2008/05/16

イカロスの夢へ限りなく…

 鳥のように舞うってのは、ささやかな夢。
 本音では多分、決して小さな夢じゃなく、心の奥底に深く根差した夢…というより本能的な欲動・衝動なのだと、根拠なく、しかし断固(!)思い込んでいる。

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→ 世界最小のヘリコプター (画像は、「Ace Craft USA - GEN H-4 - One Man Helicopter」より)

 飛びたいという欲動の尤もらしい心理分析は今はさて置く。

 人間は鳥のように自由に空を舞うという夢に一歩でも近付いたのか。
 イカロス (Ikaros)たらんとすること。ダ・ヴィンチの夢を叶えること。
 
 今日の朝刊(読売)に、「世界最小 ヘリ」という見出しの記事が載っていた。

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2008/05/14

バスク人はクロマニヨン人の正統な後継者?

 晴耕雨読の日々である。
 夜は(毎日ではないが)バイトへ行く。
 朝から夜にかけては家事と家の雑用(特に今は、晴天の日に限るが、生え放題の雑草の対策がメイン)。
 合間を縫うように、それこそ時間を削り取るようにして、細切れな気分的にはやや慌しい読書の時間を持っている。

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→ 「ラスコー洞窟の壁画」 (画像は、「ラスコー洞窟 - Wikipedia」より)

 机に向って…というかロッキングチェアーに体を沈めて今はレオナルド・サスキンド著の『宇宙のランドスケープ--宇宙の謎にひも理論が答えを出す』(林田陽子訳、日経BP社)などを、寝床では横山 祐之著の『芸術の起源を探る』(朝日選書)を、それこそ就寝前に軽くワイングラスを傾けるように(?)少しずつ読み進めている。
 どちらも読み止しなのだが、横山 祐之著の『芸術の起源を探る』を読んでいて興味深い記述に出会ったのでちょっとメモしておく。
(実は既に第5回「開高健ノンフィクション賞」受賞作である、志治美世子著の『ねじれ ―医療の光と影を越えて』(集英社)を連休中に読了したのだが、身につまされるものがあり感想を書くのに苦慮している。)

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2008/05/13

お地蔵さん……ん?(後篇)

 それにしても、富山は文化圏としては、関西のような関東のような曖昧な領域である。富山平野の真ん中に呉羽山(小高い山の連なり)があり、その西側が関西圏であり、東側は関東圏(少なくとも関西圏からは外れがち。というより見放されがち)だったりすることが多い。

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→ 一昨年の五月下旬、大田区の某所にて撮影。ある商店の軒下。お地蔵さんでもお堂でもなくて、可愛いので撮ってみた。

 小生の住むのは呉羽の東側(これを呉東=ごとう、と称する)であり、関西圏には入らない(但しお袋は高岡の出身で関西圏。父は生粋の呉東の人間である)。呉羽山を境に文化圏が富山でも分かれるのは、呉羽山の西側は加賀・前田家の領地であり、東側は前田家でも支流の家の領地で、(加賀藩に搾取され)文化的にも経済的にも困窮し、そもそも文化的な僻地だった。それゆえに実利的な気風が育まれた(なのに小生が能天気なのは、何故なのだ!)

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2008/05/12

お地蔵さん……ん?(前篇)

お地蔵さん

 田舎の我が家の前には地蔵堂があり、その中には記憶では33体のお地蔵様が祀られてある。33体という数は曖昧である。子供の頃に父か母に、それだけの数の地蔵さんが安置されてあると聞いただけで、その頃は、ふん、そう、で終わっていた。
 お地蔵さんの数がこれだけ揃っているのは珍しいのだ、とも、その時に聞いたような気がするが、関心のないガキの耳は素通りするばかりだった。

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← 地蔵堂と思い込んでいたが、その実…。

 もう、十年以上の昔になるが、古い木造の地蔵堂は改築されてコンクリート製の立派なものになった。その際、地蔵堂の向きも、それまでは我が家に直面していたのがA家に正対する向きに変わった。
 老朽化の故に改築するのは分かるとして、何故、向きまで変わったのだろうか。地元の富豪で、蔵が三つあるA家の威光なのだろうか。
 それとも、単に、我が家と地蔵堂の間の道が狭く(車は擦れ違えない)、それに対し、A家と現行の地蔵堂の間の道のほうが、やや広く、車の通行量も人通りも多いからなのだろうか。

