「今日は何の日~毎日が記念日~」によると、1962年の今日(9月20日)、鈴鹿サーキットが完成したのだという。
鈴鹿サーキットという名を目に、あるいは耳にすると懐かしい記憶が蘇ってくる。
二十歳前後から三十代の半ば頃まではオートバイに夢中で、通学や通勤に毎日のようにバイクを駆っていた。
土日などの休みの際には、時に朝早く起きて、オートバイに跨り、郊外へと向かう。
読書が趣味なので、バッグにはお気に入りの本を忍ばせて。
何処か眺めのいい、休憩するに相応しい場所を見つけると、バイクを止め、木陰などに腰掛けて、読書を楽しみ、読み疲れたら風景を愛で、あるいは風光明媚の残像を追いつつ、目を閉じ、居眠り…。
読書とバイクを両立させる、苦肉の策のツーリングだった。
温暖な時期になって陽光に恵まれたら、上半身裸になって、日光浴も楽しむ。
若かったこともあり、体が日に焼けて黒くないと、ひ弱に見えるようだし、とにかく、天気がいいのに、家の中に居るなんて我慢がならなかったのだ。
雨でもツーリング欲は鎮まらない。何処かの木立か、作業小屋の庇の下で雨宿りする…ただそれだけが、到着地ですることだった。
要は、ただひたすら淡々と走れたら、それでよかったのだ。
ランナーズハイの感覚を追い求めていた…というと、気どりすぎか。
ツーリングだけじゃ飽き足らず、バイクブームの真っ最中から余熱が燻っていた時期でもあり、テレビでもバイクのF1レースが放映されることも珍しくなかった。
読書のメニューにも、オートバイ(ツーリング)関係の本の割合が多くなっていたりする。
サーキットで実際にレースを観たい、そんな欲求が高まるのも自然な成り行きだった。
仙台の菅生サーキットを皮切りに、筑波サーキット、富士スピードウエー、やがて、東京からはかなり遠い、三重県は鈴鹿サーキットへ。
さすがに、鈴鹿へは日帰では、無理なので、夏の八時間耐久レースの日程に合わせて、有給を取って、向かうことが多かった。
以下は、そんなバイク熱が昂まっていた頃の思い出話である。
バイク熱の昂進の時期と入れ替わるように、小生は創作熱の高まりを迎えるのだ。
最近のコメント