photo by (c)Tomo.Yun」より)
そうでない草花と書いたが、花壇などで手塩に掛けられて育つ花々のほかに野草もある。
野草と雑草とも違いがあるのだろうか。
野草も、「山野に生える草」ということで雑草とは生活圏が違うだけで、広い意味では雑草の範疇に入るのだろうか。
野生の草花って、あるんだろうな。手付かずの状態のものがあるかどうか分からないけれど。
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「SF小説の大家、アーサー・C・クラーク氏が死去 」(ホビー マイコミジャーナル)というニュースが20日の新聞でもテレビでも流されていた。
「英国人小説家アーサー・C・クラーク氏が19日、移住先のスリランカで死去した。享年90歳、死因は心肺機能不全」という。
小生にとってはアーサー・C・クラーク(Sir Arthur Charles Clarke, 1917年12月16日 - 2008年3月19日)の『2001年宇宙の旅』や『太陽系最後の日』、『銀河帝国の崩壊』なども印象深いが、ノンフィクションものの『未来のプロフィル(Profiles of the Future)』 が彼の著作の中では思い出深い。
SF作家としては、同じく大家のアイザック・アシモフとかハインライン、『スカイラーク』シリーズや『レンズマン』シリーズ等のE.E.スミス、エドガー・ライス・バローズのほうが好きだった。
ジュール・ヴェルヌ、H・G・ウェルズ、アーサー・コナン・ドイル(小生にとってドイルは、『シャーロック・ホームズ』の作家ではなく、恐竜の作家だ)などなど。
メアリー・シェリーが書いた『フランケンシュタイン』はSF小説の先駆け的な作品? 彼女はこれを19歳の時に書いた!
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ここしばらく、引越しの作業などで慌しく、音楽も聴けなければ本もろくすっぽ読めない日々が続いている。
CDプレーヤーのほうは、先週末、梱包したまま蔵に積み上げていた山となったダンボールの中からようやく発見、夜になってショパンやバッハなどを聴いた。
→ 福永 武彦 著『今昔物語』 (【解説: 池上洵一 】 ちくま文庫 筑摩書房)
雑多な荷物が乱雑なままの我が部屋だが、不思議なものでロッキングチェアーに体を沈め目を閉じ流れ漂い時空を満たす音楽に聞き入っている間だけは、自分が異次元の世界に導きいれられたようで、気忙しい日々の俗事を忘れさせてくれる。
本は、日記の「祈りでもなく」にチラッと書いているが、福永武彦 著『今昔物語』 (【解説: 池上洵一 】 ちくま文庫 筑摩書房)をちびちびと読んでいる。
いよいよ引越ししようという前日に買ったもの。
自分を慰撫するため、本は当分買わないという禁を破ってほぼ四年ぶりに書店へ足を運び物色し購入したのである。
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それは衝撃的な出会いだった。
実際には、そして結局は擦れ違いに終わったのだとしても。
サンバダンサーのダンスをこの数年見てきた。
多くは打楽器の演奏とボォーカルとの饗宴だった。
書くことでの自己表現を細々ながら続けてきた小生だが、自己の身体のみを使ってのパフォーマンスは嫌いではない。
今は体が鈍ってしまって自分で試みることがやや億劫になっているだけであって、自分であれこれ出来なくなると、逆に身体表現への憧れが増すようである。
身体を使ってのパフォーマンスといってもいろいろあるが女性の身体美ということでサンバに始まりベリーに到ったというわけである。
何かを思う、何かを言いたい、何かを伝えたい、何かを表現したい、自己表現を通じて人に喜んでもらいたい。
肉体を使っての感覚的快感や満足感を追い求めるなら、それはそれでいいし、ある意味それだけでも充足するあり方に終わっても十分でありうる。
しかしそれだけでは飽き足らないと思うような人も居る。
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日曜日の夜、引越しの作業の手を休め、職人技に見惚れていた(再放送だったようだ)。
