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2022/10/05

DVDプレーヤーでCDを楽しむ

  ← 伊藤亜紗/著『目の見えない人は世界をどう見ているのか』( 光文社新書)「美学と現代アートを専門とする著者が、視覚障害者の空間認識、感覚の使い方、体の使い方、コミュニケーションの仕方、生きるための戦略としてのユーモアなどを分析。目の見えない人の「見方」に迫りながら、「見る」ことそのものを問い直す。」

 バイクの買い替え中で、昨日今日あたり中古なれども待望のバイクの整備が終わるとの連絡があるかと待っていて、そわそわしつつ日を過ごした。昨日の4日は休日だが強風が吹いていて、脚立をしばしば使う吾輩は庭仕事は避けた。その分、読書にと思ったが、なんだかバカなことをしてあっと言う間に日は過ぎる。

 ただ、通販で最新のスピーカーの備わったジェットストリームの名曲集付き商品の販売パンフレットを見て、そういえば、何処かにほとんど未使用のDVDプレーヤーがあるはずと探した。音にこだわる自分じゃない。通常の音楽プレーヤーで十分なのだ。

 最初の1台はDVDもCDもうまく読み取ってくれず、音が変。さらに探して、台所のテーブルの上に埋もれていた一台を発掘。

 こちらのほうは、やや使いづらいが高級品で、せっかくだからと寝室に設置。早速CDを聴いている。DVDは高すぎるので買えない(それがこのDVDプレーヤーがお蔵入り状態になった理由)。車の中に置いてあるCDを持ち込み、楽しんでいる。

 ラヴェルやらサティやら。なかなか。10年ぶりにクラシックを聴きながら読書という時間を過ごすことが出来た。もっと早くやりゃよかったよ。当面は、新しくCDを買ったりせず、手元のCDを繰り返し聞いて楽しむことにする。

 

 伊藤亜紗著の『目の見えない人は世界をどう見ているのか』を3日の夜半過ぎ、車中にて読了した。あまりに仕事が暇で、残りの百頁余りを一気に読めてしまった。悲しいかな。

 本書を手にしたのは、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』という分かりやすい題名にある。表紙画像も面白いが、本書をしったのは、読書メーターでの情報だったから、表紙の絵は本を手にしてへえーだった。

 本書の帯には、【福岡伸一氏推薦】として、「<見えない>ことは欠落ではなく、脳の内部に新しい扉が開かれること。テーマと展開も見事だが、なんといっても、やわらかで温度のある文体がすばらしい。驚くべき書き手が登場した。」とある。

 著者は、「1979年東京都生まれ。東京工業大学リベラルアーツセンター准教授。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、(中略)文系の博士号を取得(文学)。(中略)研究のかたわら、アート作品の制作にもたずさわる。(以下略)」といった方。同氏の著書は初めて。

 我々には五感があるが、中でも視覚から情報の大半を得ている。そのことは日々実感しているところ。もしも、視覚を失ったなら……。健常者なら誰しも一瞬くらいはそんな怯えを抱いたことがあるだろう。自身にしても、五十代後半に老眼鏡の使用を強いられるようになって、目の不自由(その度合いは様々だが)への怯えはますます実感している。

 一方、目の不自由さが即、この世の終わりなんかじゃない。きっとそこには豊かな世界が広がっているだろうことは、想像に難くない。分かってはいるが、いざそんな世界に直面したら。

 本書の章立ては以下の通り:

【序  章】見えない世界を見る方法
【第1章】空  間 ―― 見える人は二次元、見えない人は三次元?
【第2章】感  覚 ―― 読む手、眺める耳
【第3章】運  動 ―― 見えない人の体の使い方
【第4章】言  葉 ―― 他人の目で見る
【第5章】ユーモア  ―― 生き抜くための武器

 

  感想めいた呟きは既に何度か。本書で一番、面白かったのは、第4章の「言葉 ―― 他人の目で見る」だった。テーマはなんと、目の見えない人たちの美術鑑賞。触覚(主に手触り)を用いた彫刻作品などの鑑賞といった場面はテレビなどで紹介されていたりして、そんなこともあるのかなーという認識。

