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2021/12/10

慌ただしい日々…それでも読書の日々

Bosu ← 岡部紘三/著『図説ヒエロニムス・ボス 世紀末の奇想の画家』(河出書房新社)「残された数少ない真筆作品から、奇抜なモティーフに込められた画家の意思を探る」

  岡部紘三著の『図説ヒエロニムス・ボス 世紀末の奇想の画家』を一昨日より読み始めた…綺麗な図版を眺め始めた。ボスの世界には魅了される。奇々怪々の世界はどのようにして生まれたのか。
 他に、三浦佑之/著の『「海の民」の日本神話―古代ヤポネシア表通りをゆく―』(新潮選書)を今日から、読み始めた。興味津々のジャンルだし、三浦氏の本は既に何冊も読んできた。中田 兼介【著】の『クモのイト』(ミシマ社)も仕事の合間に読んでいる。クモは好きじゃないが、庭仕事しているだけあって親しく目にするから本書に目が行ったのだろう。

 今夏、生活パターンが変わったせいか、というより勤務時間帯が変わったせいだろうが、時間に追われている気がする。隔勤より夜とはいえ、日勤のほうが勤務時間が長いからだろうか。仮に勤務時間が同じでも、月に12回の出勤と、月に22回とでは、まず洗車の回数も違えば、出勤のための準備や通勤時間なども倍近くになる。有休を積極的に取らないと落ち着いた読書ができない。あるいは、先月の中旬以降、ややコロナ禍が落ち着き、人の動きが活発化していることもあり、日々の営業回数も増えていて、待機中の読書時間も激減しているからかもしれない。売り上げが(それまでがひどすぎた分)激増している。嬉しい悲鳴か。第6波の到来も警告されており、忘年会も含め、今一つ盛り上がらない。先はまだ見えないということか。

Kami_20211209200801 ← ジュリアン・ジェインズ【著】『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』(柴田 裕之【訳】 紀伊國屋書店(2005/04発売))「人類が意識を持ったのは、今からわずか3000年前のことだった」「人類が意識を持つ前の人間像を初めて示し、豊富な文献や遺物を駆使して「意識の誕生」をめぐる壮大で大胆な仮説を提示する」

 ジュリアン・ジェインズ著の『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』を昨夕、読了した。なかなか理解が及ばない。古代ギリシャどころか、バビロニアなどの素養も要る。さらに旧約聖書の世界を知悉していないと、話しについていけない。さらに脳科学の知識も必要となると、(著者の知見自体古い)専門的な話に素直についていくのも憚られる。それでも真に受けさえしなければ、大枠の議論については、読むに値する本だと感じた。

 訳者は「サピエンス全史」の訳者。何処かで聞いた名前だと思った。
 著者は、プリンストン大学心理学教授(刊行当時)。脳機能の伝統的な比較心理生物学的アプローチを試みていたが、やがて広く文献学や考古学の研究へと方向転換。3000年前に誕生した意識というのは、いわゆる知覚のことではない。何々についての意識である。知覚している自分を意識する、その次元のこと。
 人とチンパンジーの祖先が分離したのが700万年前と言われるが、その時点で意識はなかっただろう。だが、その後のある段階で意識は誕生した。意識は初めから我々が思う意識だったはずもなく、いつだったかに誕生し、進化していっただろう。著者は右脳左脳のそれぞれの機能や働きに注目しているが、門外漢の吾輩にも説として古く感じる。肝心なのは、言語の誕生と意識との相関だろう。
 著者は、「イーリアス」に意識の誕生を観る。人間の想いなどなく、あるのは神々の声だけだという。人間はそれに従うのみ。意志も存在する余地がない。神の声はすなわち行動の決定となる。そこに意識が誕生したことで、神々の声は聞こえなくなる。人間は自分で考え判断するしかない。迷いが生まれ宗教や文明が生まれる。
 著者は変化の証左を旧約聖書に見る。<石碑の玉座から神が姿を消し、失楽園のエピソードを含む「創世記」から始まる旧約聖書では、途中から神の姿が見えなくなり、預言者も登場しなくなり、十戒や律法という文字や掟による規制が生まれてくる。ここ数千年来、神や確実性の喪失と、拠り所や真実の探求が人間の歴史の普遍的テーマになっている。占いや神託、宗教、科学の盛衰もこの観点から捉えられる。>統合失調症なども、失われたはずの神の声が聞こえることからくる迷いだと説明する。突っ込みどころ満載の書だが、ある種の説として興味深いし、読み応えもあった。
 訳者あとがきによると、<哲学者ダニエル・デネットは、意識の誕生を生物学的進化ではなく学習によるとする、このジェインズの考えを、「すばらしいことこのうえないアイデア」と絶賛し、脳というハードウエアの変化ではなく、脳が新しいソフトウエアを必要とした結果と言い換えている。そして、意識の起源をたどるジェインズの試みを「ソフトウエア考古学」と呼び、遺物や遺跡、化石に頼れる従来の考古学に比べて、直接の証拠に乏しい、はるかに難しい作業であるのだ]から、ジェインズの仮説が大胆にならざるをえないことを認め>、大方の批判を退けている。いずれにしろ、訳者あとがきは本書の内容の見通しをよくさせてくれている。

591607 ← 森崎 和江 著『まっくら 女坑夫からの聞き書き』「筑豊の地の底から石炭を運び出す女性たち。その逞しい生き様を記録したデビュー作」。(解説=水溜真由美 岩波文庫)

 森崎 和江 著『まっくら 女坑夫からの聞き書き』を今朝未明読了した。本書は、女性の坑内労働をめぐる記憶を最初に解放した書。ルポもの、聞き書きものとして嚆矢といっていいのか。1961年に初めて刊行。その後、幾つかの出版社を経て1977年に三一書房から再刊。
 本書は三一書房版を底本にしている。水溜真由美の解説を付しての新刊である。炭坑画と云えば、言わずと知れた山本作兵衛。その炭坑記録画が各章の扉に載っている。小生は嘗てブログにて山本作兵衛を特集したことがある:「山本作兵衛の筑豊炭鉱画と五木『青春の門』と」森崎は谷川雁に連れられて初めて炭鉱町を訪れたとか。
 炭坑での女性の労働は封印されてきた。厳しい環境だったことや、女性坑夫に書く能力や機会がなかったこともあるが、女子労働の保護と「男は仕事、女は家庭」の性分業の定着を進歩と見なす近代的な価値観もあったようだ。政府にすればなかったことにしたい負の歴史ということか。
 本書で気付かされるのは、女性も男性と同じ労働をこなしていたことだ。それどころか、男性は仕事を終えると博打と酒に終始するが、女性は作業後も子育てに家事が待っている。生理があっても休めないなど、遥かに難儀な生活を強いられていたのだ。悲惨なことも多々あるが、男連中相手でも(恋愛も含め)ひるまない。立ち向かっていく。とにかく逞しい。

 森崎和江というと、吾輩が学生だった頃に刊行された『からゆきさん』で、その名が銘記された。自分の中では、ノンフィクション作家・山崎朋子の『サンダカン八番娼館』と共に印象的だった。

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