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2022/01/23

力仕事は極力 避けて…のはずが

Stave ← ノルウェー・テーレマルク近郊に建てられたスターヴ教会(Stave church)または樽板教会は、支柱と梁で構成された中世の木造教会である。いま読んでいるローランド・エノス著の「「木」から辿る人類史」にて知った。初見。(画像は、Wikipedia から。01/23 00:57)

 家に籠ってる。庭仕事はもとより除雪もしない(次の寒波が来る前に庭などの根雪は出来るだけ除雪するのが賢明なんだが)、安静にしてる。買い物も切羽詰まったら……と思ってたんだが……やはり貧乏性というのか、奥の書庫や昔の父母の寝室の押入れなどを少し片付け。(01/23 17:19)
 腰に負担の掛からないよう、力仕事は極力 避けて。(01/23 17:20)


 父母の扇子や風呂敷、タオルが一杯。タオル類は、記念品か引出物、返礼品。未使用だが古い。何かの折、町内会で救援品はありませんかと回収に。これ幸いと出そうとしたら、古いものは要りません!とキッパリ。(01/23 17:24)
 父が集めてたお酒のラベルが数百枚(数えたことはない)。何故か団扇までが数十枚(これは我輩も手に入れば大事に収集)。クリアファイルも数十種(枚…クリアファイルは吾輩の収集)。
 金目のものがない!(あったら使い込んでる!) 切手やコインが少し(少なすぎて、換金のコストのほうが余計に要る)。
 書庫の奥の一角だけでも片付いてちょっとスッキリ。二時間弱の軽作業だったが、これだけでも動けたことが今は嬉しい!
 押入れから我輩の古い衣類が出てきた。あんなところに収めた記憶なし。多分、帰郷した当時、すぐに着そうな衣類は表に、当座は要らないものは押入れに突っ込んだのかな。古いが傷はない。ただ、ズボンなどはサイズが合わない。痩せたら……。棄てるべきか、いつか痩せるのを待つか、それが問題だ。
 衣類には、毛糸のセーターが団子にされて何枚も。買って間もないものばかり。そうだ、洗濯機で洗って縮んでしまい、着ると臍だしルックになる。捨てられなくて、ても目障りで、尼寺ならぬ押入れへ! 毛糸のセーターは高いものばかり。どうする? 棄てる? (01/23 17:42)

 

Wood_20220123203401 ← ローランド・エノス著『「木」から辿る人類史 ヒトの進化と繁栄の秘密に迫る』(水谷淳訳 NHK出版)「類人猿の樹上の巣から、交易に活用された木舟、多様な建築技術、エネルギー源としての木炭まで、つぶさに語られる木の驚くべき汎用性を通して、今まで見えていなかった新しい歴史の姿が現れる」

 

 相変わらずローランド・エノス著の『「木」から辿る人類史 ヒトの進化と繁栄の秘密に迫る』を読み続けている。メモすることが多くて思ったほど進まない。ま、慌てる必要はないが。
 本書の前半は我輩には目新しい知見に満ちていて、メモやら付箋貼りに忙しかった。まさに木を巡る人類史の名に偽りはない。が、後半は人類といっても木に焦点は合っていても、西欧の人々の歴史。中国はもとより日本など、法隆寺に言及されてるだけ。(01/23 14:11)
 著者はイギリスの生物学者だし、古代ギリシャ以降は(その前はメソポタミアやエジプト等々)西欧の発展が世界を席巻したんだから仕方ないけどさ。
 日本人の手になる木と人類史の本なんてあるのかな。木を巡る日本史もない? あるとしたら、縄文時代以降の木の活用史か。(01/23 14:20)

  トゥトアンクアメン……。気付く人はすぐ気付くだろう。そう、ツタンカーメンである。本訳書ではトゥトアンクアメンと表記している。原語の発音に近い? 何故にこう表記する? ツタンカーメンでいいんじゃないかな? (01/23 00:16)

 

 

