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2023/02/12

「身体はトラウマを記録する」読了

 ← ベッセル・ヴァン・デア・コーク【著】『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』(柴田 裕之【訳】/杉山 登志郎【解説】 紀伊國屋書店) 「世界的第一人者が、トラウマによる脳の改変のメカニズムを解き明かし、薬物療法の限界と、身体志向のさまざまな治療法の効果を紹介。」

 レマルク著の『西部戦線異状なし』 (新潮文庫)を先日の本買い出しの際にようやく入手。

 昨日からようやく本書を読み出す。カーソンマッカラーズの「心は孤独な狩人」はロングセラー作品で存在は知っていた。が、なぜかついつい読みのがしてきた。昨年ようやく読んだ。読んで後悔した。長年 読まずに来たことに! この「西部戦線……」も後悔先に立たずになりそう。 (02/10 14:28)

 ベッセル・ヴァン・デア・コーク著の『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』を16日間を費やして9日(木)に読了した。

「私たちは何よりもまず、患者が現在をしっかりと思う存分生きるのを助けなくてはならない――世界的第一人者が、トラウマによる脳の改変のメカニズムを解き明かし、薬物療法や従来の心理療法の限界と、EMDR、ニューロフィードバック、内的家族システム療法、PBSP療法、ヨーガ、演劇など、身体志向のさまざまな治療法の効果を紹介する(以下略)」といった本。

 第一次世界大戦での戦傷者たちのトラウマ体験の訴え。ベトナム戦争での兵士らの悲惨な体験の心身の傷痕そしてトラウマ。そうでなくても、家庭内での心身の傷痕。

「アメリカの疾病管理予防センターが行った研究によれば、アメリカ人の五人に一人が子供のときに性的虐待を受け、四人に一人が体に痕が残るほど親に殴打され、三組に一組のカップルの間で身体的暴力が発生する」という。「私たちの四人に一人がアルコール依存症の親族のいる家庭で育ち、八人に一人が母親が殴打されるのを目撃している。」

 PTSDの問題は、「依然として、最近帰還した兵士や、テロ攻撃の犠牲者、悲惨な事故の生存者に的を絞る傾向がある。」だが、「トラウマは今なお、それらよりはるかに大きな公衆保健問題で、国民の健全性にとって最大の脅威と云っていい。」

「二〇〇一年以降、親やその他の家族の手にかかって亡くなったアメリカ人の数は、イラクとアフガニスタンでのアメリカ人戦死者の数を大きく上回っている。」「アメリカの女性は、乳癌にかかるよりも家庭内暴力の犠牲者になる可能性のほうが二倍大きい。」「アメリカ小児学会の推定では、ライフル銃やピストルなどの小火器で亡くなる子供は癌で亡くなる子供の二倍いる。」

 家庭内外で心身に刻まれる傷とそのトラウマは、「さらなるトラウマを生み、傷ついた人は他の人も傷つける。」

 本書は、「世界的第一人者が、トラウマによる脳の改変のメカニズムを解き明かし、薬物療法の限界と、身体志向のさまざまな治療法の効果を紹介」する本なのだが、まずは数々のトラウマ体験の証言が生々しく悲惨である。しかも、その対処法は未だに薬物に頼っているのが大半。これは一時的には(飲酒と同じで)傷の疼きを鎮めるようでいて、その実、傷を一層深刻化させるだけだ。

 厳しい現実をこれでもかと示しているが、本書の本題は、上記したように、「トラウマによる脳の改変のメカニズムを解き明かし、薬物療法や従来の心理療法の限界と、EMDR、ニューロフィードバック、内的家族システム療法、PBSP療法、ヨーガ、演劇など、身体志向のさまざまな治療法の効果を紹介する」ことにあり、その数々の治療の現場の事例が示されている。

「トラウマは私たちの脆さや、人間に対する人間の残酷さを絶えず突きつけてくるが、それと同時に、私たちの途方もないレジリエンスも見せつけてくれる。」「私がこれほど長くこの仕事を続けてこられたのは、人間の喜びや創造性、意義、つながりといった、人生を生きる甲斐のあるものにしているいっさいの要素の源を探るように、この仕事に駆り立てられたからだ。」

 本書を推奨するにはあまりに大部だし内容は深刻で重い。それでもちょっとした文学書を何冊も読んだような感動を覚える場面に随所で遭遇した。こんな本(訳書)が数年前に出ていたとは。しかも、今もしっかり読まれている。関心の深さが想像できようというものだ。

 

 昨日は殺人の夢を観た。心ならずも殺害し呆然自失。今日はなんと殺されそうに、という夢。 (02/10 13:44)

 何処かのビルの一角に俺のオフィスがある。俺は仕事に辟易してる。すっかり窓際の人に。居たたまれず一人になりたくてビルの中をウロウロ。が、何処へ行っても誰かしらが通る。他人の目線から逃れられない。

 俺はビルの奥へ奥へ。気が付くと今は使われない狭苦しい階段に迷い込んでた。人の気配などない。埃だらけ。鉄筋が剥き出しだったり、明り取りの小窓も割れてたり。それでも俺は更に安住の場を求め崩れたコンクリート片の隙間を体を捩って息の吐ける何処かへ。ようやく俺は絶対誰にも邪魔されない空間に出た。

 そのはずだった。が、そんな場所に人影が。小柄な男の二人連れ。一瞬 子供たちかと。違う。図体(がたい)こそ小学生だが表情もなんと云っても目付きに隙がない。

 奴等も俺の出現に一瞬は驚いたようだが、俺を与し易しと観たか、本性を剥き出しに。二人して俺に迫ってくる。殺気立っている。俺は懸命に逃げる。体がコンクリート壁面やガラス片に傷付くのも構わず頭を隙間に突っこみ体を捩り、のたうつように逃げる。

 だが奴等は小柄で器用に狭苦しい隙間を縫って、あっという間に追い付いてきてしまった……あるいはこの場に慣れていたのか。

[目覚めてから気付いた……というか書きながら連想したのは、つい数日前起きたトルコやシリアでの地震……その必死の救援活動の光景。瓦礫の中に取り残されてる人々の様子。] (02/10 14:14)

 

 寝室(徐々に書庫にしつつある)にあった残りの箪笥を廊下の向こうの部屋へ移動させた。デッカイ衣裳箪笥。寝室では寝ない。これで寝室は名実ともに書庫になる。 (02/12 18:04)

 廊下の向かい側の部屋は父が定年になるまで父母の寝室だった。今もお袋の衣装ダンス(桐箪笥?)が二竿残っている。そのうちの一つを奥の旧仏間へ移動させた。その跡へ移動させてきた吾輩の箪笥を設置。これで旧父母の寝室は吾輩の箪笥が二つに、衣文懸けなどがあり、いよいよ衣裳部屋に。

 自宅での生活の大半は書斎で。来客や宅配でインターフォンが茶の間で鳴っても音(声)が聴こえない。日曜だし郵便物はないだろうが、念のため郵便ポストを開けてみた。宅配物があったらしく、但し不在者通知だけ。

 宅配ボックスはある。が、荷物が大きくてボックスに入らなかったとか。在宅だったのだが。 (02/12 17:56)

 夕方、荷物受領。その時は食事のため、茶の間に居た。なので、来客のインターフォンの音が聞こえたのだ。 (02/12 19:18)

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