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2023/01/16

知的障害ではなく、精神疾患でもなく

 ← スティーブ・シルバーマン著『自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実』(正高信男/入口 真訳 ブルーバックス) オリバー・サックス序文。 「現代は自閉症が増えている!? 天才や起業家には自閉症的傾向が多い!?20世紀初頭に研究が始まった自閉症。さまざまな誤解と偏見を経て脳科学的に理解されるまでをたどりながら、「自閉症スペクトラム」と呼ばれる人たちの真の姿に迫る。「脳多様性」という新たな視点から捉え直す科学ノンフィクション」

 スティーブ・シルバーマン著の『自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実』を昨夜半読了。「現代は自閉症が増えている!? 天才や起業家には自閉症的傾向が多い!?20世紀初頭に研究が始まった自閉症。さまざまな誤解と偏見を経て脳科学的に理解されるまでをたどりながら、「自閉症スペクトラム」と呼ばれる人たちの真の姿に迫る。「脳多様性」という新たな視点から捉え直す科学ノンフィクション」というもの。

 書店で発掘した本。昨年11月。吾輩には自閉症の気味はないと思うが、気になる本ってことは、皆無じゃないってことか? 600頁以上の大著。読むのにためらいがなかったかというと、嘘になるが、オリバー・サックス序文が背中を押してくれた。

 

 本書を読み出したところ、(読書メーターで)いろいろ警告めいたコメントをいただいた:「ヘンデルとハイドンの区別がつかない

 訳者の正高信男についても:「京大霊長類研の正高信男元教授は懲戒解雇相当 4論文捏造で

 それで、冒頭の20頁ほどで中断し、読むのは放棄してきた。

 それでも、積読本の一角から外すのは躊躇ってきた。年末年始、大著をいろいろ読んでひと段落付いたし、改めて本書を捲ってみた。いろいろ難はあるのだろうが、自閉症を網羅的に歴史的な経緯も含めて今日的な展望を与えてくれる本という意義はあると判断。素人判断だろうが、自分で読んで考えていくしかない。

「20世紀半ばに研究が始まった自閉症。さまざまな誤解と偏見を経て脳科学的に理解されるまでを緻密な取材でたどりながら、自閉症の真の姿に迫る。現在、「自閉症スペクトラム」としてアスペルガー症候群やサヴァン症候群などの発達障害も含む幅広い概念として捉えられるようになったのはなぜか。知的障害ではなく、精神疾患でもなく、感じ方や考え方が異なる人たちである自閉症者を、人類に備わった「脳多様性(ニューロダイバーシティ)」という新たな視点から捉え直す科学ノンフィクション」という出版社の謳い文句に異論はない。

 内容の判断や是非は読んでからでもいいのでは? 少なくとも、「知的障害ではなく、精神疾患でもなく、感じ方や考え方が異なる人たちである自閉症者」という認識は知っておいていいと思う。

 

 年初から小泉 八雲著の『日本―一つの試論』(恒文社)、チャールズ・C.マン著 『魔術師と予言者 2050年の世界像をめぐる科学者たちの闘い』(布施 由紀子 訳 紀伊國屋書店)、レベッカ・ウラッグ・サイクス 著『ネアンデルタール』(野中 香方子 翻訳 筑摩書房)と読んできて、その最後に本書スティーブ・シルバーマン著『自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実』である(今も日本共産党についての大著を読んでいる)。

 ちょっと肩の荷が下りた気がする。

 

 漱石全集。90年代の岩波のものは全巻揃えほとんどを読んだ。が、貧乏して売り払った。古本の角川版はコロナ禍にあって全巻読んだ。さて、既刊となった今の岩波の漱石全集。大人買いする? 現行の全集は、古本にはなってないね。 (01/15 18:42)

 別に研究者じゃないし、マニアでもないから、90年代の全集で構わないし。

 

日本政府、福島第一「処理水」を年内に海洋放出へ トリチウム残る - BBCニュース」なるニュースが先週末に。

 が、つい先日「トリチウム:アルミで除去 近畿大など新技術 | 毎日新聞」なる情報に接した。東電(国)は、処理水放出ありき。 (01/15 21:10)

 

