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2022/01/28

吾輩も社会復帰したい

Sosu_20220128210801 ← パオロ・ジョルダーノ作『素数たちの孤独』(飯田 亮介訳  ハヤカワepi文庫)「ふたりは理由も分からず惹かれあい、喧嘩をしながら、互いに寄り添いながら大人になった。だが、ささいな誤解がかけがえのない恋を引き裂く」


 九時頃 目覚めカーテンを開けたら雪国。折角、黒い地がかなり見えていたのに。雪は考えてなかったので、ちょっとショック。今日も休む。腰はもう一息。昨日、検診の病院で腰痛(ヘルニア)で2度 手術したという同年代の同僚と雑談。今は立派に仕事してる。趣味の釣りやバイクも続けてる。我輩も社会復帰したい。(01/28 11:37)
 と云いつつ、朝方の雪にビビり、今日も休んだ。情けない。治りがけ。あと一息。


 長年の悪癖を止めた。それはリクライニングでの読書。就寝もだが、読書もリクライニングチェアーで。食事の際だけ、テーブルに向かう。運動不足は、自分の年代としては少なくはないはず。庭仕事が自分を休ませない。ただ、部屋での生活も、仕事柄からしても、座りっぱなしだし、特に自宅での過ごし方はまずい。
 ギックリ腰で反省し、読書はテーブルに向かい、椅子に座って。できるだけ背筋を伸ばして。腹筋や背筋を殊更な運動ではなく、日常の中で鍛えていく。

 何やら(下記の本を)読んでたら、「ローソンの光」なる言葉が。昭和……戦前にもうローソンがあったのか? 見たら「ローソクの光」だった。(01/28 18:10)

 

  パオロ・ジョルダーノ作の『素数たちの孤独』を今朝読了した。傑作。本作については、読み出して間もなく、以下のように呟いた:
 

 ほとんど題名で選んだかも。なんたって素数だもの。素数は孤独なのかな。たとえ一瞬ぶつかり火花を発するように見えても、それは眺める誰かの錯覚に過ぎない。衝突する2つがゆえの、燃え上がる焔の須臾の煌めきを垣間見たいという願望の為せるわざに過ぎない。星座を為すオリオンの白々しさ。星々たちは捻じれの位置にある。宇宙に於いては素数という名の星は音楽を奏でることはない。

 

 片や物理学や数学の才能の際立つ孤高な少年。全てが解析の対象に見えてしまう。他者と気軽には交われない。片や父との相克もあり、拒食症になる。その挙句、スキーで自滅の事故を起こし、片足が不自由になる少女。少年には、子供の頃に双子の脳に障害のある妹を死に追いやった過去がある。憶測だし、小説には書いてないが、恐らくは親の意を汲んでの犯行。誰にも語れない自分だけの秘密が喉に含んだ匕首となって彼を苦しめる。が、やがてそんな過去を打ち明ける少女と出会う。拒食症に苦しむほどに世界とは相和すことのできない少女だからこそ、彼は全てを告白でき、一時でも抱き合えたのだ。
 だが、2人の関係は長続きしない。それぞれは捻じれる平行線だ。ある視点からはどうみても交わっていく…交わっている…そのままでいいはずとしか見えないのだが、しかもその平行線はロバチェフスキーの非ユークリッド的な平行線であり、2人にも交わるかのような平行線が何本も見えてくる…。迷い苦しみ遠ざかり近付き、ついにはやはり2人は交わるべく再会する。交差し摩擦熱と光さえ発する。閃光は2人のそれぞれの心の氷を解かす。解けた瞬間、2人はそれぞれの道があると気付かされる。孤独な道。だが、今度は歪でも尖がってもいない。どこか温みさえ予感させる道でもある。


Soren ← 平井 美帆著『ソ連兵へ差し出された娘たち』(集英社)「作品は、共同体の「自己防衛」のために女性たちを「人柱」に捧げる「隠された暴力」の柔らかなシステムを浮かび上がらせている点で、極めて現代的な意義を有していると言える。 ――姜尚中氏(東京大学名誉教授)」

 題名に惹かれて平井 美帆著のノンフィクション作品『ソ連兵へ差し出された娘たち』を読み始めた。
 日本人は、「明治時代から第二次世界大戦の敗戦まで、北海道、樺太、ハワイ、満洲、朝鮮半島、台湾、南アメリカ、北アメリカへと広く移住した」「第二次世界大戦直後までの日本は出生率が高く、政府は人口増加に比べた耕地や雇用の不足を、海外移民により緩和しようと考えた。」(Wikipediaより) 日本の政府(軍部官僚)が戦争で兵士等(沖縄など本土の住民も含め)の命を軽んじたのも、口減らしの一貫か。(01/28 17:41)


 我が「富山県(越中)から北海道への移住者は、記録のある1882(明治15)年から1935(昭和10)年までの間に4万8445戸・約25万人と都府県で5位。ただし、1897~1901年に限ると2位、02~06年と1907~11年は1位で、明治後期に急増」(01/28 17:45)
 明治以降の富山県から北海道への移住については:「明治・大正期に砺波地方から北海道へ移住した人々の足跡を辿る – 富山県博物館協会」 (01/28 17:47)

 

 中国残留孤児と中国残留婦人(等)との区別は、旧厚生省によると、前者はソ連の対日参戦時旧満州にいた十二歳以下の日本人児童で、後者は十三歳以上の日本人。多くは婦人。旧厚生省は、後者は自分の意思で残ったと捉え、結果的に(?)忘れ去られた存在となった(見棄てた)。(01/28 14:47)

 過去を知らずして今もこれからの日本もありえない。歴史修正主義者の都合のいい歴史観などクソっくらえだ。

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