狼煙は風に強い?
← 増田隆一著『うんち学入門 生き物にとって「排泄物」とは何か』(ブルーバックス)「うんちとは……、進化の結晶にして生存戦略の武器だった! 思わず誰かに話したくなる「うんちのうんちく」が満載!」
朝方、まだ寝ている頃合い、電話の音。固定電話。知り合いならスマホ(携帯)のはず。固定の電話は大抵はしかとを決め込んでいる。が、今日は掛かってくる宛てがあった。予約していた本が入荷する日。出てみたら、案の定だった。多少悶々した挙句、寝足りないが起き上がった。腰の調子はボチボチ。腹が減っている。眠気より飯。腰痛でも腹が減る。
午後、軽く読書した後、書店へ。雨が降り出していた。午前中の青空がウソのようだ。また冬型の気圧配置に逆戻り。降雪が少なくて、無理して除雪という憂き目は避けられてきたが、また雪搔きか。
予約していた本は2冊。一冊は古くて、問屋にもないと思っていたのに、あって逆に驚いた本。青木 冨貴子著の『731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く 』(新潮文庫)である。予約の2冊を引きどって、帰りに吉野家の牛丼を持ち帰りして、という目論見だった。
が、やはり、2冊で終わるはずもなかった。あれこれと物色しているうちに10冊ほどに。仕事は2週間以上休んでいる。次の給料は半減か。本を買うなど論外。当分は書店へは足を運ばない。図書館か古書店を利用する。足りなければ書庫から既読本を引っ張り出して…などと自分に言い訳して買い込んでしまった。
デパ地下での買い物は今回も自制。その代わり吉野家、というわけである。今夜は雪か。明日は検診。腰のこともあるし、自制自重安静である。
増田増 一著の『うんち学入門 生き物にとって「排泄物」とは何か』を今朝読了。
読みながら、あれこれ呟いてきた。それらは下記する。
「うんち」を巡る本は何冊かは読んできた。秘蔵の(?)の本も未読のままに残してある。著者によると、「うんち」を考えることは、「生き物」とは何か、「いのち」とは何か、人間を含めた生き物を取り巻く「環境」とは何かという一大テーマに繋がるという。その成果が本書だ。小学校などで「うんち」がやりづらい、行くと揶揄われるなど、問題になっているとか。著者としては、「うんち」の果たしている役割を家庭や学校や友達の間で、みんなで考えてもらい、翻って生き物や命について考えてほしいのだ。
尚、本書でも触れられているが、トイレで流す排せつ物の行方が気になる。遠い昔、農家だった我が家には肥溜めがあった。だったら現代の技術で、家庭でバイオ燃料に、なんて夢想したが、合理性に欠けるらしい。だったら、町内会で共通の処理施設を作ってバイオ燃料にすると、コストに見合うのか。
ネットで関連情報を物色してたら、気になるサイトをヒットした:「総力取材 人間のうんちは「ケーキ」となって再利用されていた(堀川 晃菜) | ブルーバックス | 講談社(1/5)」 どうやら、人糞は、含有物が問題で肥料化を含め再利用が難しいらしい。「農家が汚泥肥料を使いやすくするためには、まず消費者である私たち一人ひとりの意識から変えていく必要がある」というのだ。つまるところ、我々の生活自体の見直しが迫られるという。なかなか厄介だ。
「うんち大研究ノート - 国土交通省」なども参照。
「狼煙という言葉には狼という漢字が使われています。 これは、もともと狼煙を上げる際にオオカミの糞を火種にしていたことからと言われています。 オオカミの糞を使った狼煙は、真っ直ぐ上がって風にも強いと言われています。」なるほど、「のろし」は、「烽火」とも書くけど、「狼煙」のほうが好き。なぜ、こんな表記か調べたことなかった。(01/26 00:59)
「ウグイスの「うんち」は平安時代から、シミを除去するための化粧品や洗剤として利用されてきた」(01/26 01:10)
余談ですが、「真っ直ぐ上がって風にも強い」って、真に受けていいんでしょうか? (01/26 10:40)
「狼煙についてあれこれ(その1) 2006年6月9日のブログ記事一覧-BOYSCOUT TROOP74, NAGOYA, AICHI, JAPAN」によると、「肉食動物の排泄物には、尿素、アンモニア、アミン類を多量に含み、それが長時間風雨にさらされると酸化し、土中の硝酸バクテリアによって硝酸塩に変化する。 これは、火薬の原型になるものだ。 オオカミのフンを燃すと、その煙は風があっても真っすぐに上昇すると伝えられているが、この硝酸塩の作用によるものである」と。但し、狼の糞を直接燃やすのではなく、藁や木を敷き、その上に乾いた糞を載せるらしい。かの武田軍が得意の情報通信ネットワークの一端だったようだが、吾輩は実地には観たことがない。
← 長谷川 眞理子 著『私が進化生物学者になった理由』( 岩波現代文庫)「生き物図鑑とドリトル先生の大好きな少女が、いかにして進化生物学者になったのか。(中略)進化生物学者として成長していく著者の人生の歩みと、人間の進化と適応に関する興味深い話が語られる。」
長谷川 眞理子 著の『私が進化生物学者になった理由』を今日から読み始めた。著者の本は2冊目か。著者は幼い頃、母が結核に罹患し、父方の祖父母のいる紀伊田辺へ。南方熊楠を生んだ地。祖父は南方熊楠の娘さんと親交あり。娘さん夫婦の養女に、という話もあったとか。後の進化生物学者と南方熊楠との奇縁である。(01/26 18:32)
パオロ・ジョルダーノ作の『素数たちの孤独』(飯田 亮介訳 ハヤカワepi文庫)を一昨日より読み出している。
ヒリヒリする読書体験が続く。若いからこそのとんがった青春。著者が若くして書いた。まだ青春の感覚を失ってなかった……。ドラマで言えぱ、10分たらずの印象的な場面がどんどん切り替わっていく。歯切れがいい。(01/26 18:13)
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