カリンの実は芳香剤にも
有名すぎて既読感 大。でも初読。コリアン先生! (10/28 20:19)
昨日は仕事が暇で本書などを百頁余り読めてしまった。富山の市街地にはハロウィンの雰囲気ゼロに近かった。田舎は淋しいね。(10/31 12:15)
踏み絵(絵踏み)が鍵の作品。踏み絵……ある種の偶像。踏めないのは偶像崇拝の心理? どうやらカトリック系の信者は踏めないようだ。カトリック教会の厳かな佇まいからもキリストを連想させるものは疎かにできない。日本など海外への布教活動に力を入れたのもプロテスタント系との勢力争いに推されてか。絵踏みは信者を暴くのに効果覿面だったか。 (10/31 12:48)
我輩は踏み絵を踏めないのは、日本人の八百万の神々を尊ぶ偶像崇拝の心性のゆえもあるのではと臆測したこともある。全くの見当違いとも思われないが。
でもキリスト教……少なくともカトリック系がキリスト像をないがしろにしないとしたら、それはカトリック本山の意向あってのことだとして、一方どこかしら民衆の素朴な心性への洞察を踏まえてのことのようにも思える。
さて江戸時代初期にかけて 日本に布教してきたのはポルトガル人……イエズス会系、つまり旧教側。日本の信者も(偶像崇拝の気味があったにしろなかったにしろ)踏み絵は踏めなかったろう。やがてポルトガル人に代わってオランダ人が日本進出。布教は控えめだった?
江戸時代の日本にプロテスタント系の布教がされたとして禁教に至ったか。禁教の際、一切のキリスト教の布教も信仰も禁じられた。仮に江戸時代にプロテスタント系の信者が居たとして、絵踏みは躊躇なく行えたのだろうか? (10/31 12:50)
朝日新聞購読 止めるか……。近年の軟弱ぶりには呆れる。躊躇うのは、新聞を配達してくれる方に悪くて。仕事からの帰宅時間と、朝刊配達の時間と重なる。困ったなー。
テレ朝も堕ちた。右派に惨敗。
テレビ朝日 放送番組審議会委員発表 委員長に幻冬舎社長の見城徹氏。報道機関としてのマインドは風前之灯か。 …消えたか。(10/31 23:59)
← 秋晴れ……天晴れ! 泰山木も棕櫚もいつ観ても堂々威風。 (10/28 13:16)
東京・明治神宮外苑地区の再開発計画で、都環境影響評価審議会の部会は16日、事業者による環境保全案を、おおむね妥当と認めた。
部会で、事業者は樹木の伐採本数を減らす案を示したが、イチョウ並木の保存などについて従来の疑念に答えたとは言い難い。斎藤利晃部会長自らも審議の中で「イチョウの保全などには不確実性がある。この状態で次に進むことに異論があるかもしれない」と認めた。
東京都(小池都知事)の手で、神宮の森が破壊されようとしてる。たか派の連中は、神の国と言いながら開発(利権)のためなら平気で鎮守の森を更地にしてきた。女帝も含め御都合主義。 (10/28 20:05)
エミルー ハリスの「見知らぬ旅人」を初めて聴いた(NHKラジオで)。グッときた。ロバート・キャンベルの紹介。 (10/31 23:35)
魑魅魍魎……。一応 読める。が、魑魅と魍魎を切り離すと、魍魎だけだと一瞬 戸惑う。髑髏と躑躅。皆さん 読めるでしょうが、漢字の持つ霊力呪力のようなものを感じる。漢字にはアニミズムが潜む? 表意文字……憑依文字。 (11/01 17:37)
漢字文化圏の日本。アメリカも大切だけど、中国や韓国(朝鮮)はもっと大事にしないと。表意文字には一つ一つの文字に物の命が息づいています。 (11/01 19:16)
(インタビュー)あおられる「電力危機」 京都大学大学院特任教授・安田陽さん: 停電の少なさを誇ってきた日本で、電力供給の「危機」が声高に叫ばれている。安定供給を錦の御旗に、政府も原発活用など政策の転換に動く。だが、この問題に詳しい安田陽・京都大学大学院特任教授は「根拠なく不安をあおる言説が散見される。わかりやすい話には要注意」と言う。どういうことなのか。 (「(インタビュー)あおられる「電力危機」 京都大学大学院特任教授・安田陽さん:朝日新聞デジタル」より) (10/29 13:27)