もっと言うと、現代の木製品の名人たち(人間国宝3人)と、言うなれば弥生時代の名工との真剣勝負を目の当たりにしたような、緊迫した空気が漂い、おごそかな気持ちさえ抱かされた。
その番組の内容は下記:
→ 「青谷上寺地遺跡を代表する木製容器」 (画像は、「NHKおはよう鳥取-とりネット-鳥取県公式サイト」より)
「番組 ETV特集 (NHK教育 2008-02-17 2200)」(ホームページ:「チャンネルガイド」)によると:
「ETV特集弥生人が残した謎の木製品・現代の人間国宝3人が復元に挑む▽美しき器に隠された二千年前の歴史ロマン」(NHK教育 放送日時: 2月17日(日) 22:00-23:00 【語り】野田 圭一)
鳥取県の弥生遺跡・青谷上寺地遺跡の謎を解明する。同遺跡は土壌が特殊な粘土質のため、普通なら腐ってしまう木器や鉄器、人骨が大量に出土し「弥生のタイムカプセル」と呼ばれる。1万2千点もの精巧な木器の出土は考古学界の注目を集めている。なぜこれらの木器は作られたのか。謎の解明に挑む3人の人間国宝の木工芸作家と、協力を名乗り出た気鋭の考古学者たちを紹介。木工芸作家らは、遺跡出土鉄器の復元品である工具を使って木器の復元に取り組む。その作業から弥生人の木への造詣を読み解くことができ、日本人の木の文化の原点も浮かび上がる。一方、学者たちの研究ではこの遺跡が高い技術を持った日本最初期の職人が活躍する場だったことや、材木など原材料の搬入と加工品の海上輸送の機能を持った工業村だったことが明らかになりつつある。
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先週末、トイレの窓を開けて用を足していたら(出すのに、どうして用を足すなのか)、隣の家の庭木の枝に不思議な鳥が止まるのを見た。
左やや上方から、真っ白なものがふわーと飛んできて、枝先に止まったのである。
← 「セキセイインコ」(by Kei)
なんだ、あの純白の鳥は?!
図鑑や写真でならともかく、肉眼では観たことのない種類の鳥のようだった。
色は白地にやや青味がかっている。大きさはツバメほどだったか。
枝先に止まったのだが、曇天なのに、その白さが眩しいほどに鮮やかなのである。
飛び立つ瞬間だったか、ギギッと鳴いたような気がしたが、定かではない。
野鳥に詳しければ、すぐに名が分かるのだろうが、生憎、そんな風流な知識は持ち合わせていない。
急いで用を足したらデジカメを持ってこようと思っていたが、グズグズしているうちに飛び去っていってしまった(どうも、切れが悪い…)。
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→ 丸山応挙『幽霊画』(バークレー美術館蔵) (画像は、「第126話落語「応挙の幽霊」の舞台を歩く」(ホームページ:「落語の舞台を歩く」)から)
幽霊に付いて、当り障りのない考察を試みよう。
小生、怖がりなので、幽霊の気の障るような考察はしないつもりである。幽霊さんに気が付かれないよう、こっそりと、そして不意に幽霊さんが現れて絡まれないよう、辺りの気配を十分に探りつつ、あれこれ意味のない探求を試みたい。
それにしても、まず幽霊について先ず気づくことは、幽霊には足のないとされること。
幽霊は、江戸時代の怪談ものだと、柳の枝の垂れる薄暗いお堀端で不意に現れる。牡丹燈篭は別として、そうした状況で現れる幽霊さんというのは、決まって足がない。というか、下のほうが曖昧模糊としている。
よく、幽霊には、足がないって言うけど、何処までがないんだろう。
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梁 石日(ヤン・ソギル)著の『タクシー狂躁曲』 (ちくま文庫 )を今頃になって読んだ。
今頃とは、小生、これでもタクシードライバーの端くれだったのである。
→ 梁 石日(ヤン・ソギル)著の『タクシー狂躁曲』 (ちくま文庫 )
ドライバーになろうと思ったのが95年の三月末、実際に走り始めたのは95年の9月になって。
以来、昨年末に退社するまでタクシードライバーだった。
12年3ヶ月。
タクシードライバーとしては、96年の春先だったか初夏だったか覚えていないのだが、進路変更違反で失点した以外は、大過なく過ごした。
まあ、至極、無難な、平穏無事なドライバーだったと言えよう(少なくとも数字や経歴の上では)。