 ジュール・ヴェルヌ作『月世界へ行く (新装版) 』(創元SF文庫)を読みだした。

 遠い昔 我輩がまだガキだった頃 読んだことがある。本書は新版。旧版も同じ江口清訳。なんと挿絵も旧のまま。折々の挿絵を楽しみに、せっせと読んでたっけ。推理(探偵)小説よりSF派だったなー。

 読み出したんだが、なんだか記憶の物語とは違う。子供向けに編集された本だったかな。 (01/16 11:07)

 

 昨日、ふと焼き蕎麦食べたい発作。午後急遽スーパーへ。生麺、豚肉、ミックス野菜パック(ほとんどモヤシ)等を買った。何故か、大福豆パックも2パック。

 帰宅し一服して気付いた。二口コンロが故障してる。ガス屋 呼ぶ? 嫌だ。面倒だ。……どうする?

 例によって、二口コンロのボタンを押さえっ放しにして調理。指 疲れる。コンロからピーピーという音が。警戒音?

 午前1回目。今夕、2回目。 (01/16 13:58)

「故障ですかね?電池切れとかではなくて?」というコメントを頂いた(01/16 16:04)。

 一旦は、「電池はばっちりです。業者、呼ぶしかないか…。」とレスしたものの、電池にハタと。

 訂正とお詫びと懺悔。電池でした。瞬間湯沸かし器の電池を見てました。ガスコンロにも電池があるなて、生まれて初めて知りました。たった今、コンビニで単一2個 買ってきて交換(どこに電池があるのか発見に数分!)したら快調。

 我輩。疑心暗鬼に。昨年末からガス会社から設備の点検に行きます、という案内を無視してた。それと時期を合わせて(?)ガスコンロの不具合が始まったので、ガス会社の陰謀かと。窮鼠、碌なことを考えないですね。懺悔です。(01/16 18:39)

 ピーピーという警告音は、電池切れのサインだったんだ! (ガスコンロの手前下の説明書きを読むと、最後に電池は一年ごとに交換をと。小さな文字で老眼鏡でなんとか。初めて読んだ。)

 

 昨日のブログ日記の「女性作家の小説は好き。特に若手の初期作品が鮮烈。地方に育つ女性の鬱屈した思いがよく書けてる。輝いて見える男性や、きらびやかに映る都会への憧れ。そこには燻る自分を変えてくれる何かがある。男たちも中央にこそ出世のチャンスがあると背伸びする。早晩高望みする自分に幻滅する。足元にしか地歩はないのだから。でも、背伸びしない若者なんてありえない。……それにしても地方は……」(01/12)への付けたし…というか、「「それにしても地方は・・・」の続きが読みたい」というコメントへのレスの付けたし:

 それが……言葉にならないんです。地元なりに皆さん工夫されてる。富山市……綺麗な街作り。富山らしさが見えてこない。帰郷して15年になろうというのに。無念。

 東京に住していた頃のある時期からワープロやパソコンに向かい、せっせとエッセイや日記や小説を書いた。そのテーマは、生きることの希薄感。都会だからこその田舎人の悩みかと思った…。

 が、帰郷してみると、一層孤独感や孤立感、心の希薄感が強まった。住み暮らす部屋が南向きで、夜になっても月影が皆無。東京時代の部屋は、ベランダ越しに月影が(前の団地がかなり邪魔だったが)なんとか垣間見られた。

 深夜に夜景を見て夢想するなんて、ここでは難しい。外を出歩くと田舎なもので、不審者と間違われそう。都会の孤独も味わえない。

 富山という土地に馴染めていない。高卒以来ずっと富山を離れ、帰郷した際は浦島太郎感濃厚。近所はみんな新築。築70年の我が家は浮いている。それ以上に自分が浮いている。近所の人は馴染みはいなくなっていたし。小中高の友達とも音信不通。同窓会やってる? (01/15 18:34)

 さらに、「やいっちさんの思っていらっしゃる「富山らしさ」は、どんなものなのでしょう」へのレス:

 「富山らしさ」が何か、そもそも自分が何を求めているか分からずにいます。立山連峰の雄姿だけは変わらずにあることがうれしい。遠い昔の町? 町並みへの違和感? 地域に馴染みがいないこと? そのいずれでもないような。 (01/16 10:57)

 

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