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2023/05/17

カフカならここから物語は始まる

 ← ジョゼ・サラマーゴ 著『白の闇』(雨沢 泰 訳 河出文庫) 「突然の失明が巻き起こす未曾有の事態。「ミルク色の海」が感染し、善意と悪意の狭間で人間の価値が試される。ノーベル賞作家が「真に恐ろしい暴力的な状況」に挑み、世界を震撼させた傑作。」

 昨日のハードな庭仕事。疲れ切って、夜は本を片手に寝落ち。折々目覚めるものの、本を手にすると居眠りに。朝の八時頃、ようやく起き上がれた。

 夜半からは、ジョゼ・サラマーゴ 作の『白の闇』に代わって永井 荷風著の『日和下駄 一名 東京散策記』を今夜(16日夜半)から読み出した。父の蔵書。だけど、全く読んだ形跡なし。栞紐(しおりひも)の具合で判明。代わって息子たる吾輩が読むのだ。

 ジョゼ・サラマーゴ 作の『白の闇』を16日(火)に読了。敢えてというわけではないが、一週間を費やした。叙述自体は手慣れたもので読みやすいのだが、内容的にかなり尾籠な記述があって、日に数十頁もしんどかったのである。

 内容は、「突然の失明が巻き起こす未曾有の事態。「ミルク色の海」が感染し、善意と悪意の狭間で人間の価値が試される」というもので、この世の全ての人々(少なくとも登場人物らの国の人々全てらしい)が同時に失明したらどうなるか、食事もトイレも環境も人間性もどうなるか、想像の限りではなかろう。

 ここは何処だ? 食べ物は何処にある? 隣に居るのは誰だ? 知り合いか悪意ある人物か。昼なのか夜なのか? 親兄弟姉妹友達親類は何処だ? トイレはどうする(ほんの数日で只の糞壺となる。野糞当たり前に)? 風呂など論外。服装もあっという間にボロ屑どころか汗と垢と糞塗れ。女性は血塗れになる? 行き倒れになり、あるいは感染者らを監視する兵士に殺され、死体が随所に放置され、野獣とかした犬などの動物に食い散らかされる。惨憺たる光景も失明した人たちには見えない。だからこそ、唯一の健常者が必要ってことか。

 設定自体不合理なのだが、作品の都合上か女性一人だけ失明の憂き目を逃れて、偶々知り合った仲間の導き手となる。その女性の亭主は医者なのだから、何故全ての人が次々に感染し失明する中、彼女だけ視力を失わないのか(動物たちは何故失明しないのか)と、科学的医学的探究を普通だったら試みるはずだが、そんな追及は一切なし。野暮というものか。

 カフカ的不条理の世界。人間性剥奪の惨状という危機の中、人々はどう生き延びていくのか、希望はあるのかという問いに至るはず。一体作者はどんな光明を示すのかと期待するのだが、残りの頁数が僅かになっても全く描かれない。

 あれ、おかしいぞと思っていると、ある日突如、最初に失明した人から見えるようになる。で、話しは終わる。

 本当の名作になるには、肝心の土壇場が描かれてない気がする。

 本作の最後で、ただ一人失明しなかった医者の妻が、いよいよ今度は私の番だわと呟く。本物の物語はこれから、なのではと思わせる結末だった。カフカならここから物語は始まるのだろう。

 

 ← 安藤昌益著『自然真営道』(野口武彦編訳・解説 管啓次郎:解説講談社学術文庫) 「階級社会批判・エコロジー思想の先駆と称される、江戸時代の比類なき思想家による諫言の書。」

 

 安藤昌益著の『自然真営道』(野口武彦編訳・解説)を13日に読了…通読…した…。

「階級社会批判・エコロジー思想の先駆と称される、江戸時代の比類なき思想家による諫言の書」というもので、若いころに読んでおきたかったが読み残した数多くの江戸時代の思想家の書の一冊。

 内容紹介によると、「江戸中期、封建社会の低層たる農民の生活を根拠としながら、独特の時代批判をものした安藤昌益。万物の根本原理を説く「大序」、孔子ら聖人の作為を暴く「私法儒書巻」、記紀の誤りを糺す「私法神書巻」、階級社会を批判し、理想社会への道標を示す「法世物語巻」「真道哲論巻」――主著のエッセンスを通して明らかになる、「土の思想家」昌益の核心。」

