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2024/08/29

気付いた時は遅かりし

 ← 「富山県内最大級のお祭り 躍動感いっぱいの踊りを披露する「富山のよさこい祭り」をはじめ、「越中おわら節全国大会」や「城址アスレチックパーク」、「おまわりさんの演奏とドリルの祭典」、飲食ブース「星空バザール」など楽しいイベントが盛りだくさんです。」……というか、「とやま」なる仮名を組み合わせた「祭」のデザインが面白い! 昨夜、富山駅構内にてようやく撮影。前々から気になっていた。 (08/29 01:23)

 今日、突如、来客。営業の方が。慌てて玄関や廊下を通っての茶の間をモップで掃除。今月初めて。そうでもないと掃除しない。お陰で少し綺麗になった……かな。 (08/28 17:54)

 自宅では、ノーバート・ウィーナー著の『ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信』 ( 池原止戈夫 /彌永昌吉 /室賀三郎 /戸田巌 訳 岩波文庫)と、「ユリイカ 2024年8月号 特集=ポール・オースター 1947-2024」(青土社)を読了して、代わりに田中基著『【増補新装版】 縄文のメドゥーサ――土器図像と神話文脈』(現代書館)を読み始めた。在野の研究者っぽい。諏訪筋の方。(08/29 13:50) 

 一方、仕事の車中の待機中には、相変わらず『ちくま日本文学012 中島敦』 (ちくま文庫)を楽しんでる。昨夜は仕事がやたらと暇で70頁も読めてしまった。

 前者は数式のところは歯が立たないが、本文はなんとかイメージだけは味わってる ? !  (08/29 13:54)

 

 ← 約十年ほど前、日除け代わりに植えたゴーヤ。かなり生った。一旦実が生り出すと止めどなく次々と生る。我輩は小間切れにし、袋詰めし、冷凍保存してた。貰ってくれる人は少なくて、大量のゴーヤにもううんざり! 拙稿参照:「ゴーヤの花は悲劇の花?(08/28 08:50)

 ゴーヤの夢で目覚めた。いつしか我が町(村)はゴーヤに占領されていたのだ。ゴーヤの実が何れも巨大化してしまい、やがて人間たちを襲うようになっていた。私はそんな町(村)に迷い混んだ(帰省した)。巨大なゴーヤどもは人々を襲い呑み込んでいく。私は車に乗っている。逃げようとするが、ゴーヤ怪獣は、最初は緑色なのだが、人を呑み込んだ奴は、体色が黄色に変色し、車のボディが傷付いてしまうほど硬くなってる。ただ、呑み込んでない奴は体は生のゴーヤほどの柔らかさ。なので車でぶつかれば強引に突破できると気付いた……のだが……

 ゴーヤ作りを止めて久しい。なにゆえ今ごろゴーヤの夢を観た?

 ゴーヤチャンプルーを作って食べるのが楽しみだった。ゴーヤに卵に豆腐に小間切れの豚肉。味付けはポン酢だけ。でも、冷凍室に溢れるほどのゴーヤをもて余す。三年程で日除け代わりでもあったゴーヤ作りは嫌になった。

 当時は、ナスにキュウリにキウイにトマトなどを作っていて、みんな一斉に次々に生るから、持て余してた。売ればよかったか? (08/28 09:03)

 

 ← 「トルコ南東部にある新石器時代のカラハン・テペ遺跡で2023年9月に行われた発掘調査により、「ペニスを握る約1万1000年前の男性の像」が発見されました。」……何してる? オシッコ?  自慢してる? (08/28 08:56)

  デイビッド・モントゴメリー/アン・ビクレー著『土と脂: 微生物が回すフードシステム』(築地書館)…名著「土と内臓―微生物がつくる世界」の書き手の新作だとか。 (08/29 04:24)

 ルイス・キャロル作『スナーク狩り』…宮部みゆき作の「スナーク狩り」は読んだかもしれないが、肝心のルイス・キャロルは既読…かどうか分からない。 (08/29 09:30)

 

 ← スナウラ・テイラー著『荷を引く獣たち――動物の解放と障害者の解放』(今津有梨 [訳] 洛北出版) 拙稿「数年ぶりの入浴に体がびっくり」参照。…この「荷を引く獣たち: 動物の解放と障害者の解放」なる本は凄まじい本だ。不用意には人に勧められない。読み手に覚悟を強く求められるからだ。

 着床前診断が改めて話題になってる:「着床前診断の新ルールで認められた病気は? 日産婦が58件承認 | 毎日新聞

 折々胸を尽く疑問。母は、生まれる我が子が自分のようだと分かっていたら、産む判断を下したろうか、という疑問。母は、我輩と二人きりの時、何度となく泣き咽びながら、我輩に「ごめんね、ごめんね」と繰り返した。我輩は、それだけは母に言って欲しくなかった。その詫びは、我輩(のような子)を産んだことを母自身が悔いていると認めていることになる。そんなことにも気付かないのかと、我が母ながら情けなくなった。ああ、ホントに産む前にこうだと分かってたら産まなかったの? (08/29 04:39)

頂いたコメントに)父母は望んで我輩を産んだのはそうだったでしょう。が、産まれてみたら……こんなはずじゃなかった。母は、義母にも散々責められたとか。世間に顔向けできないって。義父は我輩が産まれて間もなく亡くなりました。我輩のせいなのか、確かめる勇気はなかった。義母も義父のあとを追うように亡くなりました。母は、自分が悪かったと責め立てられましたが、それもこれもこんな子を産んだから。なんだって母は、我輩に詫びる必要を感じたのか、真実は不明です。我輩も分かってなかったし。 (08/29 09:44)

 誤解のないように追記しておきますか、我輩は自分の先天的肉体的異常のことで、母にしろ誰にしろ責めたことは一度もありません。物心付いた頃には人生を諦めきっていて、責めるといった発想は皆無でした。そんな意欲(感情の爆発的)などあるはずもなく、自分の心底の思いをホンの少しでも打ち明けたことはありません。そんな相手にただの一人にも出会ったことはありません。心の全く閉じ籠った人間です。母に自分のことでとやかく等言うはずもなく……。 (08/29 11:26)

 ある意味で母には感謝してます。母からは陽気で楽天的な、やや呑気な気風を受け継いだような気がします。物心付いたかどうかの頃、母に連れられ母の里帰りに。内心、こんなボクを連れて母は平気なのかな、なんて。でも、母に外へ折々でも連れ出してもらったことで、顔を晒して外出し、外で遊べるようになったと思ってます。外へ出る際は、よいしょという思い切りが要りますが、あとは開き直りです。

 実際的に苦労したのは会話です。友達どころか親キョウダイとも会話が成り立たないほどの言語障害(その他もろもろ)。他人に気持ちを開くという発想が浮かばなかったのは、会話がほぼ不能だったこともあったのかな。

 我が人生で自分の想像以上の障害を負ったのは10歳の頃の、先天的異常を直すために受けた手術の後遺症です。このことは昔ブログ日記に書いたので略します。我輩に多少なりとも背負った労苦があるとすれば、手術の後遺症のほうが遥かに甚大で、体に受けたダメージも大きすぎて自分でも分からなかったほど。この点は母は全く気付いていなかったはず(自分でも理解してなかった! 気付いた時は遅かった)。 (08/29 11:48)

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