 腰痛を腰痛見してる。腰痛路に除雪する。胃の上腰痛。あんた何歳? 腰痛。腰痛に何だ? (01/22 18:38)
 ヨウッツーノは浮かばなかった。このツイートは酔うツイートだ。蛸や烏賊の足は腰痛い。それにしてもつまらない駄洒落が腰 痛づきますな。(01/22 21:48)
 
 カーテンを閉めようとしたら、窓の外……遠くに見慣れない白い光。動かない……動いてる……。ジッと眺めてたら、僅かずつ動いてる。旅客機だ。多分、東京から富山空港へ。アルプスの山々を越え、一旦 富山湾へ。海上から神通川を遡上する。神通河原の中の空港だ。パイロットからすると、高度を下げ、神通川に架かる橋すれすれに降りるような感覚があるとか。2度乗ったことがある。迫力ある。(01/22 17:39)

 

Kabel ← エジプト・カイロ博物館に収められている、いまからおよそ4500年前のカアペルの像。理想化されたファラオの石像とは対照的。 いま読んでいるローランド・エノス著の「「木」から辿る人類史」にて知った。こういうのは、学者は紹介しないね。片手落ちな気がする。(01/23 00:42)

  まるで本書に関係ないようだが、木からの連想。何年か前、アメリカの圧力で大規模小売店舗立地法が成った。功罪はある。スーパーは便利だ。存分に利用してる。が、失われたものも沢山。あるいは、失って初めて気付かされる嘗ての暮し。どの町にも駄菓子屋があり、タバコ屋があり、八百屋があり、小さな書店があり、写真屋さん、床屋さん、大工さん……。駄菓子屋さんには、年老いた叔母さんが居て、近くの子が10円か20円玉を握りしめてやってくるのを楽しみにしてる。来たらニコニコして、オマケを沢山くれる。商売気なんてない。交流が楽しいのだ。(01/22 19:34)
 八百屋も魚屋もラーメン店の人もみんな顔見知り。ビニール袋じゃなく、紙の袋にミカンとか御菓子とか。小さな子も老人も歩ける範囲が我が町だった。そんな風景はあっさり大店舗が掻き消した。車社会なんだから仕方ない。子供の空き地より、駐車場が必須。道路は拡幅され舗装され、町は寸断され……。(01/22 19:40)
 近所付き合いもだが、家の内外の道具などを手作りする文化も消え去った。簑や草履や笠や合羽や、炭や味噌や梅干や箒や……。合理化とグローバル化とが人間味を極限まで奪っていく。Alは、人間なんて不要としかねない。唯一、機械化では採算の合わない、ダーティで危険な、あるいは神経を磨り減らす末端の<エッセンシャル>な些事が残されるかもしれない。(01/22 19:48)
 嘗てなら年老いても地元の町で子供らと交流できていたはずなのに、今は役に立たない老人はさっさと施設に閉じ込められる。時代は、今や中年や若者も役に立たない奴は社会の隅っこに排除されていく。誰のための経済合理性か。くそっくらえだ。(01/22 22:14)
 我輩も遅かれ早かれ施設へ。……というか入れてもらえないか。病院だって迷惑だろうし。行き場が…居場所がなくなってる。(01/23 00:21)

 本書によると、車輪……車軸の発明は画期的だった。紀元前数千年前には作られていた。左右の車輪を違うように回すこともかなり昔(青銅器時代)から。中国や日本は? 荷車は何時からあった? 祭の山車で、左右の車輪が自在なのってある? うーむ、気になる。(01/22 19:00)
 平安時代には、牛車とかあったはず。大八車もかなり昔からか。でも、左右の車輪は回転が常に一緒か。曲がるのは大変だったろうな。そういや、我が家の荷車は何処行った。
 南北アメリカでも、高度な文明があった。ただ、車輪と床張りの船はなかった。カヌーのような、木をくりぬいた舟だけ。が、近年、南米に床張り船が見付かった。1300年前のもの。どうやら、ポリネシアからのもの。交流があったらしい。(01/22 19:21)
 魏志倭人伝での謎の記述。もしかして邪馬台国周辺の国の中にポリネシアや南米と交流を持つクニもあったか?

 

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