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2008/05/10

開かずの書棚を覗いたら(後篇)

 結果から言うと、拍子抜けの感が否めない。
 プラトン全集、ショーペンハウアー全集、小泉八雲関連書籍、埴谷雄高関連書籍、ユングやメルロー・ポンティ著作、マルクスの『資本論』、ドストエフスキー全集(二種類)…などなど。
 思ったほど意外な本には再会できなかった。
 まあ、取り留めのない読書をしていた小生のスタイルは昔も今も変わらないということか。

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→ ようやく開いたガラス戸(上段)。中の雑物は取り除いて撮影。

 そういった蔵書より、居並ぶ本の上や隅っこ、何故か後ろ側に隠されるようにして(?)あったその他の雑物が興味深かった。
 小生が78年に仙台から上京しアルバイト生活を送るようになった、そんな時期の生活ぶりを裏書きする諸々のものが少なからず見つかった。

 小生は15歳の頃から(手書きの)日記をつけていて、その習慣は今も続いている。その手書きの日記は唯一の例外を除いては一切公開したことがない(見せるに値しない)。

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2008/05/09

開かずの書棚を覗いたら(前篇)

 家には古い書棚がある。曇りガラスの開き戸のある立派なもの。
 別に年代物だとか値打ちがありそうだとか、そんなことじゃなく、単に古いってだけ。
 その証拠(?)にそもそも扉(戸)が開かない。

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← 久しく開かずのままだった書棚。特に右側は戸が全く動かなかった。何とか開けてみたら…。

 読書家で本に限らず物を大切にする父が、小生が物心付いた頃にはあったから、50年ほど前(?)に買ったものらしい。
 小学何年生の頃だったかは覚えていないが、その中にはエラリー・クイーンなどの推理小説など文学全集や文庫本がびっしり詰まっていた、という記憶…印象がある。
 小生が郷里を離れ学生時代も過ぎた頃、父母は田圃の規模を縮小した際に、元は土間だった場所を寝所(兼書斎)に作り変えた。
 父の古い書棚の蔵書の大半は、寝所などに組み込んだ書棚へ、あるいは整理・処分となったようだ。

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2008/05/07

「葛」のことグズグズと

葛湯から古代を想う」にて、「葛湯」「葛飾」「葛西」と、「葛(くず)」繋がりの雑文を書いたことがある。
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→ 桜瀬琥姫(Kohime Ohse)『葛之葉姫』 (画像は、「桜瀬琥姫-葛之葉姫の販売、買い取りは絵画専門店アートひろばへ!」より) 「葛之葉姫」とは、安倍晴明の母

 ことに「葛飾」「葛西」の「葛」繋がりについては、以下のように書いたまま、頓挫してしまっている:

「葛西」とか「葛飾」という地名に「葛」が用いられたのは、古代において「葛」その地において印象的だったからなのだろうか。それとも、「中国では、「葛」の名前で呼ぶ」ことからして、朝鮮半島を含む大陸からの渡来人が土着した名残なのだろうか。
 あるいは、「やせ地にも育ち、土砂が雨で流されるのを防ぐ働きがあるので、砂漠の緑化に使われる」ということで、「中国の砂漠に日本のクズを植える努力が鳥取大学の遠山先生を中心に行われた」というが、関東ローム層という火山灰の多い、痩せた地には葛が育ちやすかったのでもあろうか。

 今は根拠が何も得られていないので、ただただ想像を逞しくするしかない。いつかまた、古代や中世の葛飾近辺の「葛」をテーマとして採り上げてみたい。


 とうとう何も調べることもできないうちに東京を離れてしまった。

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2008/05/05

「人間は考える葦である」考?

 ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日)の言葉に、「人間は考える葦である」がある。
「クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、大地の全表面は変わっていたであろう」と共に有名な言葉である。

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→ 「冬に穂が残るヨシ」 (画像は、「ヨシ - Wikipedia」より)

人間は考える葦である」のくだりをもう少し示しておこう(前田陽一/由木康訳『世界の名著 29 パスカル パンセ』中央公論社)。

 人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一適の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すよりも尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。

 以下、「だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある」云々と続いていく。
 こうした言葉に宇宙観あるいは世界観において、地球中心説(天動説)から太陽中心説(地動説)への大転換があったこと(宇宙の中にあって各天体は神に依らずして如何に浮び秩序を保ちえるのか…)、同時にパスカル自身の苦痛に苛まれた個人的な事情も読み取っていいのだろう。

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2008/05/03

「瘴気」の沙汰?

 十年来、ちびちびと読み続けてきたヘーゲルの『精神現象学』( 長谷川 宏の手になる訳で。学生の時は樫山欽四郎訳で読んだ。内容は全く理解できなかったものの、何か神秘主義の匂いのようなものを嗅ぎ取っていたっけ。いずれにしてもヘーゲルにしか書けない(創造・妄想?)できない作品だと当時、感じたっけ)もようやく読了の日が近付いている最中に「瘴気(しょうき)」なんて言葉に行き当たってしまった。

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→ 野原じゃなくて、我が家の畑。

 一方、「草いきれ」という言葉がある。辞書に依ると、「夏の強い日ざしをうけて、草むらから立ちのぼる、むっとする熱気」だとか。

瘴気」とか「草いきれ」なんて言葉を持ち出したくなったのは、「帰郷して待っていたのは草むしり」で書いているように、このところ草むしりの日々が続いているからであろうと思う。
 生命力の横溢、生き物の弱さと逞しさと。

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2008/05/02

「今年は海中探検!」アップ

今年は海中探検!」をアップしました。
 サンバ・エスコーラ(チーム)であるリベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)の「2008年浅草サンバカーニバル」に向けてのパレードテーマ(Enredo)は、「海中探検(仮題)」だそうな。

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2008/04/30

帰郷して待っていたのは草むしり

 今年も草むしりの季節(?)がやってきた。
 転機もやや安定しているし日中は日差しがさほどきつくない。鍔(つば)付きの帽子を被ってなら、直射日光下でもできる。
 雑草も日差しにつれて一斉に生え始め育ち、あっという間に生い茂る。

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← ネコの額の広さの畑。

 実際には陽気がどうこうではなく、つい先日までは目立たなかった雑草の旺盛な繁殖力に急き立てられるようにして庭や畑に向わせられる、という状態である。
 草むしりはささやかなりともこれまでもやってきた。
 小生の草むしりや雑草への思い入れの深さは、それらの周辺を巡る雑文の多さでも証し立てることができる。
草むしり」(2006/05/06)、「黄砂に抱かれて草むしり!」(2007/04/02)、「狐の牡丹…雑草のこと」(2005/04/27、「雑草のこと」の執筆は04/08/17)、「野原のことなど」(03/06/15)、「雑草をめぐる雑想」(2008/04/04)などなど、毎年一つか二つはあれこれ書き散らしている。
 終いには、ズバリ「草 む し り」という題名の、若干の思い出話を土台にして、虚構とエッセイの中間のような作品を仕立ててみたほどである。

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2008/04/28

ブーケ・トスはガーターどす!

 過日、知人の結婚式、そして披露宴に参列してきた。
 結婚式は神社での神前結婚式、披露宴は料亭なのか旅館なのか、傍を道路を挟んで川が流れる、落ち着いた佇まいの、これまた純和風だった。

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→ 披露宴のテーブル上にあったブーケ。玄関に鎮座。決して、ブーケ・トスされたブーケではない!

 挙式は午後の一時から、披露宴は午後の二時からで、すべて滞りなく執り行われた。

 花婿・花嫁から披露宴などのコーディネーターの方へ感謝の言葉(贈り物?)を披露宴の各イベントの途中(終わりごろ)に贈ったくらいで、挙式は厳かな雰囲気の中にも和気藹々の気分も漂っていて、素晴らしい披露宴だったように思う。

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2008/04/26

「バナナは木ではなく草である」本編アップ

バナナは木ではなく草である:余談篇」をアップしました。

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2008/04/25

帰郷して火事しました!

