月命日…住職のお話
食後の寛ぎ時、チャイムが鳴った……珍しくJAの方が。我が家は会員だが、いつもは会報誌をポストに投函するだけ。挨拶は一切ない。おや、何だろうと応対したら、営業だった。農協で富山市の空中撮影した。個々の会員宅をそれぞれ拡大した写真パネルを宣伝。在りし日の我が家を空撮した写真もいいかな……と思ったが……高い! 28000円! いくら額入りだからって、無理。……農協もいろいろ考えてるね。(2021/12/07 13:17)
既に巨大金融機関になってますね。収益源は確実豊富。ただ人口減。人のいい(余裕のある)人から貪る。家の写真、家族の肖像。その内、墓石の販売も始める? ま、嘗ては歩いて数分のところにあった小さな販売店が無くなった時点で遠い存在になってます。(12/07 15:59)
今日は父の月命日。住職に来てもらって読経。そのあと、我が町……嘗ては村について思い出話。我が家のすぐ近くに尼寺があったなんて初耳(その尼寺には久世光彦の小説に描かれたような悲しい逸話がある)。小学校以外に近所にプールが3つあった。近所に富山藩の家老の屋敷があった。近所に家老の代々の墓があることは知っていたが、なぜあんなところに……と不思議だった。(2021/12/09 16:26)
母は長年民謡をやっていて、三味線もだが、歌声が朗々としていたことは知っていたが、父も歌が上手く声にも張りがあったとは初耳。父はテレビの歌番組で歌手の歌に下手だとか何とか文句を言う人だったが、何を偉そうにと我輩は内心 父の評をうざく感じてだが、へぇー 歌 上手だったのね。おみそれしました!
家老の屋敷が近所にあったが(だがら近隣の村の田は屋敷の跡地なので屋敷田と呼ばれた)、我が村に昔、初代県知事の屋敷も近くにあったのではと。というのは、数年前、富山県が初代県知事の屋敷が何処にあったか調査したが不首尾に終わったことがあったのだ。ちなみに知事の屋敷の建物は立派なもので、黒部市の某寺が引き取り庭付きの館として公開されている。我輩も数年前 バイクで訪れた:「天真寺(松桜閣)へ!」(2016/04/11)
富山市中心街は、空襲で潰滅した。住職の寺も全焼し、過去帳がなくなった。過去帳のない寺が多い。我が家も全焼した。だから、屋敷跡も綺麗さっぱり消えた。富山城についての資料もかなり消滅。
昔(60年ほど昔)、我が町の村祭りは、線路の向こう側でやった……ガキの頃 行った記憶がある。賑やかだった。でも、場所は何処か分からずにきた。それが今日 分かった。線路の向こう側の神社の境内でのことだったのだ。
我が町は昔はイベント好きで、御輿を担ぐような祭りを積極的に。青年会も盛んに活動。父や住職らが中心になって。我が家の近くに小さなボロ屋があり、そこが若者らの溜まり場だった。青年会の他に御経の会も盛んで、やはり父や住職が中心だった。
まだ長々と話したが忘れた。近所に観音堂がある。中には数十体の観音様、お地蔵様。それらは、嘗てあった尼寺のもの。寺はなくなったが、観音様たちだけは小屋を作って大切に保存。20年か30年前、当時既に古びていた小屋をコンクリート製の立派な小屋に改築。我輩が帰郷してからは、草むしりだけは我輩が十数年やってる。誰も気付いてないが。観音堂の謂れ因縁を聞いて、感懐深い。悲劇の尼寺の名残の観音堂!
我が(嘗ては)村は、富山藩ではなく、加賀藩の領地。富山藩は、加賀藩……前田家の分家の藩。富山藩を取り囲むように本家たる加賀藩などの領地が。我が町(当時は村)は、範囲が広く、そこから一歩食み出ると富山藩に入る。他藩!
我輩は我が町(村)は、今日まで、富山藩の領地だと思い込んでた。
過去帳についてもあれこれ話を伺った。が、微妙な話になるので書かない(ブログに書くかも)。…エタ非人などの名前も書いてあった。但し、苗字はなく名前のみ。
余談だが、昨夜は会社の同僚について、同僚の同級生だった方からあれこれ伺った。なるほど! これは何処にも書かない。
住職に来てもらった……。昼前に。が、未明まで仕事で、寝入るのが7時頃の我輩にはきつい時間帯。普通の方なら真夜中か。たまたま目覚めたから応対できた。昼間の固定電話は、無視する。知り合いならスマホだろう。固定は売り込みか知らない人のはず。住職が帰られてから食事し洗濯し寝直した。普通とは違う生活パターンは、やはり無理がある。体に悪い。
住職もだが、父も我が町のことは詳しかったようだ。高校卒業後、富山を離れた我輩。我が町のことを聞かなかったことが悔やまれる。若い頃は郷里のことなど関心なかった。(12/09 17:20)
拙稿参照:「お地蔵さん……ん?(後篇)」(2008/05/13)
「無言坂…早く昔になればいい」(2008/04/20)
「香西と久世と無言坂」(2013/03/14)
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