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2022/05/26

読書もしたいがまずは庭仕事

 ← 冲方 丁作『破蕾』(講談社) 「冲方丁、初の江戸官能小説」2010年『天地明察』で第31回吉川英治文学新人賞

 冲方 丁作『破蕾』を23日読了。あの「天地明察」の作家。……にしては……。作家名と表紙絵に惹かれて(?)手にした。うーむ。今時珍しい箱入り。責め絵では、伊藤晴雨に敵わんな。エロ度では……。伊藤晴雨の責め絵は、若いうぶな我輩をどれほど悩ませたことか。 (05/24 00:57)

 ← サツキロード。苧環の影が薄い。奥の緑は、山茶花、椿、ミカン、梅、柘植その他。

 夜中になっても庭仕事の疲れとれない。読書する気力が湧かない。テレビをダラダラ。折角の休日もこうして過ぎ去っていく。オーブンレンジの掃除、ハードな庭仕事、洗濯2回。やることはやったんだが。肝心の読書が進まないと消耗感があるばかり。 (05/27 01:05)

 

 ← 守屋 洋『名著12篇に学ぶ中国古典の人間学』 (新潮文庫)   「時の流れに耐えて生き残ってきた古典は人間学の宝庫である。特に、戦国の武将や歴代の支配者に読み継がれてきた中国古典は、指導者論を大きな柱にすえており、厳しい現実を生き抜く現代のリーダーにとっても必読の文献なのである。」

 守屋 洋著の『名著12篇に学ぶ中国古典の人間学』を24日読了。ビジネスや政界官界で出世を志す方向けか。出世には無縁というか、考えたことのない我輩にはやや退屈な書。父の蔵書なので読んだ。父は篆刻の勉強のため、中国の古典に関心があったか。

 「論語」などはかじった。老荘思想も興味あり。「史記」や「三国志」「水滸伝」などは、経営者視点でなく読みたい。吉川版三国志など血沸き肉踊る本は、少年時代に読んでおきたかった。

 中・高生の頃は、日本の文学は別にして、まだ(ロシアも含めて)西欧一辺倒。それはそれで仕方ないけど、視野が狭かった……。だからと云って今は広い訳じゃないし。 (05/24 20:59)

 

 ← 揖斐 高 編訳『江戸漢詩選 (下)』(岩波文庫)「都市から地方へ、大衆化が進みますます広がる江戸漢詩の世界。下巻では後期以降の百六十首を編む。」

 揖斐高 編訳の『江戸漢詩選 (下)』を十日余りを費やして26日読了…。ただの通読かな。白文は読めないし。それでも少しは楽しんだ。本書については随時、メモ書きしてきた。

 いきなり下巻からってのも変則的だが、恐らく上巻からでは上下二巻を読破する気力が萎えるからだったろう。

 だが、下巻だけでも江戸時代の漢詩の世界の広がりと層の厚さをしることができた。巻末には、編訳の揖斐氏による解説があり、あるいはこちらを読んでから取り組んだほうがよかったか。

『論語』にしても、老荘の書についても齧り読み。三国志も水滸伝も読んでない素養のなさ。それでも、『懐風藻』や『古事記』、一休宗純の「狂雲集」も通覧はした。こちらは、日本の中どころか、中国の水準からしても高みを極めている気がした。

 が、肝心の江戸時代は、漢詩について空白ゾーン。藤原惺窩、林羅山、太田南畝、新井白石、荻生徂徠、市河寛斎、木下順庵、中江藤樹、室鳩巣、藤田東湖、佐久間象山、西郷隆盛、吉田松陰…。名前を有名どころを列挙するだけでもこれだけの人物がいる。

 今回、市河寛斎なる漢詩人が我が富山にもゆかりの人物だと学んだこと。江戸時代、富山にゆかりの有力人というと、南画の大家・池大雅がいる。漢詩選には入ってない。

 漢詩は少なくとも江戸時代までは武士や僧、文人の素養だった。読むのは無論、書き連ねもした。それが明治時代になって一気にその伝統が瘦せ細った。日本の文化の継承が研究者だけの細々としたものになった。維新が何とか偉そうに喧伝する奴らがいるが、漢詩の一つでも捻ってみろと言いたくなる。

 と云いつつ、自分にしても、書き下し文が辛うじて楽しめるだけ。日本人として情けない限りである。

 ちなみに、26日のうちになんとか、上巻を読み出した。

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