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2024/06/17

ファンタスマゴリー

 ← 梅の実いっぱい。どうする? (06/16 21:20) (頂いたコメントに)一昔前は、嬉々として梅酒を作っていました。今は甘いものや酒はダメと医者に云われてて、梅の実を空しく眺めてる。悔しいな。 (06/17 01:27) (頂いたコメントに)回覧板! (06/17 09:43)

 今日は我輩も休日。またもハードな庭仕事。剪定ハサミを両手で操作して繁茂してる枝葉を片端からカット。掌が赤く腫れてしまった。頑張ったけど庭仕事はまだまだ先が長い。

 

  ← 18世紀のファンタスマゴリー (画像は、Wikipediaから。)

 マイケル・タウシグ著の『美女と野獣 (叢書人類学の転回)』を読んでて…久々ファンタスマゴリーなる語を目にした。改めて語彙確認: 「幻灯機によって、壁、煙、半透明の幕に画像を映写した。しばしば後ろ側から映写し、幻灯機を動かすことで画像を動かし、複数の幻灯機を使用することで画像の瞬時の切り替えを行った。映写されたのは、骸骨、悪霊、亡霊などの画像で、降霊術に深く関わるものであった。」

「ファンタスマゴリー(フランス語: Fantasmagorie、英語: Phantasmagoria, Fantasmagoria)は、18世紀末にフランスで発明された、幻灯機を用いた幽霊ショーである。ベルギーのリエージュ出身の物理学者のエティエンヌ=ガスパール・ロベール、通称エティエンヌ・ロベルトソン(1763年 - 1837年)がパリで行った興行によって有名となり、ヨーロッパ、とくにイギリスで、19世紀を通して流行した。」(転記は、Wikipediaから。)

 

 ← マイケル・タウシグ著『美女と野獣 (叢書人類学の転回)』(上村 淳志/田口 陽子/浜田 明範【訳】 水声社)  「サトウキビ・プランテーションの広がるコロンビアを舞台に、美容整形に身をゆだねる女たちと暴力に手を染める男たちが織りなす、“自然の支配”のおとぎ話。」 (画像は、「美女と野獣 / タウシグ,マイケル【著】〈Taussig,Michael〉/上村 淳志/田口 陽子/浜田 明範【訳】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア」より)

 マイケル・タウシグ著の『美女と野獣 (叢書人類学の転回)』(上村 淳志/田口 陽子/浜田 明範【訳】 水声社)を16日(日)に読了。 「サトウキビ・プランテーションの広がるコロンビアを舞台に、美容整形に身をゆだねる女たちと暴力に手を染める男たちが織りなす、“自然の支配”のおとぎ話」というもの。

著者は、「オーストラリアのシドニーに生まれる。シドニー大学で医学を学び、ロンドン大学で人類学の博士号を取得。コロンビアやベネズエラのアマゾン地域を専門とする文化人類学者。現在、コロンビア大学教授」という方。

  ”おとぎ話”の舞台のコロンビアというと、『百年の孤独』のガブリエル・ガルシア=マルケス。他にアドルノ、ベンヤミン、ニーチェ、『ニューロマンサー』のウィリアム・ギブスン、マルクスやエンゲルス、バタイユ、ボードレール、カイヨワ、マリノフスキー、フレーザー、フロイトなど錚々たる面々が引用援用され、かなりレトリカルな論調が綴られている。すんなり理解はできない(吾輩は特に!)。

 パブロ・エスコバルやらメデジン・カルテルなどが<活躍>した麻薬戦争の舞台コロンビア。あまりに悲惨苛烈な戦争の舞台。化粧…整形…行きつく先の宇宙整形! 女性は苛烈な整形志向。脂肪吸引。ボトムアップなのか過激なバストアップ。男性は暴力に突っ走る。背後に欧米の影がちらつく。”おとぎ話”の舞台のコロンビアとして描く手法を選んだのだろうか。

 安易に好奇心で本書に手を出すと読んで読解の及ばなかった吾輩のように後悔するかもしれない。お勧めはしない。 (06/17 03:12)

 

 ← 庭じゃなく畑の一角に謎の樹木が大きく育ってる。誰かが植えた? 勝手に生えた? 伸びた枝葉を伐採してたら、花(?)が。 (06/16 21:24)

 マイケル・タウシグ著の『美女と野獣 (叢書人類学の転回)』を読んでて…整形……脂肪吸引……さて吸い出された脂肪は? 捨てる? ES細胞が含まれてる…その活用が。一方、本書では、ホンジュラスの貧しい人々が脂肪などは、フェイスクリームを作るために使われるとか、高級石鹸を作るとか、脂肪から作られるグリセリンは純度が高いので、硝酸を加えればダイナマイトを作れるとか、ヤバイ (06/16 16:29)

 本書で頻出する「宇宙整形」とは何だ? 造語? 巷では(一部では)流行っているらしい。分からん! (06/16 14:19)

 

 ← 16日(日)に撮影。裏庭のガクアジサイ。 (06/17 03:07)

 ふとコムラサキという名が聞こえた。耳にじゃなく頭の中にでもなく遥か彼方に消え去ったはずの記憶の海…その底からやんわり浮かび上がってきたような。遠い昔に観た遊女の悲劇が蘇ってきたのだろうか。しどけない赤紫の襦袢姿の彼女の末期の眼。あ、それとも庭先に一瞬垣間見たチョウが今頃になって私を忘れないでと訴えている? 胸の中の靄が蜷局を巻いてやがて真の姿を露にしてくるのかも知れない。その時をずっとずっと待っていた、そんな気がしてきた。そうだ、そうに違いない。コムラサキを気取った額紫陽花の織り成す幻想に決まってる。

 切なくて泣きたくてたまらなかった。こみあげる熱い想いの正体が怖くもあった。怯える心。チョウのように儚く揺れてる。とめどない想い。キリがない。手にしたハサミで全てを断ち切ってしまった。剪定の時は終わったのだ。 (ガクアジサイの色合いからふと小紫を連想。頼みのWikipediaで語義を調べて、幻想風な小文を綴ってみた。 06/17 03:12)

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