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2025/09/22

イグ・ノーベル賞、白黒模様の「シマウシ」

 ← 庭先の萩。今が盛りかな。 (09/19 13:34)

 このところ読んでるガストン・バシュラール著『空間の詩学』 (岩村行雄訳 ちくま学芸文庫)にてピカート作「沈黙の世界」(佐野利勝訳 みすず書房)に再会。懐かしい……が、すっかり忘れてた。……が、よくみると本書ではピカール著となってる。我輩の勘違いか? (09/19 13:34)

 昨夜の営業も暇だった。お蔭で、ウェルギリウス著『ウェルギリウス小品集』 ( 高橋宏幸訳 講談社学術文庫 )を読了してしまった。相変わらず夜の富山は閑散。景気の悪さを物語っている。町を走ると、街灯も少なければ、家々の灯りも乏しい。まだ、夜の11時前でも暗さが憂い。 (09/22 04:28)

 ← ガストン・バシュラール著『空間の詩学』 (岩村行雄訳 ちくま学芸文庫) 「本書では、詩的イメージの根源の価値を明らかにするために、詩的イメージとイメージを創造する意識の行為を結合する、新たなる想像力の現象学を提唱する。」

 ガストン・バシュラール著『空間の詩学』 (岩村行雄訳 ちくま学芸文庫)を読了した。これで四回目か。何度読んでも吾輩の読解は深まらない。というか、詩的センスにも欠ける吾輩は詩学の表層を流れ統べるだけ。ここには、初めて読んだ時の感想とも言えない夢想風な呟きを転記しておく(「バシュラール…物質的想像力の魔」より):

 バシュラールには何か、形そのままに残したい守りたい至福の時空間=真理があるように感じられる。その至福の次元を実現させるものは詩に他ならないと彼は考えている。
 その詩とは、単なるイメージ(我々が思う、ただのイメージに過ぎないという時のイメージ)ではなく、物質としての詩的イメージの世界なのかk¥¥だ。バシュラールの言葉を借りれば、詩的想像力、さらには物質的想像力によって実現される現実の時空なのである。
 そう、バシュラールは、詩的空間を単なる言葉の上の蜃気楼とは思っていない。机や椅子や家や木々や石や焔と同じく、極めて人間的な想像空間に現出した物質の一つの様相なのである。
 言葉は単に言葉に終わるものではないのだ。人間にとって言葉はナイフが心臓を抉りえるように、心を抉りえる可能性に満ちた手段であり、まさに武器であり、こころの現実に実際に存在する物質なのである。
 しかし、その物質は、手に触れないで遠くから見守る限りはそこに厳然としてある。にもかかわらず言葉で、その浮遊する時空間から抽出しようとすると、本来持っている命も形さえも崩れ去り失われてしまう。
 …… ……
 何とか顔に、魂の上に圧し掛かる岩を跳ね除けようとする試みのエネルギーが物質的想像力と小生は勝手に思っている。魂は心有るものには、間違いなく現実にあるものと映る。木や石や机のように、人間にとって魂は、心は現実にある。物質(と称されるもの)以上に切なく、しみじみと(目にはさやかに見えねども)そこに厳然としてあるものなのだ。
 そうした時空間は、ひたすらに心を密やかにひめやかに息を潜めて見つめないと見えないし、まして実現するのは難しい。バシュラールも強調しているように、いわゆる科学的方法では、いかにしても見出せないし検証も不可能な世界でもあるのだ。

 

 ← 「イグ・ノーベル賞、白黒模様の「シマウシ」 日本人受賞は19年連続 - 日本経済新聞 (09/20 01:19) (頂いたコメントに)まずは、白と黒の縞柄かチェック柄のシャツやマスクで試してみるとか? (09/20 14:54)

 今夜もネズミを見掛けた。ほぼ毎夜(毎日)見掛ける。原因は? (09/20 01:26) (頂いたコメントに)町のあちこちで日々見掛けます。こんなことは今までありませんでした。不可解です。 (09/20 05:30)

 

 ← ウェルギリウス著『ウェルギリウス小品集』 ( 高橋宏幸訳 講談社学術文庫 )……エトナ山。今も活発な活動中。古代も巨大噴火を繰り返した。古代人には何故噴火するか…神々の意図が分からない。本書の中の「アエトナ」は、懸命に神の意思を問うている。噴火の光景をも描いている。 (09/19 22:05)

 E.E. スミス著『第二段階レンズマン』 (創元SF文庫 ス 1-3 レンズマン・シリーズ 3)……読書メーターのタイムラインにてE.E. スミスのレンズマン・シリーズに再会。なつかしい! 中学生の頃、夢中だった。 (09/22 00:47)

 

 木村 俊一著『数学の魔術師たち』 (角川ソフィア文庫)……自宅では、アナイス・ニンの「インセスト」を読んでる。やや濃密なので、この軽め(?)の本で気分転換していく。 (09/22 00:51)

 

 ← このところ雨降りの日が多い。すると、待ってましたとばかりに内庭にキノコがニョキニョキ生えてくる。マツタケ、シイタケはなし。 (09/22 00:28)

 エミール・ギメ著『明治日本散策 東京・日光』 (/岡村嘉子【訳】/尾本圭子【解説】 角川ソフィア文庫) ……6年前に読んだ本を読み返す。再読なので、仕事の車中の楽しみとして。文章もだが挿画も楽しい。

 毎度のことながら、明治日本といいながら、焦点は東京(か京都)。(江戸時代とは云わないが)明治時代の我が富山のことも知りたい。それでも東京ものを読むのは、吾輩自身、東京在住30年だったので、東京への思い入れがあるから。

 本書冒頭(扉)には、河鍋暁斎が描いた本書の挿画家エミール・ギメの肖像画(?)が載っている。(09/22 02:01)

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