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2023/05/04

目の覚めるような緑なれど

 ← 画像は内庭のモミジ。青葉若葉がいよいよ青葉繁れるに。この緑も吾輩を目覚めさせてくれない! (05/04 05:28)

 昨日は快晴微風の休日。お出掛け日和。が、自宅で燻ってた。外出(?)はスーパーへの買い物だけ。超ミニだが、洗車仕立てのバイクで往復したのがせめてもの慰めか。

 仕事が夜勤っぽいので、帰宅し寝入るのが朝……夜も白々明けてくる。

 昼前後には一旦は目覚めるのだが、尿意のせい。洗濯物を取り込み預かっている知人の車を徹底洗車(ついでに我がスクーターも)。その後 寝直す。午後遅めに目覚めるも体は……頭も完全には起きてない。ブログ日記を執筆後、夕食やらシャワー、若干の読書中に寝落ち(安藤昌益だから猶更眠気を誘う?)。目覚めたのは丑三つ時。やっとホンとに起きた……読書も進む。中途半端な夜勤はバイオリズムを破壊する…してる! (05/04 05:27)

 

 ← 高橋義孝 著『合切袋 : 随筆』 (尾崎士郎:序 ミリオン・ブックス 大日本雄弁会講談社) 昭和30年刊。

 高橋義孝 著の『合切袋 : 随筆』を1日読了。車中で細々読んできた。本書も昭和30年の本。

 著者はかのドイツ文学者の高橋 義孝。つい先日 読了の渡辺一夫の随筆集とはうってかわって、謹厳実直な性格が如実に滲み出てる。世の万般への悲憤慷慨。が、随所に巧まざるユーモアが感じられる飽きない。ただ、半世紀以上前という時代のせいか、男はかくある、女はかくあるべしの価値観が古く、特に女性は眉をひそめるかも。

 さらに、「第二次世界大戦中はナチスの紹介をした。戦後もマルクス主義の文学理論を批判した」ことは今更ながら知ったこと。

高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年 - 1995年)は、日本のドイツ文学者・評論家・随筆家。九州大学教授、名古屋大学教授などを歴任。」個人的には、若い頃マン、カフカ、フロイト、ゲーテ、ローベルト・ムジール『特性のない男』、シュトルム『みずうみ』などドイツ文学作品の翻訳書で世話になった。 (05/02 20:16)

 読メにお世話になっているのだが、本書の表紙画像はアマゾンも含めないようだ。画像を登録したいがやり方が分からない。手元の本を撮影した。透明なビニールというかセロファンでカバーしてある。 (05/04 04:36)

 裏表紙にはタツノオトシゴ…これも魚拓なのか?

 魚拓が表紙の装画! 魚拓家の清水游谷氏の手になる。ついでながら、序はあの尾崎士郎である。更についでながら附記すると、表紙装画に似た魚拓……なのか絵が手元に。 (05/04 04:45)

 

日本の街道〈4〉山なみ遙か歴史の道』 (1981年)を積ん読本として登録。というか、父の蔵書。まだ凡そ40年前の本だから古書というのも憚られる。父の(今も残っている)蔵書には、豪華本が十数冊も。父の代は裕福だったのか。鉄道、盆栽、書、城郭、篆書などなど。 (05/04 05:12)

 

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