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2022/09/20

台風最接近…峠を越えたか

 ← スタニスワフ・レム作『マゼラン雲 スタニスワフ・レム・コレクション』(後藤 正子【訳】 国書刊行会(2022/04発売)) 「高度な科学技術的発展を成し遂げた人類は、史上初の太陽系外有人探査計画に着手、地球に最も近い恒星であるケンタウルス座α星へ向かう決定を下した。かくして選りすぐりの遠征隊員を乗せ、巨大探査船ゲア号は未知の空間へと踏み出していく。」

 スタニスワフ・レム作の『マゼラン雲 スタニスワフ・レム・コレクション』を20日夜半直前に読了。日に30頁ほどずつ読み、ほぼ半月を費やした。レム作品ということでやや構えた感がある。まして、「レムの幻の長篇がついに邦訳なる」となれば、猶更。

 レム本人は翻訳されることを嫌ったという。実際には、翻訳はされたが、旧共産圏諸国に限ってのこと。レムは、生活費を稼ぐために、当時の共産主義イデオロギーに反しないよう、用心深く政権に阿るかのような記述も付した。

 しかし、レムが本書の(所謂自由主義圏への)翻訳を拒んだのは、本書での共産主義の過度の楽観主義に傾き過ぎていることにあったのかもしれない。

 話は、云ってみれば、「高度な科学技術的発展を成し遂げた人類は、史上初の太陽系外有人探査計画に着手、地球に最も近い恒星であるケンタウルス座α星へ向かう決定を下した。かくして選りすぐりの遠征隊員を乗せ、巨大探査船ゲア号は未知の空間へと踏み出していく」というもので、いかにもSFである。いや、確かにSFなのである。

 話の設定は(雑誌に連載した当初は21世紀の前半だったが)、30世紀。そんな時代まで人類が生存してると思うこと自体、希望的観測、根拠のない楽観主義に過ぎないが、しかも、設定上、共産主義社会が成功し、その成功の証であるかのように、「高度な科学技術的発展を成し遂げた人類は、史上初の太陽系外有人探査計画に着手、地球に最も近い恒星であるケンタウルス座α星へ向かう決定を下した」のだ。

 楽観主義の極みは、未知の生命体、知性のある存在者と、知性や理性、論理を駆使することで、意思の疎通を図れる、コンタクトを成功し得る…し得たという形で話が終わっていることに示される。

 嘗ては、レムでさえ、希望に満ちた時代に生きていた…と言えるかもしれない。

 

 でも、レムが翻訳を拒む理由、真の問題はそこではないかもしれない。本書の前半は教養主義というか、青春の小説、ある若者の成長を描く小説ではないかと、ふと自分はレム作品を読んでるのか、何かの青春小説の習作を読んでるのではないかと、目を疑うような記述の続くこと。

 これは解説にもあるが、レムはこの習作を書いた当時、リルケ(マルテの手記)に凝っていたとか。もしかして、SF小説を書きつつも、レムは所謂文学作品を書きたかったのではないか。その志向の強さが随所にあまりに露わになっていて、それが気恥ずかしかったのではないか。

 決してベタではないが、SF小説の形を取ってはいるが、実は純愛の物語という切り口で読み込むこともほぼ可能である。

 やはり、作家当人としては恥ずかしい。あれほど、当時最新の科学的知識を網羅し、時には時代に先駆ける科学技術的知見と予見満載の記述に目くらまされそうになるが(実際、サイエンスの極みの優れた人類の先駆者たちの、遥か宇宙の彼方での生存を賭けた思考実験小説とも読むことは十分可能、なのに、青春小説臭に負けている!

 でも、まあ、半月の読書は一つの体験になった。レムファンなら一読の価値がある。

 著者は、1921 年、旧ポーランド領ルヴフ(現在ウクライナ領リヴィウ)に生まれる。戦果にウクライナを追われるという体験もある。まさに時宜に叶った作品でもある。

 本書の末には、「遥かな旅」(イェジイ・ヤジェンスキ)、「訳者あとがき」(後藤 正子)、「解説 ユートピアの夢の幻惑と過誤」(沼野充義)が付せられ、作品理解に思いっきり資している。先に読むほうが全体像を理解しやすいかもしれないが、吾輩は、性分として、本は最初から順を追って…杓子定規に読むことにしているので、これらの50頁の資料群は…ありがたかったかもしれない。ただ、印象がこれらによってかなり左右もされた。(09/20 04:45)

 

 マゼラン雲(スタニスワフ・レム・コレクション) >> 本文読了。ハアハア ゼエゼエ。訳者あとがきや解説が充実…。全部の読了には今夜半まで架かるか。 (09/19 20:45)

 

 今年も我が家の庭で曼珠沙華(彼岸花)を観ることはできなかった。彼岸花は風では種も花粉も飛んでこない。やはり、店へ行って種か苗を買ってくるしかないか。…ああ、これじゃ、ヒガンバナじゃなくて、ひがみハナだ。 (09/19 20:51)

(頂いたコメントに)毎年今ごろ同じ愚痴。近年ホームセンターへは足が遠退いてます。畑や庭の花育ても敬遠気味。でも、夏場に開花する花がないのは淋しいもの。赤い木か花が欲しい。(09/19 21:57)

(頂いたコメントに)百日紅がよさそう。我が家には夾竹桃の白があるので、赤の夾竹桃も考えてる。ホームセンターでの見本…苗木で考えます。そう、隣家には咲くんです。しかも、我が家との間の通路に。あと一歩。それが遠い。夏場の赤い花の咲く木共々、彼岸花を買うしかないかな。(09/20 03:17)

 

 雨もだが、強風が凄い。家が揺れてる。木造家屋、大丈夫か。 夜明けまで持つのか。 (09/20 03:10)

 ブログ日記をたった今、書き終えた。今も風雨が家屋を揺さぶっているが、峠を越えた感も無きにしも非ず。 (09/20 04:47)

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