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2022/05/13

ボロは着てても心は錦

 ← グレゴワール・シャマユー【著】『人体実験の哲学―「卑しい体」がつくる医学、技術、権力の歴史』(加納 由起子【訳】 明石書店) 「人体実験に供与される運命にあった人々は、死刑宣告を受けた者、懲役中の者、獄につながれた者、孤児、娼婦、植民地住民、瀕死の病人であり、その境界性には常に道徳的言説が用意されていた。」

 グレゴワール・シャマユー著の『人体実験の哲学―「卑しい体」がつくる医学、技術、権力の歴史』を10日に読了。読了するのに十日以上を要した。飛ばして読むような本じゃなく、日に数十頁ずつじっくりと。

 内容は、出版社による、「18世紀から19世紀までのフランスにおける「生きた人体の医学的実験への供与システム」を政治思想史、医学史の両分野から描き出すと同時に、フーコーの時代の記憶を刻みながら、テクノロジーへの関心を通して哲学と医学史の新しい協働の可能性を示す。」に尽きる。

 吾輩は書店で本書を見出し、軽率にも、人体実験の哲学の人体実験だけに惹かれて籠に入れた。自分の体で実験する…といった類の本と同列に見做し期待していた。興味本位で読む本ではない。

 表題の、「「卑しい体」がつくる医学、技術、権力の歴史」が肝心。「卑しい」とは時代によって政治体制などによって変わるが、「人体実験に供与される運命にあった人々は、死刑宣告を受けた者、懲役中の者、獄につながれた者、孤児、娼婦、植民地住民、瀕死の病人であり、その境界性には常に道徳的言説が用意されていた。」わけである。

 そこにマルクスの「資本論序文」で指摘されているように、プロレタリアートも含めていいだろう。何ゆえかはネタバレになるので書かないでおく。クロード・ベルナールやパスツールやコッホらを観る目も変わる。ずっしりと重い読後感だけは保証できる。

 

 ← タンポポの綿毛はふんわりして可憐だ。自宅の庭で過日 撮影。

 

 デイヴィッド・J. リンデン著の『触れることの科学: なぜ感じるのか どう感じるのか』 (河出文庫)を仕事の合間に読んでいる。あと数日で読み終えられるかな。車中で慌ただしく読む本じゃなかった。自宅で注釈も含めゆっくり楽しみたい本だ。 奥が深い。触れる……それだけのことだが、分かってきたことも膨大だが、分からないことも無尽蔵にありそう。凡ては界面……膜での内と外との別れと出合いに始まった。違和感、差異、曖昧模糊、闇夜に舟を漕ぎ出して月の淡い光を頼りに、そう二つの波が重なるように出合い重なり合い別れていく。膜……皮膚は凡ての始まりと終わりの場。 (05/12 20:05)

 …など、11日付けのブログ日記に昨日(12日)の分も載せておいた。休みの日に纏めて日記を書くって遣り方の功罪もありそう。

 

 余談だが、会社から勤務時間帯を今の夕方七時から未明の四時までを、二時間繰り上げて夕方五時から夜中の二時までに切り替えたい…切り替えることを検討しているという通知があった。

 乗務員が足りない、夜中にやる乗務員がいない、などなど会社の都合。基本給もない給料体系の会社には応募する人は、今の時代、居るのだろうか。

 会社の都合。夕方七時を五時に。出社時間を夕方七時にしたのは、まず、その頃には夕方の交通ラッシュがピークを過ぎるだろうということ(通勤途上の渋滞箇所)、それと、自分が来ているワイシャツの大半が十年もので、ヨレヨレ。明るいところではみすぼらしいこと。制服だってズボンも含め古いし解れがある。夜だから多少は誤魔化せるのだ。

 ワイシャツくらいは買えよ、かな。普段着だってボロになるまで着てるのだがね。

 ボロは着てても心は錦…とはいかないな。嘱託の乗務員など、会社には安く働くタンポポの種のように風に吹き飛ばされる存在。無線室の奴らなど、挨拶もしない。する人もいるがね。

 

 ← 鈴木 理生 著『お世継ぎのつくりかた ─大奥から長屋まで江戸の性と統治システム』(筑摩書房) 「家康は「我が子」をどう活用したのか。家を絶やさぬために不可欠な方策とは。お世継ぎをめぐる血統争奪戦の帰結は。性と子造りから読み解く江戸三百年仰天の真実!」

 鈴木 理生 著の『お世継ぎのつくりかた ─大奥から長屋まで江戸の性と統治システム』を11日読了。古書店で発掘した本。容易に想像されるように、大奥にビビビと来ての疚しい(?)期待で手にした本。

 が、内容は学術的とまでは言えないが、江戸時代の知見たっぷりの、江戸関連の著書を何冊も出されている、都市史研究家ならではの本。「性と子造りから読み解く徳川二百六十五年。多くの子どもを存分に活用した家康。大奥“お世継ぎ戦争”負の遺産。女系相続の「農工商」。お妾という習俗の本質…縁組と後継ぎから迫る江戸の統治システム」がこれでもかと示される。

 家康に限らず武家は家を存続させるため、小作りに戦以上の戦いを夜毎繰り広げていた。それこそ懸命に。女児が生まれたら、闇に葬られることも珍しくなかった。女は借り腹の対象に他ならない。男系の系譜を保つには側室は不可欠だったと思い知る。天皇家の存続で男系女系論議がなされているようだが、本書で男系を保つことの困難さを学ぶべきだろう。そのために一石を投じた本ではないのだが。

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