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2022/05/31

毎日仕事に追われている

 

 ←     石村博子 著『ピリカ チカッポ(美しい鳥) 知里幸恵と『アイヌ神謡集』』(岩波書店) 「新資料をもとに描く「生の限りを書かねばならぬ」との誓いに殉じた知里幸恵の生涯」

  27日(金)、 石村博子 著『ピリカ チカッポ(美しい鳥) 知里幸恵と『アイヌ神謡集』』を読了した。書店で発掘した本。いつもなら素通りするコーナー。二か月前に目当ての本を探したが見つからず、がっかりした場所。念のためと、諦めの悪い小生、もう一度探したが見つからない。

 その場を立ち去れず、その周辺を物色していて、気になる題名のこの本が目に飛び込んできた。

 出版社の内容案内によると、「「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました」。一〇〇年前、一人のアイヌの少女がこの一文から始まる一冊の本を残した。一度は忘れ去られた知里幸恵はなぜ復活し、アイヌの魂の象徴的存在となったのか。『神謡集』ノートや日記など未公開や新資料をもとに、「生の限りを書かねばならぬ」との誓いに殉じたその生涯を描く」というもの。

 このエポックな書『神謡集』は、かの金田一京助との出会いが産んだともいえる。

 知里幸恵は、「北海道登別市出身のアイヌ女性。19年という短い生涯ではあったが、その著書『アイヌ神謡集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ伝統文化の復権復活へ重大な転機をもたらしたことで知られる」(Wikipediaより)という人物。心臓に欠陥を抱えていたため、無理が祟ったこともあり、惜しくも夭逝した。

「2008年10月には、NHKの『その時歴史が動いた』で幸恵が詳細に取り上げられ」(Wikipediaより)たこともあるらしい。

 余談だが、 北海道開拓……。富山からも多数。アイヌからしたら、植民地支配。徹底的に虐げられた。欧米が中南米を……なんて言ってる場合じゃなかった。和人の仕打ちの歴史をこそ知らなくっちゃと、猛省を迫られた。

 

 個人的な思い出をメモると、吾輩が初めてアイヌ文化(?)に接したのは、1972年の6月。友人と北海道をテントを背負ってのキャンプ旅行をした際のこと。登別だったか記憶は定かではないが、某所でアイヌらしき風貌の方が木彫りの実演販売をしていた。極めて簡素…安直な木彫りと呼ぶのも躊躇われる人形を売っていた。つい勢いで買ってしまった。今も部屋の片隅に残っている。

 

 ← J・M・G・ル・クレジオ作『ビトナ ソウルの空の下で』(中地義和訳 作品社) 「田舎町に魚売りの娘として生まれ、ソウルにわび住まいする大学生ビトナは、病を得て外出もままならない裕福な女性に、自らが作り出したいくつもの物語を語り聞かせる役目を得る。少女の物語は、そして二人の関係は、どこに辿り着くのか――」

 ル・クレジオ作の『ビトナ ソウルの空の下で』を31日(火)の夜、読了した。ル・クレジオによる韓国の首都ソウルを舞台の小説。彼には勧告を舞台の小説は初めてではない。招きもあり、韓国の街を相当に歩き回ったとか。土地勘もあって、ただの旅行者の印象に留まるものではない。むしろ異邦人だからこそ、本国人(の特に若い人)が見失った土俗的で自然に霊を嗅ぎ取る文化、日常の中に輪廻転生を生きる文化を効果的に物語に取り込んでいる。

 自分の中では、ル・クレジオは詩的イメージの豊穣さの印象が圧倒的であった。が、本書を読んで、ル・クレジオは物語の力を信じている作家だと痛感させられた。ポール・オースターばりに物語を、時に物語の中に物語を入れ子にしてまで創り出してしまう。そうか、ル・クレジオはそんな作家だったのか。これは吾輩のル・クレジオ理解が貧弱だったことなのだろう。

 

 今日の朝食(兼昼食)に、カレーライス(ライスカレー?)を食べた。数年ぶり。但し、インスタント。ああ、具沢山のカレーライス 食べたい。…ほんの数年前は、カレーのルーを用意し、ジャガイモやニンジンなどを煮込みと、手作りのカレーに挑戦したのが夢のようだ。(05/31 20:52)

 

 録画で: 「【NHK BSプレミアム】ワイルドライフ スペシャル グリーンプラネット(3)「乾きの大地」5月30日放送」 見応えあった。

 植物たち…この番組では砂漠などの苛酷な環境に生きる、サボテンなどの植物の生存(繁殖)戦略は驚異なほどに見事だ。 

 

 「なぜ美人ばかりが得をするのか」なんて本が話題に。美人となると、女性限定なのか。ま、主に男性の常識(?)からすると、美人即美しい女性ってことか。が、最近のテレビドラマや、特にCMを見ると、半数かそれ以上に美男子が採用されている(← 印象に過ぎないか……)気がする。ビールの宣伝ポスターでも、グラマラスなビキニの若い女性がニッコリと。若く綺麗な女性ばかりがアピールされている……ああ世の男性はあんなのが好みなのね……。

 が、今や少なくともドラマやCMでは、若くハンサムな男性が引っ張りだこ。眩しい彼等を観て、ああ世の女性の本音はやはりああいう男性が好みなのねと僻む? 一昔前の女性の鬱屈した感情を今や男性が味わう番? 男女同権?

 美人は、美人女性だけじゃなく、美人男性を含み、とにかく(価値評価の基準は不明だが)美しい人。建前からすると内面やら生き方やら諸々を含むのだろうが、美人……美しい人がクローズアップされるほど、埒外に沈む者も多数にのぼるか。

 ま、美人を幅広く理解してスターの一種だとすると、スターは少数であってこそスターなんだから、羨望嫉妬の念を抱くの庶民が多数派なのは自然なのかな。平凡こそ一番という考え方も大いにありえるだろうし。(05/31 23:26)

 

 ← A・ソルジェニーツィン/著『イワン・デニーソヴィチの一日』(木村浩/訳 新潮文庫) 「スターリン暗黒時代の悲惨きわまる強制収容所の一日を初めてリアルに、しかも時には温もりをこめて描き、酷寒(マローズ)に閉ざされていたソヴェト文学界にロシア文学の伝統をよみがえらせた」

 ソルジェニーツィン作の『イワン・デニーソヴィチの一日』を29日(日)読了。

 多少は期待して手にした。

 うーむ。読むのがやや苦痛。比べるのも筋違いだろうが、ドストエフスキーの「死の家の記録」とは雲泥の差。こちらは少なくとも4回は読んだが、ソルジェニツィンのは通読も苦しいかも。ノーベル文学賞受賞は政治的な思惑なしとせずと揣摩憶測していて、反発もあって敬遠してきたのだった。偏見かも、という懸念を抱きつつ。あるいは判断に間違いはなかったのか。「収容所群島」を読んでから、最終判断すべきか。(05/26 09:43)

 読了して…決して月並みではないけれど(そうでないと、さすがにノーベル文学賞は無理)、傑出しているとは云いづらい。読み続けるのが苦痛だったのは確か。仕事の合間に何とか読み流した。 05/26 13:36)

 

 さて早くも六月である。何をしないままに年の半分が過ぎ去りつつある。勤務体制が日勤(働く時間帯は夜だが)に代わり、なんとなく日々が慌ただしい。印象では毎日仕事に追われている感がある。

 週に三日働き、残りの三日は終日在宅だったのが、週に5日は勤務するので、ブログを書くのもやっとの感があるのだ。なんとか、生活のリズムを自分本位に持っていかないと。

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