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2023/06/19

若き日の父の蔵書三昧?

 ← 斐太猪之介 (著)『炉辺動物記 (1955年)』(装幀/恩地孝四郎 カバー・カット/初山滋 中央公論社 新書版)

 日曜は休日。一昨日、宅配の不在通知がスマホのショートメッセージに入っていた。そろそろ届くかという荷物があるので、郵便局に問い合わせたら、不在で持ち帰りましたの札がないなら、それは悪戯か何かでしょう、だって。あるいはバイクで郵便局へ行こうと思っていたのだが、自重した。

 宛てが外れて暑かったこともあり、庭仕事する気も失せた。自宅で居眠りと読書にいそしんだ。

 12日の庭仕事の最中、生垣の中から飛び出したハチに右腕を刺された。瞬時に腕を払ったが、やはり遅かった。刺された場所は徐々に腫れてきた。痣のように赤味が広まり色濃くなる。やはり、病院へ行くべきだったかと後悔。それも、日曜の朝にはようやく赤味も薄れ腫れも目立たない。ハチに刺されたのは、遠い昔、少年時代にあったかどうか。庭は危険に満ちている。そういえば、ナメクジを今日も台所の流しに発見。

 

  斐太猪之介著の『炉辺動物記 (1955年)』を18日未明に読了。仕事の合間の息抜きに。本書も父の蔵書から。父はこんな本も読むんだとちょっと感心。

  斐太猪之介 (ヒダ イノスケ 1911-1979)は、本名井之丸 喜久蔵。岐阜県斐太の生まれ故のペンネームなのか。「中央大学法科卒  経歴朝日新聞社に入社し、そのかたわら小説を書きニホンオオカミ追跡譚「オオカミ追跡十八年」を昭和45年に刊行。その他の作品に「山がたり」全3巻などがある。」(出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)より。本書末尾には、朝日新聞大阪本社特信部勤務とある。)

 斐太猪之介は、日本には未だオオカミが生き延びていると主張し続けた人物として、その筋には有名なようだ。本書あとがきによると、「学者の中で、日本中の深山を渡り歩いて調べた結果、いないと断定している人はいない。文献を読んでみると、単に、明治時代にイギリスの探検隊が、奈良県の奥で、猟師から買い取った後、オオカミを仕止めたという報告がないからといっているに過ぎない」とある。

「しかし、私は一昨年、奥吉野へ入って以来、多分、数は少ないが現存していると思っている。四年前から、声を聞いた者、糞をみた者、雪の上の足跡をみた者などが、今年の冬まで続いているからである。」

「オオカミの減ったのは、森林の乱伐と、主食の減少が主なる理由だと思う。従って、人煙まれな広大な密林を持ち、現在(中略)日本の代表的野獣が、相当繁殖している奈良・和歌山・三重の三県にまたがる山岳地帯には、日本オオカミが残っていると考える。」

「私の動物記は、こうした、俗にいうアマノジャク的な研究態度の中から、各地の山小屋や水辺で掘り出されたものである。」

 まあ、装幀/恩地孝四郎 カバー・カット/初山滋といった豪華さはさておいても、文章が活き活きしていて、イノシシらの賢さなど臨場感たっぷり、感動的ですらある。掘り出しもの。正直、復刊を大いに望むものだ。

 ← 奥野信太郎 著『亭主の月給袋』(新潮社 新書版 随筆)   「浮世さまざま,亭主の月給袋,きりぬき帖」

 奥野信太郎 著の『亭主の月給袋』を16日(金)に読了。仕事の合間の息抜きに。父の蔵書だろう。昭和30年前後に購入した本が何冊も残っている。当時の本だけが複数残っているのは偶然? 敢えて遺した?

 浅学無知な吾輩は、奥野信太郎なる人物をまるで知らない。

「奥野 信太郎(1899年〈明治32年〉11月11日 - 1968年〈昭和43年〉1月15日)は、日本の中国文学者、随筆家。与謝野晶子門下の歌人。子爵橋本綱常の孫。」…これだけでは何とも。

「13歳の頃浅草の叔母の家に預けられて芝居に熱中、永井荷風に心酔する。父の命で陸軍士官学校を受けたがわざと失敗、浅草オペラに耽溺する。続いて一高も受験するが失敗し、荷風を慕って慶應義塾に入るが、荷風は既に退職していた」…少し人物像が浮かんでくる。

 中国「研究のかたわら数多くの軽妙な随筆を記した。テレビ出演も多く軽妙洒脱な話術で人気があった」(以上、情報は「奥野信太郎 - Wikipedia」より)とか。

 より詳しくは、「奥野信太郎君を偲ぶ会|写真に見る戦後の義塾|三田評論ONLINE」(2017/01/01 )がよさそう。

 必ずしも随筆を楽しめたとは言えない。さすがに折々の中国の古典絡みの話は傾聴したくらいか。

 

 折々だが、夏目漱石の「三四郎」……その三四郎という名前が気になってしまう。三郎や四郎なら有りがちだが、三四郎って(我輩の狭い常識では)変。何なんだ、三四郎って。でも、無精の吾輩、敢えて突っ込んで調べようとはしなかった。

 ふと、遠い昔、映画やテレビドラマになった富田常雄のこの「姿三四郎」を思い出した!  ここに何かヒントが?

 富田常雄の「姿三四郎」と、夏目漱石の「三四郎」に、漱石の「坊っちゃん」を絡めたら興味深い三題噺が出来そうじゃないか!

  が、そんな程度のことは既に論じ尽くされている? 「富田常雄の「姿三四郎」と、夏目漱石の「坊っちゃん」 | 武術とレトロゲーム

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