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2021/12/28

久々の無賃乗車被害に遭う

Haikyo ← 『世界でいちばん美しい廃墟 強烈な存在感を見せる世界の廃墟たち』(MDN編集部 エムディエヌコーポレーション)「アメリカの産業を支えてきた工場、軍の将校を輩出した学校、流行した結核の治療を目的とした病院、ヨーロッパリゾート地の廃ホテル、かつて荘厳な姿をしていた教会、ネオルネッサンス様式の邸宅など…」

 相変わらず年末らしい忙しさ。昨年末とは大違い。といっても、週の前半はボチボチで、忙しいのは週末だけ。それでも先月からは折々繁忙を実感することも。昨夜も夜半を回って一時頃までは本を読むなんて論外で、スマホも弄れなかった。

 ただ、二時過ぎから暇になり、町中に人影もなくなって、本をせっせと読んだ。結果的には売り上げが今日の半分の26日と同じ60頁余りになったのだから妙な話だ。(続きは下記する)

世界でいちばん美しい廃墟』の場合 読了したという表現は当たらないだろう。何度となく…思い出したように…何かの本を読了した際などに、気持ちを遊ばせるようにして開く。日本国内も難しいが、まして世界を気ままに旅するなんて論外の時代にあって、こうした尖がるほうに徹底した旅の写真集は贅沢の極みかもしれない。


 宮殿や風光明媚な場所のリゾート施設の類いの廃墟は栄華の空しさ感が漂うだけ。それでも廃墟になったことで歳月が何かを生み出す。病院、特に嘗ての精神病院の廃墟は精神の荒廃感が濃縮されて凄まじい。廃墟。更地にし、全く違う施設を建てることで、過去を封印する。それが大概の都会の在り方。総ては夢だった……。が、廃墟は違う。風雨と人の好奇の眼が闇の濃さを思い知らせているようだ。蛮行は忘るべからず。(2021/12/25)
 美しい廃墟。廃墟は美しいか。それは滅びの美学なのか。こうした画像集に載せられる廃墟は巨大で短からぬ時間の濾過装置を経ており、いずれにしても蒐集者の特定の(大衆受けし勝ちな)価値観に則っている。古民家ではないが、消滅した命や生活の息吹の名残りが幽霊のように漂っている。(12/27 01:43)
 幽霊は人が見るもの、人が<生かす>存在だ。全て消え去った存在は美しいか。どんなに醜く過っていても、反論の余地はない。美は幻想のように確かで掴み所がない。廃墟は死のように妄想を逞しくさせてくれる。凝視するあなたのどんな夢想と切望をも許容する……かのようだ。(12/27 01:49)
 書き忘れていたことが一つ。時間であり、それは我々にとっての自然。形有るものは必ず崩れ滅びる。風雨であり微生物や黴、苔、埃、野鳥や野獣(人間も含む)等々。蔦が這い覆い罅割れ崩れ去る。そう自然が容赦なくその手で化粧し大地に呑まれ埋もれゆく。廃墟が仮に美しいとするなら、圧倒する自然の前には如何なる人間の営為も等しく平伏するしかない現実の厳しさ酷さのゆえではないか。(12/27 14:43)

 

Yuki_20211228124801 ← 今朝未明、仕事から帰宅。雪に埋もれた我が家。除雪。作業後、一番寒い時間帯である未明にシャワーを浴びた。寒い脱衣場。寒い風呂場。電気ストーブを使うも、暖まるのを待ってられない。シャワーのお湯で暖を取る。シャワー後は、速攻で体を拭いて居間(茶の間)へ。その居間が寒い。電気ストーブじゃこの寒さには敵わない。毛布が手放せない。(12/27 10:23)

  午後の四時過ぎ、ふと窓外を眺めたら、雪になってた。 ♪雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろ~サイレントnight ホーリーnight~♪♪ ああ世間はクリスマスだってさ。(12/25 16:27)

 その26日の夜、桜町…スイコウ閣の辺りの路上で気違いを乗せた。路上で奇声を発しつつ手を振っている。こちらを睨んでいる。乗車拒否も出来ず、乗せる。乗せた途端、後悔した。気のやさしさが災いとなった。乗ってからも行く先を云わず何やら盛んに叫んでいる。ようやく行く先を聞き出した。堀川と。

 その方向へ走らせた。何やら話しかけるから返事しようとするが、意味不明で返事のしようがない。相手がカッカしている分、こちらはクールに事務的に丁寧に。やがて西町にほど近いM銀行前の信号で止まった。すると、突然、奴がドアを開けて飛び出していった。東方向への路地の入口で立ち止まって、我輩に車をそのまま走らせろと、手でその方向へ指示する。奴のほうへは来るなってことだろう。

 行くわけがない。無賃乗車。料金は690円。損害も大きくない。降りてくれて清々する。営業時間が終了して帰庫し、清算後、事実だけ無線室(H氏)に報告。警察沙汰になると時間も掛かるし、聞かなかったことにする、だって。

Keshou 雪化粧。薄化粧かな。松川沿いにて。(12/26 00:34) 


 間もなく雪に変わりそうな氷雨の富山。内庭の築山(?)には落ち葉をこれでもかというくらいに敷き詰めた。メタボな庭になりそう。雪が積もったら、この光景も雪融けまで観られなくなる。(12/25 13:48)

 

 この頃 何々忘れが多い。トイレの電気 消し忘れ。風呂のガスの種火 消し忘れ。昨日は、表の溝浚いした。どうやら、作業後その場に大きなポリバケツを置き去りにしたらしい。今朝、起きて庭を見たら、庭にポリバケツが。何故、庭に置いてある? 風で玄関から飛ばされた? ふと気付いた。溝脇に置き去りにしてたんだ! (12/24 14:49) それにしても、誰が我が家の庭にバケツを置いてくれた? (12/24 21:25)
 

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