沈湎する日常
← ジョン・マーティン(英:John Martin, 1789年 - 1854年)作 (「ハーンとドレとマーティンと」(2020/06/21)より)
この世界の中にあって、ひとりの人間がとことん何かの世界、自分の世界を追求し始めたなら、きっと<この世>へは戻れないのだろう。後戻りの利かない泥沼のような世界が、口をぱっくり開けて、そこにも、ここにも、ある。
しかし、理解不能な絵や記号を蜿蜒と描く行為にしろ、常人には窺い知れない動機によるだろう、飽くことのない何かの仕草にしろ、当人たちには、決して止められない営為なのだろう。その営為があるからこそ、他人には狂気の淵に陥ってしまったと思われつつも、しかし、その崖っ淵の何処かで片手で、あるいは指一本で、<この世>に繋がっていると感じているのに、違いない。
あるいは、単に、<そう>すること自体が快感なのか。快楽の営為なのか。絵画…、といっても、現実の画布に向ってなのか、それとも妄想の世界にしかない画面や壁面に我が身を削るようにして描いているのかは、別にして、それは生きることそのものを示す営為なのだ。
世界が抽象化していく。人間が記号化される。切れば血の出る我が身よりも、DNAのデータのほうこそが、リアリティを持つ世界。自分のなかの欲望が、あるいは本能が見えない世界。自分が欲する、だから、そうするのだと思いつつも、その欲動が実は、巨大なマーケットの手によって煽られた、怒涛の波に呑まれたなかでの足掻きに過ぎないのではないか。
自分が心底欲するものは何かが分かる人は幸いなのかもしれない。自分が欲することを行っている、行いえるし、そのことに満足もしている、そう感じている人は幸せなのかもしれない。
抽象化された世界。記号化された世界。生身の身体や揺れてやまない心よりも、バーチャルに映し出され演出された描像のほうが圧倒的な存在感を誇る。私とは、符号化された情報がディスクから読み取られただけの、仮初の夢。たまさかの幻。
日本では、精神の病を極端に恐れるし、根強い偏見を持つ人が多い。部落差別に精神の病への差別。では、どうあることがまともなのだろう。誰だって狂気への通路や落とし穴を抱えているのではないのか。
そうはいっても、ミラーボールのような超高層ビル群の谷間では、どんな声も掻き消されていくのだろうが。
[「三人のジャン…コンクリート壁の擦り傷」(2006/03/15)より]
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