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2022/11/07

神野藤昭夫著『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』読了

 ← 神野藤昭夫 著『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』(花鳥社) 「『新訳源氏物語』と『新新訳源氏物語』——晶子の生涯を貫いた「源氏」に賭ける情熱の軌跡! 翻訳はどのようにして完成したのか。 新資料の数々をもとに訳業の具体像を明らかにする」

 買い物へ行ってから庭仕事するかと考えたが、時間が遅い。秋の暮れるのは早い。三時過ぎから畑の剪定や車道の生垣の剪定などに汗を流した。五時を回ると真っ暗。そんな中、せっせと。寒い一日だったが、汗だく。

 吾輩はと云うと、午後の三時ごろ、ようやく起き上がる元気が出た。昨夜はそろそろ帰庫かという頃に高岡への仕事。だから疲れが出たのだろう。普段なら、大概は夜中の一時過ぎには仕事もなくなり、一時半からは車庫で読書しつつ待機して過ごしているのだ。

 今日六日は日曜。で、偶々吾輩の休日でもある。富山県のマラソン大会がある。晴天でよかった。もう少し若かったら出場したかった。 (11/07 01:02)

 神野藤昭夫 著の『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』(花鳥社)を5日(土)読了。八日間を費やした。〈近代初の現代語訳〉誕生の裏側を探求するもの。「『新訳源氏物語』と『新新訳源氏物語』——晶子の生涯を貫いた「源氏」に賭ける情熱の軌跡! 翻訳はどのようにして完成したのか。 新資料の数々をもとに訳業の具体像を明らかにする」

 本書については、著者の言葉に聞くに如くはない:「……晶子の教養の中核となったものはなにか。それは、幼いころからつちかわれた古典力である。それは、たんなる知識の集積ではなく、古典世界の経験をみずからを支える今日的見識へと汲み上げ、変換する力であって、それこそが、与謝野晶子を大〈文〉学者へと育てる活動の源になったといえよう。晶子の生涯にわたる古典翻訳、なかでも『源氏物語』の訳業は、その象徴的顕現である。本書は、それが、どのようなもので、どのようにしてなしとげられたか、これを明らかにしようとするものである。」——「はじめに」より。

 没後80年記念出版と銘打っている。与謝野晶子 1878年 - 1942年。なるほど!

 思えば、紫式部『源氏物語』は半世紀に渡って吾輩のコンプレックスの的だった。世界文学の長大な作品は少しは読んできたが、肝心要と云うか日本の一番の古典を読み過ごしてきてしまったことの悔いの念は深く強い。

 幾度か挑戦しようとしたが挫折し、ある時は英訳本で…とトライしたがそれも呆気なく頓挫。

 が、2008年晩冬、帰郷。奥の書架に「世界文学全集 源氏物語 上巻・下巻」があった。立派な…存在感ある書。

 父の蔵書ではなさそう。嫁いでいった姉の残した本か。書架の数々の本の中でもひと際、我輩に読めよと迫ってくる。

 数年前、ついに挑戦。訳も分からずに…晶子が分かりやすくと訳してくれているし、人物紹介もあるにも関わらず、とにかく意地で何とか読み通した。

 源氏物語の現代語訳の歴史は明治以降に限っても百年以上ある。その中での与謝野晶子の偉業の位置付けは何処にあるか、読んだ当時は全く分かっていなかった。本書を読んで初めて。なんと、近代初の現代語訳なのだ。

 晶子は少女時代から源氏物語に親しんできたとか。家にあったから、その原文に一切の注釈を頼ることなく真っ向からいどんできたとか。何度も何度も読んで自家薬籠中の物にしたとか。そんな晶子の経験から来た自負があっての生涯を賭けての訳業なのである。

 晶子に次ぐ谷崎潤一郎は、国文学者の知見を入れ、十分に訳文を練っての訳業で、彰子より随分と売れた。そう、晶子は生活に困窮したこともあったし、学者の研究成果を採り入れるとか参考にするとかはしなかった。訳文を練る暇もなかった。

 ただ、挫折に追い込まれる中、鉄幹のパリ行きに矢も楯もたまらず追いかけてパリへ行き、ロダンに遭ったことがことが彼女の訳業に改めて火を点けたというエピソードは面白かった。

 晶子の源氏物語翻訳の歴史を辿ることで、晶子の文業の歴史をなぞるようで、本書は面白かった。学者の訓詁注釈の営為の一端を垣間見たようでもあった。これだけやっても、まだ見えない部分が残る…。学者も凄いものだ。

 本書を読んでから、「世界文学全集 源氏物語 上巻・下巻」を読めば、(ウエイリー版を読んだ経験もあるし…ちなみに本書によると、ウエイリー訳は晶子も早速読んでいて、こんなんじゃあかんと発奮したとか)さぞかし、味わえただろうと、ちょっと悔しい気がした。

 著者の神野藤 昭夫 (カンノトウ アキオ)について:

「1943年、東京都文京区生まれ。 都立小石川高等学校。 早稲田大学第一文学部。 早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。 跡見学園女子大学名誉教授 北京日本学研究センター、国文学研究資料館、放送大学の客員教授、早稲田大学、お茶の水女子大学、京都大学・聖心女子大学・駒澤大学・青山学院大学・日本大学・山東大学(中国)の各兼任講師を歴任。またNHKラジオ第二放送(古典講読)、NHK教育テレビ(古典への講師)などの講師をつとめた。」

 折角なので目次を示しておく:

はじめに

序章 晶子の『源氏物語』翻訳をめぐる旅の始まり

第1章 幻の『源氏物語講義』の復原

第2章 晶子の〈源氏力〉をつちかったもの

第3章 読者の心を鷲摑みにした『新訳源氏物語』とパリ体験

第4章 畢生の訳業『新新訳源氏物語』はどのように生まれ流布したか

終章 旅の終わりに

年表/図版一覧/本書関連著作一覧/索引

 

 日曜。晴れ。自分も休みの日。夕刻までの庭や畑仕事で疲れ果て、それでも夜の八時過ぎ、ようやくブログ日記を書き上げた。食事は午前十時前に食べた切り。さすがに腹が減ってつらい。が、今日は買い物をしてない。

 仕事柄…勤務時間帯が世間とずれていて、夕方から未明まで。休日だが、午後になってようやく世間でいう朝方ということになる。

 仕方なく近所のコンビニへ。コンビニは割高なので基本的に敬遠している。が、非常時には助かる。実は、インスタントのラーメンで適当に済まそうとも思ったのだが、不意にトーストと牛乳の食事をしたいという欲求が沸き上がったのだ。

 恐らくはテレビのCMか、ドラマの一場面に刺激されたようだ。発作のようなものか。なので、コンビニへは食パンとハムとバターかマーガリンを買いに行ったのである。ちょっと食べ過ぎた。半年はトーストとは縁きり…敬遠気味になるだろう。

 先週からブログへのアクセス数が、普段の数倍。何があった? 一日だけじゃない、連続的な傾向。ブログは(ニフティでは)三つ運営している。三つでのアクセス数の合計が年内に400万回となるかどうか、先月までは微妙だったが、この傾向が続けばクリアーは十分可能だ。 (11/07 01:14)

2022年10月の読書メーター

キャッチ・アンド・リリースは偽善: 壺中山紫庵

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