 本書については随時、理解が及ばないという愚痴を含め呟いてきた。けた違いの人物。

 昌益は「直耕」という文言を重視し多用する。文字通りには、土を耕すで、ひいては世界との直の交わりを思想の根本としている。農作業を中心とした日本の社会ならではの思想かもしれない。

「安藤 昌益(あんどう しょうえき、1703年 - 1762年))は、江戸時代中期(元禄)の医師・思想家・哲学家・革命家。秋田藩出身。(中略)思想的には無神論やアナキズムの要素を持ち、農業を中心とした無階級社会を理想とした。死後、近代の日本において、社会主義・共産主義にも通じる思想を持った人物として評価を受けた。」(Wikipedia参照)

 本書は、野口武彦氏の編訳・解説になる。膨大な著作であり同氏の編訳でも吾輩は青色吐息だった。吾輩が云うのも僭越なのだが、同氏の解説が非常にバランスが取れ参考になった。邪道だろうが、解説だけでも読むに値すると思う。

 昌益の記述に突っ込みどころは多々あるものの、そうした瑕疵を吹き飛ばす迫力の書だ。学生時代には中央公論社の日本の名著シリーズの一冊として刊行されていた…が、世界の名著シリーズを追うのがやっとで、日本までは手が(頭が)回らなかった。

 

 

 ← 箪笥をガサコソしてたら古いお札……と思ったら「戦時貯蓄債券」だった。10枚ほど。当時は結構な拠出だった。敗戦で紙屑に。空襲で我が家は我が富山市の市街地共々全焼潰滅。全てを失ったのだ。 (05/16 18:49)

 空襲で燃え盛る我が家から必死になって持ち出したのだろう。国は国民に背負わせた国の債権は知らん顔。国家という無責任。

(頂いたコメントに)恐らくこうした債券は膨大な数が売られたのでしょう。明治維新当時にも藩札が際限なく発行され、やがて紙屑に。思うに現下の政権が止めどなく赤字国債を出すのも、いずれかの時点で国家が破綻し、千数百兆円の借金もチャラにできる……乃至は国民の金融資産で相殺できると見込んでいると思われます。だからこそ与党は平気で国債に頼れるわけです。

 昭和……切手ブーム。父はせっせと切手収集。かなりの収集家。でもブームは去って、今じゃ月に狩も見返り美人も額面ほどの値打ち。どれほどの資産が露と消えたやら。

 

 夜八時過ぎ、なんとかブログ日記を更新。スーパーへは行けなかったので近所のコンビニへ。が、あの意地悪な女子店員がまだ居た。昼間だけじゃないのか。我輩には接客しない奴。顔で? 店には入らず帰った。冷凍庫の鯛焼きとザー菜とバナナ2本で夕食。

 

 ← 永井 荷風著『日和下駄 一名 東京散策記』 手元の父の蔵書の画像。 (05/17 00:32)

 永井 荷風著の『日和下駄 一名 東京散策記』を今夜(16日夜半)から読み出す。但し読むのは昭和32年刊。父の蔵書。箱入りの当時としては豪華本か。

 原書は大正三年から一年あまり三田文学に連載したものを(大正四年)一巻本にしたもの(当初は岩波文庫か)。原書は大正三年から一年あまり三田文学に連載したものを(大正四年)一巻本にしたもの。

 手元にある箱入りの本は、昭和32年の刊行に際し、昭和31年から32年に東京各所で撮った光景を背景の著者近影25枚が加えられたもの。

 永井荷風の作品は戦時日記も含め文庫入りしたものは一度ならず読んできた。この「日和下駄」は恐らく初めて。

 永井は高身長。その彼が日和下駄を履き蝙蝠傘を持って歩く。目立つ! 彼は東京の空模様は変わりやすく信用がならない、だから傘は手放せないと。男心に秋の空、それとも国の施策とも。 (05/17 00:42)

 内容紹介によると、「「一名 東京散策記」の通り「江戸切図」を持った永井荷風が、思いのまま東京の裏町を歩き、横道に入り市中を散策する。」として、以下が続く:
「「第一 日和下駄」「第二 淫祠」「第三 樹」「第四 地図」「第五 寺」「第六 水 附 渡船」「第七 路地」「第八 閑地」「第九 崖」「第十 坂」「第十一 夕陽 附 富士眺望」の十一の章立てに、周囲を見る荷風の独特の視座が感じられる。消えゆく東京の町を記し、江戸の往時を偲ぶ荷風随筆の名作。」 (05/17 09:42)

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