2005/06/29

読書雑録

 ほかでも書いたが、結構、充実した読書体験を重ねている。昨年の四月から書籍の購入を控え、その代わり、昨年末から図書館通いを再開。
 自分で買うとなると、新聞などの書評や広告を頼りに、多くは書店での立ち読み、時には本を見た最初の印象だけで買ったりする。が、無制限に買える筈もなく、どうしても、自分の好みの分野、それも、従来の読書経験でそれなりの好感触のあった分野や著者の本を買うことになりがちである。
 が、図書館となると、懐具合を気にせずに済むので、手にする本の分野を大幅に広げることができる。たとえば、リンダ・リア (Linda Lear)著『レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯』(上遠 恵子訳、2002/08東京書籍刊)などは、関心はあるから書店で目にしたら手に取ることはあるかもしれないが、しかし、大部の本ということもあり、また、伝記という性格もあって、購入は躊躇っただろう。
 というか、まず、買わなかったに違いない。
 が、図書館からの借り出しなので、とりあえず持ち帰り、読んでみて、つまらなかったら返却すればいい。最後まで意地を張って読み通す必要もない。結構、気楽である。

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2005/06/17

バチスカーフ

 過日、ラジオを車中で聴いていたら(番組名は忘れた)、バチスカーフという懐かしい名前が。
Captain Fleet の ホームページ」の「深海潜水艇」なる頁を覗くと、その冒頭に、バチスカーフの項が見つかる。生憎、画像は載っていない。
 フランスの「深海潜水艇で」、「有名なオーギュスト・ピカール博士が開発し」たもの。「バチスカーフ以前は、深海調査には潜水球が用いられました。潜水球は水圧に耐えるために球形をした中空の乗物です。これを母船(水上船)からワイヤーでつるして深海調査をしました」なんて話をラジオでは最初にしていたような。
 さらに、ラジオでも、「しかしこれでは母船が揺れるとワイヤーを伝わって潜水球も揺れてしまいます。当然のことですがワイヤーの長さより深く潜ることもできません。推進装置を持っていないので自力で移動することができません。そこでピカール博士は潜水球に代わる潜水艇「バチスカーフ」を考案し」たという話が続いていた。
 ガソリンを燃料としていたが、ガソリンは単に燃料の役目に止まらず、比重が水より低いことから浮力を得る目的もあったとか。

アサヒ写真ブック85 バチスカーフ」があって、バチスカーフの勇姿を見ることができる。このサイトによると、「「バチ」は「深い」、「スカーフ」は「舟」という意味のギリシャ語」だとか。
 決して、バッチイ、スカーフではないのだ。

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2005/06/11

『KAZEMACHI CAFE』…読書メモ

 過日、図書館から借り出してきた『KAZEMACHI CAFE』(ぴあ 2005/03/19刊)を読了した。本書の大凡の性格に付いては、この季語随筆「KAZEMACHI CAFE…歌謡曲」(2005.06.06)で既に書いている。
 まあ、対談集なので、松本隆という逸材と、これまた才能溢れる方たちとの対談をひたすら楽しめばいい。何をコメントする必要があるわけもない。
 なので、脈絡も何もないメモ書きの羅列と相成るが、仕方ないと思っている。
 名前については敬称を略させてもらう。超有名人であり、一個の社会的財産となっているが故の敬意の所以である。

 松任谷由実との丁丁発止の対談の中で、ちょっと驚く記述を見つけた。尤も、何も驚く必要などないのかもしれないが。
 それは、三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自決した時、松任谷は「風都市」という、当時、松本隆がそのメンバーでもある「はっぴいえんど」が所属していた音楽事務所に居たというのだ。その音楽事務所は市ヶ谷に当時、あったのである。
 なんでも、松任谷の旦那様である正隆氏が事務所へ月給をもらいに行くのに付いて行ったのだという。
 せっかくなので、市ヶ谷の旧参謀本部の貴重な画像などを見てもらってもいいかも。
市ヶ谷の参謀本部について

 事務所(の屋上?)のドアを開けると、自衛隊のバルコニーが見え、何かのノイズが聞えていたというのである。三島由紀夫のアジ演説の声だったのか、警官隊の応じるマイクの声だったのか。それとも取材するヘリコプターの騒音なのか。
「ノイズ」という松任谷の言葉の選択が面白い。
 松本隆も松任谷由実にとっても、三島由紀夫らの行動が、あるいは時代の学生運動自体が「ノイズ」だったのだろうか。何か違うよ、ということなのか。勿論、こんな言い方では身も蓋もないというか、鰾膠(にべ)もないことになる。都会人特有の斜に構えたような独特なセンスもあるのだろうし。
 いずれにしても、時代はフォーク、それも没社会的な、政治的メッセージの欠片もないような、吉田拓郎であり、かぐや姫の神田川であり、ガロの学生街の喫茶店であり、井上揚水的な私小説的なフォークに主流が移っていきつつあった。

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2005/06/10

蛍の光…惑う光

 今日もラジオで聴いた雑学的な話をあれこれ順不同でメモ書き風に書いておく。後日、気が向いたら、そのどれかを掘り下げてみることがあればいいなと淡い期待をしつつ、メモに移ろう。

 NHKの「ラジオ深夜便」という番組は、サッカーなど特別な番組がない限りは、できる限り聴くようにしている。夜、そして夜半になると民放のラジオは若者向け一色になり、中高年は相手にされないから、聴くようにしているというより、余儀なく聴いている側面もないとは言えないが。
 昨夜半過ぎは、「茶の心、和の心」というテーマで茶道裏千家の千玄室さんの話。これはほとんど聴けなかった。まあ、一応は仕事中だから仕方ない。
 そのあとは、「失敗こそが独創を生む」というテーマで、工学博士(宇宙工学)の五代富文さんの話。