ゆえあって一時、中断しているが、事情が許せば続けるつもりでいる。
タクシードライバーになりたての頃は、タクシー関連の本を片っ端から読んだ。
といっても、そんなに数があるわけもなく、めぼしいものを読破するのにそんなに歳月を要しない。
正直、読んでいて、うんざりした。あまりに退屈か、そうでなかったらあまりに荒唐無稽で現実離れしている。
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[ あるところで、『老人と子供のポルカ』に関連する話題を見かけた。懐かしい! 懐かしいし、5年弱前にも、あるメルマガでこの歌のことが話題になっていて、気になると何か書きたくなる小生、下記のような雑文を綴っていた。せっかくなので(?)、ここに再掲しておく。なお、掲げた画像は本文と全く関係ない。過日、上京する列車の車中から撮ったもの。当時も今も不思議というか尋ねてみたいのは、本人はどういうつもりでこの歌を歌ったのか、何ゆえ引き受けたのかということ…。 (08/01/30 記)]
「『老人と子供のポルカ』余談」
Sさんのメルマガで『老人と子供のポルカ』(早川博二作詞・作曲 歌:左卜全とひまわりキティーズ)のことが話題になっていた。
誰か、実際に聞いた人がいないでしょうか、だって。そんなことなら我輩に聞いてくれればいいのに…なんてのは嘘だぴょーん。
そのSさんは小生よりずっと若い。
その点、小生は、『老人と子どものポルカ』を高校生になりたての頃に聞いたのだ。歌謡曲や演歌が全盛で歌番組はクイズ番組と並んで庶民がテレビで楽しむ大きな娯楽源になっていた。
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前回に引き続き、「さいたま川の博物館」での、「平成11年度第2回特別展「三途の川」」を道案内に、三途の川のこと、そしてできれば、賽の河原について幾分かでも学んでおきたい。
← 陸信忠(りくしんちゅう)筆本『十王図』(絹本着色 各縦83.2 横47.0(cm) 中国・南宋時代) (画像は、「奈良国立博物館」より) 「人が死後に赴く冥土(めいど)には、亡者の罪業の審判者として閻羅王(えんらおう)(閻魔王)など十人の王が」いる。「十図はいずれも王が冥官たちを伴い、椅子に掛けて机に向かい罪状を調べており、前には裁きを受ける亡者や、あるいはすでに有罪とされた亡者が様々の刑罰を受ける様子などが獄卒の鬼たちと共に描かれる」。個人的には、「壺中水明庵」を舞台に風景画をテーマにブログ記事を綴っている小生、「なお王の背後の衝立(ついたて)にはどれも水墨山水図が描かれ、日本への水墨画導入にこれら画中画が一つの役割を果たしたと考えられる」という点が関心の的。「奈良国立博物館」に所蔵されるという「騎象奏楽図」を見てみたい。
こんなことを学んでどうなるというのか、どんな意味があるのか、少なくとも小生にはさっぱり分からないのだが、何故か惹かれるものがあるので(そろそろ呼ばれている?)、ひたすらに好奇心に駆られるままに、かといって、あまりに深入りして、それでは、自分で訪ねてみようとばかりに、往って(逝って)還らぬ人にならぬよう、浅瀬を選び、できれば、三途の川の中に足を浸さないだけではなく、飛沫さえ浴びないように、用心を重ね、不摂生なる日頃の生活をほんの少しは慎みながら、まあ、表面的なこと、触りのところだけを、無論、差し障りに至らぬ程度に、触れてみよう。
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前の会社の都合で正月には帰省できなかったが、それでも中旬には遅ればせながらの帰郷を果たした。
父母のことその他の人間関係などは追々書いていくとして、帰郷して嬉しいのは炬燵があること、それとテレビがあること。
炬燵に付いてはわざわざ「炬燵」や「コタツムリ」それぞれについて短からぬエッセイを書くほどこだわりがある。
入れるのは田舎でしか機会がないから、まあ、年に数度しか会えない恋人(?)に自宅で足下の密会(?)をするようなもの。
ガキの頃の炬燵での思い出は少なからずある(これも別の機会に書く)。
↑ 『フルスイング』 (本画像も含め、以下全ての画像は、「フルスイング NHK 土曜ドラマ」より)
で、テレビ。
