木乃伊は見知らぬ世界を彷徨う
← 来客(営業)があるので、玄関前や座敷などを軽く掃除。今年二度目かな。庭先の梅、ほころびだしてる。あいにく、桜の木はない。 (03/17 13:36)
大切にしてきたネクタイピンを紛失した。父の遺品だった。財布もずっと父の遺品を使ってきた。摩り切れ穴が空くまで。だから、財布(小銭入れ)に関しては悔いはない。が、ネクタイピンはかなり高級品っぽい。父は身の回りの品は(ブランド品ではないが)高めを揃えてた。 (03/17 21:58)
ネクタイピン…ひょんなところで発見。びっくり。…シートベルトを外した際に、シートベルト(シーベルトじゃないよ!)にピンが引っかかって外れたのだ。 (03/18 04:15)
「「源氏物語」。全五十四帖の大作(中略)おとなの教養講座では、その現代語訳を中條誠子アナウンサーの朗読と林望さんの解説でお伝えします。」……ラジオ深夜便にて折々聴いてる。林望の訳がいいのか、中條アナの朗読がいいからか、つい聞き入ってしまう。 (03/18 13:47)
← 『荷風追想』 (多田蔵人 編 岩波文庫) 「文豪・荷風と遭遇した同時代人の回想50数篇を精選、巨人の風貌を探る。荷風文学への道案内とする。」
『荷風追想』 (多田蔵人 編 岩波文庫)を18日(火)の今朝未明読了。本文は、夜半過ぎ折から降り出した雨音を車中で聴きながら読み終えていた。
多種多彩な書き手たちによる荷風追想、荷風賛歌、あるいは作家ならではの厳しい評価とか。 明治の世を生きた作家たちは、漢文を幼少の頃から学んでいる。繰り返し繰り返し読んで、聴いて体に沁み込ませる。作家の素養が欧文のみならず、漢文なのだ。
明治から大正、昭和の頃までに育った作家思想家学者らの教養の土台を為していた漢文。今では…戦後からか…余程の専門家だけの、縁遠いものになってしまっている。欧文が読めなくても、漢文が読めなくても作家たることはできる。だけど、奈良や平安時代以来の脈々と受け継がれてきた日本の教養人の土壌が断ち切られてしまっていることも事実。明治以来の作家たちは、そうした系譜を受け継ぎつつも西欧の文化を取り入れようとした。今となっては不要とは言えないのではなかろうか。
それはそれとして、吾輩は荷風の著名な作品は少しは読んできたが、本書で周作人の「東京散策記」が一番印象に残った。解説の多田蔵人曰く、「淡々と思いつくままに引用と注解を並べているようでいて、何度か読み返すうちに、おのずから彼独自の荷風像が立ち上がるつくりになっている。中国文人の流れに掉さし、しかし淫祠の精細な描写によって読者を中国でも日本でもない場所に連れていく荷風文学の、よどんのようなもんがここにはある。(以下略)」:
「裏町を行かう、横道を歩まう。かくの如く私が好んで日和下駄をカラカラ慣して行く裏道にはきまって淫祠がある。淫祠は昔から今に至るまで政府の庇護を受けたことはない。目こぼしで其の儘に打捨てて置かれれば結構、稍ともすれば取払はれべきものである。それにも係らず淫祠は今猶東京市中数へ尽されぬ程沢山ある。私は淫祠を好む。(略)本所深川の橋際、麻布芝辺の極めて急な坂の下、或いは繁華な町の倉の間、又は寺の多い裏町の角などに立ってゐる小さな祠やまた雨ざらしのままなる石地蔵には今もって必ず願掛けの絵馬や奉納の手拭,或いは線香などが上ってゐる。(以下略)」以下、延々転記したいものだ。
あるいは:
「然し私の好んで日和下駄を曳摺る東京市中の廃址は唯私一個にのみ興趣を催させるばかりで容易に其の特徴を説明することの出来ない平凡な景色である。譬えば砲兵工廠の煉瓦塀にその片側を限られた小石川の富坂をばもう降切らうといふ左側に一筋の溝川がある。その流れに添うて蒟蒻閻魔の方へと曲がって行く横町なぞ即ちその一例である。両側の家並は低く道は勝手次第に迂っていゐて、(以下略)」
転記はやめた切りがない。こうした嗜好は好きかどうかだ。気になるかどうかだ。道端の小さな祠や地蔵などは気付く人にはそっちのほうから目に飛び込んでくる。東京在住時代は居住していた近辺を歩き回ったものだ。麻布十番、三田、芝、大森、大久保…。我が富山はどうか。悲しいかな戦災で、市街地の99%は壊滅した。我が家は市街地を離れた田園地帯にあったのだが、それでもグラマンか何か分からないが機銃掃射などもあって全焼。近所の大きな寺も全焼し、過去帳が消滅した。我が家の系譜など辿りようがない。古くからの寺のない町は味気ない。武士や町人の居た一角も見る影もない。それでも、歩くアスファルトの下に…そう数十センチの薄皮の下に何百年の歴史が埋もれているだろうと想像を逞しくしようとするのだが、吾輩の想像力では羽搏く力も弱々しいばかり。…ああ、駄文はもう止めだ。 (03/19 12:24)
