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2022/09/04

西谷啓治の講演の思い出

 今日は晴れ、休日。用事 たまりまくってる。でも、庭仕事。草むしり 、十日ぶり。ただ畑はなんと二ヶ月ぶり。雑草が腰の丈まで伸びてる。そこまで伸びると怖いくらい。コオロギなど昆虫のドリームランド。三時間弱であっさり更地に。

 作業を終えて三時間。シャワーを浴び、食事を済ませ、グッタリした体を休ませてる。明日はグロッキーかな。 (09/05 21:43)

(頂いたコメントに)ドリームランド。小さな畑。嘗ては野菜畑。生憎、野菜嫌いで次第に果樹園擬きに。梨、杏、キウイ、栗、ネーブル……。が、収穫が面倒で、秋口には梨やらの残骸が散在。表の庭や生け垣の世話や腰痛に辟易してる間に、昆虫たちのワンダーランドに。畑に隣接する近所の家の眼がなければ、昆虫や野鳥や猫たちに解放したままでも構わないのですが……。それにしても、プレミアムフライデーは何処に? (09/05 22:39)

 過日より、本多 顕彰著の『旅路のはてに―随筆 (1956年) 』(カッパ・ブックス)を車中で読んでいる。父の蔵書。

 同年刊だが、第4刷。著者は全く知らない方。当時は高名な方だった?

 著者は、「1933年から1966年まで法政大学教授を務め、シェイクスピア、ロレンスなど英文学の翻訳・研究に加え、近代日本文学ほかの広範な評論活動をおこなった。 夏目漱石、親鸞に関する著作もあり、エッセイストとしても長年執筆を行い、学内事情を暴露した『大学教授』や『歎異抄入門』はベストセラーとなった。」(Wikipediaより)

 あるいは、同氏が訳した本を読んだことがあるかも。

 今の時代には書けない随筆。面白い。本書を見付けたのは、父の炯眼と思う。今の時代には顰蹙モノの意見多々。 (09/04 21:14)

 

 ロバート・キャンベル編著の『日本古典と感染症』 (角川ソフィア文庫)にて。

 幕末……コレラ 流行。コロリと呼ばれることもあるが、コレラとコロリは違う。コロリはもっと時代を遡る突然死の通称。コレラも症状が出てから亡くなるまで数日だったりするのでコロリと怖れられた。 (09/05 13:17)

 日本は結核の数が低水準になったとか。広津柳浪作の「残菊」を読みたい。いま読んでいるロバート・キャンベル編著の「日本古典と感染症」にて言及。明治の結核話。広津柳浪は確か1冊も読んでない……?

 広津和郎は、柳浪の次男。こちらも未読か。 (09/05 13:09)

 

 竹村 牧男著の『西田幾多郎と仏教―禅と真宗の根底を究める』を読んでいたら、哲学者 西谷啓治の名が随所に。若くして西田を知ったし、同じ石川の生まれ。その西谷啓治の講演を高校時代 聴く機会があった。それは母校でのこと。

 高校の教頭(英語教師)が西谷と京大での同窓ということもあってか、招かれたとか。演題は(確かなことは記憶に定かではないが、テーマは)「水の哲学(水について)」。水の哲学者 古代ギリシャの哲人タレスの説を高校生向けに平明に。

「彼は多才な人物であったが、特に測量術や天文学に通じており、ヘロドトスによればその知識を用いて日食を予言したといわれている。これは天文学上の計算から紀元前585年5月28日と考えられる。また地面に映った影と自分の身長とを比較して、ピラミッドの高さを測定したとも言われている。」

「彼の故郷ミレトスは小アジアのエーゲ海沿岸に位置し、ホメロスの活動した土地でもある。イオニアは地理的に東方と西方文化の十字路に位置しており、エジプトやバビロンの数学や自然科学も流入していたと考えられ、そうした文化的素地がタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスらのミレトス学派が発生する母胎となったと考えられている。」

「彼が「最初の哲学者」に位置付けられるのは、アリストテレス『形而上学』でそう位置付けられたことに由来する。タレスは、それまでは神話的説明がなされていたこの世界の起源について、合理的説明をはじめて試みた人物だった。すなわち彼は万物の根源(アルケー)を「水」と考え、存在する全てのものがそれから生成し、それへと消滅していくものだと考えた。そして大地は水の上に浮かんでいるとした。世界は水からなり、そして水に帰るという説を唱えたのだった。」(Wikipediaより)

 悲しいかな話の詳しい内容は忘れた(15歳から始めた当時の日記は焼却した)。ただ、既に定年退官して久しい西谷の訥々とした語り口から、タレスの水の哲学の意味すること、哲学の果てに描き出された描像は当時の我輩の脳裡に鮮烈だった。

 既に高2の頃から哲学書を読み漁っていた、でも大学は好きな理系を志望していた我輩は、高校3年の夏 8月1日 志望を哲学に変えた……。 (09/05 15:34)

 上掲書は、知人から借りた。哲学の基本に宗教あり。若き日の参禅の結晶が「善の研究」。そこから西田哲学を成したのは禅宗と思われがち。本書で筆者は、実は広く仏教……浄土真宗こそが西田の生涯に渡る関心事だったと説く。 

 内容紹介:「西田哲学と仏教思想を、時に切り結ばせ、時に対決させながら、西田幾多郎の宗教哲学の核心を究明する。」

 西田(善の研究)とか三木清(人生論ノート)、親鸞や九鬼、西谷啓治や和辻(風土)などは高校から二十歳の頃、かじってたな。あっさり跳ね返されたっけ。(09/03 13:05)

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