梅は咲いたが水仙はまだ
腹 減った。数日買い物してないので、食べるものがない。冷凍食品はあるが、体調から重すぎる気がして、気が乗らない。なので昨夜は非常食のカップヌードルを食べた。(03/14 09:29)
曇天。昨夜の雨は朝には上がった。体調も戻り自転車を転がして買い物へ。3日ぶり。帰宅して庭を見て回り、庭や畑の落ち葉を手袋した手で拾いコンポストへ。半時間余りの作業で汗が滲んだ。(03/14 15:39)
田子の浦と云えば、静岡県富士市の浦。が、富山にも田子浦があることを初めて知った。大伴家持は高岡や伏木などを巡回したのに、何故いきなり田子浦なる地名が出るかと驚いた。調べてみた: (03/14 09:54)
「田子浦藤波神社(氷見市)概要: 田子浦藤波神社は富山県氷見市下田子に鎮座している神社です。田子浦藤波神社の創建は平安時代初期の延暦17年(798)に大伴家持から授かった太刀を御神体として南兵衛尉信光が祀ったのが始まりと伝えられています。当初は剣の宮と称していたそうですが後年になり神明社となり明治18年(1885)に現在の田子浦藤波神社に社号を改称しています。」
「境内は古くから藤の群生地として知られ、越中国守大伴家持が「布勢の水海」に遊覧した際、「藤波の 影成す海の 底清み しずく石をも 珠とぞ吾が見る」の歌を作り、室町時代に佐阿弥安清がつくった有名な謡曲「藤」の舞台となり、元禄2年(1689)には松尾芭蕉がこの地を訪れる事が出来なかったことを嘆き「 早稲の香や 分け入る右は有磯海 」の唄を残しています。」(以上、転記は「氷見市: 田子浦藤波神社」より)
こういうふうに調べものばかりしてるので、なかなか先に進まない。急ぐ必要などない。地名や花の名で知らないのが一杯。気になる。それにしても、大伴家持の所縁で地名に田子浦が成ったのか、もともとそうした地名だったのか。(03/14 09:59)
← 折口信夫 著『口訳万葉集 (下)』(解説=夏石番矢 岩波現代文庫)「折口信夫は,29歳の若さで,日本の大古典に挑んだ.『万葉集』全歌の口述筆記による現代語訳を敢行した.本書を以て大古典『万葉集』は,広く国民に愛読される契機となった.下巻には,巻第十三から巻第二十までを収める」
昨日はワクチン3回目。ファイザー、ファイザー、モデルナ。3回目だからか、モデルナだからかは分からないが、今日1日苦しんだ。夜になって落ち着いた(と思いたい)。 (03/13 23:15)
副作用や後遺症よ、モ~デルナ! (03/13 23:15)
上記の呟きに頂いたコメントへのレス:お陰さまで症状は、夜になって落ち着き、夜半に至っても大過ありません。あとは、後日 副作用が生じないかどうか。こちらは長い目で見る必要がありそうです。(03/14 01:39)
幸い今日……今朝は無事。やはり、昨夜は仕事を休んで正解だったと、改めて思ってる。(03/14 08:11)
昨日は、折角仕事を休んだのに、気分が悪く読書できず。今日こそは! (03/14 09:31)
折口信夫 訳による『口訳万葉集 (下)』を読み続けている。万葉集は、四半世紀以上昔、中西版万葉集を読んで以来。当時は若さに任せ勢いで読んだような。何処まで味読できたか危うい。それでも、全巻を読み通したという自信めいたものは胸の奥に潜めることが出来た。自分は富山市の人間だが、万葉集の編纂に関わったとされる大伴家持は、高岡市に国守として赴任し、5年滞在した。だから富山県人としては少しは歌集に触れておきたかった。
今回は、もう再々の再読はあり得ないだろうと、ゆっくりじっくり詠んできた。それでも、未読とはいかないが、まあ、触れることが先決だろう。
折々、本書について呟いてきた:
本巻の19ともなると、大伴家持は少納言となり、5年に渡る越中赴任を終え、都へ。(03/14 17:54)
このあとに、突如 壬申の乱に際しての短歌が。672年のはず。「壬申の乱は、天武天皇元年6月24日 - 7月23日、に起こった古代日本最大の内乱である。 天智天皇の太子・大友皇子に対し、皇弟・大海人皇子が兵を挙げて勃発した。(03/14 18:10)
「大君は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ(万19-4260) (中略) 大伴家持が天平勝宝四年(752)に記録したものと知れる。 【参考歌】柿本人麻呂「万葉集」巻三 大君は神にしませば天雲の雷(いかづち)の上にに庵らせるかも 作者不詳「万葉集」巻十九 大君は神にしませば水鳥のすだくみ沼を都と成しつ」……不思議だ。何故に「大伴家持が天平勝宝四年(752)に記録した」のか。都に帰ってこのエポックな短歌を知ったので記録した? (03/14 18:18)
「4157 紅の衣にほはし辟田川絶ゆることなく吾かへり見む」 この短歌(反し)の中の「辟田川」が現代のどの川に相当するか、分かってないとか。射水の川らしいのだが。(03/14 07:53)
「♣♣♣ 旅 ♣♣♣ 比定されない辟田川(さきたがわ)」このサイトの方がかなり詳しく探究されている。(03/14 07:55)
上記のサイトでは考慮の中にないが、井田川も候補の1つになるのでは? なんたって元々が咲田川なのだから: 「古くは、この川の守護神咲田姫に由来した咲田(さきた)川と呼ばれていた。のちに「さきた」が「さいた」となり、「さ」が取れて「いた」となったといわれている。昔は出水が多く上流から下流近くに住む人々の暮らしに大きな影響を与えた。」(Wikipediaより) (03/14 07:58)
ついでにメモる。大伴家持の短歌の中に「石瀬野……」なる地名が。まさかとは思うが、富山市の住人としては、海辺の岩瀬が馴染みでもあるし、つい富山市の岩瀬を思ってしまう。が、この歌の前後では、高岡市の地を廻っている。高岡市野村に岩瀬という地名があったらしく(歌碑がある)、どうやら富山市の岩瀬は難しそう(こちらにも歌碑があるらしいが……)。 (03/14 08:04)
この石瀬野については、「高岡万葉博物館 いわせの」を参照させてもらった。
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