頑張ったけど成果薄し
← レフ・イリイッチ・メーチニコフ (著)『亡命ロシア人の見た明治維新』 (渡辺 雅司 (翻訳)講談社学術文庫 1982年) 訳者前書きによると、「ロシア東洋学者の眼に映った維新直後の日本」であり、「メーチニコフが在日した明治7、8年は、大久保利通による官僚主義的中央集権化が推進された、いわば維新の変質過程でもあった。明治維新を可能にした日本の進歩的風土を高く評価する一方、頻発する士族反乱や農民一揆に、暗い翳を見、未来日本の激動を予見する書」
このところ、ハードな庭仕事が続いたので、15日の休日は、読書三昧するつもりだった。が、スーパーなどの買い物を済ませ、やれやれと庭を見回すと、植木の繁茂ぶりが凄まじい。
庭仕事と云いつつ、この十日余り、畑など裏の庭の管理に没頭。その間に、肝心の表の庭の木々が(雑草も)遠慮会釈もなく…。
着替えるか、せめて帽子や手袋、長靴程度の武装はすればいいのに、買い物つまりは自宅で過ごす格好のまま、サンダル、素手で、気が付けば二時間も高枝鋏でせっせとやって、手のひらの皮が剝けそうに。
しかし、これだけやっても、通行人の目には、変化など感じられないだろう。張り合いのないこと!
お蔭で読書も、レムを20頁ほど、レインを30頁ほどで終わった。淋しい!
レフ・イリイッチ・メーチニコフ 著の『亡命ロシア人の見た明治維新』 を15日の未明に読了。仕事の合間の楽しみに読んできた。書庫から発掘した本。
レフ・イリイッチ・メーチニコフは、「ロシアの革命家、東京外国語学校のロシア語教師」。「バクーニンを支援する」過激派と見なされていた。「メチニコフは、明治維新を社会主義革命と思い、1871年に逃亡先として日本を選んだ」とか。
「1872年にジュネーブで留学中の大山巌に出会い、語学の交換学習を通じて日本語を半年で習得。日本で教える外国人を探していた大山は、岩倉使節団で渡欧中の岩倉具視、木戸孝允、大久保利通にメーチニコフを紹介する。そしてメーチニコフは大山のフランス語個人教授となり来日、木戸孝允の斡旋で1874年(明治7年)から1876年(明治9年)まで東京外国語学校のロシア語教師として教壇に立った」。語学の天才でもあったようだ。
上掲の経歴でも分かるように、学者の維新直後の日本研究じゃなく、生の日本、維新直後の世相を生々しく語っていて、実に面白い。幕末から維新直後の関連本を読むのが吾輩の読書の一つのテーマで、本書が刊行された直後に目ざとく見つけて読んでいた。読み返して感じるのは、類書にない彼の慧眼(誤解もあるが)。
「長兄はロシア南部で控訴院長を務めた人物で、レフ・トルストイの小説『イワン・イリイッチの死』の主人公のモデル。次弟は免疫学でノーベル生理学・医学賞を受けたイリヤ・メチニコフ。」ちなみに、「妹の孫にオペラ歌手のマリア・クズネツォワ」。ま、桁外れの一族。
余談だが、「ジェイムズ・ジョイスは『フィネガンズ・ウェイク』創作ノートでメーチニコフの『文明と歴史的大河』から多数引用している」とか。以上、情報は本書の前書きかWikipedia参照である。
← G.ガルシア=マルケス 著『エレンディラ』( 鼓 直 翻訳 , 木村 榮一 翻訳 ちくま文庫) 「大人のための残酷物語として書かれたといわれる中・短篇。「孤独と死」をモチーフに、大著『族長の秋』につらなるマルケスの真価を発揮した作品集。」
G.ガルシア=マルケス 作の『エレンディラ』を14日(水)に読了。ガルシア=マルケス全小説 新潮社(全10巻)は既に読んでしまった。未読の小説も書店で発見次第読み漁ってきた。なのに、この作品集は何故か出会えない。今夏の初め書店のパソコンでダメもとで探したら、ある! なんだか勿体なくて読まずにきたが、とうとう。小説の読み残しは、あとわずか…。
個人的には、19世紀の最高の小説はメルヴィルの『白鯨』、20世紀の最高の小説はガルシア=マルケスの『百年の孤独』と断じている(20世紀では、イサベル・アジェンデの『精霊たちの家』が次点か)。
作品集であり、以下の中短篇が載る:
大きな翼のある、ひどく年取った男
失われた時の海
この世でいちばん美しい水死人
愛の彼方の変わることなき死
幽霊船の最後の航海
奇跡の行商人、善人のブラカマン
無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語
これらの題名自体が詩のようだ。分かりやすい現実など無い。何かがあったなら、それは夢じゃなく、断固現実であり、それをそれとして受け入れ共に生きるしかない。信じられるかどうかなど現実は頓着しない。あるものはある、ないものは見付からないだけかもしれない。
思えば、二十歳前後は、ドストエフスキーやカフカなどの衝撃が強く、小説という奇跡を楽しむための渉猟の時期だった。そんな中、セリーヌの『夜の果ての旅』というロクでもない小説にノックダウンを喰らったりしたが、当時の自分には『白鯨』も『百年の孤独』もあっさり跳ね返されたものだった。それまでのフローベールやマンやトルストイやチェーホフ、ゴーゴリ、プルースト等々とは全く質の違う世界だった。自分には受容できる素地がなかったのだ。
四十歳の頃、失業し一年のブータロー生活の中、図書館通いして未読の小説を読み倒すと同時に(ジョージ・エリオットなどを発見)、過去、門前払いを喰らった作品の読み返しに取り掛かった。そうして再発見となったのが、島崎藤村の『夜明け前』であり、ジョイスであり、『白鯨』であり、『百年の孤独』だった。
多分、三十路の頃から抽象表現主義やアンフォルメル… アール・ブリュット (生の芸術)、アウトサイダー・アートの世界、あるいは幼児の描く突飛だが豊かな世界を追って、東京中の画廊や展覧会を見まくったことが自分に大きく影響したようだ。錯綜し輻輳する世界の捉えどころのなさ…つまりは豊かさ。文学の世界も豊穣すぎる可能性が拓かれるに違いない…。
| 固定リンク
「読書メーター」カテゴリの記事
- 我がブログ日記20周年!(2024.09.10)
- 痒いというより痛い!(2024.09.09)
- 夏の終わりを告げる小さな異変?(2024.09.08)
- エアコン設定温度より低い外気温(2024.09.05)
- 夏の終わりの雨(2024.09.04)
コメント