 五代富文さんというのは、宙開発事業団(NASDA)の副理事長まで務められた方で(00/10/24付け退職)、日本初の純国産ロケット「H-II」の開発に当初からかかわった、H-IIロケットの生みの親という人物。
『国産ロケットH‐2宇宙への挑戦―最先端技術にかけた男たちの夢』(徳間書店)や『ロケット開発「失敗の条件」―技術と組織の未来像』(共著、ベスト新書)などの著書があるようだが、小生はいずれも未読。
 特に後者は、「宇宙開発事業団が生んだ初の純国産ロケットH‐2は、続けざまに「失敗」した。開発者たちは、そこから何を学び何を教訓に残したのか?2001年夏、いよいよ新型ロケットH‐2Aをひっさげて、大国が群雄割拠する宇宙ビジネスの世界に参入してゆく。ロケット開発の黎明期から従事してきた研究者と日本の宇宙開発を長年追い続けてきた取材者とが、わが国のロケット開発における「失敗」を徹底的に討論した」という内容らしいが、幾分かは昨夜の話と重なる部分があるような気がする。

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2005/06/08

日記拾遺…いちこつ

 昨夜、営業中のこと、車中で聴いていたラジオで、小生には初耳の話を聞きかじった。メモするゆとりもない状況だったので、幾つかの言葉を覚えておいて、あとでメモ。
 キーワードは、「いちこつ 富山 駅 発車(NHK)]である。最後の(NHK)は、聴いていたラジオ局のこと。
 話は、音が話題になっていて、語り手の名前を聞き漏らしたのだが、声の調子や話の内容などからすると、日本音響研究所鈴木松美(すずき まつみ)氏と思われた。
 インタビュアーは分からないが、どうやら番組は、「放送日:2005年6月7日(火)20:00~21:00
番組名:ふれあいラジオパーク(NHKラジオ第一) 内容:音に関する話題でトーク
」のようである。
 顔の骨格などから声がある程度再現できるとのことで、モナリザやベートーベンの再現された声など聴かせてくれた。
 また、聴く方が心地いい声は、<ゆらぎ>のある声で、音響の画像で見た場合、一定の周波数の1/fという波を描く声ということで、その代表的な実例として美空ひばりさんが歌う「川の流れのように」を例にあげていた。
 ビブラートのあるくだりということで、きっと、あの「さび」の部分だろうと推測したら、まさにその通りで、「あーあー、川の流れのように」以下の箇所。美空ひばりさんは、その部分をサビということもあろうけれど、意識的にゆっくりゆったり歌っていると小生に聞くたびに感じさせてしまう箇所でもある。
 それにしても、美空ひばりさんの歌うスタンダードナンバーは絶品だ。彼女の歌うジャズもノリノリ。凄い!

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2005/06/06

KAZEMACHI CAFE…歌謡曲

 過日、図書館から借り出してきた『KAZEMACHI CAFE』(ぴあ2005/03/19刊)を読んでいる…それとも楽しんでいる…あるいは懐かしんでいる。
 本書は松本隆対談集で、16人の対談相手がおり、「谷川俊太郎 桜井淑敏 林 静一 太田裕美 細野晴臣 佐野史郎 大瀧詠一 筒美京平 薬師丸ひろ子 藤井 隆 松 たか子 萩尾望都 松任谷由実 町田 康 妹島和世 是枝裕和」といった面々である。
 小生は、作詞という時の詩と、所謂「詩」との区別や異同がよく分からない。作詞される方は、初めから曲となることを想定して作詞される(場合もあろうけれど)とは限らない。むしろ、作詞というより、あくまで作詩なのではないか。
 この辺りの創作の心理は、分からない。
 詩にも疎い小生、そんなに詩に親しんできたわけではない。むしろ詩を作詞の詞に広げていいなら、圧倒的に詞の世界に影響されてきたと思う。
 詩を創造する方は尊敬する…というより、尊敬の念を以って見てしまう。が、小生、作曲される方のほうが遥かに強い、そう、もう、畏敬の念といっていいような感覚を抱いてしまう。
 だから、むしろ、だからこそ、作詞の詞の世界に戸惑ってしまう。

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2005/05/15

樹液のこと…琥珀

 あるがこの季語随筆日記無精庵徒然草「風薫る…西鶴…近松」の中の「その樹液がいよいよ深くなる緑の葉っぱから溢れ出す今頃は、ついには樹液が飛散さえしてしまうようである」という部分を引用してくれていた。
 せっかくなので、他にも関心を持たれる方がいるかもしれないし、小生自身の好奇心も蠢いているので、樹液について若干の補足をしておこう…ということで、当該の頁の末尾に補足として書いた。
 が、加筆にしては量が多すぎるので、番外編として頁を独立させることにした。


[ネット散策していたら、樹脂という言葉の織り込まれた句を見つけた(May 22, 2005)。せっかくなので載せておく。句の作者は木下夕爾である。「ふくやま文学館公式ホームページ」(広島県福山市)によると、「木下夕爾は、名古屋薬学専門学校卒業後福山に帰って薬局を継いだ後、福山を離れず、五十歳の没年まで詩筆を絶たなかった、まさしく、文字通りの郷土詩人です」とのこと:

  わがつけし傷に樹脂噴く五月かな    ]

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