[以下は、先月初め頃、引っ越して三日目の<事件…事故?>の顛末です。そろそろほとぼりが冷めたようなので某所の日記(メモ書き)を転記します。自戒の念を籠めて! それにしても我ながら感心するのは、「ほとぼりが冷める」という表題で駄文を綴っていること。ホント、何に付いても書く奴なんだなー、我輩って!]

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→ 何年か前、仕事の途中で遭遇した火事。ほぼ全焼だった。へたするとこうなっていたかもしれない…。

帰郷して火事しました! 」

帰郷して火事してる…。

火事じゃなくって家事だろって、違うの、ホンマ、火事!

昼食後、両親が寝所で休んでいる間に、居間の灯油ストーブに給油しようとして失敗。

灯油缶からストーブに給油するホースの中の灯油が、熱を帯びて熱かった箇所に掛かり、発火!

灯油ストーブが真っ赤な焔に包まれた。

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2008/04/22

母と二人でドライブ

[日記より]:

小生、昨日、母と車でドライブ。

ワンボックス車。
先週、納車。平成4年の車。

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← 4月18日、庭先のチューリップ。一気に開花!

知り合いの点検整備で車両の状態は上々。
車内は新車かと思えるほど綺麗。
驚くほどの安さで入手。

車椅子や、母が車に乗り込むための木製のステップ(踏み台)を積み込んで。

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2008/04/20

無言坂…早く昔になればいい

 今年、小生の大好きな歌手香西かおりさんが富山にやってくる(以下、例によって敬愛の念を籠めつつ、敬称を略させてもらう)。

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→ 香西かおり『無言坂』 (CDジャケット画像は、「かおり倶楽部」より)

伍代夏子・香西かおり ジョイントコンサート~二人の美艶歌~

◆開催日  2008年6月13日(金)
◆開催場所 オーバード・ホール
◆開催時間 昼の部 午後2時開演 夜の部 午後6時30分開演

 困窮していて、読書好きな小生なのに、今年に入って文庫本を一冊買うのがやっとの始末。六月に催される伍代夏子とのジョイントコンサートも、チケットを買うなんて夢のまた夢である。
 ああ、でも、せっかくの機会なのだ…。

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2008/04/17

飛越地震から150年

 今年は、「飛越地震(ひえつじしん)」があった年から150年目に当たる。
 発生したのは、1858年4月9日(旧暦:安政5年2月26日)で、「跡津川断層(富山県~岐阜県)を震源に発生した大地震」である。
「安政5年に発生したことから、「安政飛越地震(あんせいひえつじしん)」と呼ぶこともある」という。

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→ 「立山大鳶山抜図」(画像は、「日本地震学会:なゐふる:vol.29 (5-8) 絵図から情報を汲む 第4回 飛越地震と大鳶崩れ」より)

飛越地震 - Wikipedia」によると:

北陸地方(福井県、石川県、富山県)を中心に、中部地方北部の広域で甚大な被害を齎した。マグニチュードはM6~7を記録したとされている。家屋の倒壊も著しく、200~300人もの死者が出る大惨事となった。また、富山県の立山連峰では、日本三大山岳崩壊ともいわれている鳶山崩れが発生し、鳶山の一部だった大鳶山と小鳶山が消滅、立山カルデラに大量の土砂が流れ込むこととなった。現在でも、大量の土砂が立山カルデラに残っており、流出してしまうと富山平野が土砂で埋没するという(砂防工事が行われているため、すぐに土砂が流出することはない)。

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2008/04/16

富山のタクシー/運転代行事情

 小生は東京でタクシードライバーとして12年と3ヶ月ほど働いてきたこともあり、郷里の富山に帰ってきても、富山のタクシー事情がどうしても気に掛かる。
 なのでそのうちに(まだ事情がつかみきれない面が多そうで基本的に印象を連ねることに終始しそうだが)、小生が見た富山のタクシー事情なる一文を書くつもりである。

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← 桜越しのいたち川。4月6日、撮影。「富山県富山市を流れる延長約12kmの河川。常願寺川と神通川という富山の2大河川を結ぶ川である」(「いたち川 (富山市) - Wikipedia」より)。小生の家もこの2大河川の間の扇状地に位置している。

 が、その前に、これは特に夜、さらには夜中になると顕著な傾向として明らかな<現象>の見られることもあり、今日は富山(乃至恐らくは多くの地方の市街地)の、都会では(少なくとも東京では滅多に)見られない交通事情の一端についてメモしておきたい。
 伝えたいのは、自動車運転代行(業者)の車が、夜も深まりとともにタクシーの数を圧倒しそうなほどに活躍している、という事実である。

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2008/04/14

サルガオセモドキに遭遇!