ヘレン・ピルチャー著の『Life Changing:ヒトが生命進化を加速する』を読んでいる。読むほどに危機感が募る。多くの方に読んでほしいな。 (10/28 20:20)
昨日まで木の枝にあったカリンの実。今日は落ちてた。自然に? 野鳥につつかれた? (10/30 13:44) (「カリンの実、甘くていい香りがしますね。芳香剤として部屋に置いておくといいですよ。」というコメントをいただいた。何故落ちたかは不明のまま。)
和田 利男著の『漱石の漢詩』 (文春学藝ライブラリー)を読んでての呟き:
漱石の世界 深い。漱石理解に漢詩は必須! が、あにはからんや漢詩を詠む能はない。せめて字面を眺めてる。 (10/30 19:34)
別の呟きで、「漱石は日本の古典(漢詩以外)への言及はあまりない気がする。」と。早速、漱石は良寛に惚れ込んでいたことを本書で知った。まさに、「我輩の勉強不足だろうが。」であった。 (11/01 14:47)
漱石が、我輩も好きな良寛や陶淵明らを絶賛してたことが嬉しい。
漢詩には漱石も子供の頃から嗜んでいて子規にも啓発されてたのかな。調べてみます。もどかしいのは、漱石は源氏物語など日本の古典を読んだか(当然読んでたでしょうが)好きだったか、言及したことがあったが未だ不明なこと。小説に源氏などの影響が見られるという説(指摘)がありますが、評論その他での言及を知りたい。
漱石は王維に傾倒していた。ああ、王維は詠んだことなし。杜甫にも親しむ漱石。 (11/01 17:47)
(頂いたコメントから)「自分は和文のような、柔らかいだらだらしたものはきらい」,「いたずらにだらだらした『源氏物語』」「みだりに調子のある・・・『雨月物語』なども好まない」との漱石の言葉(興膳宏『杜甫のユーモア ずっこけ孔子』(岩波, 2014)に引用されていた)。
「夜半の明星」とも呼ばれる木星が西の空低くにクッキリ。(10/31 02:13)
← 食事は茶の間、読書や休息(音楽)は書斎(寝室)。書斎からはこんな景色。欅と思しき木は、かなり葉を落としてきた。……ところで、景色と風景の異同が分からない。 (10/30 13:42)
以下、神野藤 昭夫著の『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』を読んでての呟き:
数年前、与謝野晶子訳「源氏物語」を読んだ。結構 難儀。それ、新新訳版だとか。その前に新訳版があるなんて! 晶子は相当の情熱を込めて訳した。新訳版に興味津々。と言うか、与謝野晶子に関心あり。 (10/30 19:31)
源氏物語という巨峰。いま漱石の漢詩を巡る本を読んでる。予てよりの疑問だが、漱石は日本の古典(漢詩以外)への言及はあまりない気がする。我輩の勉強不足だろうが。 (10/31 16:14)
憶測に過ぎないが、漱石には原書至上の考えがあるのでは? 欧米の書にしろ日本の古典にしろ、翻訳(現代語訳)などしない。作品は作者の言語表現の芸術。翻訳(現代語訳)は、解釈であり創作なのだ……。実も蓋もないか。 (10/31 20:54)
漱石にとっては、翻訳より創作。新聞小説もあったし。逆に日本の古典を海外の言葉に訳す……俳句や和歌……どうやっても意訳か創作。ウエイリー版源氏の日本語訳。分かりやすいが、飽きたらない。原書に敵わない。それでも翻訳本を頼りにしていくんだけど。
言語空間は無盡大。翻訳することで新たな言語表現空間が創出される。原書とは異なった複素的物語(詩的)時空が生まれる。
いや少なくとも言語には国境……言葉の壁がある。世界には数千の言語がある。ドンドン消滅しつつある。個々の言葉でないとあらわせない音韻も含めた物語世界がある。生きた人々の息遣いは言語つまりは話す人々の消滅と共に消える。
稀少な言語を遺すことが望ましいが、せめてメジャーな言語に翻訳しておくことで、擬似的ではあっても何らかの語られざる物語は残る。 (11/01 00:03)
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