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2022/04/04

青柳いづみこ 著の『音楽と文学の対位法』に痺れた

 ← 青柳いづみこ 著『音楽と文学の対位法』(〈解説〉鴻巣友季子 中公文庫)  「ショパン、シューマンはじめ、六人の大作曲家と同時代の文学との関わりに、モノ書きピアニストの切り口で光を当てた比較芸術論。」

 青柳いづみこ 著の『音楽と文学の対位法』を夜半過ぎに読了した。この数日、仕事の合間の楽しみに読んできた。が、昨日の休み、ずっと自宅で読んできた本(D.G.ハスケル著の『木々は歌う-植物・微生物・人の関係性で解く森の生態学』)の続きを読もうとしたが、青柳氏の本の続きを読みたくて、残りの140頁ほどを夕方から夜半過ぎにかけて一気読み。面白くて頁を捲る手が止まらない。

「ショパン、シューマンはじめ、六人の大作曲家と同時代の文学との関わりに、モノ書きピアニストの切り口で光を当てた比較芸術論」とか。対位法の意味が文学もだが、音楽の素養も全く欠けている自分にはなんのことやら。「音楽で,独立性の強い複数の旋律を調和させて楽曲を構成する作曲技法」なんて説明を受けてもさっぱり。

 

 本書は以下の六章から成っている:

 *モールァルト
 *シューマンとホフマン
 *ショパンとハイネ
 *ワーグナー
 *ラヴェルとレーモン・ルーセル
 *ドビュッシーとランボー

 

  モーツァルトの章には、「カメレオンの音楽」とあり、ワーグナーの章には「倒錯のエロス」とある。音楽家と文学者・詩人らとの人生や作品が対比させられていると思ったら大間違い。ピアニストで卓抜な腕を持つ文筆家の青柳氏が、一見すると似て非なる音楽と文学の世界とを青柳的場の領域だからこそのトポロジカルで遊戯的な共通性を探り出して見せる。中には両者が人生の一時期であろうと、捻じれの関係というか、恐らくは関わり合ったことのないケースもある。

 それでも読む吾輩に手に汗握るような、まさに手練れのピアニストの流麗な論旨の展開で読み手たる吾輩を楽しませてくれる。文筆のエンタテイメントを楽しめる。記譜法などが出てきて面食らっても構わない。青柳氏は音楽のイロハも知らない吾輩をも音楽家と文学者らの深いところでの共通性を納得させてしまう。音楽の理解もだが、文学についても視野を広めてくれた気がする。

 鴻巣友季子さんの解説も軽快絶妙で面白かった。青柳氏の本は久しぶり。二冊目か三冊目。近いうちに別の本に手を出すつもりだ。ホント、少しは音楽的素養があったらなーと思ったものである。

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