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2022/08/12

自宅でも会社でも無言

 ← アンドルー・ラング著『夢と幽霊の書』(ないとうふみこ訳 吉田篤弘巻末エッセイ 作品社)

 一人静かな生活。誰ともひと言も口を利かない日が続く。淋しくもあり煩わしくなくてこれでいいんじゃないという気持ちも。 口を利かないのは、仕事…会社でもそう。

 タクシー稼業なので、時にはお客さんとお喋りすることもある。こちらからは語りかけないが、お客さんが話しかけてきたら、可能な範囲で応じる。結構、楽しいことも。

 が、口を利かないのは、営業所でも同じなのはどうしたことか。窓口業務は大事。本来は乗務員を叱咤し励ますほどのことはあってもいいはずだろう。が…

 吾輩の会社の営業所の窓口は愛想の悪い人物ばかり。先方から挨拶をしてくることはまずない。こちらから挨拶をする。出社したら、おはようございますと挨拶して点呼を受ける。が、その出社の際の吾輩の挨拶に返事すらしない連中ばかり。時には例外もあるが、なんだか嫌々という感じ。乗務員に挨拶などできるかという雰囲気。

 なかでも、一人、とびぬけて不愛想な奴がいる。社員なのに、挨拶をしない奴。挨拶をしてこないのは、他の社員も同じだが、少なくとも、こちらが挨拶したら、返事擬きは…う、とか、あ、とか、お、とか、唸り声のような音だけはする。ホントに面倒そうであるが。

 その中の一人は、常に全くの無言。出社時のおはようございますにも無言。退社時のありがとうございます、にも全く無言。 そんな日々が一年も続くと、おとなしい吾輩もさすがに切れてしまった。

 だが、奴は、女性乗務員など他の連中には返事っぽい声は出す。無言なのは吾輩に対してだけなのか?

 先月からはもう、奴には一切、こちらからは挨拶しないことにした。冷淡に無視されると決まっているのに、バカみたいだからだ。あまりに一方通行な礼儀に疲れてしまった。

 で、奴は無言のまま。何の反応もない。というか、奴にしたらこちらから挨拶や礼をするのは当たり前と思っている節がある。 こいつ! 俺が挨拶しなくなったのは、全てお前のせいなんだぞ! 

 ということで、会社でも全くの無言で通している。そんな会社なのだと思うしかない。社員教育は皆無なんだろう。

 

 読書を牛歩の日々は相変わらず。会社(車中)では今は、アンドルー・ラング著の『夢と幽霊の書』をボチボチと。漱石がロンドン留学中に原書で読み、後の創作にも影響を受けた書らしい。
 自宅では、マット ウィルキンソン著の『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか: 生き物の「動き」と「形」の40億年』と、秋元不死男著の『俳句入門 (1955年) 』(角川新書)を相変わらず。両者とも実に面白い。楽しんでいる。

 今日…というか昨日は休みだったので、いつもなら庭仕事に汗を流すところだが、このところ、ハードな作業が続いたので、一休みし、読書と居眠りに終始。何処へ出掛けるのも億劫だし、お喋りする相手もいないし、黙々と過ごす。お蔭で、庭仕事に精根尽き果てることもなく、少しは読書も進んだ。

 たまにはご褒美の日もあっていい…はず。

 

 昨日の日記に、「父はポッポやさんだった。電気もだけど、蒸気も。某地元テレビ局で蒸気機関車の特集があった。JR.の誰かにコメンテーターを推薦してくれと依頼され、既に現役を離れていた父が出演することに」などと書いた

 その呟きにコメントを頂いた。そのレス:

 父は我輩とは出来が違う。鉄道マンとして勤めあげ、その傍ら農家として稲作に晩年まで従事。我輩のような流れに身を委ねた軟弱者は肩身が狭かった。父は趣味人でもあって、読書は勿論、俳句(結社同人)に古銭や切手蒐集に熱心。お酒も大好きで、お酒に関する本を読み、お酒の瓶のラベルを蒐集(数百枚)、酒蔵を訪ねて全国を旅(夫婦連れ)。煙草も晩年まで。マッチのラベルも蒐集。定年後は、篆刻に傾倒。読売の書展で最優秀賞となり、地元紙の一面に顔写真も掲載。秀逸も何度か受賞し、あと一歩で審査員になれるところまで。 (08/12 00:00)

 

 過日、ショックなことが。用事があって車で外出。以前はしばしば通ったが、最近の数ヵ月はあまり通らなくなっていた道を久しぶりに。その道には親戚の家がある。父の弟一家の家。父が亡くなって交流は途絶え勝ちに。特に弟(叔父?)の奥さんが歩けなくなってからは、音信不通に近く(その奥さんが一番、その一家で社交的な方)。

 その一家の家が無くなっていた! 更地になっていたのだ。音沙汰がないとは感じていたが、まさか断りもなく立ち去っていたとは! 転居?

 電話して事実を確認する? 黙って転居したのなら、連絡されるのも迷惑? その日から一週間ほど経って、もしかしたら建替えなのかも知れない……可能性に思い至った。さて真相は? (08/12 00:16)

 その戸建てには、当初、叔父夫婦二人だった。そこへ息子一人、また一人戻って来て、かなり窮屈になっていた。だからもっと広く…という事情は考えられる。でも、土地自体広くはない。まさか、三階建ても考えづらい。真相は本家筋に当たる吾輩自身が確かめるしかない。 (08/12 00:58)

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