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2022/06/28

熱中症対策には水分補給

 ← 池内了著『清少納言がみていた宇宙と、わたしたちのみている宇宙は同じなのか?: 新しい博物学への招待』(青土社) 「科学者の目で古今東西の文章を渉猟する、サイエンス・エッセイ。」

 池内了著の『清少納言がみていた宇宙と、わたしたちのみている宇宙は同じなのか?: 新しい博物学への招待』を27日に読了した。仕事の合間の楽しみに読むつもりだったが、ギックリ腰のぶり返して仕事を休んだ。せっかくなので、自宅で読むことに。

 感想めいたことは、一昨日の日記に書いた:「新博物学…

 その中で「単純に理系の本好きなのだが、同時に科学者らのドラマもあるし、研究自体の中にも紆余曲折があり試行錯誤があり日進月歩の現実がある。特に20世紀の後半から今世紀にかけて進化論にしろ宇宙論にしろ生命論にしろ、パラダイム転換の最中にあるような熱さを感じる」と。

 隔靴搔痒のコメントだが、優れたポピュラーサイエンス本はそれだけで既に一個の物語本であり、新しい博物学の本ではないにしても、その前にナチュラルヒストリーの書であろうということだ。

 

 28日は休み。猛暑。梅雨が明けたとか。前にも書いたが、そもそも梅雨入りしていたのだろうか。

 このところ庭仕事してなかったので、今日は外へ。但し、暑さを考慮して四時から作業開始。

 だが、それでも見通しが甘かった。作業開始前に冷たいお茶をグイッと。玄関先には小さな冷蔵庫が。その中にも水やお茶が。外仕事しても必要があればすぐに水分を補給できるように。

 準備は万全のつもりだった。が、なんと作業開始30分でばてた。慌てて冷たいお茶を飲んだ。改めて畑へ。過日、アンズやナシなどの果樹を剪定した。その枝葉が散乱したまま放置していた。それらを片付ける…が、また30分もしないうちにばてた。今度は身動きができない。大概は蹲踞の態勢で作業するのだが、地面に落ちている落ち葉や枝葉を拾おうと手を伸ばしたら、そのまま地面にうずくまってしまった。起き上がる気になれない。心臓の鼓動が早い気がする。果樹の園の中では誰も気付いてもらえない。

 そのうち、なんとか起き上がり、今度は玄関へ、ではなく、台所へ。玄関までは遠すぎる。台所の上がり框の戸を開けて、長靴のまま台所の冷蔵庫へ。今度は、水やお茶では間に合わないだろうと、(かといってポカリもミネラル水もないので)レモンサイダーをごくごく。少しは栄養分…ミネラルがある? 

 作業の方は、いつものように二時間や三時間ではなく、早めに切り上げた。時計を見ると、作業時間は一時間半にもなってない。

 茶の間に入って、エアコンを入れた。扇風機も回した。汗だくの作業服を脱いで、トランクス姿に。冷気や風を浴びて、ひたすら体を冷やす。たまたま残っていたバナナを一本と、レモンサイダーの残りを喫する。

 茶の間で30分ほど涼む。ようやく起き上がる気力が湧き、作業服などを洗濯機へ。シャワーも浴びる。

 シャワー後、二時間ほど、茶の間でボンヤリして過ごした。夜の八時過ぎ、なんとか本を読む元気が復活。思えば、作業中に腰を痛めることがなかったのは幸いだった。あれで腰をやっていたら、ホントに起き上がれなかったかもしれない。

 反省として、冷蔵庫には水分となる水やお茶、炭酸水、ブラックコーヒー、野菜ジュースの類は十分にあった。が、調べてみると、コーヒーやお茶はダメで(健康な時はいいのだが)、最低限、ミネラルウオーター、電解水素水、理想を云えば経口補水液を常備しておくべきだと感じた。

 