 だが、ここでいう鑑賞は絵や写真などの平面作品。それも油絵の表面を手でなぞるという試みじゃない。一体、どういうことか。

 著者のこうした取り組みへの関心の切っ掛けは、「視覚に障害のある人との鑑賞ツアー」だったとか。

 何かの作品の前に立ち、美術館の係員などが、作品について大雑把な説明をする。作品の大きさ、場面の説明(雨が降ってる、川が流れてる、人が飛び込んでる、太陽が…いや、よく見たら月が…」と、大づかみな説明。時には係員が誤った(勘違いの)説明をすることも。

 そこへ、鑑賞に集まった方たちが次々に質問を発する。飛び込むのは子供? 大人? 川の水は綺麗? 透明? 楽しそう? そうないの? などなど。

 目の見える関係者は作品を説明(解説)はしない。集まったみんなそれぞれが対話し議論し理解を深めていく。通常の美術鑑賞は個々人の孤独な黙考に終始するが、まさに賑やかに談義する。客観的な情報を云々するのではなく、目に見えない、心で館s汁部分をこそ忖度し合い、話し合う。みんなでの鑑賞を通じて、つまり他人の目を想像を通じて世界を深め合う。それぞれに作品を作り上げるとさえ云える。むしろ、そこにこそ意義があるわけだ。

 こうした取り組みは既に始まってそれなりの年月があり、そうした機会も増えてきているとか。

 最後の「第5章 ユーモア  ―― 生き抜くための武器」の章も考えさせられることが少なからずあった。障害を持っているからこそ、日々の困難をユーモアやウイットで切り抜ける。冗談で自らの窮地を切り抜ける、生きるためのサバイバルする知恵だ。

 冗談でも飛ばさないとやっていけないのだ。

 障害を負って生きること(人…あるいは自分)に関心のある方には、そうでなくても、一読をお勧めする。

 

  ← ポール・デイヴィス著『生物の中の悪魔 「情報」で生命の謎を解く』(水谷淳:訳 SBクリエイティブ)「最新科学の動向、特に生命の謎について関心をもっている一般読者に、スリリングな感動を与える最良の科学読み物」

 ポール・デイヴィス著『生物の中の悪魔 「情報」で生命の謎を解く』を3日に読了。3年前の9月に既に読んだことがあるので、僅か3年での再読(当時の感想は、「腫瘍は「胚の邪悪な双子」」)。読むに値すると改めて実感。同時に意識や生命の謎の不可思議さ奥深さも再認識。

「本書は、「情報」という概念をキーワードに、情報と物理現象との関係、情報に基づく進化・個体発生、意識の発生といった話題を、さまざまな研究成果とエピソードを通して紹介し、「生命の秘密」を解明しようとするもの」で、「特に、本書のメインというべき4章と5章では、20世紀半ば以降に急速に発達した、コンピュータ科学と量子力学を通して、生物の細胞や進化、そして多細胞生物の宿命ともいえる癌細胞の発生の過程を説き明かしていきます。さらに、近年大きな注目を浴びている「量子生物学」の分野で解明されつつある、生命の謎に関する発見を解説」する。

 量子力学と意識というと、ロジャー・ペンローズなど、様々な物理学者の試みが知られる。この度、ノーベル物理学賞受賞のテーマもまさに、「物質を構成する原子や電子のふるまいについて説明する理論、「量子力学」の分野で、「量子もつれ」という特殊な現象が起きることを理論や実験を通し」て示したものだった。既に実際的な応用も始まっている。

 その一端として、意識や生命の謎に改めて量子力学の最先端の研究成果の応用が試みられているわけだ。

 結論めいたことを云うと、やはり隔靴搔痒の感は否めない。今、読んでいるユヴァル・ノア・ハラリ著の『ホモ・デウス』でも同じ指摘をしていた。今は研究のターニングポイントにあるのか。あるいは頂点に近付けばそれだけゴールが遠いことに気付かされるのか。もどかしいが、それでも研究は続くし、吾輩の興味も尽きないのである。

 著者は、「物理学者、宇宙生命学者。1970年代以降、物理学や量子学に関する本を、一般の読者に向けに多く執筆しており、日本でも(中略)10冊以上が翻訳されている。」吾輩も何冊か楽しませてもらってきた。多分、これからも。なかなかハードな記述が続くが物理学の門外漢たる吾輩も楽しめる。お勧めである。

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