会社へ出頭 ? !
← 山本文緒作『プラナリア』(文春文庫)「乳がんの手術以来、何もかも面倒くさい25歳の春香。出口を求めてさまよう「無職」の女たちを描いた直木賞受賞作」
既に2週間近く仕事 休んでる。今日 会社へ出頭。サボってるわけじゃない、働く意思はある、働かないと生活が成り立たない、腰痛は徐々に回復している、来週にはなんとか、云々と釈明、一応は了解を得た(?)。 嘘偽りのない釈明なのだが、自信がない。治りかけると、何かの拍子にぶり返す。除雪はしない。雪は積もるもの。いつかは消えるもの。(01/21 19:33)
実は、会社へは仕事のスケジュール表をもらいに行っただけ。すると、事務員が上に来いと。案の定、上記のような展開に至ったわけである。
心配していた今回の寒波は峠を越えた。積雪は新たに20センチ余りで大したことはなかった。腰を痛めるかもと思いつつ除雪作業…ということはそれほどなくて済んだ。昨年のような大雪に見舞われたら、どうなったことやら。その意味で、今のところはだが、助かっているとは言えるか。
山本文緒作の『プラナリア』を今朝読了。女性作家の小説を読むのが大好き。男性作家が描く女性像や心理ではなく、女性が描く心理や男性観を知るのが面白い。小説だからか、酔った勢いで時にはその日に知り合った男と一夜を過ごす。山本文緒は、2000年に『プラナリア』で第124回直木賞を受賞。この頃と今とは世相が違うか。今もだが、女性が亭主より稼ぎがいいと、男性は肩身が狭い。あるいは男性は肩身が狭いだろうなと女性が忖度する。この短編集の中でも、相手のふがいなさに歯噛みする女性の、どうにも踏ん切りの付かない様子がある種のユーモア感覚も漂させながら、それでも切なさに苦しむ姿が印象的に描かれている。現代ならこんな女性像は時流から外れているか。
「プラナリア」以下の作品もいいが、印象に残ったのは、最後の「あいあるあした」だった。この作品だけ男性が主人公。詳しくは書かないが、もしかして作家の理想像とまでは言えないが、好ましい男性像を描いたようにも感じた。過日、プラナリアなる動物について、「掴みどころがあるようなないような、弱々しいような逞しいような、くねくねしたところがたまらない」と書いた。男性には窺い知れない女性らの微妙で言葉にしづらい心理を描いてくれて、ああ、鬱屈した生活を余儀なくされている女性らの代弁者なのかなと感じた。
← ローランド・エノス著『「木」から辿る人類史 ヒトの進化と繁栄の秘密に迫る』(水谷淳訳 NHK出版)「類人猿の樹上の巣から、交易に活用された木舟、多様な建築技術、エネルギー源としての木炭まで、つぶさに語られる木の驚くべき汎用性を通して、今まで見えていなかった新しい歴史の姿が現れる」
ローランド・エノス著の『「木」から辿る人類史 ヒトの進化と繁栄の秘密に迫る』を読み始めている。
「定説では、石・青銅・鉄が重要な役割を担ったとされている。しかし、じつは「木」こそが歴史をつくった最も重要な鍵だと著者は言う」。
まだ冒頭の数十頁を読んだだけだが、我輩には目新しい知見が多く、メモばかりして、なかなか読み進められない。嬉しい悲鳴?
(オランウータンの樹上生活の観察結果や)「化石の証拠からも、私たちの祖先は胴体や上肢がいまだ樹上生活に適応しているうちから、直立歩行できるよう下肢を徐々に変化させたことがわかっている。」
つまり、地上でのナックルウォークから直立歩行へと進化したわけじゃない。樹上生活で既に直立歩行が可能になっていた。
あのルーシーは、まだ樹上生活していた。木から落下して死んだ。腰骨などが落下により骨折していた。(01/21 04:08)
調理(火の利用)が、顔や歯などの骨の変化はもとより、消化の負担の減少、消化の時間の短縮、ひいては生活のゆとりをもたらした。
何故に体毛を失ったのか。従前唱えられてきた狩猟説(獲物を長時間追って仕留める。その際、汗を流して体温調節した)は既に後退してる。狩猟は男たちがする。とすると、男は体毛が薄くなる。では女たちが濃いままのはず(薄くなる必然性が乏しい)。
近年有力なのは、人類の祖先が洞穴などで集団で生活するようになった(地上では他の動物より弱いから)。するとたに巣食うダニやノミなどの虫が蔓延る。そうした虫は体毛が薄いほど発見退治しやすい。では頭髪はなぜ残った? それは熱中症から身を守るため。
やがて人類の祖先は小屋を作るように。粗末な小屋でも、雨風や夜の冷気を防ぐのに極めて効果的。こうして体毛を失っていった。(01/21 19:56)
従来の人類学では、石器が重要視されていた。石器の形などで、旧石器時代とか新石器時代に分ける。従前の教科書で見慣れた時代区分だ。
これは石器は痕跡として残りやすいことからの立論。一方、容易に木の使用があったはずと想像されても、木製品は腐食するなどして遺跡から見つかることはなかった。
が、近年、木製品の遺跡が次々と発見されてきたことから、人類史での石や木などの道具の位置付けも変貌を遂げつつある。石を加工するにも木を使うし、木を道具にするには石器を工夫する必要があった。両者を駆使することが脳の発達につながった…あるいは、脳の発達が道具の工夫に繋がっただろうということだ。
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