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2022/11/20

雨の休日は読書三昧

 ←  ミチオ・カク[著]『神の方程式 「万物の理論」を求めて』(斉藤 隆央[訳] NHK出版) 「ビッグバン、素粒子のふるまい、ブラックホール、ダークマター……。アインシュタイン以来、宇宙のあらゆる事象を記述する究極理論、たったひとつの数式を、科学者たちは探求しつづけてきた。そして現在、多くの一流物理学者が、その答えに近づいていると考えている。(中略)本書では自らの専門分野にたちかえり、究極理論の「筆頭候補」であるひも理論研究の第一人者として、科学者たちの真理をめぐる論争と情熱、そしてその最前線を明快に語る。魅力的な科学者たちの挑戦の物語を読みながら、現代物理学のキーワードを一望できる一冊」

 20日の日曜は曇天。日中は氷雨が折々だったが、夕方からは強い雨に。今夜は仕事でなくてよかったと、仲間らの苦労を横目に勝手な安堵の呟き。お蔭で居眠りと読書三昧に終始(ブログ日記は欠かさず)。

 ミチオ・カク著の『神の方程式』を読了し、代わってアリス・ロバーツ著の『飼いならす――世界を変えた10種の動植物』を今日から。同時に、ガストン・バシュラール著の「空間の詩学」を今日も。80頁も読めた。詩的論理、想像力の論理学。ひたすら愉しむ。

 

 ← 過日も載せた画像。寝室から隣の書斎を撮ったもの。窓外は緑の小道。20日は買い物と食事以外は終日、この空間で過ごした。

 ミチオ・カク著の『神の方程式 「万物の理論」を求めて』を20日朝、読了。過日、書店で物色してて、発見即入手。彼の本なら間違いないし。

 ミチオ・カクの本は、『アインシュタインを超える』(講談社)以来、『サイエンス・インポッシブル』など、これまでも数冊は読んできた。吾輩のように数式に弱い人間にも分かるように(分かった気にさせてくれるように)平明に、それでいて基本は踏まえて語ってくれる。本書もその典型のような本。

 本書を読み出した頃、「「ひもの場の理論」の創始者の一人であり、今もひも理論こそが万物の理論の最有力候補と信じて疑わない人物。ひも理論は実験での検証が叶わず、今もって万物の理論の有力な(?)理論にとどまってる。というか、一部では下火だとも。しか~し、ここにミチオ・カクあり。期待していいのか?」と呟いている。

 出版社の内容案内によると:「ビッグバン、素粒子のふるまい、ブラックホール、ダークマター……。アインシュタイン以来、宇宙のあらゆる事象を記述する究極理論、たったひとつの数式を、科学者たちは探求しつづけてきた。そして現在、多くの一流物理学者が、その答えに近づいていると考えている。(中略)本書では自らの専門分野にたちかえり、究極理論の「筆頭候補」であるひも理論研究の第一人者として、科学者たちの真理をめぐる論争と情熱、そしてその最前線を明快に語る。魅力的な科学者たちの挑戦の物語を読みながら、現代物理学のキーワードを一望できる一冊」…看板に偽りなしの内容だった。

 本書の特徴は、ひも理論の枢要性の主張もだが、最終章にこそある。訳者のあとがきに明解である:「宇宙の意味の考察という哲学的な領域に踏み込む。そうした議論ではえてして避けて通れない話として、神の概念もからんでくる。といっても、人々が祈りを捧げる「人格神」ではなく、宇宙に秩序をもたらすものとしてアインシュタインが信じた「スピノザの神」だ。そこからの「神の存在証明」の議論を通じて、ついには「物理法則はどこから生まれたのか」という疑問にまで行き着くと、思考する対象のスケールの大きさに呆然としてしまうかもしれない。またこの宇宙に始まりがあるというのはキリスト教の創世神話の考えと一致するが、宇宙から新しい宇宙が生まれる連鎖が続くマルチバース(多宇宙)理論は仏教の涅槃の考えに近いという話を聞くと、宗教と科学の垣根まで取り払われるような気にさせられるだろう。」…平明な説明と云いつつ、内容はなかなか一筋縄ではいかないヘビーなものなのである。

 著者は:「ニューヨーク市立大学理論物理学教授。ハーヴァード大学卒業後、カリフォルニア大学バークリー校で博士号取得。「ひもの場の理論」の創始者の一人。(中略)『フューチャー・オブ・マインド(The Future of the Mind)』 は『ニューヨーク・タイムズ』ベストセラー1 位に輝く。BBC やディスカバリー・チャンネルなど数々のテレビ科学番組に出演するほか、全米ラジオ科学番組の司会者も務める。最新の科学を一般読者や視聴者にわかりやすく情熱的に伝える著者の力量は高く評価されている。」

 翻訳家の斉藤 隆央もニック・レーン『生命、エネルギー、進化』などで吾輩にも馴染みの方。

 本書を契機にひも理論、万物の理論、究極の理論の探究というブラックホールに嵌ってみる?

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