 過日、家族らで「富山県中央植物園」へ行ってきた。
 そのレポート(日記)は時間があれば別個に書く(かもしれない)が、ここでは番外編的にあることについてメモしておきたい。
 富山県中央植物園でちょっと自分には驚きの出会いがあったのである。

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→ 「富山県中央植物園」で遭遇した「サルガオセモドキ」

 出会いといっても、人との遭遇という意味ではない。
 ある植物との思いがけない、しかし場所が亜熱帯の植物も鑑賞できる植物園であれば意想外と感じるほうが無知にすぎない、そんな出会いがあったのだ。
 それは、別名を「スパニッシュ・モス」時に「フロリダ・モス」とも呼ばれる「サルガオセモドキ」というエア・プラントの一種との思いがけない対面なのである。

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2008/04/13

レジ袋有料化、始まったけど

 4月1日、富山県全域スーパーなどを中心にレジ袋の有料化が始まった(末尾にこのニュース記事を一部転記しておく)。
 我が家には、主に父がマイバッグをもう数点も確保している。

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← 富山城のお堀。4月6日に撮影。

 数年前に東京へ帰京する小生に持っていくようにと手渡されたものだった。
 座敷には未だ手付かずのマイバッグが出番を待って待機(?)している。
 但し、一枚だけは、父が買物に使っていたものなのか、表面が毛羽立つほどに擦り切れている。

 レジ袋有料化の動き、一般にはどう受けとめられているのか。

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2008/04/08

白熱電球製造中止…

 過日、「12年までに白熱電球製造中止 経産相、温暖化対策で表明」(「goo ニュース」より)といったニュースを小耳にはさんだ。
「電力消費が多い白熱電球を4年後の2012年までに国内での製造・販売を中止し、消費電力が白熱電球の約5分の1で、寿命も長く省エネ効果が高い電球形蛍光灯に全面切り替えを完了させる方針」という。
「地球温暖化問題をテーマに、北海道洞爺湖町で開かれた関係閣僚と市民の対話集会で明らかにした」というから、発表のタイミングを計っていたということか。

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→ 4月6日、チンドンコンクールの見物に行った際、せっかくだからと、コンクールの会場に程近い富山城を散策。

 白熱電球への思い入れは、特に昭和世代の人間には一入(ひとしお)なものがあったりする。
 そういえば、以前、関連する記事を書いたことがあったはずと探したみたら、「蝋燭…ランプ…電球…蛍光灯」という恰好の小文があった(他に、「蝋燭の周辺」もあるが)。
 但し、小生のこと、本分も長いが、プログが日記という性格もあって、前置きがやたらと長い。
 以下、関連する部分を抜粋転記する。


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2008/04/05

花びらをめぐる雑念

 富山市も桜が昨日辺り一気に満開となった。
 金曜日に前夜祭のあったチンドンコンクールや週末の行楽に合わせてくれた?

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← 「全日本チンドンコンクール」:

 富山の春の風物詩として、今回で54回目を迎える「全日本チンドンコンクール」は、富山市が戦災の焼け跡から立ち直り復興した昭和30年に、市民の心に明るさを取り戻そうと、富山商工会議所や富山市などが中心となり誕生しました。
 このイベントは、プロのチンドンマンがその技とアイデアを競い合う全国唯一のユニークなコンクールです。

 桜をめぐってはこれまであれこれ綴ってきたが、旧稿から一部転記しておきたい。
 ややひねくれているようだが、こういう考え方もあるということと思ってもらえたらそれでいい。

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→ 夫婦のスズメ? 言い寄ってる?

