「知覚の扉」とメスカリン
← オルダス・ハクスリー【著】『知覚の扉』(河村 錠一郎【訳】平凡社ライブラリー)「幻覚剤メスカリンが、かつての幻視者、芸術家たちの経験を蘇らせる。知覚の可能性の探究を通してハクスリーが芸術を、文明の未来を語り、以後のさまざまなニューエイジ運動の火つけ役ともなった名エッセイ」
日本でも猛威を振るいそうなオミクロン株。耳に痛いほど聞き始めている。案の定、オミクロンに絡む駄洒落が幾つか。さすがに今は駄洒落を飛ばすのはやばい。第6波が終息したら飛ばすかも(忘れてなかったら)。(12/23 22:37)
仕事も先月から主に週末だが、久々に忙しい。しかも、庭仕事は昨日のドブ浚いもだが、家事全般が我輩に手を抜かせない。仕事の合間の読書も難しく、自宅でも本を片手に寝落ちが続く。繁忙なのは今だけだろう。今を乗り切りたい。
オルダス・ハクスリー著の『知覚の扉』を読了した。内容案内によると、「幻覚剤メスカリンが、かつての幻視者、芸術家たちの経験を蘇らせる。知覚の可能性の探究を通してハクスリーが芸術を、文明の未来を語り、以後のさまざまなニューエイジ運動の火つけ役ともなった名エッセイ」とか。
メスカリンという名称は、「名称はメスカレロ・アパッチが儀式の際に使用したことに由来する」し、「1971年の向精神薬に関する条約によって国際的に規制され、日本では法律上の麻薬に指定されている」(Wikipediaより)とか。
「白人が注目するのは19世紀末で、1886年にドイツの薬学者レーヴィンがペヨーテを報告、1891年にアメリカ合衆国の少数民族を扱う行政機関の役人であるジェームズ・ムーニーが、南部を視察した際に霊薬と呼ばれる「メスカル」をワシントンに持ち帰り、医師のプレンティスとモーガンが1895年に効果を報告、翌96年にはアメリカのウィア・ミッチェルがその主成分メスカリンを服用し、星のような閃光が無数にきらめき、光輝燦然(さんぜん)たるヴィジョンを見たと報告した。ミッチェルの報告はイギリスのBMJに掲載され、翌97年にはイギリスの精神医学者ハヴェロック・エリスがメスカリンの自己投与実験を行い『ランセット』6月号や他の雑誌に掲載された」(Wikipediaより)ようだ。
以上のことは概ね本書にも書いてある。
また、「作家のオルダス・ハクスリーは、著書『知覚の扉』(1954年)でメスカリンの体験を報告し、彼は非自我の境地からの逸話を記し、無限の意味に満たされている、宇宙のすべてを知覚するといった感想を抱かせ、また幼き頃の知覚の純粋さを蘇らせた」とか、「アンリ・ミショーは、『みじめな奇蹟』(1956年、体験は1954年[5])でメスカリン体験を報告し、彼も自我を喪失したが宇宙へと融けこんでいくのではなく、ハクスリーとは対比的に単に自分であるという防壁を壊されたと感じた」(Wikipediaより)とも。全く逆の体験が記録されている。
「経口的に用いられることがほとんどで、服用後異様な精神状態になり、典型的には視覚的幻覚を伴う。「トリップ」と呼ばれる状態である。作用は服用前の状態等に左右され、発作的に不機嫌になる、激昂するなどもおきる。しばしば気分のよい浮遊感や光輝感を得るが、逆に不安や抑鬱をもたらすこともある」(Wikipediaより)というが、身体への影響もだが、脳への影響は顕著なのだろう。その脳神経科学的メカニズムは、吾輩は分からない。ハクスリーは、脳への酸素欠乏が齎す(彼の場合では)面白い影響だと理解しているようだ。精神がトリップ状態になり、やがて時にはサイケデリックな体験が得られるとして、一部に持て囃されるに至ったわけである。
かのサルトルもメスカリン服用体験者として有名で、詳しくは、「ジャン=ポール・サルトルに関する病跡学的試論──いわゆる「メスカリン事件」をめぐって自己愛の視点から── 中広全延」を参照願いたい。
← ミシェル・ウエルベック 著『セロトニン』(関口 涼子 訳 河出書房新社)「巨大生化学メーカーを退職した若い男が、遺伝子組換え、家族崩壊、過去の女性たちへの呪詛や悔恨を織り交ぜて語る現代社会への深い絶望」
時代が時代だけに一部の作家にはメスカリン体験は面白い題材だったのだろう。今日ではこういう<体験記>はメジャーな作家からは生まれ難いのかもしれない。
だからといってドラッグ常用が蔓延している状況も看過できない実情もある:「死者年7万人、米国で広がる世界最悪の薬物蔓延の現場を歩いた:朝日新聞GLOBE+」
吾輩の好きな作家ミシェル・ウエルベックの近作に題名がズバリ『セロトニン』なる小説がある。なかなか衝撃的な作品。初めて読んだ『素粒子』などを思い出させた。内容は書かないが、薬物もだが遺伝子組み換えなど、時代はハクスリーの体験記をノスタルジックに感じさせるほど深甚な闇に迷い込んでいる。作家ウエルベックの絶望感は相当なもので、「遊びすぎてアジア系のロリータにしか救いを望めない男を描いて」いたり、作品も暗鬱そのもの。唯一の救いは作家がとことん表現の探求に妥協がないことか。だが、救いを求められ肉体も精神も虐待されるアジア系のロリータに救いはない。
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