小生はガキの頃(東京オリンピック開催前だったか、美智子皇后のご成婚の頃だったか覚えていない)に我が家にテレビがやってきて以来のテレビっ子である。
小学生の小生には、例えば冬は炬燵に入りながら漫画を読むか画くかしつつ、近くにはテレビが映っている(その気になれば見れる)ってのが至福の時だった。
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電気炬燵と富山の人間との意外な関わりをテレビで知り、富山県人としてその周辺を探るべく、「電気炬燵と歩めなかった半世紀?」なる雑文を綴った。
するとそのさなか、久しぶりに「コタツムリ」という言葉に遭遇した。

「コタツムリ」という言葉は、今やもう死語と化しているのだろうか。
先に進む前に、ある年代より若い人には耳馴染みではない可能性があるので、まずは「コタツムリ」の意味を説明しておくべきか。
「炬燵 - Wikipedia」によると、「炬燵」の「表現、呼称」なる項に以下のように説明されている:
現在の「こたつ」の漢字表記はもっぱら「炬燵」であるが室町時代には「火闥」、江戸時代には「火燵」と表記された。なお、燵は国字である。また略称として「こた」があるがあまり用いられない。しかし、丁寧語の「お」をつけた「おこた」という言い方は多く女性に用いられている。また、炬燵と一体化して生活することを「かたつむり」をもじって俗に「こたつむり」と呼ぶことがある。
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冬になると炬燵が恋しくなる。
だったら、炬燵くらい買えよってことになるが、生憎、懐具合の淋しさはともかくとして、我が部屋の中があまりに汚すぎる。狭い。
よって、置き場所もだが、床が汚すぎるので、炬燵を置く気になれないし、ましてたとえ座布団などを敷くにしても座る気には到底なれない。
自分の部屋なのだが、いやなのである。
でも、炬燵が恋しいってのは正直なところ。
← 歌川国芳『炬燵に美人』 (画像は、「Cat-City Museum:猫と浮世絵」より)
年末年始など郷里に帰省するのが常なのだが、楽しみは炬燵である。
(尤も、郷里の家で炬燵が不可欠なのは、木造の古い和式の家屋なので隙間風が凄く、炬燵なしでは居られないってこともある!)
小生は18で郷里を離れたが、そんな少年時代までの思い出が炬燵と共にあるように思えてならない。
幼少の頃は掘り炬燵で、炭が熱源だった。
いつから電気炬燵に変ったのか、覚えていない。兼業だが農家ということもあり、結構、遅かったような。帰省の折、時々、朝などに炭を継ぎ足しさせられたこともあるから、二十歳前後?
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土曜日、PCでテレビの番組表を見ていた。目覚めたのは辛うじて午前だけど、午前中は洗濯もあって、テレビどころではなかった。
で、土曜日の予定はと見ると、いかにも録画番組ってので埋まっている。録画番組が放映されているたった今、出演しているタレントたちはハワイか何処かヴァカンスの真っ最中。
そんなの関係ねぇー、じゃないけど、そんな番組、見たくねぇ!
サッカーを見るか。それとも、読書に時間を費やすか。
すると、16時から、『マイスター魂 「電球・小川愛明」』という番組のあることを知った。
→ 吉村昭/著『光る壁画』(新潮文庫 新潮社) 「この作品は、朝鮮戦争前後の頃、日本で胃カメラの開発に熱い情熱に傾けた男達のドラマである」以下、「『光る壁画』(吉村昭著・新潮社)の書評」(ホームページ:「源さんの書評」)を読んで欲しい。この話は、NHKの「プロジェクトX」でも採り上げられたことがあるそうだ。本書は、下記する「電球屋・小川愛明さん〈1〉小型電球(上)」で紹介されている。
「電球・小川愛明」っても、同氏の名前は初耳。でも、マイスター魂って言うくらいだし、電球ってあるからには、きっと職人の話なのだろうと見当を付ける(実は、小生、数年前にテレビが故障してからは、テレビ不在の生活を送ってきた。テレビを見ていたなら、この話題にはとっくに飛びついていたはずだ。昨年末、ワンセグテレビを買い、待望のテレビのある生活を再開できたのである)。
よし、今日の朝食(兼昼食)は、16時だ!
で、番組が始まるまでネットしたり読書で過ごす。それまで食事はお預け!