 その上で、扱うのはツツジで時期は違うのだが、花びらの潔いというか鮮烈でもある咲き方・魅せ方・散り方をめぐっての、これまた小生なりの異見を旧稿から転記する。
 花や花びらを強烈に意識する時期(但し刹那的なものに終始しがちだが)だから、敢えてこんな試みをするわけである。
 
 尚、挿入する画像は本文とは関係ない。最近、小生が撮った写真の一部を紹介するだけのこと。


1)「坂口安吾著『桜の森の満開の下』」より

2)「日の下の花の時」より

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2008/04/04

雑草をめぐる雑想

「雑草という名前の草は無い」という有名な言葉があるが、雑草とは一体どんな草花なのだろう。
 雑草とそうでない草花との違いは何処にあるのだろう。

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← 「東照宮の石垣」 (画像は、「Photo by (c)Tomo.Yun」より)

 そうでない草花と書いたが、花壇などで手塩に掛けられて育つ花々のほかに野草もある。
 野草と雑草とも違いがあるのだろうか。

 野草も、「山野に生える草」ということで雑草とは生活圏が違うだけで、広い意味では雑草の範疇に入るのだろうか。
 野生の草花って、あるんだろうな。手付かずの状態のものがあるかどうか分からないけれど。

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2008/04/02

梅の木の呻き?

 苔寺に限らず、日本の寺院などの庭には「苔(コケ)」が付き物である。
 時の積み重なりとこの世に時間のあることを束の間であれ忘れさせてくれる閑寂さ。
 海外はいざ知らず、日本の場合は寺社や庭園には苔のびっしり生えた風景を思わず知らず求めてしまうような。
 幽玄、閑寂、俗世からの脱却、悟り、などなど:
幽玄・静寂、苔(コケ)の世界

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→ 棕櫚の幹の根元部分。

 人によってはそんなものは期待していないのかもしれないし、まあ、ここではそうした心理の実態の如何を問うつもりもない。
 実は過日、家人に庭に咲いている梅の木の苔を取ってくれないか、そうしないと苔に木がやられてしまう、本来なら木に向うべき栄養分が、そしてやがては梅の実(果)という形で実りが得られるはずが、苔にまっで(まるで=みんな)奪われてしまう、苔の生す層の中には虫が冬眠していて、その虫たちの成長のためにも使われてしまう…、そんな話をされたのである。

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2008/03/30

「野原のことなど」再び

帰郷して初めて散歩した(1)」の中で、「富山県富岩運河環水公園」となっている場所は以前は木場だったと書いている。
 じっくりゆっくり時間を掛けて歩いてみないと断言はできないが、今となっては、木場の名残りなど微塵もないようだ。

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← ここが以前は木場だったとは思えないほどに<綺麗な>環水公園への変貌ぶりである。

 この環水公園も含め富山駅の北口側は、俗に駅裏(側)と呼称され、南側、つまり表側は早くからデパートなどの商店が建ち並び、市役所や県庁、大手の企業の本支店などがある。
 まあ、何と言っても駅の南側は城下町でもあり、富山城そして城を巡る堀があるわけで、早くから開けてきたのも当然なことではある。

 一方、北口側は、小生が子供の頃は、駅の間近には放送局も含め幾つか大きなビルが建っていたものの、せいぜい二階建ての民家が密集ということなく街道近辺を中心に続いているだけだった。
 駅を十分も離れると田圃や畑が広がり、集落のように数軒あるいは十数軒の農家(大抵が兼業農家)が固まって散在していた。

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2008/03/28

顔がお岩さんに

[数日前の日記より]

顔が東海道四谷怪談のお岩さんのような美人顔になりましたって、ことじゃない。

こけて、顔面をコンクリートの地面に強打し、右目(向ってだと、左目)の脇のコメカミの辺りと右眉の右端の上(額)にキズ、出血。

強打した部分が見る見る脹れ上がって、お岩さんのように片側の瞼も脹れて右眼が半白眼に。

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→ 藤原成一●著『幽霊お岩 忠臣蔵と四谷怪談』(青弓社)

右目だけ見ると、三昧境のお坊さんのようでもある?!