← ル・クレジオ著『物質的恍惚』 (豊崎光一 訳 岩波文庫) 「既知と未知の,生成と破壊の,誕生前と死後の円環的合一において成就する裸形の詩(ポエジー).日常性が剥離して,エクリチュールの始原にして終焉の姿が顕現する,ル・クレジオ文学の精髄.(解説=今福龍太)」
ル・クレジオ著『物質的恍惚』 (豊崎光一 訳 岩波文庫)を18日読了した。この文庫版では再読。高校時代だったか、書店で単行本を見掛け、手にし、奇異な表現にひたすら好奇心で買った。当時の(今もだろうが)吾輩には全く付け入るスキのない表現。冒頭の「物資的恍惚」なる導入の一篇で圧倒された。吾輩は小説だろうと思って読んでいた。エッセイだと知ったのは、文庫版を手にした時だったような。
ただ、「物質的恍惚」という表題に訳も分からず魅入られた。この言葉だけで妄想的な雑文を幾つも綴った。ル・クレジオの詩的世界とは全く縁もゆかりもない世界を彷徨ってみたのだ。 (03/19 12:48)
拙稿「ル・クレジオ…物質的恍惚!」「物質的恍惚/物質の復権は叶わないとしても」「真冬の月と物質的恍惚と」「バシュラール…物質的想像力の魔」「バシュラール『空間の詩学』 あるいは物質的想像力の魔」「テラ・アマータ」
参考に、今は無き拙稿「物質的恍惚/物質の復権は叶わないとしても」から一部だけ転記する:
月の光が、胸の奥底をも照らし出す。体一杯に光のシャワーを浴びる。青く透明な光の洪水が地上世界を満たす。決して溺れることはない。光は溢れ返ることなどないのだ、瞳の奥の湖以外では。月の光は、世界の万物の姿形を露わにしたなら、あとは深く静かに時が流れるだけである。光と時との不思議な饗宴。
こんな時、物質的恍惚という言葉を思い出す。この世にあるのは、物質だけであり、そしてそれだけで十分過ぎるほど、豊かなのだという感覚。この世に人がいる。動物もいる。植物も、人間の目には見えない微生物も。その全てが生まれ育ち戦い繁茂し形を変えていく。地上世界には生命が溢れている。それこそ溢れかえっているのだ。
…… ……
自分が消え去った後には、きっと自分などには想像も付かない豊かな世界が生まれるのだろう。いや、もしかしたら既にこの世界があるということそのことの中に可能性の限りが胚胎している、ただ、自分の想像力では追いつけないだけのことなのだ。
そんな瞬間、虚構でもいいから世界の可能性のほんの一端でもいいから我が手で実現させてみたいと思ってしまう。虚構とは物質的恍惚世界に至る一つの道なのだろうと感じるから。音のない音楽、色のない絵画、紙面のない詩文、肉体のないダンス、形のない彫刻、酒のない酒宴、ドラッグに依らない夢、その全てが虚構の世界では可能のはずなのだ。
← ジュジャイジャコのミイラ(スペイン語版)。アルゼンチンのサルタ州ユーヤイヤコの山頂、標高6739mで発見された少女のミイラ。インカ帝国時代に人身御供とされた。 (Wikipediaより)
かねてから気になっていた…何故ミイラと称するのか、漢字表記が何故、「木乃伊」なのか: 「「木乃伊」と書いて「ミイラ」と読ませるのには、どういういわれがあるのでしょうか?」 (03/19 07:46)
ご家庭で飲まれるドリップコーヒーの粕(かす)。 ほとんどの皆様は、可燃ごみとして処理されているのではないでしょうか? 「安心してください。黒部市では、キッチンのシンクから流せますよ!」
流し方は簡単! 配管が詰まらないように、水と一緒に流して下さい。 水を流せば、細かい粒(1~2㎜)なので管の詰まりの心配はありません。
(メリット) ・可燃ごみ減量 → CO2削減に寄与 ・布製フィルター使用の方必見! → フィルターを洗うのが簡単です ・収集運搬コストゼロ ・バイオガス、発電量の増加につながる。
以上、昨夕テレビで特集してた(のを録画して視聴した)。 (03/19 07:51)
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