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昨年、「帰郷していた際に、郷里の神社に初詣しそびれたからというわけではないが、東京での地元の神社である太田神社へ初詣に行ってきた」のだが(「初詣太田神社で決まりです」)、今年も二日、天候に恵まれたことだし、太田神社で初詣してきた。
三日は箱根駅伝の復路をチラッと観戦。箱根駅伝観戦レポートは、後日、書くかもしれない。共に自転車を駆ってのお出かけ。
← 正月二日、地元の太田神社で初詣。昨年、太田神社の画像は幾つか載せているので、ダブらない画像を選びたい。「昭和7年に氏子により奉納された御影石の鳥居」に注目。
太田神社のことは上掲の記事を参照してもらおう(太田神社の名前の由来や、大田区という区の名称の由来など興味深い話を書いておいた)。
今回は、太田神社は「市野倉と言われた武蔵野台地」にあるということなので、この「市野倉」や近くを通る池上通り(池上道)の周辺を探ってみる。
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今日は一挙に二つの記事をアップ。
一つ目の「アルトドルファー追記」はすでに未明、アップ済み。以下は、今日の第二弾だ。
→ 版画「富田木歩」(昭和38年作・吉屋信子「墨堤に消ゆ」 小説新潮) (画像は、「版画「富田木歩」」より) 「墨堤に消ゆ」は吉屋信子のエッセイで、富田の句をいろいろと紹介している。この版画は、(小生の推測では)このエッセイに付せられたものなのだろう。『鬼火・底のぬけた柄杓 吉屋信子作品集』(講談社文芸文庫/2003)に所収となっているようである(本書については下記する)。
さて、一昨日、「紙魚・白魚・雲母虫・本の虫」なる記事を書き綴っていて、あれこれ調べる中で富田木歩(とみたもっぽ)という俳人の存在を知った:
ネットで紙魚という季語を織り込んだ句を探してみたら、下記の句が見つかった(「落葉のささやき 富田木歩 その6」にて):なりはひの紙魚と契りてはかなさよ 富田木歩
富田木歩なる人物は小生にとっては未知の方である。
下記のサイトが非常に参考になる:
「書評 (中島) 「鬼気の人 ー 俳人富田木歩の生涯」」
大して長くはない。一読することを願う。
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看板を変えただけだから、模様替えというべきか。
「無精庵徒然草」は「壺中山紫庵」へ。
これは従前通り、何でも日記。
「無精庵サンバ館」は「壺中水明庵」へ。
これは大幅な変更なので、改装とか模様替えではなく、店舗の入れ替えに近いので、下記する。
「無精庵方丈記」は「壺中方丈庵」へ。
これも従前通りで、基本的に俳句や川柳、小説を含めた創作の部屋である。
← クロード・モネ「かささぎ」 (画像は、「クロード・モネ-音楽・映画、言わせておけば」にて発見) クリスマスに見つけた綺麗な画。このような絵も描けるモネだったが、目の病気もあったのだろうか、後年は全く未曾有の画境を彷徨うことになる。いかにも児戯めいた和風庭園を造って、アトリエで筆を揮う。自然は彼の脳裏にあったというべき? 悲劇か偉業なのか。絵を描くとは一体、どういうことなのか。
まず、「無精庵」は止めた。
これは前々から止めたかった(「ぶしょう」じゃなく、「せいしがない」の意に誤解されそうだし)。ブログを始めた時、ブログってものの性格や、ブログをどれほど続けられるか自分でも分からなかった。
なので、とりあえずということで、某創作系のサイトでのHN(ハンドルネーム)だった「無精庵」をブログの頭に被せたのである。
既にブログを始めてからほぼ40ヶ月になろうとしている。ここまで続くとは思っていなかった。
ま、下記する事情があるので、ついでだとばかりに、「無精庵」とはおさらばである。
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ふと、「紙魚」という言葉が思い浮かんだ。
何故だろう。何故、唐突にこんな言葉が浮んできたんだろう。
それほど考える必要はなかった。
数日前、部屋の中の本の大半を処分したからだ。
漫画の本を除くと、図鑑を含め本と呼べるものを買い始めたのは小学生の終わり頃からだったろうか。
→ 過日、処分した本の一部。床に積んだ書籍の山の背後には図録が棚に納まっている。全てが消えてしまった。
そう、本らしきものを読み始めたのは低学年の頃からだった。
ガキの頃は近所に貸本屋さんがあって、ほぼ毎日、通っていた。
借りるのはほとんどが漫画の本だったが、段々そこに所謂本が混じってくる。
どんな本を借りたかは覚えていないが、小学生の高学年の頃から中学にかけては、SF関係の本が多かったように記憶する。
というより、SF(空想科学)関係の本を読んだ記憶しか残っていないのである。文学関係の本は中学の終わり頃からようやく手が出始めたし、科学(の啓蒙)本は、そんなに冊数を読むわけではないし、図鑑に近い、挿絵(写真)の多いものを求めていたので(あまり活字が細かいとか多いと敬遠していた)、そういった傾向の本は貸本屋さんにはなく、特別にお小遣いを貰って、町の本屋さんで買い求めたのだった。
記述をどれほど理解できたかは心もとないが、当時から挿画(写真)には魅せられていた。写真や挿絵で空想を逞しくするほうが好きだったように思う。
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