事故があったのは、一昨日の夜、アルバイト中でのこと。

駐車場で、車に乗るため、車のあるほうへ駆け寄ろうとした。
が、ちょうど足元に車止めがあった、が、運悪く足元ピッタリの位置で、小生は車止めの存在に気付いていない。
お客さんとの遣り取りがあり、注意が後方に奪われていて、振り返りざま、つい慌てて車のほうに駆け寄ろうとしたのだった。

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2008/03/27

帰郷して初めて散歩した(2)

 数年前、完成半ばの親水公園を散策したのは既に暮れなずむ頃合だった。
 今回は夕方にあと小一時間とはいえ、明るい。
 三月の下旬で、風も冷たくはない。
 自転車に乗り、あるいは自転車を公園の隅に置き、公園の風景を楽しんだ。
 立山の眺望も素晴らしい。青空に漂う雲も形が面白い。

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← はるかな立山連峰に眺め入る。富山駅から歩いて数分の公園でのひと時。

 しかし、何より予想外の嬉しさは、鳥たちの姿をたくさん愛でることが出来たことだった。
 鳩たちだろうか、何かの水鳥たちの溜まり場が設けられてあって、水辺には小屋(観察舎)が建てられてバードサンクチュアリとなっており、バードウォッチングと洒落込むことが出来るばかりではない。

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2008/03/26

帰郷して初めて散歩した(1)

 先日の夕方、帰郷して初めて散歩した。
 散歩しようと思えばこれまでだって出来ないことはなかったのだが、その気になれなかった。短時間であれ散歩したってことは、ようやくちょっとはこちらの生活に馴染んできたということかもしれない。

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→ 「富山県富岩運河環水公園」を象徴する「天門橋」を遠望する。

 先月の26日に帰郷したのだから、散歩しようなんて思い立つまでにまるまる一ヶ月を要したことになる。
 東京から富山へ。その前の仙台での歳月を加えると36年間、異郷の地にいたことになる。
 異郷と言っても、自分としては東京にずっと居続けるつもりでいたから、気持ちの中で東京を本当に異郷の地と自然に感じるには、きっとまだまだ時間が掛かるに違いない。

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2008/03/23

抜き足差し足忍び足の日々…バードウォッチング?

 郷里に引っ越してきて(出戻りして)あと数日で早くも一ヶ月が過ぎることになる。
 バタバタするばかりの毎日で、忙しくもあるが、何処かスローモーション映像の中にいるようで、時間の感覚が狂っているような気がする。
 それは、東京という大都会と富山との時間(経済)の進み方の実際的且つ感覚的な速度感や人や文化や歴史の厚みの違いでもあろうけれど、やはり個人的な事情に負うところが大きいようである。

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← 3月20日の午後。ジッと見ないと分からないかも。

 共に米寿を越えている父母との暮らし。
 体調のこともあり、生活のテンポが何事においても緩やか。
 協調心があるというのか、こちらまで家の中ではゆっくり緩やか。

 動作が緩やかだからといって、心の中までもがのんびりしているわけでは毛頭ない。

 むしろ思うこと願うこと意図することと、現実に出来ることとのギャップの大きさを日々そしてその都度、思い知らされる。

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2008/03/20

アーサー・C・クラーク死去

SF小説の大家、アーサー・C・クラーク氏が死去 」(ホビー マイコミジャーナル)というニュースが20日の新聞でもテレビでも流されていた。
「英国人小説家アーサー・C・クラーク氏が19日、移住先のスリランカで死去した。享年90歳、死因は心肺機能不全」という。

 小生にとってはアーサー・C・クラーク(Sir Arthur Charles Clarke, 1917年12月16日 - 2008年3月19日)の『2001年宇宙の旅』や『太陽系最後の日』、『銀河帝国の崩壊』なども印象深いが、ノンフィクションものの『未来のプロフィル(Profiles of the Future)』 が彼の著作の中では思い出深い。
 SF作家としては、同じく大家のアイザック・アシモフとかハインライン、『スカイラーク』シリーズや『レンズマン』シリーズ等のE.E.スミス、エドガー・ライス・バローズのほうが好きだった。
 ジュール・ヴェルヌ、H・G・ウェルズ、アーサー・コナン・ドイル(小生にとってドイルは、『シャーロック・ホームズ』の作家ではなく、恐竜の作家だ)などなど。
 メアリー・シェリーが書いた『フランケンシュタイン』はSF小説の先駆け的な作品? 彼女はこれを19歳の時に書いた!

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