 ← 昨日片付け作業した客間をアングルを変えて。桟の上には父母の表彰状多数。祖父のも。左……棚の上には父が国鉄を定年退職した際に贈られた立派な置時計。動かない。電池式じゃない。中を覗いたが、動かせない。時計はゼンマイ式? (06/26 14:59)

 池内了著の『清少納言がみていた宇宙と、わたしたちのみている宇宙は同じなのか?: 新しい博物学への招待』を読んでたら。

 蛍……蛍狩りの話題が。我が家は嘗て農家だった。というか農村の中の集落の一軒家。茶の間の窓外には広々と見渡す限りの田圃……麦ばたけ。用水路は稲作のため。梅雨の時期、夜になると蛍が舞う。そんな光景が農薬やら用水路のコンクリート化、生活排水で永遠に失われてしまった。

 車で20分余りの親戚の町では、今でも蛍狩りが。その町には大きな池があって、白鳥が飛来する。曲水の宴も。 (06/26 22:56)

 

 池内了著の『清少納言がみていた宇宙と、わたしたちのみている宇宙は同じなのか?: 新しい博物学への招待』を昨日も読んでた。

 すると、曼殊沙華……彼岸花の話が。我が家の庭には雑多な植物が。中にはウルシ系の歓迎せざる木も。が、何故か曼殊沙華はない。近所にも隣家にも咲いてる。いつかは我が家にも……。 

 淡い期待も空しく、帰郷して14年。垂涎の目を近隣の赤い花に向けるだけだった。本書を読んで勝手に庭に咲くってのが叶わざる望みなのかが分かった。

 種が風に運ばれてくることはない。とにかくまずは球根なのである。一旦根付けば、株分けで群にだってなる。花好きなら常識だよね。……ということで、折を見て球根を買ってくる!

 曼珠沙華に惹かれるのは、山口百恵のヒット曲のせい……じゃなく、高校の教科書に載っていた木下利玄の「曼珠沙華 一むら燃えて 秋陽つよし そこ過ぎてゐる しづかなる径」のためである。

 植物にも疎かった我輩、曼殊沙華の花をそれと認識して観たことがあったかどうか……。あるいは教科書に写真が載っていたか。木下利玄の歌集も覗いたっけ。

 あと我が家の庭に欲しいのは、沈丁花。理由は、石川さゆりの歌「沈丁花」が好きだから。金木犀は見事な木がある。沈丁花が育ったら、次は撫子?

 本書によると、水仙も球根派だとか。我が家の庭には水仙群が点在。我輩は種が風に飛んだのかと。違う。13年前、苗か球根を買ってきた。畑の隅っこに見事に育った。10年ほど前、事情があって土をあちこち移動。その際に球根も運ばれたようだ。数ヵ所に水仙群。結果オーライ!

 土の移動で失敗も。その最たるものがドクダミ。もう収拾が着かなくなってる。 (06/27 14:44)

 

 ← 暑い……夾竹桃は元気です。 (06/28 11:47)

 北陸地方も梅雨明け。平年より25日早い。そもそも梅雨入りしてたのかな。

 アガパンサス……開花目前で足踏み。雨降り期待してる? 近所のアガパンサスはとっくに咲いてるぞ。 (06/28 12:05)

 凪良 ゆう作の『流浪の月』 (創元文芸文庫)だが、仕事の合間によんでた本書。腰痛で10日ほど仕事 休んで中断したまま。昨日(26日)久しぶりに手にした。ちゃんと話が見えてる。ということは物語として読ませるものだという証拠か。登場人物はいずれも一癖あり。主役(?)が一番やっかい。 (06/28 11:59)

  ニール・シュービン著の『進化の技法――転用と盗用と争いの40億年』を今日も読んでいた。やはりシュービンの本は面白い。進化の話は、研究者のドラマの物語でもある。進化の歴史は実に感動的 。ウイルスと人間など生物との関りは長いし深い。驚異を覚えるほどだ。 (06/28 12:14)

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